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黒の帳 『一つ目の帳』

恐怖政治…?

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暫し遠藤さんと渡来のやり取りを見ていたが、私はとんでもないことを思い出した。


「龍牙っ!!!!」
「アイツは大丈夫だぞ。同クラの奴らがいてくれるはずだ」
「あっ、あ、そうなんだ…。でも、行ってくる」



龍牙は、あんなに泣いていた。
怯えていた。

早く行って、慰めないと。


私は来た道を引き返した。一人で行こうと思っていたのだが、私のすぐ後ろから天野君が着いてきた。

「天野君?」
「着いてく」
「じゃあ俺も」
「あかりちゃんは待ってて♡♡俺が頑張ってるとこ見て♡♡♡」
「…………う……」
「「……………」」

天野君が着いてくる、と言うと、紅陵さんも後を着いてきた。しかし遠藤さんに声をかけられてしまい、紅陵さんはしょんぼりしてしまった。

「天野君、紅陵さんについててあげて」
「は?何で俺が…」
「かわいそうでしょ?」
「そりゃそうだけど」
「じゃあお願いね」

私は天野君を言葉で押し切り、駆け足で道を戻った。

渡来に、されたこと。
ああいう目に遭ったら、人が、怖くなる。
身の回りの人が、全員怖くなる。
人に触れられること、近寄られることに、過剰に恐怖を抱くようになる。

なるべく人は少ない方がいい。

自分の経験から、そう思う。

私も同じ男だから拒絶されるかもしれない。それでも、龍牙を慰めたいという気持ちだけでも伝えたかった。

さっきの部屋まで戻ると、部屋の扉が外れてしまっていた。部屋の外にも、何人か人が倒れている。相当激しい争いになったらしい。

おそるおそる部屋を覗くと、壁際で体育座りをしている龍牙がいた。

他にも見覚えのあるクラスメイトや、二年の学年章を付けた生徒がいたが、私は彼らに声をかけず、そっと龍牙の傍まで近寄った。


「……龍牙」

声をかけると、龍牙の体がびくっと揺れた。しまった。顔は見えないが、きっと怖がらせてしまった。
こういうことの被害者には、もっと、温和で落ち着いた態度で接しなければならない。私は何をやってるんだ。

すう、と深呼吸をし、私は自分に出せる限りの優しい声で呼びかけた。

「ごめんね、怖かったよね」
「………」
「私が早く来たら良かった。そしたら、龍牙はあんな怖い目に遭わなかった。それに、私がちゃんとしてたら良かった。あそこで来たのがクリミツとか紅陵さんなら、龍牙にあんな怖いもの見せ」

「こわかったのは、鈴だろ」


龍牙に、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

冷静になれず飛び出したせいで、龍牙に付けなくてすむ傷を付けてしまった。

もう、太陽のようなあの笑顔は見られないのかもしれない。私が、汚してしまったから。

少しでも、謝りたい。私がやってしまったことだ。だから、たくさんの言葉を届けたかったのに、私の謝罪は前置きで遮られてしまった。

「ううん、怖かったのは龍牙だよ」
「ちがう」
「…ねえ、私はああいうことに慣れてるんだよ。でも、龍牙はあんな経験全く無いでしょ?龍牙は、私と違うんだよ。だから助けたかったのに、結局、龍牙のこと、傷つけて、本当にごめ」
「ちがうっつってんだろ、あほすず」

泣きそうな声で呟かれ、私は言葉を飲み込んでしまった。龍牙は体育座りで俯いたまま、私に顔を見せてくれない。

もしかしたら、怒ってるのかな。
龍牙の制止の声を無視して、あんなことをしたから。

龍牙は優しいから、自分の体をあんな風に使うなと、私に怒っているのかもしれない。

「………ごめんね」

もしそうなら、もう話しかけない方がいい。落ち着いてからまた声をかけよう。

でも、ここで黙って離れることだけは絶対してはいけない。それは、龍牙にいらない不安を与える。

「龍牙のことが、心配なんだ。それだけだよ」

それだけ言い残して、私は龍牙から離れた。龍牙は何も言ってこない。やっぱり、落ち着いてから話しかけよう。

私は龍牙に背を向け、部屋の中にいる見覚えのある一年生に話しかけた。

「田中君、須藤君、岡崎君…、何でここにいるの?」
「わあっ、鈴ちゃん!?」
「へっ、へ、紫川…?」
「すっ、鈴ちゃんこそ、おっ、俺たちの名前、なんで覚えてるの」
「えっ?同じクラスだから…」

名前を覚えているのはそんなに不思議なことだろうか。私は、たくさんの人と仲良くなりたい。だから覚えている。

それより、彼らがなぜここにいるか分からない。それを尋ねると、彼らは口々に答えた。

「……ぉ、俺ら、渡来先輩……いや、渡来に、こき使われててさ」
「そうそう、パシリみたいな扱いされてた。でも、紅陵先輩や氷川先輩…二年の勢力が強くなってきてさ?」
「裏番&番長は、渡来みたいな暴君じゃないから、俺達も早く二年側につきたかったんだよ。でも、そのタイミングが中々無くて…」
「それで、渡来の企みを利用させてもらったんだ」

なるほど。天野君は渡来に命令されて、嫌そうにしていた。皆が皆逃げ出そうとしていて、そのチャンスがこれだった、というわけだ。渡来の、企み…。

「………待って」
「ん?」


「龍牙を、餌にしたの?」


誰だ、そんな提案をした奴は。

誰も、反論しなかったのか。


私は今どんな表情で話しているんだろう。

三人は焦って、口々にわあわあと言い訳を始めた。まともな言い訳が出てくるか楽しみだ。


「……ちょっ、そ、そんな怒んなし」
「いやっ、俺たちは止めようって言ったんだよ」
「そうそう!でもめっちゃ主張してるやつがいて、そのせいで片桐が狙われて…」

「誰」

「だ、誰だっけ」
「分かんない…」

この話しぶりを見る限り、渡来自身が考案したというより、渡来にそう入れ知恵した輩がいるのだろう。

誰だろうな。
出来れば、一対一で話がしたい。


「……はあ、そう」
「キレすぎっしょ、ははっ、マジで根暗なのな」
「根暗のマジギレウケる」
「わぁ~根暗くんコワ~!」
「………好きに言ってください」

二年生にからかわれるが、知ったことか。私は別に、周りを怖がらせようとか、自分を見せてやろうと思って怒ったわけじゃない。気づいたら怒ってただけだ。小馬鹿にするような視線は、居心地が悪い。

無視して部屋を出ようとした瞬間、妙な会話が聞こえた。

「おいお前っ、これ見たらそんなこと言えねぇぞ~?」
「そうそう、キレ芸のウケる根暗だと思ったっしょ?でもあの根暗、実は…」
「あの、何話してるんですか?」

二年生がわいわいと部屋の隅で騒いでいる。様子がおかしいと感じた私は、その集まりに声をかけた。

「えー、一年にはカンケーないよ」
「じゃあ二年生の紅陵さんを呼んできます」
「はーいちょっと待っててね、そこで待っててね、呼んでこないでね」

紅陵さんを脅しに使ってしまうのは、狡い。分かっていても、私は口にしてしまった。
何だか、嫌な予感がするから。

「おい、どうすんだよ」
「俺に任せろ」
「馬鹿っ、それは」

『はあっ、はっ、ぁ……』

「「「「「わあああーーーッ!!!」」」」」

何か・・の音声が流れ、二年生たちはそれを聞かれないようにか大声を出した。しかし、そんなことをされても、私の耳にはしっかりと音声が届いていた。

さっきの、私の声だ。

渡来に組み敷かれている、私の声。


「……消してください」
「ヤダね」
「…私が写ってますよね、私の声も入ってますよね。消してください」
「やーだ、消さない」

堂々巡りにはさせない。

絶対、消してもらわなきゃダメだ。
自分の知らないところで、自分の動画…しかも、無理やりキスをされている動画なんて、絶対出回って欲しくない。

強い声で訴えたが、彼らは不満げに私を見ている。すんなりと了承は得られなさそうだ。

「私が嫌なんです。消してください」
「何で消さないとダメなの??」
「そうそう。消したら勿体ないよ」
「減るもんじゃねーし」
「ダメです、消してくださっ……」

頑なにそう言い続けていると、突然顔を掴まれた。口を挟むようにして手で顔を覆われ、私は突然のことに暫し固まってしまった。

「ん、んっ…」
「今すぐこの動画の続き撮ってもいいんだけど」
「あんまり生意気言わない方がいいよ」
「裏番と番長こき使いまくって気持ち良いかもしんねぇけど、こーやってされたら誰も助けてくんねぇよなぁ!そもそもお前は顔だけのビッチだって話」

二年生が、突然怒った。いや、突然ではなく、本当はずっとイライラしていたのかもしれない。私の言動が生意気だったのだろう。でも、でも、その動画は、絶対消して欲しい。

…龍牙のことがあったからって、怒りに任せてしまった。思えば、さっきは失礼な態度だった。

紅陵さんや天野君、龍牙に遠藤君、優しい人と話していて、すっかり忘れていた。彼らは不良であること。不良さんには色々な種類の人がいるということを。本来は下手に出なければならない相手だ。

「…すみませんでした」
「謝りゃいいってワケじゃないんだよね~」
「そうそう、俺らムカついてんの」
「お詫び出来るよね?」
「おわ、び……あっ!」

顔を掴んでいた手が離れたかと思うと、力強くどん、と肩を押された。私は押された方向に勢いよく倒れてしまった。
倒れたところが丁度マットで痛くなかったけれど、これは、この、状況は、かなり危ないんじゃないだろうか。



「鈴ー」
「やっぱ心配だから来た」
「あかりちゃーーーんふふふッ♡♡♡♡」

とある、三人の声が聞こえた。

ついさっき話していた、天野君、紅陵さん、遠藤さんだ。遠藤さんは紅陵さんの腰に抱きついて移動し、紅陵さんは何も無いかのように振舞っている。

私の動画を持っている二年生たちが、分かりやすく動揺した。

「倒れたのか?ん、ほら」
「…ありがとう」

天野君が手を差し伸べてくれる、私はすぐさまその手を握り、立ち上がらせてもらった。

動画を消して欲しい。アレが出回ったら、どれだけ厄介なことになるか。学外にまで回ってしまったら、雅弘さんにもバレるかもしれない。もしそうなれば…考えたくない。

私の顔を覗き込み、紅陵さんが首を傾げた。

目の前の二年生の集団が、肩をふるわせている。私のことを睨む人もいれば、頼む、頼む!と言いたげな目で見る人もいる。

私が今ここで何か言うだけで、目の前の人たちがどうなるか決まってしまう。

さっき金属バットを全力で振り下ろそうとした人間がいるんだから、慎重にならなければいけない。

「あの……」
「あ、そうだ。お前ら動画消した?」

しかし、私が何か言うまでもなく、紅陵さんが質問をした。その瞬間二年生全員がびくっと体を揺らした。どうして動画のことを知っているんだろう。不思議に思って見上げると、紅陵さんが説明してくれた。

「ビデオ通話してくれた奴がいたんだよ。だから俺、この部屋で起こったこと知ってんの。コイツらが動画撮ってたことも、クロちゃんと金髪がどんな風に襲われたのか、ってことも」
「ああ、そうだったんですか…」

思い返せば、あの時は数人が携帯を構えていた。あの中にビデオ通話をしている人が混ざっていても、分からないだろう。

「んで、動画消した?」
「まっ、ま、まだ消してないよ」
「そっか、すぐ消せ」
「え、ええ~、何で?結構良いズリネタなりそうなんだけど~、つか、減るもんじゃないし~?」
「そうそう!素人AVって感じでエロいっつーか」

紅陵さんは二回もお願いしてくれたのに、二年生は色々なことを話して逃れようとする。言いたい放題すぎないだろうか。…というか、私の動画なんかより、インターネットに溢れている動画の方が絶対良い。な、何が、素人な感じが良い、だ。

「お願いします、消してください」
「は~今裏番と喋ってんだけど、お前じゃないんだけど」
「うっせーんだよ黙ってろ」
「お前顔だけだけどエロ」
「アッシーくんバットォ!!!」
「はいっ♡♡♡♡」
「「「サーセン!!!!」」」

紅陵さんが大声で叫ぶと、遠藤さんがすぐさま先程の金属バットを差し出した。
二年生はバットを手にした紅陵さんを見るなりすぐさま謝った。

力押しでいいんだろうか。力押しでしか言うことを聞いてもらえなさそうだったけれど、こうして紅陵さんに手伝ってもらうことで、また私は恨まれるんだろう。
二年生が紅陵さんに気付かれないように私を睨んでくる。紅陵を使っていい気になるなよ、と思っていそうだ。

「…ちぇー、美人なのに」
「久々面白いの撮れたと思ったのに」
「それなー」

二年生たちは携帯を操作しながらぶつぶつ文句を言っている。その様子を見てか、紅陵さんが二年生に近付いた。もしかしてまだ脅す気なのか。

しかし、私の予想は外れた。紅陵さんは二年生の二人の肩を組み、もたれかかって喋っている。
話の内容は、あまりよく聞こえない。

「まあまあお前ら、アレは消せって言わなかっただろ?」
「アレって…?」
「ああ、アレか…」
「うんっ、零王が消さなくてイイ、って」
「そう、俺のえっちぃやつ。それで手ぇ打ってくんね?俺のエロいやつなら激レアっしょ?」
「だっ、ぇ、っえ、ど、動画って、どんなの…?」
「……見たい?動画ってのはね、俺が___されて____」

紅陵さんは二年生への距離が近いし、なんなら肩にある手が二年生をするすると撫でている気がする。肩を組んでいる相手は、特に私を睨みつけていた二人だ。何か説得でもしているんだろうか。紅陵さんを入れて輪になっている二年生、その何人かの顔だって赤い気がする。一体何の話だ。

いつの間にか隣にいた遠藤さんまで顔を赤くし、そわそわしている。

「何で顔赤いんですか?」
「そっ、そりゃあ…まあ……、キミは知らなくていい、話、つーか…俺の彼ピの話っつーかぁ…」
「…本当にお付き合いしてるんですか?」
「失礼だな!あかりちゃんに呼ばれたらいつ何時でも駆けつけ、あかりちゃんのご要望は全て聞き、そうしてあかりちゃんから極、極たまにご褒美をもらう!尽くし尽くされのこの関係に名前をつけるなら、恋人でしょ!!さっきだって俺の・・バットを握って…ふふふふふ♡」

そう言いきられ、私は苦笑いしてしまった。なるほど、そういう勘違いか。紅陵さんの死んだ顔を思い出し、私は色々と納得した。

「交渉終わり~。これでクロちゃんには手ぇ出さないよ」
「お帰りあかりちゃんっ♡♡」

紅陵さんが帰ってきて、遠藤さんが顔を輝かせた。交渉?私のためにそんなことまでしてくれたんだ。

二年生はどうしているだろう、と様子を窺うと、なぜか皆が顔を赤くし、そわそわしながら何やら話していた。

「紅陵さん…?」
「んー、なあに?ふふ」

紅陵さんはこてんと首を傾げたが、何となく、気のせいかもしれないが、いつもより色気がある気がする。

「えっちなお姉さんっていいよね」
「…た、確かにいいですけど、どういうことです?」
「ふふ………うっわ、きったね」

紅陵さんが急に顔を顰め、私は紅陵さんの目線の先を追った。

遠藤さんがぼたぼたと鼻血を垂らしている。

「大丈夫ですか!?」
「き、きったねとか、言わないで……んふふふ♡♡」
「出血多量で死ね」
「死因はあかりちゃん♡♡♡」

遠藤さんが血まみれの笑顔で答えると、またしても紅陵さんは顔を両手で覆ってしまうのだった。
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