魔法少女~春夏秋冬

めけめけ

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春夏秋冬

秋の味覚 立ち食いそば

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 秋の空の立ち食いそば


 10月だというのに、今日の陽気は少し暖かすぎる。
 予定では都内の得意先にあいさつ回りに出かけるはずだったが、ちょっとしたトラブルで静岡まで行くことになった。

 段取りさえきっちりやっておけば、仕事というのは基本スムーズに行くものだ。
 私は決して仕事が早い人間ではないが、客を呆れさせるような失態をさらすことなどなかった。
 他人の失敗を処理するのは本意ではない。

 しかし、組織というものはそういうものだ。

 それによって私の評価が、たいして上がるわけでも、こういうトラブルがなくなるわけでもない。考えれば考えるほどばかばかしく思えるのだが、これも給料分だと割り切るしかない。

 現場は静岡北駅。東京から静岡まで新幹線で行き、在来線線で、一駅戻るような形になる。
 時間的にはそのルートが早いが、少し戻らなければならないのはなんとも気持ちが悪い。行きはまだしも、帰りはもっとばかばかしく感じるだろう。
 できればこんなろくでもない仕事はとっとと片付けてしまいたい。

 東京駅には予定より30分ほど早く着いた。自由席の列に並び、一番前の席を取れるようにした。
 やはり新幹線は一番前の二人がけ席の窓側がいい。電源が取れるし窓側にスーツをかけられる。
 なにより足が伸ばせるのがいい。更に言えば、前の座席シートがリクライニングされることがない。
 前の座席の人間に『気を使われる』のも嫌だし、『気を使われない』のはもっと嫌だ。

 東京駅で駅弁を買って車内で食べるのもいい。駅の立ち食いそばも悪くない。

 名古屋駅のきしめんは絶品だ。
 名古屋に行くのなら、新幹線のホームできしめんを食べるスケジュールを立てる。
 行きで食べるか、帰りで食べるか。

 一人身の時は良いが、他の人間と一緒に行く場合は思うようにいかない。それがいやで、そうならないようにしたいと思うのだが、やはり、組織というのは、ままならない。
 それでもなお、私が組織の中で活動することを是とするのは、私自身が不滅ではありえないという、ただその一点にある。

 だが、そのことを理解し、共有できる人間のなんと少ないことか――、だから組織は嫌いなのだ。

 もたれあって、個々の能力を貶める。誰かが誰かに頼り、そのことを是としてしまう体質は、利便性に潜むどうしようもない弊害である。
 しかし、それ自体は当たり前のことであり、問題はそういう事実に対して無責任に無自覚であるのか、意識的に無自覚であろうとするのかなのだが、結果として、どちらも表面的には変わらない。

 その事が、私を苛立たせる。

 ともかく私は自分がコントロールできる範囲においては、全てを掌握したい。
 だから今日のようなドタバタの中で決められたスケジュールであっても、自分がどこで、何を食べるかぐらいのことは、誰にも邪魔されずにいたいものだ。

 私はそうやって40年近く人生を送ってきたのだ。

 新幹線は予定通り静岡駅に着いた。
 そのまま在来線に乗り継げば予定よりも、少し早く現場に着く。
 私は一本電車を見送り、静岡駅下りホームにある立ち食いそば屋に立ち寄ることに決めた。
 そば屋は、駅のホームの東京寄りに位置している。のれんの隙間から50代くらいの女性が店を切り盛りしているのが見えた。

 店は食券を買う仕組みになっている。メニューの中にラーメン360円の文字を見つけて、思わず心が揺らいだ。ラーメンも悪くないが、ラーメンが食べたければ中華そばの暖簾をくぐればいい。ここは蕎麦屋だ。日本蕎麦に限る

 食券を店員に渡そうとしたとき、一人の男性客がどんぶりを持ち上げてそばをかきこむ。下りの電車が静かにホームに入ってきた。

 ご馳走様。

 男はどんぶりをカウンターにおいて、そそくさと電車に乗り込んでゆく。
 立ち食いそばのカウンターには他に二人の客がいた。何れもそばをすすっているようだ。
 ラーメンを食べている客はいない。

「お願いします」と言いながら、食券をカウンターに置く。店員の女性は無愛想に食券を受け取り、仕事にとりかかる。
 そばを小分けのビニール袋から取り出し、釜の中に落とす。どんぶりを一つ取り出し、つゆをいれている。程なくして、そばは茹で上がり、湯ぎりもしっかりしないまま、そばをどんぶりへ放り込む。透明の容器に入ったかきあげ天を一つ載せ、ネギを一掴み入れて、それは私の前に出された。

 はい、おまたせ。かきあげ天そば。

 あまりいい仕事とはいえない。まぁ、いい。

 私は、かきあげ天のサクサクした感じが好きなのだ。それさえ味わえれば、何を他に望むことがあるのか。
 かきあげの小ささはそれほど気になりはしない。しっかりタマネギやごぼう、ニンジンに桜海老が入っている。

 箸をかきあげの上に乗せ、上から少し押し付けるようにしてつゆを湿らせる。
 つゆにかきあげの油が少し流れ出す。
 この瞬間がたまらない。
 まず、そばをすする。ずるっとすすって、勢いをつける。

 やはり湯ぎりがしっかりしていない分、味がボケてしまっている。
 そばも腰がなく、だらりとしてしまっている。だが、それほど悲観することはない。
 あの工程を見てしまっては、『さもありなん』といった感じだ。
 つゆは悪くない。かきあげの油が程よく染みだした感じは見た目に美しい。

 さて、これだ。

 かきあげに割り箸をあて、左右に引き裂く、ぐしゃっとした嫌な感触――。

 こっ、これはまさか。

 落胆の色を隠せない。口にしなくともわかる。

 この感触は天ぷらが水分を吸ってしまって湿気てしまっている。
 たぶんどこをかじっても、どこをつまんでもサクサクという食感は味わえないだろう。
 それでもわずかな期待をかけて、ひとくち、またひとくち、かきあげを口に運ぶ。

 それはとてもむなしい作業となってしまった。もっと早く気づくべきだった。

 いや、わかっていてもなお、期待してしまう憧憬のような感覚を誰が否定できよう。そこに罪はないのだ。そして、罪のないところに罰はない。それなのに、これは、これはいったいなんだというのだ。

 これは私の望んだものではない!

「あなた、少しおしゃべりがすぎてよ。目障りならまだしも、耳障りだわ」

 それは少女のような透き通った響きの良い声。いつからそこにいたのか。

 食券の券売機の横に一人の少女が……。いや、その落ち着いた雰囲気は、少女とは呼べないような圧倒的な存在感がある。違和感といってもいい。
 あまりにも見た目と不釣合いな色香と時間的な制約をまるで受け付けないような普遍性がそこには融合している。

 彼女はまるで、フランス人形のような透き通った白い肌をしている。
 髪の毛は少し重たく感じるくらいに黒々としている。
 目はパッチリとしていて、どことなく日本人のそれとは違うような、色素の薄い色をしている。

「もうこの店に用はないのではなくて? あなたの望むものは、ここにはなかったのよ」

「そう、私の望むものは何もない。望むべきものは、そもそもここにはなかった。あって欲しいと思ったのは、私の身勝手な願い。でも、本当に些細な願いだったんだ」

「そうね。でも、たとえどんなに些細な願いでも、障ることはあるものだわ。全くもって、どうでもいいことだけれども。それでも私の耳にあなたの願いは届いたわ。本当に……、目障りならともかく、耳障りだわ」

「君には……いや、あなたには、私の声が聞こえるのか? 私の願いが聞こえるのか? 私がわかるのか?」

「聞こえるし、見えるし、わかるわ。でも触れることはできない」

「そう、触れることはできない。誰も私に触れることはできない」

「でも、障るのよ。触れる事ができなくても、障ることはあるのよ」

 時計は夜の12時を回っている。
 駅のホームに人の姿はない。
 灯りはおち、静寂と闇が支配している。
 一人の少女が駅のホームに立っている。
 そして、なにやら誰かと話をしているようだが、他にないも聞こえない。
 少女にだけ、見えるもの、少女にだけ聞こえるもの、しかし、少女にすら触れることのできないもの。

「あなたはいったい――」

「黒き望みをかなえる者。悲しき想いを見つめる者。深き闇をさ迷う魂の叫びに、耳を傾ける者よ」

「私は。ただ。私は……」

「あなたの願いは些細なもの、誰もそれをとがめないし、誰もそれに気づきはしないわ」

「とがめられなくとも、せめて気づいて欲しかった」

「そう……。でも、わからないわね。誰もがあなたのようには生きられないし、あなたのようには死ねないわ」

「気づいて欲しいから、私と同じ無念を……」


 駅のホームにすすり泣く音が聞こえてくる。
 ある日を境に、この駅では夜な夜な誰かがすすり泣く音が聞こえるという噂になっていた。
 とくに立ち食いそばの売店では、誰もいないのに券売機が作動したり、看板の電気が点滅したりと、不気味な現象が頻発していた。
 ついにその店で働く女性は気持ち悪がって店をやめてしまったのだった。

「鳴き声ならまだしも、そばをすする音なんて、酷いものね。それも美味しそうならまだしも……」

「それを言うのなら、私にではないだろう!」

 それは怒号というよりは悲痛な叫びだった。しかし少女は微動だにせず、男の叫びに耳を傾けた。

「明日からこの店に来る女性は、なかなかに感じのいい人らしくてよ。その人なら、きっと美味しいそばを出してくれるわ。だから、あなたも、もうあなたのいるべき場所へ……。あなたが向かうべき場所へお行きなさいな」

「私の向かうべき場所……」

「安心なさいな。私がきちんと確かめておいて上げるわ」

 駅は静けさを取り戻した。そして夜が開け、朝日が昇り、人の営みはいつものように繰り返される。

「いらっしゃいませ。はい! かきあげ天そばですね。少々お待ちください」

 注文を受けてからそばを出すまでの仕事振りは、見ていて惚れ惚れするほど無駄がない。湯気がゆらゆらと揺れる中、狐色に揚がった天ぷらからは、香ばしい香りが沸き立ってくる。

「はい、お待ちどうさまです。揚げたてですからね。美味しいですよ」

「どうも」

 少女は無愛想というわけではないが、とても立ち食いそばを食べるには似つかわしくない風貌をしていた。黒く長い髪を左側に集めて、器用にそばをすする。

 ズルズル ズルズル。

 勢い良く音を立てて、そばをすする。 割り箸をかきあげの上に置き、一気に箸を書き上げの中に滑り込ませる。
 サクサクとした心地のいい感触。一口大に切り分けて、口にほうばる。かきあげはしっかりした歯ごたえ、サクサクとした感触と、適度につゆを吸い込み、絶妙なハーモニーを奏でる。

「美味しいわね。これなら、きっと、お客さんも集まるわ」

「あら、ありがとう。でもね、自信なくて……。このお店、最近おかしな噂が立っているみたいで」

「大丈夫よ。心配要らないわ。あなたがこの味を守る限り、力強い味方がこの店を守ってくれるわ」

「力強い……。味方?」

「ご馳走様」

「あっ、ねぇ、ちょっと……」

 少女の瞳は秋の空のように澄んだ色をしている。言葉をかける暇もなく、少女は背を向け、店を出て行ってしまった。黒く、少し重たく感じる髪の毛が、そよ風に吹かれて揺れている。その美しい後ろ姿に見蕩れているうちに少女の姿は見えなくなってしまった。


 それからしばらくすると、立ち食いそばの評判は少しずつ上がっていった。サクサクの食感か人気のかきあげ天そばを食べるために、電車を一本遅らせる客も少なくないという。

 しかし、一人の男の拘りが、ささやかな幸せをもたらしたことを知るものは少ない。

 人知れず、死んでいった一人の男の願いは、こうしてかなえられた。


『数日前のニュース』

 今日未明、静岡県静岡市郊外の交差点で、名古屋市で運送業を営む、今川聡史容疑者の運転する乗用車が、信号無視しで交差点に突っ込み、横断中の東京都在住の勝田茂さん44歳を跳ね飛ばした後、20メートル先のガードレールに衝突しました。勝田さんは意識不明の状態で病院に運ばれましたが、まもなく死亡が確認されました。事故にあわれた勝田さんは、同日、東京から仕事で静岡市内の取引先に向かうところでした。調べによると今川容疑者は……。

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