僕の月、君の太陽

月ヶ瀬 杏

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「ふたりとも、よく寝てますね」
「そうですね」

 朔の寝顔を見下ろしながら、江麻先生がクスッと笑う。

 遊園地の帰り道。電車に乗って10分も経たないうちに、朔は江麻先生に、和央は俺に凭れて完全に寝入ってしまった。
 暑い中1日中遊び回って、ふたりとも相当疲れたらしい。ふたりに付き添った俺もかなり疲れた。

「お兄さんも寝てくださいね」

 朔と和央が寝てしまったあと、江麻先生がそう言ってくれたけど、彼女が起きているのに俺ひとり呑気に居眠りもできない。

 子どもはいい気なもんだよな。
 俺の腕にかなりの体重をかけて凭れている和央の鼻を指でつまむ。
 よく眠っている和央は、その程度では目を覚ましそうもなかった。
 そんなふうにして電車で揺られているうちに、少しずつ降りる駅が近づいてくる。

「家まで付き添いましょうか?」

 江麻先生の降りる駅は、俺のマンションの最寄り駅のふたつ手前。
 先に降りる彼女が、眠ったままの子どもたちを気にしてそう言ってくれた。
 でも江麻先生だって疲れているだろうし、そこまで迷惑はかけられない。

「大丈夫です。降りる直前にふたりとも叩き起こすんで」

 そう言うと、江麻先生が優しく微笑みかけてくれる。柔らかなその笑顔に、俺の胸がざわついた。
 彼女が笑いかけてくれるといつも、俺の胸がどうもおかしい。
 江麻先生からさりげなく視線を逸らそうとしたとき、彼女が朔に視線を向けた。

「今年の夏休みは楽しいイベントにたくさん誘ってもらってありがとうございました。夏休みが終わったら、こんなふうに会う機会も減っちゃいますね」

 眠っている朔の髪を撫でて、江麻先生が少し淋しそうに笑う。その横顔を見ていると、なんだか俺まで淋しくなった。

 夏休みが終わればきっと、俺が朔や和央とこんなふうに遊びに出かける機会は減る。
 朔や和央がいなければ、俺が江麻先生と顔を合わすこともないんだろう。
 彼女の横顔を見つめる俺の胸が、なぜかきゅっと狭く締め付けられるような気がした。

 なんだろう。このちょっと息苦しい変な感じは。
 それが、江麻先生と会えなくなる淋しさからきていることだけはなんとなくわかった。
 俺はたぶん、夏休みが終わったあとも江麻先生に会って、その笑顔が見たいんだ。
 彼女の柔らかな笑顔は、いつも俺を安心させて穏やかな気持ちにしてくれるから。

「江麻先生、もしよかったら今度一緒にごはん食べに行きませんか?」

 江麻先生が降りる駅に着く直前、俺は彼女に誘いかけていた。

「それって、ふたりで、ですか?」

 江麻先生が躊躇いがちに俺に訊ねる。

「もし嫌じゃなかったら。夏休み、いろいろと付き合ってもらったお礼がしたいんで」

 断られるのが怖くて言い訳みたいに付け加えると、江麻先生がふわりと笑った。

「ありがとうございます。それなら、またぜひ」

 彼女がそう返してくれたとき、ちょうど駅のホームに入った電車がゆっくりと停車した。

「また、連絡します」

 俺がそう言うと、江麻先生が凭れかかっている朔の下からそっと退いて立ち上がる。

「はい。では、また」

 江麻先生は俺に笑いかけると、軽く会釈をして電車を降りて行った。
 彼女が降りると、両肩に凭れている朔と和央の重みがずしりとのしかかってくる。
 でもそれがほとんと気にならないほどに、俺の気持ちはふわふわとしていた。
 江麻先生とまた会う機会を繋げられたことに浮かれていた。

 それからしばらく電車に揺られて、俺たちの降りる駅に電車が到着する。
 俺は朔と和央を急いで叩き起こすと、寝ぼけて眼をこするふたりの手を引っ張って電車を降りた。

 駅の改札を出ると、親父がロータリーに車を停めて待っていた。
 和央を迎えに来てもらいたくて、遊園地を出るときに連絡を入れておいたのだ。

「陽央たちも家の前まで送ってやる」

 親父がそう言うから、俺と朔も和央と一緒に車の後部座席に乗り込んだ。
 車がマンションに着く直前、ボディバッグにいれていたスマホが鳴った。
 あれだけ掛け直しても繋がらなかったのに。こんなタイミングでかけてきたのは、奈未だった。だけど、彼女との通話を親父や朔に聞かせるのは気がひける。
 迷いつつも放置していると、しばらくして奈未からの着信は途切れた。

 マンションの前まで送ってくれた親父に礼を言って車を降りると、朔と一緒に部屋に戻る。
 風呂を沸かして朔を入らせている間に、奈未に電話を掛け直してみたけど、今度は彼女が出なかった。
 すれ違いにため息をつきながら、奈未にメッセージ送ってみる。
 そうしたら、数分も経たないうちにメッセージが入った。

 電話はとれないのに、返信はできるのかよ。
 さっきは自分が着信を無視したくせに、身勝手にも苛立ってしまう。
 だけどよく見ると、それは奈未からではなく江麻先生からのメッセージだった。
 そこには無事帰宅できたかどうかと、今日のお礼とが書かれていて、自然と口元が綻んでしまう。
 江麻先生からのメッセージを読んだあと、奈未に感じていた苛立ちはいつの間にかすっと消えていた。
 江麻先生には、どうやら癒し効果があるらしい。

 その晩、結局奈未からは返信も電話もなかった。
 でもそれは夏休み前から今までずっと続いていたことで。だから、あまり気にならなかった。

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