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一章 出会い

12 古代エジプトVR

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 フィッシャー・エルンストは、上司の部屋のドアをノックした。
 ドアの前に止まるだけで中にいるアレックスに伝わるが、オフィスワーカーの基本的な心得として秘書はノックした。

「助かった! 君がいれば勝利も同然だ!」

 上司の声が切羽詰まっている。と、ドアがスライドした。
 そこは支部長室ではなく、薄明の中、ピラミッドとスフィンクスが鎮座する、古代エジプトの広大な平原だった。


 夕闇の砂漠を何十台もの古代戦車が駆け巡り、砂埃が舞う。戦士たちの怒号、車輪と車軸の摩擦音がけたたましい。

 フィッシャーは、この光景をよく知っていた。
(出勤早々からゲームとは、お坊ちゃまは優雅なことで)
 秘書は、部屋に入ると同時に、古代エジプトVRゲーム「アイーダ」にログインしてしまったようだ。

 暗がりの中、とりわけ派手な戦車一台が突進してきた。馬の頭に飾られたクジャクの羽根が砂嵐に揺れている。

「アーン! 御者を頼む! 僕一人では蛇の化け物は倒せない!」
 馬を操るアレックスに呼び止められた。フィッシャーは上司に腕を掴まれ、強引に戦車に乗せられ、手綱を握らされた。

「アレックス! いきなりファイナルボス戦ですか!」
 フィッシャーは器用に手綱を操り、二頭の馬を走らせる。戦車の御者は体験済みで、慣れたものだ。

「さすが君は何でも知っているね。空を見ろ! 大蛇アペプが太陽神ラーを襲っている! 僕が倒す。君は全速力で駆け抜けてくれ!」

 御者になった秘書は、古代エジプト大将軍に扮した上司をチラッと見やる。
 堂々とした体躯。分厚い胸板に割れた腹筋。盛り上がった二の腕。御者がよそ見をしてはいけないが、若々しい肉体につい見とれてしまう。

 エジプト大将軍は速さを増した戦車の上で、天高く暴れる大蛇に狙いを定め、弓を引き絞る。
 喧騒の中、ひと際大きく弓弦の音が響き渡る。次の瞬間、矢が大蛇の眼に突き刺さった。
 天空で暴れる大蛇は断末魔の咆哮を残し、塵となって空に溶けた。
 太陽神ラーは力を取り戻し、エジプトの大地は光に満たされた。


 エジプト王が王女を伴って現れ、世界を救った大将軍を褒めたたえた。
「将軍! そなたのおかげで世界は救われた。我が娘を与えよう。共にエジプトを治めるがよい」
「偉大なるファラオよ! 王女様の夫になれるとは、私は宇宙で最も幸せです」

 傍らの御者フィッシャーは(そうか、この展開は王女様エンドだな)と冷めた目でひざまずいた。
 もう一つのハッピーエンドは、アイーダエンド。ゲームタイトルのアイーダとは敵国捕虜の女奴隷の名前で、大将軍とは密かに愛し合っている。
 フィッシャーはアイーダエンドの方が好みだが、上司の好みにまでケチはつけない。今後の展開で、大将軍を手助けした御者として、おこぼれでアイーダエンドを迎えられるかも? と期待に胸を膨らませる。

 と、問題の女奴隷アイーダが猛烈な勢いで、大将軍に突進してきた。

「アレックス! よくも我が神アペプを滅ぼしたな! 許せぬ!」
 アイーダが鎌形の剣を振りかざし、大将軍に切りかかった。
 が、エジプト大将軍は、襲いかかる恋人の攻撃を難なくかわし、女の手から剣を叩き落とす。

「駄目だよ、アイーダ。悪い子だね」
 男はもがき暴れる女の身を引き寄せ、強引に口づけた。
 エジプト王も王女も何事かと目をむいた。
 何より御者フィッシャーが(おいおい! せっかくの王女エンド、どーするんだよ!)と、心の中で突っ込む。

「恐れ入ります。この女、ただの奴隷ではなく、エチオピアの王女なのです」
 大将軍であるアレックスは、女を抱き寄せたまま、ひざまずく。
「ファラオよ! 勝手ながら私、このアイーダを愛しております。しかし、王女様のことも心から愛しているのです」

「何ですって!」「ふざけるな!」
 エジプト王女とエチオピア王女。二人の女が目を吊り上げる。
 偉大なエジプト王は、すくっと立ち上がった。

「よいよい。代々エジプトのファラオは、何人もの妃を娶った。大将軍がエチオピアの王女を娶れば、二国は争うことなく平和に栄えるだろう。めでたいことだ」
「ファラオよ! 私は、宇宙で一番の幸せ者でございます!」
(それ、さっきも言っただろう!)とフィッシャーは叫びたくなった。

「父上の仰せには従います」「気に入らないが平和のためだ」
 二人の王女も渋々ながら、愛する大将軍の妃になることを受け入れた。
 こうしてエジプトは、次のファラオ、アレックスの御世、二人の賢い妃と御者フィッシャー・エルンストの献身的な支えにより、ますます栄えたのであった。

(いや、このエンドはまずいでしょ!)
 誰よりも目をむいたのはフィッシャーだった。



 二人の男は、無機質なボックスの中にいた。床には、八方向へ動くベルトが敷き詰められ、どこまでも走ることとができる。

「アーン、君のおかげでベストスコアが叩き出せたよ」
 アレックスは汗ばんだ笑顔をフィッシャーに向けた。
 古代エジプト戦士の鎧ではなく、長袖のトレーニングウェアに身を包んでいる。

「さて、戻ろうか」
 アレックスが顔を上げて瞬きすると、ボックスの天井が割れる。するすると壁が下に折りたたまれ、いつもの事務室が現れた。

 VRゲーム「アイーダ」は、アレックスがプロデュースしたインタラクティブムービー「アイーダ」を元に作られた。
 様々なプレイモードが楽しめるが、今回フィッシャーが巻き込まれたのはフィジカルモードで、現実の肉体を駆使して戦わないと進めない。中年まっさかりの秘書にはなかなか過酷な試練だ。
 が、隣の上司は、頬を上気させ汗ばんでこそいるが、息切れ一つ見せない。VRのアレックスと何ら変わらない逞しい体つきは、ウェアを通してもよくわかる。四十代後半男は、上司の若さが羨ましい。

「はあ、はあ……すごいですね、アレックス。あのエンディングは初めて見ましたよ」

「そうか? 大蛇アペプを一撃かつノーダメージで倒し、王女とアイーダとの好感度をそれぞれマックスでキープする、それだけだよ」

 フィッシャーには、どう攻略したらあのハーレムエンドを迎えられるのか、わからない。ファイナルボスをノーダメージで倒すだけなら、一度成功したことがある。が、二人の女性の好感度を同時にマックスキープというのは、どうやっても無理だ。

 秘書は乱れた金髪を整えながら、上司に疑問をぶつけた。
「あなたは、熱心に教会に通われている。ゲームですが、二人の妃を娶るのは抵抗ありませんか?」

 フィッシャーは信者のスタッフから、教会でよくアレックスに会う、と聞いている。敬虔な信者である上司が、VRとはいえ喜々として二人の妻を迎えたのだ。秘書には不思議でならない、教義に反するのに。

「そうだ。僕はバイブルに忠実だ。だから結婚はしない。これからもね」

 なるほど。フィッシャーはまた一つ、ダヤルのプリンスについて理解を深めた。
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