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19 消えた婚約者
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メアリの治療を依頼したクマダ博士は、貧者に危険な手術を行っていた。
彼女の無事を確認するため、セバスチャンがペンブルック伯邸に侍従を遣わした矢先のこと。
ひとりで宮殿に来た伯爵夫人は、恐ろしいことを告げた。
父の書斎で、僕は父と共に、夫人から話を聞いた。
「娘は、先生の手術を受けて前世を忘れると、頑なに主張しました」
予想が当たってしまった。
伯爵夫人は伯爵と共に、クマダ博士の研究室を訪れ、前世を忘れる手術が安全なものか質問したらしい。
「先生ご自身が、危険な手術だから前途ある若い伯爵令嬢にはできない、とおっしゃったので安心したのですが」
それでもメアリは、伯爵夫妻の忠告を無視して、毎日、先生の研究室に通ったそうだ。
「メアリが、しばらくカントリーハウスで気持ちを落ち着けたいと言うので、二人のメイドを着けて向かわせました」
もう嫌な予感しかない。
「ですがその日の夜、メイドたちがこのタウンハウスに戻り、泣きながら言うのです。メアリを見失ったと」
それが三日前のこと。
伯爵のカントリーハウスまでは、大陸縦断鉄道で半日かかる。
メイドたちは、王都の駅で列車に乗り込むまでは注意深く見張っていたらしい。
「向こうのノーサンバレーの駅に着いた時、メアリは人混みに紛れ消えてしまったそうです」
メアリがノーサンバレーまで行って消えたのは、メイドが油断するのを待っていたのか?
「夫が、先生の元にいるだろうと研究室を訪ねたのですが、クマダ博士はしばらく待ってほしいと」
博士の返事からすると、メアリは博士の元にいるのだろう。
「伯爵である父親が訪ねてもその態度とは!」
「今朝の新聞で恐ろしくなり、私は……」
そこへ訪ねてきた僕の侍従たちに夫人は、伯爵が止めるにも関わらずこの事態を打ち明けた。
宮殿に戻る侍従に夫人は頼み込み、伯爵の制止を振り切り、今、宮殿にやってきた。
「夫人よ。なぜもっと早く知らせてくれなかった?」
「申し訳もありません。夫が殿下には絶対迷惑をかけてはならないと……」
「しかし……」
「ロバート黙れ! 娘を案じ心痛めている夫人を責めるとは、ネールガンド男子として恥ずかしくないのか!」
それまで黙っていた父が、目を怒らせ声を張り上げた。
その通りだ。この人はずっと眠れない夜を過ごしているに違いない。
「夫人よ、あなたを責めて本当に申し訳ない」
夫人はただ涙をこぼしている。
「メアリは必ず連れて帰る。どうかそれまで待って欲しい」
夫人はハッと顔を上げ「殿下……勝手は承知ですが、どうか娘を……お願い申し上げます」と頭を下げる。
僕は呼び鈴を鳴らし、セバスチャンを呼んだ。
「伯爵夫人はお疲れだ。客室のベッドを整えてくれ」
「かしこまりました。侍女たちに指示します」
セバスチャンは、伯爵夫人に付き添い書斎を出た。
父がため息をつく。
「メアリは相当お前の浮気に腹を立てているのだな。キャロラインですら、実家の侯爵家に一週間ほど戻ったぐらいだ」
その騒ぎは幼いながら覚えている。僕は滅多に会えない母方の祖父母に会えてただ楽しかった。
「僕がメアリを怒らせたのは間違いありません」
彼女が別れ際に流した涙が忘れられない。
「今からクマダ博士の元に行きます」
「午前中に片付けろ。午後の記者会見がある」
ノックの音と共に、セバスチャンが、大きな布袋を抱えて入ってきた。
「爺も同行させてください。こちらを用意しました」
セバスチャンは鞄から、かつらとつけ髭、薄汚れたシャツにズボンを取り出した。
「掃除人の格好か。用意がいいな」
「この騒ぎで記者たちが大学をうろついているでしょうから」
この侍従長はなんでもお見通しだ。
掃除人に扮した僕とセバスチャンは、オリバー五世に見送られて書斎をあとにした。
車を大学の裏手に着けさせ、セバスチャンと二人で裏門を潜る。
バケツとモップを手にした掃除人の扮装効果か、誰にも見とがめられず、博士のいる医学カレッジまですんなり通れた。
案の定、研究室の前は、人だかりができていた。
大学関係者だけではなく、記者も混じっているようだ。
「クマダ博士! 今から諮問委員会を開く! すぐ出ろ! 学長が待ってるぞ!」
「博士! 貧者に人体実験を行ったのは、本当ですか?」
怒号の波に紛れ込み、セバスチャンが「すいやせーん。カリンダ室の掃除に来ましたー」と能天気に声をかけた。
関係者たちは律儀にも、二人の掃除人が入れるよう場所を開けてくれた。
と、ドアの脇に貼り付けられた拳大の丸い金属板がキーンと音を立てる。
丸い金属板から、男の声が聞こえた。雑音に紛れて聞き取りにくいが、クマダ博士に間違いない。
「今日は、どこやるんだっけ?」
王立大の一部の研究室では、ドア越しに会話できる仕組みを採用している。
無骨な板に、セバスチャンが答えた。
「北の窓拭きやらせてください」
重々しい金属のドアが、ガチっと鳴った。僕がドアノブに手を回す。二人でドアの隙間にモップとバケツを持って滑り込む。
僕らの後ろから人なだれ込もうとするが、僕ら二人が入った途端、ドアが施錠された。
目の前で、小さな金属の箱を手にした天才医学者サイ・クマダ博士が立っていた。
「いつも掃除、ご苦労さん」
博士は、少年のような無邪気な笑顔を僕らに見せた。
彼女の無事を確認するため、セバスチャンがペンブルック伯邸に侍従を遣わした矢先のこと。
ひとりで宮殿に来た伯爵夫人は、恐ろしいことを告げた。
父の書斎で、僕は父と共に、夫人から話を聞いた。
「娘は、先生の手術を受けて前世を忘れると、頑なに主張しました」
予想が当たってしまった。
伯爵夫人は伯爵と共に、クマダ博士の研究室を訪れ、前世を忘れる手術が安全なものか質問したらしい。
「先生ご自身が、危険な手術だから前途ある若い伯爵令嬢にはできない、とおっしゃったので安心したのですが」
それでもメアリは、伯爵夫妻の忠告を無視して、毎日、先生の研究室に通ったそうだ。
「メアリが、しばらくカントリーハウスで気持ちを落ち着けたいと言うので、二人のメイドを着けて向かわせました」
もう嫌な予感しかない。
「ですがその日の夜、メイドたちがこのタウンハウスに戻り、泣きながら言うのです。メアリを見失ったと」
それが三日前のこと。
伯爵のカントリーハウスまでは、大陸縦断鉄道で半日かかる。
メイドたちは、王都の駅で列車に乗り込むまでは注意深く見張っていたらしい。
「向こうのノーサンバレーの駅に着いた時、メアリは人混みに紛れ消えてしまったそうです」
メアリがノーサンバレーまで行って消えたのは、メイドが油断するのを待っていたのか?
「夫が、先生の元にいるだろうと研究室を訪ねたのですが、クマダ博士はしばらく待ってほしいと」
博士の返事からすると、メアリは博士の元にいるのだろう。
「伯爵である父親が訪ねてもその態度とは!」
「今朝の新聞で恐ろしくなり、私は……」
そこへ訪ねてきた僕の侍従たちに夫人は、伯爵が止めるにも関わらずこの事態を打ち明けた。
宮殿に戻る侍従に夫人は頼み込み、伯爵の制止を振り切り、今、宮殿にやってきた。
「夫人よ。なぜもっと早く知らせてくれなかった?」
「申し訳もありません。夫が殿下には絶対迷惑をかけてはならないと……」
「しかし……」
「ロバート黙れ! 娘を案じ心痛めている夫人を責めるとは、ネールガンド男子として恥ずかしくないのか!」
それまで黙っていた父が、目を怒らせ声を張り上げた。
その通りだ。この人はずっと眠れない夜を過ごしているに違いない。
「夫人よ、あなたを責めて本当に申し訳ない」
夫人はただ涙をこぼしている。
「メアリは必ず連れて帰る。どうかそれまで待って欲しい」
夫人はハッと顔を上げ「殿下……勝手は承知ですが、どうか娘を……お願い申し上げます」と頭を下げる。
僕は呼び鈴を鳴らし、セバスチャンを呼んだ。
「伯爵夫人はお疲れだ。客室のベッドを整えてくれ」
「かしこまりました。侍女たちに指示します」
セバスチャンは、伯爵夫人に付き添い書斎を出た。
父がため息をつく。
「メアリは相当お前の浮気に腹を立てているのだな。キャロラインですら、実家の侯爵家に一週間ほど戻ったぐらいだ」
その騒ぎは幼いながら覚えている。僕は滅多に会えない母方の祖父母に会えてただ楽しかった。
「僕がメアリを怒らせたのは間違いありません」
彼女が別れ際に流した涙が忘れられない。
「今からクマダ博士の元に行きます」
「午前中に片付けろ。午後の記者会見がある」
ノックの音と共に、セバスチャンが、大きな布袋を抱えて入ってきた。
「爺も同行させてください。こちらを用意しました」
セバスチャンは鞄から、かつらとつけ髭、薄汚れたシャツにズボンを取り出した。
「掃除人の格好か。用意がいいな」
「この騒ぎで記者たちが大学をうろついているでしょうから」
この侍従長はなんでもお見通しだ。
掃除人に扮した僕とセバスチャンは、オリバー五世に見送られて書斎をあとにした。
車を大学の裏手に着けさせ、セバスチャンと二人で裏門を潜る。
バケツとモップを手にした掃除人の扮装効果か、誰にも見とがめられず、博士のいる医学カレッジまですんなり通れた。
案の定、研究室の前は、人だかりができていた。
大学関係者だけではなく、記者も混じっているようだ。
「クマダ博士! 今から諮問委員会を開く! すぐ出ろ! 学長が待ってるぞ!」
「博士! 貧者に人体実験を行ったのは、本当ですか?」
怒号の波に紛れ込み、セバスチャンが「すいやせーん。カリンダ室の掃除に来ましたー」と能天気に声をかけた。
関係者たちは律儀にも、二人の掃除人が入れるよう場所を開けてくれた。
と、ドアの脇に貼り付けられた拳大の丸い金属板がキーンと音を立てる。
丸い金属板から、男の声が聞こえた。雑音に紛れて聞き取りにくいが、クマダ博士に間違いない。
「今日は、どこやるんだっけ?」
王立大の一部の研究室では、ドア越しに会話できる仕組みを採用している。
無骨な板に、セバスチャンが答えた。
「北の窓拭きやらせてください」
重々しい金属のドアが、ガチっと鳴った。僕がドアノブに手を回す。二人でドアの隙間にモップとバケツを持って滑り込む。
僕らの後ろから人なだれ込もうとするが、僕ら二人が入った途端、ドアが施錠された。
目の前で、小さな金属の箱を手にした天才医学者サイ・クマダ博士が立っていた。
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