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黒の帳 『一つ目の帳』
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走っている途中、私は、自分が泣いていることに気付いた。
もうどうだっていい。私がおかしいんだから。
いっそのこと、あそこで、渡来に、汚された方が良かったのかもしれない。
そうしたら、汚い自分なんかという思いがついて回って、天野君にあんな頭のおかしいことを言わなかっただろう。
天野君に迫った行為は、天野君のことも、紅陵さんのことも、裏切っている。
何が、いい友達になれたら、だ。過去の自分を蹴りたくなった。私は、天野君に、恋人としての役割を求めていたのか。こんなの最低じゃないか。紅陵さんのことも好きなのに。
こんなの最低な裏切りだ、消えてしまいたい。
「待てっ!!!!」
「ぐえっ」
突然体が止まり、思考もそれに伴って止まった。
お腹の辺りに強い力を感じ、私の口からは情けない声がとび出た。
「はあっ、はっ、はっ、…はっ、なに、おい、かけて、きたの」
「……おう」
私は喋るのもやっとなのに、天野君は息一つ切らしていない。体力の差にちょっぴり悔しくなった。
「ごっ、ごめんね、さっきはごめん、はあっ、ふふっ、気の迷いだよ」
「話を聞け」
「ううんっ、いいの、いいんだ、もういい、ごめんなさい、ごめっ、なさ、もう、やめて、ごめんなさいっ…」
きっと、振られる。
友達でいよう、とか、言われる。
天野君だって、気付いてしまっただろう。
だって、本当に傷付いていて慰めて欲しかったら、あんな強引な手段には出ないし、逃げ出すように走り出さない。
裏番と一緒なんてごめんだ、という言葉を聞いてショックを受けたりしない。
さっきはあれほどせがんだ抱擁なのに、今は、逃げ出したくて仕方なかった。
泣きながら暴れると、天野君の力がより強くなった。
「頼む、話を」
「おねがいっ、あまっ、の、くん、おねがい…っやだ、ききたくない、きっ、き、たく、なっ」
「ごめんって思ってんなら俺の話聞けよ!!」
強い口調で言われ、私は口を噤んだ。いつも私は自分勝手だ。
私は口を閉じて黙ろうとしたけれど、廊下には私のすすり泣きが響いた。どうしよう、泣き止めない。
「ごめっ、ごっ、めっ、ぅ、なっ、なくの、とっ、とっ、とまっ…」
「あー、ああ、くそっ、泣かすつもりじゃ………」
天野君は私を抱きしめたまま、強引に体の向きを変えさせた。天野君の胸に頭を押し付けられ、苦しくなるくらいぎゅうっと抱きしめられた。
「ん、う…」
「ほら、ぎゅってしてんぞ、…はあ」
「ぱー、かー、よごれる…」
「いいんだよ、これ岡崎のやつだから」
「そ、いう、もんだい…?」
天野君は私の背をとんとんと叩いてくれる。私がおそるおそる天野君の背に手を回すと、天野君は腕の力を強くしてくれた。
天野君に、迷惑をかけてしまった。
これから話されることは、聞かなきゃいけない。
怖い。渡来に抱きしめられた時より、ずっと怖い。
天野君が正体に気付いてるってこと、もっと早く知りたかった。それなら、こんな早とちりしなかった。渡来に迫られて怖かった、なんてお粗末な言い訳で言い寄らなかった。
「……あのな、さっき、振り払ったのは、自分が渡来と一緒みたいで嫌だったからだ」
「ちがうって、いった」
「そうだな、うん、そう言ってくれた。そんで、裏番と一緒なんてごめんっていうのは…」
天野君はそこで言葉をきると、言いづらいのか、喉でうーとうなり出した。
言っても、大丈夫。私が先にずるをしたから。報いは受けるから。
「…とにかくこれだけは言っとく。まず、その…お、おっ、俺は、その…とっ、友達以上?み、みたいなやつも、その…なりた、じゃなくて、えっと、なっても、いいかなーっつうか、あー…ね、ネガティブな感情は持ってない」
「……友達より、さきでも、いいの?」
聞こえてくる言葉は、私にとって心地よい言葉だ。親友のこと、言ってるのかな。自嘲気味な笑みを浮かべて顔を上げた瞬間、私はその考えが間違いだと分かった。
天野君が、真っ赤な顔で、照れながら、汗までかいて私のことを見ている。今、顔隠してるのに。
もしかして、もしかして、私にとって都合の良い方で捉えていいのだろうか。
「………俺は、お前に隠してることがある。裏番と一緒なんてごめんってのも、このことを言ってた。お前に好かれたくないって意味じゃない」
「………」
「今まで、何度も言おうと思った。でも、その度に、信じてもらえなかったらどうしようって思って、ずっと、言えなかったんだ。でも、…っ、今のお前なら、信じてくれなくても、俺のことを嫌いになるまではいかないと思う。すっげぇずるいけど、その隠し事を聞いて欲しい」
天野君が私に隠し事?一体なんだろう。
…でも、あまり気にならない。だって、天野君は、私のことを拒んでいない。そのことが嬉しくて、隠し事なんて構わなかった。
「………あのな、裏番についてなんだ」
「紅陵さんについて…」
「…お前、アイツに、………騙さ」
「あれ~泣いてんじゃん」
天野君が意を決して話そうとした瞬間、呑気な気の抜けた声が聞こえた。声の方を見ると、晴れ晴れとした顔をした紅陵さんがいた。遠藤さんから離れたからスッキリしているのだろうか。
「しまっ、た………クソッ…ああ……」
「どーしたのクロちゃん、天野にいじめられた?」
「い、いえ、あの…わっ!」
紅陵さんに見つかった瞬間、天野君の腕の力が強くなった。だというのに、紅陵さんはあっという間に天野君を引き剥がし、私を抱きしめた。
「ん、アイツにあんなことされて、怖かったでしょ」
「わっ…」
「俺で上書きしてあげる」
「え」
私はくいっと顔を上げられ、紅陵さんと至近距離で見つめ合うことになった。というか、上書きするって、まさかっ…。
きゅう、と目を瞑ったけれど、思ったような感覚は訪れなかった。
口を塞がれると、思ったのだけど。
そうっと目を開けると、意外な光景が目に飛び込んできた。
「このクソ野郎…」
「髪はずるいよ~」
天野君が紅陵さんの長い髪を鷲掴みにして引っ張り、紅陵さんは引き抜こうとする動きを阻止しつつにこにこ笑っている。髪を引っ張られたせいで、私から離れたらしい。
天野君は紅陵さんを怖がっていたはずじゃないだろうか。紅陵さん相手に、天野君がこんな風に喧嘩を売るなんて、そんなの、『リン』の時にしか見たことない。
「誰かが上書きしてあげなきゃかわいそうだろ?」
紅陵さんの言葉は天野君の琴線に触れたらしい。天野君は紅陵さんの腕を思いっきり蹴ってしまった。紅陵さんは手を離し、腕をさすりながらへらへらと笑っている。
「いって~酷いことすんのな~」
「天野君、流石にかわいそう…」
「こっち向け」
紅陵さんの方を見ていたから、私は天野君が何をしようとしているか気付かなかった。
声に従って振り向くと、天野君は、すぐ目の前にいた。
「…嫌なら殴れよ」
「えっ、な」
…びっくり、した。
さっき私が迫った時は、鼻と鼻が触れ合う距離だった。
でも、今は、
「ひゅ~チューしちゃった~!」
「黙ってろ」
天野君は紅陵さんを睨みつけて文句を言うと、また私の口を塞いだ。
ぽかん、としてしまって、抵抗以前の問題だった。自分がされていることの理解に、数秒、数十秒遅れる。
「ふ、あっ」
「…ん」
急に唇を舐められ、びくっと震えて後ずさろうとすると、後頭部と背中をがっちり固定された。嫌なら殴れって、そういう、意味だったのか。
天野君の後ろで、紅陵さんがにやにや笑って私を見ている。どういうことだろう。私は、紅陵さんに恋愛的な意味で好かれていると、思っていたのに。
人に見られながらするのって、すごく恥ずかしい。
渡来の時はそれどころじゃなかった。でも、今は、天野君と、紅陵さんがいる。
恥ずかしくて口を閉じていると、漸く天野君は口を離してくれた。
「はあっ、はっ、天野君…、もう、終わり、止めよ?うわ、上書き出来たから、だから」
「自分で口開くまでやってやる」
「んッ」
にや、っと天野君が笑って、また私の口を塞いだ。見たことの無い、顔だった。獲物を狙うみたいな、何、この顔。
どうしたらいいか分からなくなって、私はぺちぺちと胸の当たりを叩いた。すると、肩を抱いていた手が私の手を掴み、背に回させた。抱きしめてろって、ことなんだろうか。
困惑していると、学ランの下から背中のシャツを掴まれた。何するんだろう、とされるがままになっていると、天野君はシャツを上に引っ張った。いつもシャツはズボンにきちんと入れているから、今の動きで裾が出てしまった。
後でまた裾入れなきゃ、そういえばなんで引っ張ったのかなあ、と考えていると、シャツの下から手が入ってきた。
「あっ!? やっ、ぁ、あッ、う」
驚いて声を上げてしまい、その隙に舌を入れられた。何、何が起きてるの、あ、天野君って、いっつもすぐ真っ赤になるから、こんなこと、しないって…出来ないって思ってたのに。
「待っ、う、あまっ…ん、ンっ」
「天野ー、分かった、分かったよ、そろそろ止まろ。焚き付けたのは謝るよ、ごめん。クロちゃんのベロ溶けちゃう」
紅陵さんが申し訳なさそうに声をかけてくる。それでも、天野君は止まってくれなかった。合間合間で声をかけようとしても、全部塞がれる。顔を熱くしてうーうー言っていると、紅陵さんがあっ、と声を出した。
「そういや…」
「んっ、ん、ぅ」
「それ、渡来と間接キスだな!」
紅陵さんがそう言った瞬間、天野君が目にも止まらぬスピードで私から口を離した。
気持ちは分かるけど、軽いショックを受けてしまった。そうだ、天野君は間接キスを気にする人だった。
解放されたけど、何だか申し訳ない。
「ご、ごめんね、天野君…」
「………」
「天野君?」
こちらを向いた天野君は、耳も首も真っ赤っかだった。彼は斜め下を見ながら、ぼそっと呟いた。
「ぁ、謝るのは、お、俺…って、いうか、その、…ぃ、い…い……」
「い?」
「嫌なら殴れって、言ったのに…」
天野君はそう言うと、頭の後ろをがりがりとかいてうううと唸った。天野君は察しが良いときと悪いときの差がすごいなあ。
「うん、だから殴らなかったよ」
「……えっ、いや、でも、嫌がって…」
「そ、それは…天野君が、思ったより、ぐいぐいくるから…」
私が顔の熱を感じながら言うと、天野君は私よりずっと熱いだろう顔で下を向いた。
二人して真っ赤になっていると、にやにやと嬉しそうに笑っている紅陵さんが、私の肩を抱いた。天野君がすぐさまその手を叩き、紅陵さんを睨みつける。
「おいおい天野、お前豹変しすぎだろ。あれはキスってより捕食だ」
「うるせぇぶっ殺すぞ!!!」
「ねえ、天野君」
「なっ、なに…なんだよ……」
「豹変しすぎ」
「あ"!?」
一線を、完全に越えてしまった。
もう、友達じゃない。
自分の気持ちが、肯定されたみたいで、嬉しかった。紅陵さんがどうしてにこにこ笑って見ていたのは分からないけれど、彼はきっと私の気持ちを知っている。
二人のことが好きですとは、とても言えないけど、二人はきっと気付いている。
そう意識した瞬間、なんだか天野君を、天野君、と呼ぶことが、不思議なことに思えてきた。
天野君の本名は、天野優人。龍牙やクリミツは、あだ名や下の名前で呼んでいる。天野君も下の名前呼びに変えるべきだろう。
「はぁー、これだからがっつく童貞は」
「童貞じゃないんで~~~」
「ねっ、ねえ」
二人が言い争っていたが、私はその会話に割って入った。
「……優人」
「「…………」」
「天野君のこと、こういう風に、呼んでみよっかなって…」
言い出してなんだが、すごく恥ずかしくなってきた。
私はとっさに目を逸らし、斜め上を見ながらあははと嘘笑いした。
「あーはは、やっ、やっぱり、止めていいかな…はずかしい」
「…そっ、そうしてくれ、すげぇ、ビビる」
「俺もそうして欲しい~、天野のこと優人って呼ぶなら俺のことも零王って呼んでね」
天野君と紅陵さんは、仲が悪いのか良いのか、よく分からない。お互いのことをある程度分かっていそうだけど、それでもいがみ合う二人は、傍から見ていて面白いと思ってしまう。そうして三人で騒いでいると、いつの間にか人が増えていた。
「やあ、青狼、赤豹、そして…黒猫」
「青狼やめてください、恥ずかしいんで」
氷川さんだ。いつの間に来ていたんだなあ、と見ていると、氷川さんは私の顔を見てにっこり笑った。なんだろう。
「えー、『中央柳高校一年C組天野優人、口と口を触れ合わせる行為や相手の口内に舌を入れる行為、相手の体に過度に触れる行為など、恋人を思わせる行為を、同じく中央柳高校一年C組紫川鈴の合意無しに行った』と…。さあ、もうすぐ20時になるよ!」
「うわあああああ止めてください!!!!」
終わる、本当に、私の高校生活が終わる。
冷や汗を垂らしながら訴えたが、氷川さんはただただ笑っているだけだった。
もうどうだっていい。私がおかしいんだから。
いっそのこと、あそこで、渡来に、汚された方が良かったのかもしれない。
そうしたら、汚い自分なんかという思いがついて回って、天野君にあんな頭のおかしいことを言わなかっただろう。
天野君に迫った行為は、天野君のことも、紅陵さんのことも、裏切っている。
何が、いい友達になれたら、だ。過去の自分を蹴りたくなった。私は、天野君に、恋人としての役割を求めていたのか。こんなの最低じゃないか。紅陵さんのことも好きなのに。
こんなの最低な裏切りだ、消えてしまいたい。
「待てっ!!!!」
「ぐえっ」
突然体が止まり、思考もそれに伴って止まった。
お腹の辺りに強い力を感じ、私の口からは情けない声がとび出た。
「はあっ、はっ、はっ、…はっ、なに、おい、かけて、きたの」
「……おう」
私は喋るのもやっとなのに、天野君は息一つ切らしていない。体力の差にちょっぴり悔しくなった。
「ごっ、ごめんね、さっきはごめん、はあっ、ふふっ、気の迷いだよ」
「話を聞け」
「ううんっ、いいの、いいんだ、もういい、ごめんなさい、ごめっ、なさ、もう、やめて、ごめんなさいっ…」
きっと、振られる。
友達でいよう、とか、言われる。
天野君だって、気付いてしまっただろう。
だって、本当に傷付いていて慰めて欲しかったら、あんな強引な手段には出ないし、逃げ出すように走り出さない。
裏番と一緒なんてごめんだ、という言葉を聞いてショックを受けたりしない。
さっきはあれほどせがんだ抱擁なのに、今は、逃げ出したくて仕方なかった。
泣きながら暴れると、天野君の力がより強くなった。
「頼む、話を」
「おねがいっ、あまっ、の、くん、おねがい…っやだ、ききたくない、きっ、き、たく、なっ」
「ごめんって思ってんなら俺の話聞けよ!!」
強い口調で言われ、私は口を噤んだ。いつも私は自分勝手だ。
私は口を閉じて黙ろうとしたけれど、廊下には私のすすり泣きが響いた。どうしよう、泣き止めない。
「ごめっ、ごっ、めっ、ぅ、なっ、なくの、とっ、とっ、とまっ…」
「あー、ああ、くそっ、泣かすつもりじゃ………」
天野君は私を抱きしめたまま、強引に体の向きを変えさせた。天野君の胸に頭を押し付けられ、苦しくなるくらいぎゅうっと抱きしめられた。
「ん、う…」
「ほら、ぎゅってしてんぞ、…はあ」
「ぱー、かー、よごれる…」
「いいんだよ、これ岡崎のやつだから」
「そ、いう、もんだい…?」
天野君は私の背をとんとんと叩いてくれる。私がおそるおそる天野君の背に手を回すと、天野君は腕の力を強くしてくれた。
天野君に、迷惑をかけてしまった。
これから話されることは、聞かなきゃいけない。
怖い。渡来に抱きしめられた時より、ずっと怖い。
天野君が正体に気付いてるってこと、もっと早く知りたかった。それなら、こんな早とちりしなかった。渡来に迫られて怖かった、なんてお粗末な言い訳で言い寄らなかった。
「……あのな、さっき、振り払ったのは、自分が渡来と一緒みたいで嫌だったからだ」
「ちがうって、いった」
「そうだな、うん、そう言ってくれた。そんで、裏番と一緒なんてごめんっていうのは…」
天野君はそこで言葉をきると、言いづらいのか、喉でうーとうなり出した。
言っても、大丈夫。私が先にずるをしたから。報いは受けるから。
「…とにかくこれだけは言っとく。まず、その…お、おっ、俺は、その…とっ、友達以上?み、みたいなやつも、その…なりた、じゃなくて、えっと、なっても、いいかなーっつうか、あー…ね、ネガティブな感情は持ってない」
「……友達より、さきでも、いいの?」
聞こえてくる言葉は、私にとって心地よい言葉だ。親友のこと、言ってるのかな。自嘲気味な笑みを浮かべて顔を上げた瞬間、私はその考えが間違いだと分かった。
天野君が、真っ赤な顔で、照れながら、汗までかいて私のことを見ている。今、顔隠してるのに。
もしかして、もしかして、私にとって都合の良い方で捉えていいのだろうか。
「………俺は、お前に隠してることがある。裏番と一緒なんてごめんってのも、このことを言ってた。お前に好かれたくないって意味じゃない」
「………」
「今まで、何度も言おうと思った。でも、その度に、信じてもらえなかったらどうしようって思って、ずっと、言えなかったんだ。でも、…っ、今のお前なら、信じてくれなくても、俺のことを嫌いになるまではいかないと思う。すっげぇずるいけど、その隠し事を聞いて欲しい」
天野君が私に隠し事?一体なんだろう。
…でも、あまり気にならない。だって、天野君は、私のことを拒んでいない。そのことが嬉しくて、隠し事なんて構わなかった。
「………あのな、裏番についてなんだ」
「紅陵さんについて…」
「…お前、アイツに、………騙さ」
「あれ~泣いてんじゃん」
天野君が意を決して話そうとした瞬間、呑気な気の抜けた声が聞こえた。声の方を見ると、晴れ晴れとした顔をした紅陵さんがいた。遠藤さんから離れたからスッキリしているのだろうか。
「しまっ、た………クソッ…ああ……」
「どーしたのクロちゃん、天野にいじめられた?」
「い、いえ、あの…わっ!」
紅陵さんに見つかった瞬間、天野君の腕の力が強くなった。だというのに、紅陵さんはあっという間に天野君を引き剥がし、私を抱きしめた。
「ん、アイツにあんなことされて、怖かったでしょ」
「わっ…」
「俺で上書きしてあげる」
「え」
私はくいっと顔を上げられ、紅陵さんと至近距離で見つめ合うことになった。というか、上書きするって、まさかっ…。
きゅう、と目を瞑ったけれど、思ったような感覚は訪れなかった。
口を塞がれると、思ったのだけど。
そうっと目を開けると、意外な光景が目に飛び込んできた。
「このクソ野郎…」
「髪はずるいよ~」
天野君が紅陵さんの長い髪を鷲掴みにして引っ張り、紅陵さんは引き抜こうとする動きを阻止しつつにこにこ笑っている。髪を引っ張られたせいで、私から離れたらしい。
天野君は紅陵さんを怖がっていたはずじゃないだろうか。紅陵さん相手に、天野君がこんな風に喧嘩を売るなんて、そんなの、『リン』の時にしか見たことない。
「誰かが上書きしてあげなきゃかわいそうだろ?」
紅陵さんの言葉は天野君の琴線に触れたらしい。天野君は紅陵さんの腕を思いっきり蹴ってしまった。紅陵さんは手を離し、腕をさすりながらへらへらと笑っている。
「いって~酷いことすんのな~」
「天野君、流石にかわいそう…」
「こっち向け」
紅陵さんの方を見ていたから、私は天野君が何をしようとしているか気付かなかった。
声に従って振り向くと、天野君は、すぐ目の前にいた。
「…嫌なら殴れよ」
「えっ、な」
…びっくり、した。
さっき私が迫った時は、鼻と鼻が触れ合う距離だった。
でも、今は、
「ひゅ~チューしちゃった~!」
「黙ってろ」
天野君は紅陵さんを睨みつけて文句を言うと、また私の口を塞いだ。
ぽかん、としてしまって、抵抗以前の問題だった。自分がされていることの理解に、数秒、数十秒遅れる。
「ふ、あっ」
「…ん」
急に唇を舐められ、びくっと震えて後ずさろうとすると、後頭部と背中をがっちり固定された。嫌なら殴れって、そういう、意味だったのか。
天野君の後ろで、紅陵さんがにやにや笑って私を見ている。どういうことだろう。私は、紅陵さんに恋愛的な意味で好かれていると、思っていたのに。
人に見られながらするのって、すごく恥ずかしい。
渡来の時はそれどころじゃなかった。でも、今は、天野君と、紅陵さんがいる。
恥ずかしくて口を閉じていると、漸く天野君は口を離してくれた。
「はあっ、はっ、天野君…、もう、終わり、止めよ?うわ、上書き出来たから、だから」
「自分で口開くまでやってやる」
「んッ」
にや、っと天野君が笑って、また私の口を塞いだ。見たことの無い、顔だった。獲物を狙うみたいな、何、この顔。
どうしたらいいか分からなくなって、私はぺちぺちと胸の当たりを叩いた。すると、肩を抱いていた手が私の手を掴み、背に回させた。抱きしめてろって、ことなんだろうか。
困惑していると、学ランの下から背中のシャツを掴まれた。何するんだろう、とされるがままになっていると、天野君はシャツを上に引っ張った。いつもシャツはズボンにきちんと入れているから、今の動きで裾が出てしまった。
後でまた裾入れなきゃ、そういえばなんで引っ張ったのかなあ、と考えていると、シャツの下から手が入ってきた。
「あっ!? やっ、ぁ、あッ、う」
驚いて声を上げてしまい、その隙に舌を入れられた。何、何が起きてるの、あ、天野君って、いっつもすぐ真っ赤になるから、こんなこと、しないって…出来ないって思ってたのに。
「待っ、う、あまっ…ん、ンっ」
「天野ー、分かった、分かったよ、そろそろ止まろ。焚き付けたのは謝るよ、ごめん。クロちゃんのベロ溶けちゃう」
紅陵さんが申し訳なさそうに声をかけてくる。それでも、天野君は止まってくれなかった。合間合間で声をかけようとしても、全部塞がれる。顔を熱くしてうーうー言っていると、紅陵さんがあっ、と声を出した。
「そういや…」
「んっ、ん、ぅ」
「それ、渡来と間接キスだな!」
紅陵さんがそう言った瞬間、天野君が目にも止まらぬスピードで私から口を離した。
気持ちは分かるけど、軽いショックを受けてしまった。そうだ、天野君は間接キスを気にする人だった。
解放されたけど、何だか申し訳ない。
「ご、ごめんね、天野君…」
「………」
「天野君?」
こちらを向いた天野君は、耳も首も真っ赤っかだった。彼は斜め下を見ながら、ぼそっと呟いた。
「ぁ、謝るのは、お、俺…って、いうか、その、…ぃ、い…い……」
「い?」
「嫌なら殴れって、言ったのに…」
天野君はそう言うと、頭の後ろをがりがりとかいてうううと唸った。天野君は察しが良いときと悪いときの差がすごいなあ。
「うん、だから殴らなかったよ」
「……えっ、いや、でも、嫌がって…」
「そ、それは…天野君が、思ったより、ぐいぐいくるから…」
私が顔の熱を感じながら言うと、天野君は私よりずっと熱いだろう顔で下を向いた。
二人して真っ赤になっていると、にやにやと嬉しそうに笑っている紅陵さんが、私の肩を抱いた。天野君がすぐさまその手を叩き、紅陵さんを睨みつける。
「おいおい天野、お前豹変しすぎだろ。あれはキスってより捕食だ」
「うるせぇぶっ殺すぞ!!!」
「ねえ、天野君」
「なっ、なに…なんだよ……」
「豹変しすぎ」
「あ"!?」
一線を、完全に越えてしまった。
もう、友達じゃない。
自分の気持ちが、肯定されたみたいで、嬉しかった。紅陵さんがどうしてにこにこ笑って見ていたのは分からないけれど、彼はきっと私の気持ちを知っている。
二人のことが好きですとは、とても言えないけど、二人はきっと気付いている。
そう意識した瞬間、なんだか天野君を、天野君、と呼ぶことが、不思議なことに思えてきた。
天野君の本名は、天野優人。龍牙やクリミツは、あだ名や下の名前で呼んでいる。天野君も下の名前呼びに変えるべきだろう。
「はぁー、これだからがっつく童貞は」
「童貞じゃないんで~~~」
「ねっ、ねえ」
二人が言い争っていたが、私はその会話に割って入った。
「……優人」
「「…………」」
「天野君のこと、こういう風に、呼んでみよっかなって…」
言い出してなんだが、すごく恥ずかしくなってきた。
私はとっさに目を逸らし、斜め上を見ながらあははと嘘笑いした。
「あーはは、やっ、やっぱり、止めていいかな…はずかしい」
「…そっ、そうしてくれ、すげぇ、ビビる」
「俺もそうして欲しい~、天野のこと優人って呼ぶなら俺のことも零王って呼んでね」
天野君と紅陵さんは、仲が悪いのか良いのか、よく分からない。お互いのことをある程度分かっていそうだけど、それでもいがみ合う二人は、傍から見ていて面白いと思ってしまう。そうして三人で騒いでいると、いつの間にか人が増えていた。
「やあ、青狼、赤豹、そして…黒猫」
「青狼やめてください、恥ずかしいんで」
氷川さんだ。いつの間に来ていたんだなあ、と見ていると、氷川さんは私の顔を見てにっこり笑った。なんだろう。
「えー、『中央柳高校一年C組天野優人、口と口を触れ合わせる行為や相手の口内に舌を入れる行為、相手の体に過度に触れる行為など、恋人を思わせる行為を、同じく中央柳高校一年C組紫川鈴の合意無しに行った』と…。さあ、もうすぐ20時になるよ!」
「うわあああああ止めてください!!!!」
終わる、本当に、私の高校生活が終わる。
冷や汗を垂らしながら訴えたが、氷川さんはただただ笑っているだけだった。
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天野くん視点、読んでいてすごく楽しいです!
龍牙くんがあの状態の鈴ちゃんに恐怖に感じる理由、気になるなぁ👀
天野くんの恋、応援してるよ ҉*\(`•ω•´)/*҉
本当に面白いです!
無理なさらず、執筆活動頑張ってください!
感想ありがとうございます!
鈍感でツンデレな天野君と、少し抜けている優しい鈴ちゃんは中々なコンビじゃないでしょうか笑
天野君は恋を成就させられるのか…!?
拙文ですが読んでいただいて本当に嬉しいです!
更新頑張っていきます〜
初コメです!
いつも楽しく拝読させて頂いております(*^^*)
うーん…
最初は紅陵さん推しだったのですが、最近は正統派ツンデレっぷりを地でいく天野君推しです。
天野君と鈴ちゃんがくっついたら良いなぁ。
それで鈴ちゃんには幸せになって欲しい( ;∀;)
感想ありがとうございます!
お粗末な文章ですが、読んでいただけて幸いです
´`*
鈴ちゃんに思いを寄せる人物はたくさんいますからね…。推して頂ける登場人物がいるなんて、ありがとうございます!!
この話はハッピーエンドなので、鈴ちゃんは幸せになります✨
ぜひぜひ、彼らの恋物語を最後まで読んで頂けたらと思います!
鈴ちゃぁぁあぁぁあん!!!!
我慢しなくていいんだよ😢
龍牙くんに頼りなさい
(↑独り言)
ねこりんごさん、毎日更新お疲れ様です!
読んでいくうちに鈴ちゃんの狂った部分が垣間見えてきましたね!!
最初はこわっ!なんて思ってましたが、その後すぐ鈴ちゃんの過去から家族に執着するのもしょうがないよねって思いなおしました。
読み直したりストーリーが進むにつれ、鈴ちゃんの狂った部分のギャップ(?)に魅せられてしまい、どんどん鈴ちゃんの虜になってしまいます😍🤭鈴ちゃんLOVE!(((
毎日お昼が楽しみで、午前で削れた気力と体力をねこりんごさんのパワーで復活させています笑
ご無理なさらず、お身体に気をつけてくださいね
応援しています!
感想ありがとうございます!
鈴ちゃんは悩みを抱えがちな性格なので、誰かが助けてあげなきゃいけないですね…。
鈴ちゃんは人気者ですが、顔だけの評価が多いこともあり、家族への理想像が歪んでしまったんですよね…。
鈴ちゃんLoveですか、ありがとうございます!
拙い文ですが、つめさんの力になれているのなら幸いです!!
応援ありがとうございます。
完結に向けて、更新頑張ります!