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4.雨に消える慟哭
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「あ、いたいた。西條さん」
放課後。いつも以上に気配を消して、急いで教室を出た私は、昇降口を出ようとしたところで佐尾くんに呼び止められた。
背中から聞こえてきた邪気のない明るい声に、ビクリと身体が震える。けれど、敢えて振り返らずに歩を速めた。
「西條さん、ちょっと待ってよ」
私が気付いていないと思ったのか、佐尾くんの声が追いかけてくる。
「西條さん、待ってってば」
いつもなら、しつこく追いかけてくる声を無視しきれずに、最後に振り返ってしまう。だけど、もう振り返っちゃいけない。
初めから、何があっても振り返っちゃいけなかったんだ。それなのに、私が間違えていた。勘違いしていた。
「西條さん!」
足音とともに近付いてくる声を無視して、昇降口の軒先でスクールバッグから取り出した傘を開く。そのまま雨空の下に一歩踏み出そうとしたとき、左側の肩が乱暴につかまれた。
軽い痛みに顔を歪めたのも束の間、強い力で引っ張られて傘ごと後ろに振り向かされる。
驚いて見上げると、いつも笑っていることの多い佐尾くんが、眉間に皺が寄るくらいに眉根を寄せて、怒っているような、それでいて今にも泣き出しそうな、なんとも言いようのない表情で私の前に立っていた。
「西條さん、聞こえてて無視してない?」
訊ねられて、すぐに否定できなかった。
「途中までいれてくれる? 傘忘れちゃったんだよね」
拒絶するように視線をそらした私に、佐尾くんがいつもよりも切羽詰まった声で問いかけてくる。
「そう」
俯きながら短くそう返すと、私は傘ごと佐尾くんに背を向けた。
「そう、ってなんだよ。いれてくんないの?」
歩き去ろうとする私の行手を阻むように、佐尾くんが傘の柄をぐっとつかむ。
「だって、この前傘にいれたときに話したじゃない。今回限りだって。次はちゃんと傘を用意してって」
冷たい声でそう言って、つかまれた傘の柄を奪うように自分に引き寄せる。
「わかった。じゃぁ、次はちゃんと用意するから、今回だけはいれてよ」
戯けたようにへらりと笑うくせに、佐尾くんはつかんだままの傘の柄を離そうとしない。
軒先に斜めに吹き込んでくる雨で、佐尾くんの明るい茶色の前髪が濡れて、重たそうに額に張り付いていく。そんな姿を見てしまうと、いつも、どうしようもなくなって傘を差し出してしまう。
「今回限りだから」と、小さな口にしながら、最終的に佐尾くんを受け入れてしまう。
でも、今日の私にはそれができなかった。
また、清水さんに見られるかもしれない。そう思ったら、これまでみたいに気安く佐尾くんに傘を差し出せない。
「今日は他の人にいれてもらって。佐尾くんなら他にも友達いっぱいいるでしょ?」
「西條さんだって友達じゃん」
私が抵抗しても、佐尾くんは笑いながら言葉を返してくる。折りたたみ傘の柄をきつく握りしめたまま離さない。
「帰りに寄りたいところがあるの」
「じゃぁ、その途中までいれてくれたらいいよ」
「でも、途中から濡れるよ?」
「途中まででも濡れないなら大丈夫」
にこりと笑いながら、佐尾くんがいつものように食い下がってくる。
「でも……」
今日は結構雨が降っているのに、途中まで、なんて……。そこまでして、私の傘に入って帰る意味がわからない。
どうして佐尾くんは、こんなにも私にばかり頼ってくるんだろう。
ひとつの傘を握り合ったまま、昇降口の軒下で押し問答を続ける私と佐尾くんを、行き過ぎる生徒たちがちらちらと見ていく。
他の人たちの遠慮のない視線に晒されながらただ困惑していると、突然、声音の高い女子の声が聞こえてきた。
「佐尾ー。何してんの?」
「清水……?」
その声が清水さんのものだとわかった途端、私の肩がびくりと震える。
清水さんは、ひとつの傘を握り合っている私たちを一瞥したあと、まるで私の存在なんて見えていないかのように佐尾くんにだけ、にこりと笑いかけた。
「どうしたの、佐尾。頭、すごい濡れてるよ」
清水さんが笑いながら、佐尾くんの明るい茶色の髪に馴れ馴れしく触れる。
「あ、佐尾、もしかして傘忘れた? いれてってあげようか? 途中まで一緒だし」
「いや……」
困ったように眉尻を下げる佐尾くんの腕を、清水さんが強引に引っ張る。
「だけど……」
「いいじゃん。たまたまそこにいただけの西條さんに頼まなくったって、あたしがいれてあげるって」
そこで初めて、清水さんが私に視線を移す。目が合った瞬間鋭い眼差しで睨まれて、背筋が冷たくなった。
「ほら。西條さん、困ってるじゃん」
清水さんが私を睨みながらそう言ったとき、傘の柄を握る佐尾くんの手の力が緩んだ。その隙に、すばやく傘を引き寄せる。
私に向けられる清水さんの冷たい眼差しが、女子トイレの前で聞いた彼女と友達の話を思い出させた。
『佐尾って、昔からぼっちの子とかちょっと暗い子に優しいんだよ。男女問わず……』
どうしてだろう。胸がざわつく。ズキズキと痛い。
私は佐尾くんと清水さんに背を向けると、雨の中へと逃げ出した。
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