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11 妄想の原因

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 僕の婚約者、ペンブルック伯令嬢メアリ・カートレットは、王都から姿を消した。
 彼女の両親を宮殿に招いて行き先を尋ねたが、答えてくれなかった。

「私たちがあの子を追い詰めてしまったのね」

 メアリの母が悲壮な面持ちで、嘆いている。

「伯爵夫人よ、メアリはクマダ博士の治療で出かけたのではなかったのか?」

「その通りですが」と夫人は言葉を継いだ、

「先生は、伯爵家令嬢であることへの精神的圧力が、妄想を生み出したとおっしゃったのです」

「お前、殿下の前で失礼だぞ!」

 ペンブルック伯が夫人を窘めた。

「夫人よ。詳しく聞かせてほしい」

「前世が独身の平民と妄想するのは、結婚や家族、そして貴族のしきたりから逃れたいという願望からくるそうです」

 博士の説明には説得力がある。

「先生は、娘は、私たち家族から離れれば妄想から解放されると、おっしゃるのです」

 しきたりから逃れたい……それは伯爵家に生まれたことだけではない。

「私たちは、メアリが内気なものだから屋敷の中で育て、学園に通わせず家庭教師をつけました」

 伯爵夫人の目から涙がこぼれ落ちた。

「家庭教師が大学進学を勧めるから通わせたのですが、あの子には難しかったのでしょう。貴族の嗜みを身に付けさせたく、叱ることもありました……」

「やめるんだ! これ以上殿下のお心を煩わせてどうする!」

「申し訳ない。僕との婚約が、メアリに負担をかけたのか」

「妻の言うことは忘れてください。娘が殿下にお仕えするのは、厳しいかと。どうか、早めに式の取り消しを」

「ペンブルック伯、陛下が定められた期限まで一か月ある。仮に時間がかかっても、クマダ博士なら彼女を治してくれるはずだ」

 伯爵は、大きなため息を吐く。

「クマダ博士ですか……人間は化学反応の集まりとおっしゃる。殿下は新しい学問に意欲的でいらっしゃいますが、私のような年寄りは、今の科学には着いていけませんね」

「何を言うか。先日、ペンブルック伯の助けになると思って、原子論者の学者を紹介したのだが」

「ありがとうございます。原子論によって遺跡の年代が正確に特定できるとは、驚くばかりです。文献学者の私には想像もつきません」

「伯爵の研究の助けになれば、なによりだ」

「ああ、はあ、まあ、そうですが……」

 専門である歴史学の話をしても、伯爵はがっくりと肩を落としたままだった。
 夫妻はメアリを深く愛している。過激な発言で有名な医師クマダ博士が親子を引き離そうとすれば、不信感を持つのも無理はない。
 メアリはいつ戻る?
 僕は待つしかないのか?


「マラシア大陸文化センターの開館式に、音声記録装置の発表会か」

 国王オリバー五世が、オークの机で報告書を眺めて呟いている。

「はい、陛下。今週の私の視察状況です」

 僕は週に一度、父の執務室を訪ね、王太子としての公務状況を報告している。

「この企業が開発した音声記録装置は、開発を重ね小型化に成功し、音質も改善されました。年内に『タミュリス』の名で売り出します。価格は五十万サルートと労働者には高額ですが、貴族や富裕層を中心に広がっていくと思われます」

 僕はもう一枚、書類を国王に提出した。

「こちらは、音声を大きくする装置です。まだ試験が始まったばかりですが、今後、議会や音楽会での利用が期待できます」

「……なるほど……興味深い。が、お前の視察先は偏りが見られる。煌びやかな産業ばかり目を向けず、もっと弱者救済施設の慰問を増やせ」

「失礼しました。私は視察先の選定を侍従たちに任せていました。王家が視察先を選ぶのではなく、民の求めに応じるのが王家の役目と、陛下がおっしゃっていましたので」

 我ながら言い訳がましい。

「王家の役目は、国民を分け隔てなく愛することだ。全ての招待を受けるのは不可能だが、もっと切実に王家の励ましを求める人々がいるだろう」

「畏まりました。侍従たちにその旨を指示します」

「わかっとらんな。お前が煌びやかな催し物で露骨にはしゃぐからだろう。侍従たちに文句を言う前に、お前の態度を直せ」

「陛下、申し訳もありません。今後は自制し、民の規範となるよう態度を改めます」

「それとメアリを、この前、勲章を授けた医師に治療をさせているとか」

 話は突然、僕の婚約者に変わった。

「はい。悪魔つきとは時代遅れの捉え方です。今は、心の病気といいます。名医はあらゆる難病を治せますので」

「どうも私は、クマダという医師は好きになれんな」

「陛下、彼がマラシアからの移民だからですか? 移民でありながら勲章を受賞するのは、彼の力が本物だからでは?」

「うーむ、大史司長が嫌っていたからなあ」

 新しい科学や医学、そして移民の台頭は、父の世代には抵抗があるのだろう。

「お前が学問好きなのはいいことだ。しかし、我らは勇者セオドアの子孫であるからな。剣技も怠るなよ」

 またそれか。父は何かと僕に「勉強もいいが身体も鍛えろ」と口酸っぱい。
 確かに大昔の王とは、力で国を守る者だった。
 が、今や物理的な力はもちろん、政治的な力もない。王族に課せられた使命は、国民の規範を見せること。
 僕はそれ以上反論することなく、静かに国王の執務室を出た。

 僕は父オリバー五世に、全面的に賛同しているわけではない。
 が、僕の視察先の偏りについては、父の指摘が正しい。
 確かに僕は、イリス勲章授与式や王立科学会総会のような才ある人々の集いに、入れ込んでしまう。

「イリス勲章授与式……僕は、メアリに厳しく当たったかもしれない」

 ペンブルック伯夫人は、彼女の前世妄想は自分の教育が原因だと言っていた。
 しかし、伯爵夫妻がことさら厳しく娘にあたったとは、思えない。メアリから両親の悪口を聞いたことがない。ペンブルック伯邸で、メアリは夫妻とよく笑いあっている。時には学者である伯爵と、歴史談義に花を咲かせている。

 彼女の妄想は、むしろ僕が原因なのかもしれない。
 王太子との婚約は、彼女に負担をかけたのか?
 婚約破棄すれば、彼女は治るのか?


 伝説の聖妃アタランテは、聖王アトレウスと共にまつりごとに携わった賢妃と伝えられている。
 しかし僕は伴侶にそこまでは求めない。メアリの醸し出す雰囲気は、聖妃アタランテの像とどこか重なるが、彼女の中身は、伝説の賢妃とはまったく違う。僕になにか優れた提案をすることはなく、おとなしく従うだけだ。

 が、僕の妃としては、それで充分だった。非常識な行動をせず、僕のとなりで微笑んでいればいい。
 彼女が『前世』と言わなければ問題なかったが……僕はそれほど彼女に過大な要求をしたのか?

 僕がメアリを叱ったのは一度だけ。
 彼女が顔を輝かせていたイリス勲章授与式のできごとだった。
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