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時瀬 蒼生・1
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高校二年生になって初めてのテスト最終日。おれは担任の吉原先生に美術準備室に呼び出されていた。テスト中のカンニング容疑で。
三時間目の英語のテスト中、試験監督として教室を見回っていた女性教師がおれと隣の席のやつとの間に消しゴムが落ちているのを見つけた。それを拾い上げた教師が「誰のですか?」と周囲に問いかけたが、誰も反応しなかった。
落ちていた消しゴムはケースが不自然にちょっとだけ膨らんでいて、その端からメモの切れ端のようなものが覗いていた。
試験監督の女性教師が引っ張り出してみると、テストで出題する予定の英単語が細かい文字でびっしりと書き込まれていたらしく。テスト終了後に、誰がカンニング行為を行ったのかと教室での犯人探しが始まった。
英語のテスト中に試験監督に来ていたのは、国語科の中年の女性教師で、真面目で規律に厳しい、おれとは最も相性の悪い大人だった。
カンニング行為をしようとしていた可能性が高いのは、落ちていた消しゴムの近くに座っていたおれと隣の席の男子と、おれ達ふたりの前後に座っている生徒たち。
容疑者は全部で少なく見積もっても六人。その全員から平等に話を聞くべきなのに、その女性教師は真っ先におれのことを疑ってきた。
「時瀬くん、この消しゴムに見覚えあるわよね」
かなり断定的な訊き方をされて、ものすごくムカついた。
どうして、話も聞かずに消しゴムの持ち主がおれだと決めてかかるのか。
「違います」
女性教師の顔を真っ直ぐに睨んでそう答えたら、彼女は眉根を寄せて、おれのことをあからさまに軽蔑の目で見てきた。
「悪いことをしたら、正直に認めなさい」
またもや決めつけるような言い方をしてくる彼女に腹が立った。そして、大人のくせに公平な判断をしてくれない彼女が嫌いだと思った。
悪いことを正直に認めないといけないのは、おれじゃなくて、おれに責任をなすりつけて黙っている真犯人だ。
周囲の席のやつらの顔を窺うようにさっと視線を動かせば、みんな、そろいもそろってうつむいて、教卓の女性教師と目を合わさないようにしている。
客観的に考えてみれば、女性教師がおれを疑うのにも無理はない。
おれの前後の席のやつらも、おれの隣の席の男子も、そいつの前後の席のやつらも、みんな見た目が真面目でおとなしそうで、カンニングなんてしそうにないのだ。
でも、しそうにないからって、しないわけじゃないだろう。
通り魔事件や放火事件が起きたとき、たいていの場合、容疑者を知るとかいう大人たちが「おとなしくて真面目そうな人でした……」ってコメントしてるじゃないか。
「おれの消しゴムじゃありません」
おれは最後の最後まで女性教師に主張し続けたけど、その主張は認められずに、証拠の消しゴムとともに担任の吉原先生に引き渡されてしまった。
「菊池先生にも言いましたけど、おれじゃありません」
菊池っていうのは、おれのことをカンニング犯に仕立て上げた国語教師だ。
あいつの授業なんて、今後一切聞きたくない。耳栓して、最初から最後まで居眠りしてやりたい。
腹立たしさに任せて菊池からの評価が余計に下がりそうなことを考えていると、吉原先生が手に持っていた消しゴムケースからカンニングメモを引っ張り出した。
「これ、よく見ると、小さな紙に細かく綺麗な字でものすごくたくさん書き込んであるよね」
カンニングメモをしばらくじーっと見た吉原先生が、感心したようにつぶやく。
高二でおれのクラスの担任になった吉原は、三十代前半でのんびりとした性格の男の先生だ。
おれも選択科目の美術の授業でお世話になっているけれど、吉原先生が怒ってるところや焦っているところはあまり見たことがない。
授業中に生徒に説明するときも、個別に誰かと会話するときも優しい口調でゆっくり話す。
メモを隅々まで眺めた吉原先生が、それをもとの通りに丁寧に折り畳んで、消しゴムケースに押し込む。
「時瀬くんの性格だと、こんな小さな紙に綺麗な字で細かく英単語を書き込むのには相当時間がかかりそうだよね。君、いつも授業で絵を描くとき、紙いっぱいに、迷いなくバーッと大雑把に色をのせるでしょう?」
吉原先生がそう言って顔をあげる。
何が言いたいのかと思って怪訝に眉を寄せたら、吉原先生がおれにカンニングメモの入った消しゴムを差し出してきた。その手の指に少し、青い絵の具が付いている。
「まぁ、僕が直接見たわけではないからなんとも言えないんだけど。これからは気を付けて」
吉原先生が、にこっと笑う。
何かもっと、それらしい注意を受けるのかと思っていたおれは、吉原先生の態度にすっかり拍子抜けしてしまった。
「え、それだけすか? 菊池は反省文書けって……」
「菊池先生、ね。そんな生産性のないことやったって意味ないよ」
吉原先生がふっと笑って、開いて差し出したおれの手の上に消しゴムを落とす。
よくわからないなりに理解できたことがひとつ。
どうやら吉原先生は、おれのカンニングを疑っていないらしい。
悪目立ちして誤解されることには慣れているけど、それでもやっぱり、やってもいないことをやったと思われるのは悲しい。
吉原先生が呑気なのか、単に説教するのが面倒なのかはわからないけれど、疑われなくてよかった。ほっとして、返された消しゴムをぎゅっと握り込む。
そのとき、吉原先生が椅子から立ち上がりながら「あ、そうだ」と何か思い出しだようにつぶやいた。
「もし時間があるなら、時瀬くんにひとつお願いがあるんだけど……」
「はい……?」
カンニング容疑が晴れて気が緩んでいたおれは、穏やかに笑いかけてくる吉原先生の言葉に、つい頷いてしまった。
三時間目の英語のテスト中、試験監督として教室を見回っていた女性教師がおれと隣の席のやつとの間に消しゴムが落ちているのを見つけた。それを拾い上げた教師が「誰のですか?」と周囲に問いかけたが、誰も反応しなかった。
落ちていた消しゴムはケースが不自然にちょっとだけ膨らんでいて、その端からメモの切れ端のようなものが覗いていた。
試験監督の女性教師が引っ張り出してみると、テストで出題する予定の英単語が細かい文字でびっしりと書き込まれていたらしく。テスト終了後に、誰がカンニング行為を行ったのかと教室での犯人探しが始まった。
英語のテスト中に試験監督に来ていたのは、国語科の中年の女性教師で、真面目で規律に厳しい、おれとは最も相性の悪い大人だった。
カンニング行為をしようとしていた可能性が高いのは、落ちていた消しゴムの近くに座っていたおれと隣の席の男子と、おれ達ふたりの前後に座っている生徒たち。
容疑者は全部で少なく見積もっても六人。その全員から平等に話を聞くべきなのに、その女性教師は真っ先におれのことを疑ってきた。
「時瀬くん、この消しゴムに見覚えあるわよね」
かなり断定的な訊き方をされて、ものすごくムカついた。
どうして、話も聞かずに消しゴムの持ち主がおれだと決めてかかるのか。
「違います」
女性教師の顔を真っ直ぐに睨んでそう答えたら、彼女は眉根を寄せて、おれのことをあからさまに軽蔑の目で見てきた。
「悪いことをしたら、正直に認めなさい」
またもや決めつけるような言い方をしてくる彼女に腹が立った。そして、大人のくせに公平な判断をしてくれない彼女が嫌いだと思った。
悪いことを正直に認めないといけないのは、おれじゃなくて、おれに責任をなすりつけて黙っている真犯人だ。
周囲の席のやつらの顔を窺うようにさっと視線を動かせば、みんな、そろいもそろってうつむいて、教卓の女性教師と目を合わさないようにしている。
客観的に考えてみれば、女性教師がおれを疑うのにも無理はない。
おれの前後の席のやつらも、おれの隣の席の男子も、そいつの前後の席のやつらも、みんな見た目が真面目でおとなしそうで、カンニングなんてしそうにないのだ。
でも、しそうにないからって、しないわけじゃないだろう。
通り魔事件や放火事件が起きたとき、たいていの場合、容疑者を知るとかいう大人たちが「おとなしくて真面目そうな人でした……」ってコメントしてるじゃないか。
「おれの消しゴムじゃありません」
おれは最後の最後まで女性教師に主張し続けたけど、その主張は認められずに、証拠の消しゴムとともに担任の吉原先生に引き渡されてしまった。
「菊池先生にも言いましたけど、おれじゃありません」
菊池っていうのは、おれのことをカンニング犯に仕立て上げた国語教師だ。
あいつの授業なんて、今後一切聞きたくない。耳栓して、最初から最後まで居眠りしてやりたい。
腹立たしさに任せて菊池からの評価が余計に下がりそうなことを考えていると、吉原先生が手に持っていた消しゴムケースからカンニングメモを引っ張り出した。
「これ、よく見ると、小さな紙に細かく綺麗な字でものすごくたくさん書き込んであるよね」
カンニングメモをしばらくじーっと見た吉原先生が、感心したようにつぶやく。
高二でおれのクラスの担任になった吉原は、三十代前半でのんびりとした性格の男の先生だ。
おれも選択科目の美術の授業でお世話になっているけれど、吉原先生が怒ってるところや焦っているところはあまり見たことがない。
授業中に生徒に説明するときも、個別に誰かと会話するときも優しい口調でゆっくり話す。
メモを隅々まで眺めた吉原先生が、それをもとの通りに丁寧に折り畳んで、消しゴムケースに押し込む。
「時瀬くんの性格だと、こんな小さな紙に綺麗な字で細かく英単語を書き込むのには相当時間がかかりそうだよね。君、いつも授業で絵を描くとき、紙いっぱいに、迷いなくバーッと大雑把に色をのせるでしょう?」
吉原先生がそう言って顔をあげる。
何が言いたいのかと思って怪訝に眉を寄せたら、吉原先生がおれにカンニングメモの入った消しゴムを差し出してきた。その手の指に少し、青い絵の具が付いている。
「まぁ、僕が直接見たわけではないからなんとも言えないんだけど。これからは気を付けて」
吉原先生が、にこっと笑う。
何かもっと、それらしい注意を受けるのかと思っていたおれは、吉原先生の態度にすっかり拍子抜けしてしまった。
「え、それだけすか? 菊池は反省文書けって……」
「菊池先生、ね。そんな生産性のないことやったって意味ないよ」
吉原先生がふっと笑って、開いて差し出したおれの手の上に消しゴムを落とす。
よくわからないなりに理解できたことがひとつ。
どうやら吉原先生は、おれのカンニングを疑っていないらしい。
悪目立ちして誤解されることには慣れているけど、それでもやっぱり、やってもいないことをやったと思われるのは悲しい。
吉原先生が呑気なのか、単に説教するのが面倒なのかはわからないけれど、疑われなくてよかった。ほっとして、返された消しゴムをぎゅっと握り込む。
そのとき、吉原先生が椅子から立ち上がりながら「あ、そうだ」と何か思い出しだようにつぶやいた。
「もし時間があるなら、時瀬くんにひとつお願いがあるんだけど……」
「はい……?」
カンニング容疑が晴れて気が緩んでいたおれは、穏やかに笑いかけてくる吉原先生の言葉に、つい頷いてしまった。
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