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彼女になりたいわたしの恋の話
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しおりを挟むみなみ先輩から姿が見えないところまで離れると、梁井先輩はわたしの手首をパッと離した。そのまま何事もなかったみたいに歩いていく彼は、わたしを振り返ろうともしない。
本当に、全く微塵も興味がないんだな。一ヶ月もこうしてそばにいるのに。
静かにため息を吐くと、肩のところで緩くカールしている栗色の髪の毛の先を右手の指で摘む。
梁井先輩が告白をオッケーしてくれたのは、わたしのことが好きだからでも何でもない。彼は、私そのものになんて全く興味がない。彼の気を惹いたのは、わたしの名字。それが、彼の好きな人の名前と同じ「みなみ」だからだ。
そのことに気付いたのは、梁井先輩と付き合い初めてすぐ。梁井先輩を誘ってふたりで下校していたときのことだ。
「この子がウワサのアイちゃんの彼女かー。よろしくね」
梁井先輩の幼なじみだというみなみ先輩が突然話しかけてきた。
みなみ先輩は初対面のわたしにもにこにこと笑いかけてきてくれて、気さくで感じが良い人だった。だけど……。
「アイちゃんも彼女さんもおめでとう」
みなみ先輩が笑顔でそう言ったとき、いつも感情を表に出さない梁井先輩が、わずかに頬を引き攣らせて傷付いた顔をした。
微細な表情の変化を敏感に察知してしまうくらい、わたしは彼のことを見ていたし、彼のことが好きだった。だからそれだけで気付いてしまった。梁井先輩はほんとうは、みなみ先輩のことが好きなんじゃないかって。
その予感は、すぐに確信に変わった。
梁井先輩は、いつもみなみ先輩のことを見ていた。昌也先輩と仲良さそうに笑い合うみなみ先輩を見つめながら、切なく憂いを帯びた目をしていた。
梁井先輩が今まで誰に告白されても断っていたのは、みなみ先輩の存在があったからだ。それなのに、わたしの告白を受け入れてくれた理由は――?
考えて思いあたったのは、わたしとみなみ先輩との共通項だった。
わたしが告白をしたとき、梁井先輩は「みなみ、だっけ?」と名前を確認してきた。梁井先輩が受け入れたのはわたしではない。きっと、好きな人と同じ記号を持ったわたしだったのだ。
そのことに気付いてから、わたしは少しでも梁井先輩の視界に入りたくて、みなみ先輩に近付く努力をした。
まず少しでも見た目が近付くように、肩まで伸ばしていた髪を栗色に染めた。クラスの中でも大人っぽくてメイクが上手い沙里に頼んで、みなみ先輩に似せたアイメイクを教えてもらった。ついでに眉毛も整えたら、雰囲気がぐっとみなみ先輩に近付いた。
だけど見た目を似せても、梁井先輩はわたしの容姿の変化に何の興味も示さなかった。
梁井先輩が好きなのは、みなみ先輩の見た目ではないらしい。そう思ったから、今度はみなみ先輩がどんな人なのかを観察した。
友達といるとき、彼氏の昌也先輩とふたりでいるとき、梁井先輩に声をかけるとき、どんな表情でどんな仕草を見せるのか。一週間ほど観察してわかったことは、みなみ先輩は明るくノリが良く、よく笑う人だということだった。
梁井先輩がみなみ先輩の明るい笑顔に惹かれたのだとしたら、ものすごく納得できる。だからわたしも、梁井先輩と一緒にいるときは笑顔でいるように心がけた。
だけど、いつも笑顔で明るい彼女を演じても、梁井先輩がわたしに興味を持ってくれることはなかった。努力は全て無駄だった。
付き合いだしてからの一ヶ月、わたしと梁井先輩は彼氏彼女として毎朝一緒に登校している。けれどそれだって、わたしから誘いかけたことだ。
わたしが誘わなければ、梁井先輩から声をかけられることはない。ラインもデートの誘いも全部わたしから。わたしが誘わなければ、梁井先輩との関係は自然消滅する。それくらい、わたしへの彼の態度は冷めている。
今だって、自分のペースですたすたと歩いていく梁井先輩は、みなみ先輩のことを考えているんだろう。
形式的には恋人同士でも、わたしの想いはいつだって一方通行だ。どれだけ追いかけても、わたしの気持ちは報われない。それでも、追いかけずにはいられない。
たとえ一方通行の想いだったとしても、わたしは梁井先輩が好きだから。
小走りで追いかけてシャツの背中ぎゅっと捕まえると、振り向いた梁井先輩と目が合った。こうして無理やり引き止めなければ、彼はわたしを見てくれない。付き合っているはずなのに、視線を合わすことすらままならない。
どれだけ隣にいたって、わたしと梁井先輩の心の距離は縮まらない。いつまでもずっと、一定の距離を保って離れたままだ。
胸が痛い。こんなのがずっと続くなんて耐えられない。
そう思うのに、わたしは梁井先輩の《彼女》のポジションをどうしても手離せない。
「南?」
唇を噛んでうつむくと、梁井先輩がわたしの顔をそっと覗き込んできた。
「どうかした?」
梁井先輩の声に、ほんの少しだけ気遣いの色が浮かぶのがわかる。
いつもわたしに興味も関心もないくせに。こんなときばかりわたしを見てくれる。気まぐれな梁井先輩の優しさが痛かった。
「何も。夏休み、楽しみだなーって」
顔を上げると同時にパッと明るく笑って見せると、梁井先輩が無言でわたしを見つめてから、わずかに首を横に傾けた。
「あー、うん。そうだな」
曖昧に頷く梁井先輩の声は、わたしと過ごす夏休みに少しも興味なさそうだし、若干面倒臭そうだ。
「夏休みの行き先の候補、わたしがいくつか考えといていいですか?」
「いいよ、どこでも」
「よかった。楽しみにしてますね」
鈍感なフリをして笑うと、梁井先輩が、ふっと息を漏らしてわたしに背を向けた。
梁井先輩は自分からデートに誘ってくることはないけれど、わたしが誘えばどこでも付き合ってくれる。わたしとデートしててもちっとも楽しそうじゃないけど、「みなみ」という記号を呼べば、胸に燻るみなみ先輩への気持ちが紛れるのかもしれない。
だとしたら、梁井先輩はひどい。
それを知ったわたしがどんな気持ちになるか、少しくらいは想像しなかったのかな。それとも梁井先輩は、本物の「みなみ」以外はどうだっていいのかな。
前を歩く梁井先輩の艶やかな黒髪が揺れるのを、切ない気持ちでじっと見つめる。
梁井先輩が好きだ。
陰のある雰囲気の綺麗な顔も。やる気なく喋っているようにしか聞こえない話し方も。いつも遠くばかり見ている黒の瞳も。体温の低い長い指も。わたしを拒絶するみたいな背中も。短めな襟足も。
わたしに見えてる梁井先輩が、全部好き。
だけど、梁井先輩はそうじゃない。
できることならわたしは、あなたが好きな彼女になりたい。
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