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翌日。俺は午前中だけ大学の授業を受けると、チビに渡す合鍵を作りに行った。
できあがりを待っているあいだに店の近くをふらふらと歩き回っていると、雑貨屋を見つけた。
その雑貨屋には、文具とか女物のヘアアクセサリーとかそういうものと一緒に、小さめのキーホルダーがいくつか並べてある。
何気なく見ていると、その中に小さなピンクの鈴がついたウサギのキーホルダーがあった。
黒目がちの大きな瞳と小さな口や鼻が、何となくチビを彷彿させる。
俺はそのウサギのキーホルダーを見つめてふっと小さな笑みを漏らすと、手にとってレジへと持って行った。
できあがった鍵を受け取って家へと帰ると、既に帰宅していたチビがドアの前に座り込んでいた。
時計を見ると、時刻はまだ3時少し前。
言ってたより早いじゃねぇか。
俺は心の中で呟くと、チビの前にしゃがんでジーパンのポケットに手を突っ込んだ。
ポケットから取り出したものを目の前で揺らすと、チビがそれに反応して顔を上げる。
「ん」
俺がチビに差し出したのは、作ってきたばかりの家の鍵だ。それには、さっき雑貨屋で買ったウサギのキーホルダーがつけてある。
目の前で揺れるウサギとピンク色の鈴を見たチビが、嬉しそうにほんの少し頬を緩めた。
「ありがとう」
チビが小さな手の平で、キーホルダー付きの鍵をあんまり大事そうに握り締めるから、首の後ろがなんだかむず痒い。
「落とすなよ」
素っ気なくそう言うと、チビは俺を見上げて頷いた。
家に入ると、チビはすぐにランドセルから出した宿題を広げ始めた。
真面目なチビを横目に見ながら、ベッドにごろんと横になる。
窓の外に視線を向けると、さっきまで明るかった空が少しずつ曇り始めていた。
今日の夕方は和央を迎えに行くことになっている。そのとき、雨が降ったらやっかいだ。
ときどき外の様子を気にしながらベッドに横になってスマホを触ったていると、いつの間にか和央を迎えに行く時間が近付いていた。
スマホと財布、それから鍵を持って黙って出かけようとしたとき、ふとチビの視線を感じる。
宿題を終えたらしいチビは、ローテーブルの傍で背筋を伸ばして正座し、玄関を出ようとする俺の様子を窺っていた。
一人で出かけようとしていた俺は、玄関のドアから身体を半分ほど外に出したところで、思いとどまってチビを振り返った。
「今から弟迎えに行くんだけど、お前も行く?」
訊ねると、チビがまん丸な目をさらに一回りほど大きく見開く。そして考え込むように俺をじっと見たあと、コクンと首を縦に振った。
「じゃぁ、早く靴履け」
言葉で促すと、チビは黙って立ち上がって、きちんと揃えて脱ぎ置いてある自分のスニーカーに足を入れた。それを待ってやってから、ゆっくりとドアを開ける。
玄関前の廊下の柵から身を乗り出して空を見上げると、夜に向かいつつある空は分厚い雲に覆われていた。
それで、一応傘を持っていくことにする。
和央の預けられている保育園は、俺の家と実家のちょうど中間地点にあった。
一人暮らしをしている俺のマンションは、実は実家からそう離れてはいない。
その距離は、歩けば40~50分。自転車だと20分ほどだ。
それもあってか、「大学に入ったら一人暮らしをしたい」と俺が言ったとき、その必要性の有無を親父や母親にしつこく問われた。
大学だって、実家から遠いわけではない。実家から近い場所で一人暮らしをするのはお金がかかる。
両親が止めるのは尤もだ。
けれど、俺は親父や母親に気を遣いながら生活することに少し疲れ始めていた。
父親の再婚相手として8年ほど前にやって来た義理の母親は、懐が広く優しい人だ。
弟の和央が生まれる前も、生まれてからも、俺に実の子と分け隔てなく接してくれる。
そのことをずっとありがたく思っている。
だが、思春期を迎える頃にやって来た新しい母親を何の戸惑いもなく、素直に、完全に「母」として受け入れることは少し難しかった。
新しい母親に反抗したことはない。
彼女の前で俺は、ずっと「いい息子」で「いい兄」という顔を崩さないままでいる。
大学になっても社会人になっても、この先ずっと実家で「いい自分」を演じ続けていくことになるのかと考えると────、なんだかひどく疲弊したのだ。
だが大学の場所の関係もあって、一人暮らしを始めるにあたって、実家から思いきり遠くへと住まいを移すことも難しかった。
それで、実家から徒歩40~50分の距離にある、河原に近いこのマンションに住むことに決めたのだ。
この河原は実家の傍までずっと延びていて、春から夏にかけて河岸にクローバーが広がり、無数の小さな白い花が咲く。
その花は、俺が8歳のときに出て行った《あの人》の輪郭をぼんやりとだが思い出させてくれる唯一のものだった。
◇
チビを連れて保育園に行くと、教室のドアが開き、和央かずひさが勢いよく外に飛び出してきた。
「にーちゃん!」
俺が迎えに行くことを母親から聞かされていたのだろう。
和央はにこにこしながら、俺の足にぎゅっとしがみついてきた。
子どもの相手は面倒くさいけど、弟のこういうところは素直に可愛いと思う。
俺を見つけてすぐに飛び出してきたのか、和央の足元はまだ上履きのままだった。
「カズ。お前、ちゃんと靴に履き替えてから出てこい」
さらさらの髪をくしゃりと撫でてやると、和央は俺を見上げて大きく頷いた。
「わかった。せんせいにもさよならしてくる」
「あぁ、そうだな」
今日の和央は聞き分けがいい。
ふっと唇を緩ませて笑うと、和央がきょとんとした顔で俺の斜め後ろに立っているチビに視線を向けた。
「にーちゃん。だれ?」
和央に指を指され無遠慮な目でじろじろと見られたチビは、戸惑ったように俺に視線を投げかけてくる。
「あぁ」
どう答えるか、返答に迷った。
チビは親父の子だから、和央にとってはひとつ上の姉ってことになる。
けれどそれを和央に言ってしまうと、そのことがまだチビの存在を知らない実家の母親の耳に入ってしまうかもしれない。
俺はしばらく迷ったあと、ちらっとチビを見ながら和央に言った。
「こいつは、俺の友達の親戚」
「トモダチのシンセキ?」
和央がよくわからない、というふうに首を傾げる。
「まぁ、ちょっとした知り合いだから。今日は一緒に兄ちゃん家に帰るけど、気にすんな」
説明するのも面倒くさくて、適当に誤魔化す。
すると和央は、わかったようなわからないような顔をして「ふぅん」と頷いた。
「それよりカズ。お前はさっさと靴を履き替えて先生にさよならして来い」
「はぁい」
和央は素直にそう返事をすると、トコトコと走って教室に戻っていった。
和央を引き取って保育園を出たときには、分厚い雲に覆われた空から今にも雨粒が落ちてきそうだった。
「ちょっと急ぐぞ」
空模様を気にして俺が走り出そうとすると、チビが小走りでついてくる。
でも和央が俺についてくる気配がなかった。
振り返ってみると、保育園を出て少し歩いたところに作られている公共の花壇の前にじっとしゃがみ込んでいる。
「カズ、何やってんだよ」
苛立った声で呼びかけたけれど、和央はマイペースで、俺が怒っている気配を少しも感じ取っていないようだった。
「にーちゃん、ちょっときてー」
そればかりか、無邪気な声で俺に手招きをしてくる。
「何だよ。雨が降りそうだから急げって」
もう一度呼びかけたが、和央は花壇の前に座り込んだまま動きそうもなかった。
俺は小さく舌打ちすると、和央のところまで戻って腰を屈める。
「何?」
隣で腰を落としてやると、和央が嬉しそうに俺を見上げた。そして、花壇に咲いている花の根元を指差してにこっとする。
「にーちゃん、アリ!」
「は?」
蟻ごときでわざわざ俺を引き止めるなよ。
眉を顰めて和央の指の先を見つめると、そこには確かに一匹の蟻がいた。
多少身体が大きいけど、いたって普通の蟻だ。
俺は真剣な顔をして「普通の蟻」を見ている和央の手を引っ張ると、強制的に立ち上がらせた。
「蟻はどうでもいいから。行くぞ」
「えー、でも……」
俺に引っ張られた和央が、花壇を見つめながら少し名残惜しそうな顔をする。
「蟻なんてどこにでもいるだろ」
そんなものに気を取られて雨に降られたら、それこそバカみたいだ。
俺はため息を吐くと、和央の手を引っ張って早足で歩き始めた。
そして、立ち止まってこっちを見ているチビに声をかける。
「チビ、お前も急ぐぞ」
俺が声をかけると、和央が目を大きく見開いてチビのことをじっと見た。
「ねぇ、にーちゃん。あのこのなまえ、《チビ》なの?」
「いや、違うけど……」
「じゃぁ、ほんとのなまえは?」
和央が目をキラキラとさせながら、訊ねてくる。
「ほんとの名前は……」
一瞬考えて、俺は新月の名前を思い出した。
「朔だ」
「サクダ?」
和央が俺の言葉を復唱して、小首を傾げる。
「違う。朔、だ」
「サク、だ?」
わざと言ってんのか? こいつ。
思わず苛立ったが、俺を見上げる和央の目には少しの曇りも悪戯心も見られない。
なんだか面倒くさくなって、俺は口を閉ざした。
「ねぇ。サク、だ、はなんさい?」
俺が何も言わなくなったものだから、和央がチビに直接話しかけ始める。
「サク、だ、じゃない。朔」
チビが小さな声で和央に抵抗する。
「サク」
それでようやく、和央はチビの名前を理解したようだった。
「サクはなにぐみさんなの? オレはね、さくらぐみなんだよ」
無邪気に笑う和央を黒めがちの目でじっと見つめたあと、チビは和央からすっと視線をそらした。
「朔は、1年生」
それだけ言って、チビが口を閉ざす。
「ふぅん」
和央はしばらく俺の隣を歩くチビをじっと見ていたけれど、そのうち興味を失ったようだった。
俺と繋いでいた手を離すと、短い足でチョコチョコと走って歩道の横にある少し高くなった細い段によじ登る。
和央はバランスを取るように両腕を広げると、平均台にでも乗っているかのようにその段の上をふらふらと歩いた。
「ねぇ、にーちゃん。みて、みて!」
両腕を広げてふらふらとしているくせに、和央は「すごいだろ」とでも言いたげに俺を見てくる。
「あぁ、すげーな。落ちんなよ」
「うん」
適当に声をかけてやると、和央がやけに嬉しそうに笑った。
それからも和央は、俺の周りをちょろちょろと走り回って落ち着きがない。
「にーちゃん、みて!」
和央がそう言う度に、俺はほんの少し足を止めないといけなくて。けれど、和央が「みて!」と言うもののほとんどが、俺にとってはどうでもよくて。
だからとにかく、ものすごく面倒くさかった。
和央が「みて!」を連発する間、俺の隣を歩くチビは一言も言葉を発さずに大人しくしていた。
俺につられて和央を見ることはあったけれど、特に何の反応も示さない。
可愛くないガキ。
和央の行動をうっとうしがっているくせに、何の反応も示さないチビに対してはそんな感想を抱いた。
俺達がマンションにたどり着くと、ちょうどそのタイミングで雨が降り始めた。
最初は小降りだった雨は、すぐに激しく地面を打ち付けるほどの強い雨に変わる。
俺達はその音を聞きながら、狭い部屋の中でそれぞれに好きな場所を陣取った。
俺はテレビを見るためにベッドの上へ。
チビは本を読むためにローテーブルの前へ。
そして和央は、少しもじっとせずに部屋の中をちょろちょろとしている。
「にーちゃん、みて!」
和央が、保育園の鞄の中から何かを取り出しては自慢げに俺に見せてくる。
それはよくわからない絵が描いてある画用紙だったり、何を作ったのかよくわからない折り紙だったりした。
和央がそれらをひとつずつ俺に見せながら、解説してくれるけど、俺がちょっとでもどこかに気をそらすと「にーちゃん! みて!!」と不満そうな声で主張してくるから面倒くさい。
和央がよくわからないものをしつこく見せてくるたびに、少しずつイライラが募る。煙草に手を伸ばしたくなる。
「お前ら、ガキはガキ同士で遊んでろよ」
和央を睨みながら苛立った声を出したとき、窓の向こうで稲妻が光った。
それからすぐ、間髪入れずに雷の音が地響きのように鳴り響く。
「わっ」
それまで跳ね回っていた和央が、雷の音を聞くなり俺の服にしがみついてきた。
「にーちゃん。こわい!!」
和央が俺の服を片手でぎゅっとつかみながら、もう片方の手で耳を塞ぐ。
また稲妻が光って、地響きのような雷鳴が響く。光ってから音が鳴るまでの間隔からして、距離が近そうだ。落ちなきゃいいけど。
俺は激しい雨が降る窓の向こうに視線を送りながら、無防備になっている和央のもう片方の耳を手の平で塞いでやった。
今は雷なんてちっとも怖くない。むしろ、遠くで光る稲光が綺麗だ……なんて思ってしまうときもある。
だけど、俺も和央くらいの年のときは雷が怖かった気がする。
耳を押さえて半泣きになって蹲っていると、実の母が必ず傍にやってきて、俺の小さな手の上に柔らかくて大きな手を重ねてくれた。
そうすると、雷の音が遠くなって安心するのだ。
ふとチビのほうを見ると、雷が怖いのか、ローテーブルに伏せるようにして両耳を塞いでいた。
「お前も雷怖いの?」
聞こえていないのか、チビからの返事はない。けれど、その小さな肩は小刻みに震えていた。
「おい」
傍に言って耳元で声をかけると、そのとき初めて俺の声に気付いたのか、チビがはっとしたように顔を上げた。
チビは少し青ざめた表情をしていたけれど、泣いてはいなかった。
「大丈夫か?」
あまり優しいとは言えない声で訊ねると、チビが無言で頷く。見る限り、その表情はあまり大丈夫だとは思えない。
けれどチビは、頑ななまでに「怖い」という言葉を漏らそうとしなかった。
弱音も涙も零さずに、地響きのように鳴る雷の音に、ギリギリのところでじっと耐えている。
雷の音が少し遠のくまで、チビは俺の隣で唇を真横にきゅっと引き結んでいた。
夕方を過ぎて、ようやく雨が少し弱まる。
空が完全に暗くなる頃には、大きく鳴り響いていた雷もやんでいた。
時計の針が20時を指そうとする頃、親父から「和央を迎えに行く」という電話があった。
親父の車がマンションの下に到着する頃合を見計らって和央を連れて外に出る。
その頃には、雨もすっかりやんでいた。
街灯にぼんやりと照らされている道路が雨に濡れているおかげで、夏が近づきつつある夜の外気がひんやりと涼しい。
和央と並んでマンションのエントランスの前に立っていると、実家の白い車がスピードを緩めながら近付いてきた。
「悪かったな」
「いいよ、別に」
そう答えたとき、和央が俺の傍を離れて親父に飛びついた。
「おとうさん、おかえり!」
和央が親父を見上げて無邪気に笑う。
親父は目尻をすっとさげると、和央の目の高さまで腰を屈めてその頭を撫でた。
「陽央。朔はどうしてる?」
しばらく和央の頭を撫でたあと、親父が立ち上がってマンションの俺の部屋の窓を見上げる。
「部屋だけど。俺はいつまであのチビを預かったらいいわけ?」
若干嫌味のこもった声で返すと、親父は黙り込んで何も言わなかった。
どうせ、実家の母親とまだ話もできていないんだろう。
うんざりとしてため息をついたとき、西の空で稲妻が小さく光った。ただ遠くで小さく光っただけで、それから何秒待っても雷の音は聞こえてこない。
「また降ってくるかもな。俺達は帰るよ。また連絡する」
和央の手を握った親父は、それ以上チビのことについて言及しなかった。
親父が和央を後部座席のチャイルドシートに乗せてから、運転席へと回る。
車のエンジンがかかったとき、和央が後部座席の窓を開けて俺に呼びかけてきた。
「にーちゃん!」
「ん?」
和央が俺を見ながら、半分開いた後部座席の窓を手の平でバンバン叩く。
そうやって必死に呼んでくるから、俺は仕方なく車のほうに少し身体を寄せた。
「にーちゃん、はやくもどってあげて。サク、ほんとはすっごくカミナリがこわいんだよ」
「え?」
窓から身体を乗り出すようにして俺に訴える和央は、小さいながらにものすごく神妙な顔をしていた。
「陽央、危ないから離れろ」
親父が運転席から俺を振り返る。
頷いてマンションのエントランス側に数歩後ずさったとき、また遠くで稲妻が光った。
そのあとも何度か、遠くの空で稲妻だけが小さく光る。
俺はしばらくその稲光を見つめたあと、部屋に戻った。
廊下を抜けて電気がつけっぱなしのワンルームの部屋を覗くと、チビの姿が見えない。
「おい」
キッチンの狭い隙間やローテーブルの下、ベランダ。それからベッドの布団まで捲り上げてみたけれど、チビはどこにもいなかった。
どこ行きやがった。こんな狭い家の中でかくれんぼか?
俺は小さく舌打ちをすると、トイレのドアをノックした。当然そこにもいないから、今度は浴室のドアを開けてみる。すると、浴室の狭い脱衣所で、チビが膝を抱えて小さく蹲っていた。
「おい。何でこんなとこにいんだよ」
腕を揺するとチビはひどく怯えた様子で、額を膝に押し付けたままブルブルと身体を震わせた。
「おい。俺だって」
チビの両手を無理やり引っ張って顔を上げさせると、黒目がちの瞳が不安そうに俺を見つめた。
「何でこんなとこに隠れてんだよ」
少し苛立った声を出すと、チビが大きく瞳を揺らす。
「……雷」
チビがか細い声で呟くのを聞いて、俺は和央の言葉を思い出した。
『サク、ほんとはすっごくカミナリがこわいんだよ』
たった数時間一緒にいただけの和央は、ちゃんと朔の弱さを見抜いていたのか。
「だったら初めからそう言え。今は光ってるだけだし距離も遠いから、もう怖くねーよ」
リビングへ連れて行こうと引っ張ったけれど、チビは頑として、脱衣所から動こうとしなかった。
「行かねぇならほっとくぞ」
諦めて一人で立ち上がろうとすると、チビが俺の服の裾をものすごい力でぎゅっとつかむ。その手が尋常じゃないくらいガクガクと震えていたから、ぎょっとした。
「おい、お前。大丈夫か?」
俺の服の裾をつかんだまま震えているチビは、それでも泣いてはいなかった。
「あぁ、もう。何なんだよ……」
ため息をつきながら、首筋をかく。
「そんな怖いの?」
訊ねると、チビは強情にも大きく首を横に振った。
「どっちだよ。っていうか、怖いなら我慢せずに口に出せばいいじゃん。ガキのくせに」
何を言ってもチビが俺の服の裾を離そうとしないから、仕方なく俺も脱衣所の床に尻を落とす。狭いから、足は浴室の外に続く廊下へと投げ出した。
「あぁ、めんどくせぇ」
和央みたいに自分本位ですぐ泣かれるのもウザいけど、あいつはちゃんと子どもらしい。
俺がほとんど他人みたいなものだから遠慮してるのかもしれないけど。それにしたってチビは、思っていることを口にしなさすぎる。
まぁ、思っていることや我儘を言ってきたからって、取り合うつもりもないけどな。
それより何より。今隣にいるチビは、どんなことがあってもウザいくらいに泣かない。
実際に泣かれたりしたら困るくせに、俺はそのことが無性に腹立たしかった。
できあがりを待っているあいだに店の近くをふらふらと歩き回っていると、雑貨屋を見つけた。
その雑貨屋には、文具とか女物のヘアアクセサリーとかそういうものと一緒に、小さめのキーホルダーがいくつか並べてある。
何気なく見ていると、その中に小さなピンクの鈴がついたウサギのキーホルダーがあった。
黒目がちの大きな瞳と小さな口や鼻が、何となくチビを彷彿させる。
俺はそのウサギのキーホルダーを見つめてふっと小さな笑みを漏らすと、手にとってレジへと持って行った。
できあがった鍵を受け取って家へと帰ると、既に帰宅していたチビがドアの前に座り込んでいた。
時計を見ると、時刻はまだ3時少し前。
言ってたより早いじゃねぇか。
俺は心の中で呟くと、チビの前にしゃがんでジーパンのポケットに手を突っ込んだ。
ポケットから取り出したものを目の前で揺らすと、チビがそれに反応して顔を上げる。
「ん」
俺がチビに差し出したのは、作ってきたばかりの家の鍵だ。それには、さっき雑貨屋で買ったウサギのキーホルダーがつけてある。
目の前で揺れるウサギとピンク色の鈴を見たチビが、嬉しそうにほんの少し頬を緩めた。
「ありがとう」
チビが小さな手の平で、キーホルダー付きの鍵をあんまり大事そうに握り締めるから、首の後ろがなんだかむず痒い。
「落とすなよ」
素っ気なくそう言うと、チビは俺を見上げて頷いた。
家に入ると、チビはすぐにランドセルから出した宿題を広げ始めた。
真面目なチビを横目に見ながら、ベッドにごろんと横になる。
窓の外に視線を向けると、さっきまで明るかった空が少しずつ曇り始めていた。
今日の夕方は和央を迎えに行くことになっている。そのとき、雨が降ったらやっかいだ。
ときどき外の様子を気にしながらベッドに横になってスマホを触ったていると、いつの間にか和央を迎えに行く時間が近付いていた。
スマホと財布、それから鍵を持って黙って出かけようとしたとき、ふとチビの視線を感じる。
宿題を終えたらしいチビは、ローテーブルの傍で背筋を伸ばして正座し、玄関を出ようとする俺の様子を窺っていた。
一人で出かけようとしていた俺は、玄関のドアから身体を半分ほど外に出したところで、思いとどまってチビを振り返った。
「今から弟迎えに行くんだけど、お前も行く?」
訊ねると、チビがまん丸な目をさらに一回りほど大きく見開く。そして考え込むように俺をじっと見たあと、コクンと首を縦に振った。
「じゃぁ、早く靴履け」
言葉で促すと、チビは黙って立ち上がって、きちんと揃えて脱ぎ置いてある自分のスニーカーに足を入れた。それを待ってやってから、ゆっくりとドアを開ける。
玄関前の廊下の柵から身を乗り出して空を見上げると、夜に向かいつつある空は分厚い雲に覆われていた。
それで、一応傘を持っていくことにする。
和央の預けられている保育園は、俺の家と実家のちょうど中間地点にあった。
一人暮らしをしている俺のマンションは、実は実家からそう離れてはいない。
その距離は、歩けば40~50分。自転車だと20分ほどだ。
それもあってか、「大学に入ったら一人暮らしをしたい」と俺が言ったとき、その必要性の有無を親父や母親にしつこく問われた。
大学だって、実家から遠いわけではない。実家から近い場所で一人暮らしをするのはお金がかかる。
両親が止めるのは尤もだ。
けれど、俺は親父や母親に気を遣いながら生活することに少し疲れ始めていた。
父親の再婚相手として8年ほど前にやって来た義理の母親は、懐が広く優しい人だ。
弟の和央が生まれる前も、生まれてからも、俺に実の子と分け隔てなく接してくれる。
そのことをずっとありがたく思っている。
だが、思春期を迎える頃にやって来た新しい母親を何の戸惑いもなく、素直に、完全に「母」として受け入れることは少し難しかった。
新しい母親に反抗したことはない。
彼女の前で俺は、ずっと「いい息子」で「いい兄」という顔を崩さないままでいる。
大学になっても社会人になっても、この先ずっと実家で「いい自分」を演じ続けていくことになるのかと考えると────、なんだかひどく疲弊したのだ。
だが大学の場所の関係もあって、一人暮らしを始めるにあたって、実家から思いきり遠くへと住まいを移すことも難しかった。
それで、実家から徒歩40~50分の距離にある、河原に近いこのマンションに住むことに決めたのだ。
この河原は実家の傍までずっと延びていて、春から夏にかけて河岸にクローバーが広がり、無数の小さな白い花が咲く。
その花は、俺が8歳のときに出て行った《あの人》の輪郭をぼんやりとだが思い出させてくれる唯一のものだった。
◇
チビを連れて保育園に行くと、教室のドアが開き、和央かずひさが勢いよく外に飛び出してきた。
「にーちゃん!」
俺が迎えに行くことを母親から聞かされていたのだろう。
和央はにこにこしながら、俺の足にぎゅっとしがみついてきた。
子どもの相手は面倒くさいけど、弟のこういうところは素直に可愛いと思う。
俺を見つけてすぐに飛び出してきたのか、和央の足元はまだ上履きのままだった。
「カズ。お前、ちゃんと靴に履き替えてから出てこい」
さらさらの髪をくしゃりと撫でてやると、和央は俺を見上げて大きく頷いた。
「わかった。せんせいにもさよならしてくる」
「あぁ、そうだな」
今日の和央は聞き分けがいい。
ふっと唇を緩ませて笑うと、和央がきょとんとした顔で俺の斜め後ろに立っているチビに視線を向けた。
「にーちゃん。だれ?」
和央に指を指され無遠慮な目でじろじろと見られたチビは、戸惑ったように俺に視線を投げかけてくる。
「あぁ」
どう答えるか、返答に迷った。
チビは親父の子だから、和央にとってはひとつ上の姉ってことになる。
けれどそれを和央に言ってしまうと、そのことがまだチビの存在を知らない実家の母親の耳に入ってしまうかもしれない。
俺はしばらく迷ったあと、ちらっとチビを見ながら和央に言った。
「こいつは、俺の友達の親戚」
「トモダチのシンセキ?」
和央がよくわからない、というふうに首を傾げる。
「まぁ、ちょっとした知り合いだから。今日は一緒に兄ちゃん家に帰るけど、気にすんな」
説明するのも面倒くさくて、適当に誤魔化す。
すると和央は、わかったようなわからないような顔をして「ふぅん」と頷いた。
「それよりカズ。お前はさっさと靴を履き替えて先生にさよならして来い」
「はぁい」
和央は素直にそう返事をすると、トコトコと走って教室に戻っていった。
和央を引き取って保育園を出たときには、分厚い雲に覆われた空から今にも雨粒が落ちてきそうだった。
「ちょっと急ぐぞ」
空模様を気にして俺が走り出そうとすると、チビが小走りでついてくる。
でも和央が俺についてくる気配がなかった。
振り返ってみると、保育園を出て少し歩いたところに作られている公共の花壇の前にじっとしゃがみ込んでいる。
「カズ、何やってんだよ」
苛立った声で呼びかけたけれど、和央はマイペースで、俺が怒っている気配を少しも感じ取っていないようだった。
「にーちゃん、ちょっときてー」
そればかりか、無邪気な声で俺に手招きをしてくる。
「何だよ。雨が降りそうだから急げって」
もう一度呼びかけたが、和央は花壇の前に座り込んだまま動きそうもなかった。
俺は小さく舌打ちすると、和央のところまで戻って腰を屈める。
「何?」
隣で腰を落としてやると、和央が嬉しそうに俺を見上げた。そして、花壇に咲いている花の根元を指差してにこっとする。
「にーちゃん、アリ!」
「は?」
蟻ごときでわざわざ俺を引き止めるなよ。
眉を顰めて和央の指の先を見つめると、そこには確かに一匹の蟻がいた。
多少身体が大きいけど、いたって普通の蟻だ。
俺は真剣な顔をして「普通の蟻」を見ている和央の手を引っ張ると、強制的に立ち上がらせた。
「蟻はどうでもいいから。行くぞ」
「えー、でも……」
俺に引っ張られた和央が、花壇を見つめながら少し名残惜しそうな顔をする。
「蟻なんてどこにでもいるだろ」
そんなものに気を取られて雨に降られたら、それこそバカみたいだ。
俺はため息を吐くと、和央の手を引っ張って早足で歩き始めた。
そして、立ち止まってこっちを見ているチビに声をかける。
「チビ、お前も急ぐぞ」
俺が声をかけると、和央が目を大きく見開いてチビのことをじっと見た。
「ねぇ、にーちゃん。あのこのなまえ、《チビ》なの?」
「いや、違うけど……」
「じゃぁ、ほんとのなまえは?」
和央が目をキラキラとさせながら、訊ねてくる。
「ほんとの名前は……」
一瞬考えて、俺は新月の名前を思い出した。
「朔だ」
「サクダ?」
和央が俺の言葉を復唱して、小首を傾げる。
「違う。朔、だ」
「サク、だ?」
わざと言ってんのか? こいつ。
思わず苛立ったが、俺を見上げる和央の目には少しの曇りも悪戯心も見られない。
なんだか面倒くさくなって、俺は口を閉ざした。
「ねぇ。サク、だ、はなんさい?」
俺が何も言わなくなったものだから、和央がチビに直接話しかけ始める。
「サク、だ、じゃない。朔」
チビが小さな声で和央に抵抗する。
「サク」
それでようやく、和央はチビの名前を理解したようだった。
「サクはなにぐみさんなの? オレはね、さくらぐみなんだよ」
無邪気に笑う和央を黒めがちの目でじっと見つめたあと、チビは和央からすっと視線をそらした。
「朔は、1年生」
それだけ言って、チビが口を閉ざす。
「ふぅん」
和央はしばらく俺の隣を歩くチビをじっと見ていたけれど、そのうち興味を失ったようだった。
俺と繋いでいた手を離すと、短い足でチョコチョコと走って歩道の横にある少し高くなった細い段によじ登る。
和央はバランスを取るように両腕を広げると、平均台にでも乗っているかのようにその段の上をふらふらと歩いた。
「ねぇ、にーちゃん。みて、みて!」
両腕を広げてふらふらとしているくせに、和央は「すごいだろ」とでも言いたげに俺を見てくる。
「あぁ、すげーな。落ちんなよ」
「うん」
適当に声をかけてやると、和央がやけに嬉しそうに笑った。
それからも和央は、俺の周りをちょろちょろと走り回って落ち着きがない。
「にーちゃん、みて!」
和央がそう言う度に、俺はほんの少し足を止めないといけなくて。けれど、和央が「みて!」と言うもののほとんどが、俺にとってはどうでもよくて。
だからとにかく、ものすごく面倒くさかった。
和央が「みて!」を連発する間、俺の隣を歩くチビは一言も言葉を発さずに大人しくしていた。
俺につられて和央を見ることはあったけれど、特に何の反応も示さない。
可愛くないガキ。
和央の行動をうっとうしがっているくせに、何の反応も示さないチビに対してはそんな感想を抱いた。
俺達がマンションにたどり着くと、ちょうどそのタイミングで雨が降り始めた。
最初は小降りだった雨は、すぐに激しく地面を打ち付けるほどの強い雨に変わる。
俺達はその音を聞きながら、狭い部屋の中でそれぞれに好きな場所を陣取った。
俺はテレビを見るためにベッドの上へ。
チビは本を読むためにローテーブルの前へ。
そして和央は、少しもじっとせずに部屋の中をちょろちょろとしている。
「にーちゃん、みて!」
和央が、保育園の鞄の中から何かを取り出しては自慢げに俺に見せてくる。
それはよくわからない絵が描いてある画用紙だったり、何を作ったのかよくわからない折り紙だったりした。
和央がそれらをひとつずつ俺に見せながら、解説してくれるけど、俺がちょっとでもどこかに気をそらすと「にーちゃん! みて!!」と不満そうな声で主張してくるから面倒くさい。
和央がよくわからないものをしつこく見せてくるたびに、少しずつイライラが募る。煙草に手を伸ばしたくなる。
「お前ら、ガキはガキ同士で遊んでろよ」
和央を睨みながら苛立った声を出したとき、窓の向こうで稲妻が光った。
それからすぐ、間髪入れずに雷の音が地響きのように鳴り響く。
「わっ」
それまで跳ね回っていた和央が、雷の音を聞くなり俺の服にしがみついてきた。
「にーちゃん。こわい!!」
和央が俺の服を片手でぎゅっとつかみながら、もう片方の手で耳を塞ぐ。
また稲妻が光って、地響きのような雷鳴が響く。光ってから音が鳴るまでの間隔からして、距離が近そうだ。落ちなきゃいいけど。
俺は激しい雨が降る窓の向こうに視線を送りながら、無防備になっている和央のもう片方の耳を手の平で塞いでやった。
今は雷なんてちっとも怖くない。むしろ、遠くで光る稲光が綺麗だ……なんて思ってしまうときもある。
だけど、俺も和央くらいの年のときは雷が怖かった気がする。
耳を押さえて半泣きになって蹲っていると、実の母が必ず傍にやってきて、俺の小さな手の上に柔らかくて大きな手を重ねてくれた。
そうすると、雷の音が遠くなって安心するのだ。
ふとチビのほうを見ると、雷が怖いのか、ローテーブルに伏せるようにして両耳を塞いでいた。
「お前も雷怖いの?」
聞こえていないのか、チビからの返事はない。けれど、その小さな肩は小刻みに震えていた。
「おい」
傍に言って耳元で声をかけると、そのとき初めて俺の声に気付いたのか、チビがはっとしたように顔を上げた。
チビは少し青ざめた表情をしていたけれど、泣いてはいなかった。
「大丈夫か?」
あまり優しいとは言えない声で訊ねると、チビが無言で頷く。見る限り、その表情はあまり大丈夫だとは思えない。
けれどチビは、頑ななまでに「怖い」という言葉を漏らそうとしなかった。
弱音も涙も零さずに、地響きのように鳴る雷の音に、ギリギリのところでじっと耐えている。
雷の音が少し遠のくまで、チビは俺の隣で唇を真横にきゅっと引き結んでいた。
夕方を過ぎて、ようやく雨が少し弱まる。
空が完全に暗くなる頃には、大きく鳴り響いていた雷もやんでいた。
時計の針が20時を指そうとする頃、親父から「和央を迎えに行く」という電話があった。
親父の車がマンションの下に到着する頃合を見計らって和央を連れて外に出る。
その頃には、雨もすっかりやんでいた。
街灯にぼんやりと照らされている道路が雨に濡れているおかげで、夏が近づきつつある夜の外気がひんやりと涼しい。
和央と並んでマンションのエントランスの前に立っていると、実家の白い車がスピードを緩めながら近付いてきた。
「悪かったな」
「いいよ、別に」
そう答えたとき、和央が俺の傍を離れて親父に飛びついた。
「おとうさん、おかえり!」
和央が親父を見上げて無邪気に笑う。
親父は目尻をすっとさげると、和央の目の高さまで腰を屈めてその頭を撫でた。
「陽央。朔はどうしてる?」
しばらく和央の頭を撫でたあと、親父が立ち上がってマンションの俺の部屋の窓を見上げる。
「部屋だけど。俺はいつまであのチビを預かったらいいわけ?」
若干嫌味のこもった声で返すと、親父は黙り込んで何も言わなかった。
どうせ、実家の母親とまだ話もできていないんだろう。
うんざりとしてため息をついたとき、西の空で稲妻が小さく光った。ただ遠くで小さく光っただけで、それから何秒待っても雷の音は聞こえてこない。
「また降ってくるかもな。俺達は帰るよ。また連絡する」
和央の手を握った親父は、それ以上チビのことについて言及しなかった。
親父が和央を後部座席のチャイルドシートに乗せてから、運転席へと回る。
車のエンジンがかかったとき、和央が後部座席の窓を開けて俺に呼びかけてきた。
「にーちゃん!」
「ん?」
和央が俺を見ながら、半分開いた後部座席の窓を手の平でバンバン叩く。
そうやって必死に呼んでくるから、俺は仕方なく車のほうに少し身体を寄せた。
「にーちゃん、はやくもどってあげて。サク、ほんとはすっごくカミナリがこわいんだよ」
「え?」
窓から身体を乗り出すようにして俺に訴える和央は、小さいながらにものすごく神妙な顔をしていた。
「陽央、危ないから離れろ」
親父が運転席から俺を振り返る。
頷いてマンションのエントランス側に数歩後ずさったとき、また遠くで稲妻が光った。
そのあとも何度か、遠くの空で稲妻だけが小さく光る。
俺はしばらくその稲光を見つめたあと、部屋に戻った。
廊下を抜けて電気がつけっぱなしのワンルームの部屋を覗くと、チビの姿が見えない。
「おい」
キッチンの狭い隙間やローテーブルの下、ベランダ。それからベッドの布団まで捲り上げてみたけれど、チビはどこにもいなかった。
どこ行きやがった。こんな狭い家の中でかくれんぼか?
俺は小さく舌打ちをすると、トイレのドアをノックした。当然そこにもいないから、今度は浴室のドアを開けてみる。すると、浴室の狭い脱衣所で、チビが膝を抱えて小さく蹲っていた。
「おい。何でこんなとこにいんだよ」
腕を揺するとチビはひどく怯えた様子で、額を膝に押し付けたままブルブルと身体を震わせた。
「おい。俺だって」
チビの両手を無理やり引っ張って顔を上げさせると、黒目がちの瞳が不安そうに俺を見つめた。
「何でこんなとこに隠れてんだよ」
少し苛立った声を出すと、チビが大きく瞳を揺らす。
「……雷」
チビがか細い声で呟くのを聞いて、俺は和央の言葉を思い出した。
『サク、ほんとはすっごくカミナリがこわいんだよ』
たった数時間一緒にいただけの和央は、ちゃんと朔の弱さを見抜いていたのか。
「だったら初めからそう言え。今は光ってるだけだし距離も遠いから、もう怖くねーよ」
リビングへ連れて行こうと引っ張ったけれど、チビは頑として、脱衣所から動こうとしなかった。
「行かねぇならほっとくぞ」
諦めて一人で立ち上がろうとすると、チビが俺の服の裾をものすごい力でぎゅっとつかむ。その手が尋常じゃないくらいガクガクと震えていたから、ぎょっとした。
「おい、お前。大丈夫か?」
俺の服の裾をつかんだまま震えているチビは、それでも泣いてはいなかった。
「あぁ、もう。何なんだよ……」
ため息をつきながら、首筋をかく。
「そんな怖いの?」
訊ねると、チビは強情にも大きく首を横に振った。
「どっちだよ。っていうか、怖いなら我慢せずに口に出せばいいじゃん。ガキのくせに」
何を言ってもチビが俺の服の裾を離そうとしないから、仕方なく俺も脱衣所の床に尻を落とす。狭いから、足は浴室の外に続く廊下へと投げ出した。
「あぁ、めんどくせぇ」
和央みたいに自分本位ですぐ泣かれるのもウザいけど、あいつはちゃんと子どもらしい。
俺がほとんど他人みたいなものだから遠慮してるのかもしれないけど。それにしたってチビは、思っていることを口にしなさすぎる。
まぁ、思っていることや我儘を言ってきたからって、取り合うつもりもないけどな。
それより何より。今隣にいるチビは、どんなことがあってもウザいくらいに泣かない。
実際に泣かれたりしたら困るくせに、俺はそのことが無性に腹立たしかった。
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