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黒の帳 『一つ目の帳』
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突然現れ去っていった武内先生、嵐のように現れそして去っていった紅陵さん、俊敏に逃げ出していった龍牙…。
呆然としていると、肩をぽんぽんと叩かれた。
「…大丈夫か」
「うん、ありがとう」
そうだ、天野君も不良さんだけど、龍牙と違って体力テストは真面目にやったから、武内先生に何も言われないんだ。武内先生はきっと不良さん皆を怒りたいだろうけど、今は手が回らないんだろう。
天野君は私の前の椅子の向きを変え、すとんと座った。私が見ていると、天野君は不思議そうに机の上を指さした。
「…昼メシ、食わねぇの?」
「あ、食べるよ」
私が席につくと、天野君は当然のように紅陵さんが置いていった菓子パンの袋を開けた。
「えっ!」
「迷惑料だ。昼メシ買いに行くのめんどいし」
「…もう」
天野君は困惑する私に目もくれず、もぐもぐとあんぱんを食べ始めた。紅陵さんが食べ物を取られた時、どうなってしまうか分からない。あそこまでの甘党かつ自由奔放なところを見る限り、もしかしたらとんでもない怒り方をするかもしれない。
ちょっぴり怖くなった私は、クロワッサンに手を伸ばした。
「私も食べちゃお」
「…あ?」
「私が食べましたって言ったら、紅陵さんも怒らないかなーって」
「……ふっ、悪だな」
天野君がふっと微笑み、私はついじっと見てしまった。
「……なんだよ」
「天野君って不機嫌な顔ばっかりだから、その、つい見ちゃった…みたいな?」
「…そうかよ」
天野君はぽつりと返事をすると、またあんぱんを食べ始めた。美味しそうに食べるなあと眺めていると、周りの会話が耳に入ってきた。
「怖かったぁ…」
「裏番やべぇ…こう、気迫が…な」
「俺鈴ちゃんに貢ぐの止めとこ。殺されたくない」
「…俺もそうしよっかな」
紅陵さんのおかげだろう。さっきまで誕生日という単語にざわついていた人たちが、あんなことを言っている。
プレゼントなんて、中学生の時はろくなことが起きなかったから、この流れになって本当に良かった。さっきの龍牙との会話で、スニーカーや腕時計なんて単語が聞こえてきたから、冷や汗が止まらなかった。
そんなのいらないです。お祝いしてもらえるなら、言葉だけで十分です。
「……さっきの、メンチカツ」
「ん?」
「…美味かった」
「そっか、ありがとう」
紅陵さんから横取りしたおかずのことだ。冷凍食品ばかり、とは言ったけど、何個か自分で料理したものも混ざっている。メンチカツはその一つだから、褒められると純粋に嬉しくなる。
あんぱんを食べ終えた天野君は、私の方をじっと見ている。その視線の意図が分からなくて首を傾げると、天野君はそっぽを向いた。
「前に食べたことがある気がする」
「気のせいだと思うよ」
咄嗟に返したけれど、私は内心穏やかではなかった。
さっき紅陵さんに膝の上に乗せられ、保健室でのことを思い出した。
あの時、『リン』として天野君とお昼を食べたんだ。その時に食べさせたのがメンチカツだった気がする。勿論、今日の物と同じく、自分で料理したものだ。
仮に天野君があの日の味を覚えていたとして、どうして私にそれを言ってくるんだろう。
「私が自分で作ったんだから、似てるわけないでしょ」
「同じ味だと思う」
「気のせいだよ」
私が否定すると、天野君は私の顔をじっと見てきた。顔というよりは、前髪越しに目を見ている気がする。
まさかとは思うけど、私の素顔に察しがついたのだろうか。
「お前、俺に何か隠しっ………」
「もう一個どうぞ」
天野君にこれ以上喋られると、私は多分答えられなくなる。そう判断した私は、メンチカツを天野君の口に突っ込んだ。おかずを全部あげちゃったけど、もういいや。
天野君は口をもぐもぐと動かしながら、私のことを眉間に皺を寄せて見てきた。話を中断させたことに怒っているらしい。
「………」
「美味しい?」
「………ん」
天野君は眉間に皺を寄せていたけど、こくんと頷いてくれた。食べながら喋らないお行儀の良さも、答えてくれる律儀さも素敵だ。
お弁当を広げてから、一度も食べていない。お腹がすいているから、私も早くお弁当を食べてしまおう。そう思ってほうれん草のおひたしを口に運ぼうとすると、天野君が目を見開いた。
「ん、どうしたの?」
「……や、あー、何でもない」
変なことがあっただろうか、と手元を見たけど、何も無い。強いて言うなら、箸が天野君に差し出した物と一緒なわけで…。
「…間接キス?」
「ン"うっ」
「どこから声出てるの」
こんなぱっとしない人間に、そんな意識を持つだろうか。
意外と純情なところが可愛いと思ったけれど、口に出したら間違いなく怒られてしまうだろう。
そういえば、紅陵さんにあーんをするのはすごく恥ずかしかったけれど、天野君には難無く出来た。やっぱり天野君のことが好きかもしれないなんて気のせいだ。
それに、私は天野君に嘘をついている。
そして、私の勘が正しければ、その嘘はもうすぐバレる。嘘がバレたら、天野君との距離は間違いなく遠くなるだろう。
天野君とこんな時間が過ごせるのは、あとどれくらいだろう。
今までに過ごしたことの無いタイプの人だったから、楽しかった。私がここまで姑息な人間でなければ、長く良い友人関係が築けたのだろうか。でも、私の素顔を初対面で見ていたら、天野君は私を遠巻きにする不良さんたちの一人になっていたのかもしれない。
嫌われるのも、友達が減るのも、慣れているけど、いつもその瞬間が怖い。
クリミツのように豹変する子もいる。だから、この時間がどれだけ穏和でも、天野君の態度がどれだけ柔和でも、安心してはいけない。
天野君は、どんな風に私を拒絶するんだろう。
咄嗟に手が出るような人だから、やっぱり、殴られるのかな。もし襲われたらどうにか逃げ切らなきゃいけない。いや、騙したんだから、報いは受けるべきだろう。もしかしたら天野君の先輩…渡来さんに差し出されるかもしれない。
いつもより罪悪感が重く伸し掛かる。
中学生の時とは違う。今まで言い寄ってきた人たちは、私の外面だけを見て擦り寄ってきたけれど、天野君は違う。顔を隠している私にだって、こんなに仲良くしてくれた。
天野君がするのは、逆恨みじゃない。
私が騙したんだから、報復や仕返しは当然の行動だろう。
天野君は優しいけれど、聖人君子なんていない。こんな騙し方をされたらどんな人だって相手を嫌う。恋心を弄んで嘘をつくような最低な人間なんて、誰だってごめんだろう。しかもその動機は自己保身。こんな身勝手な人間がいるだろうか。
当然のことだと分かっていながら縋る自分が、情けない。
バレても、友達でいてくれないかな、と、縋っている。
自分にとって都合の良い馬鹿なことばかり考えながら、私はまた菓子パンに手を伸ばした。
呆然としていると、肩をぽんぽんと叩かれた。
「…大丈夫か」
「うん、ありがとう」
そうだ、天野君も不良さんだけど、龍牙と違って体力テストは真面目にやったから、武内先生に何も言われないんだ。武内先生はきっと不良さん皆を怒りたいだろうけど、今は手が回らないんだろう。
天野君は私の前の椅子の向きを変え、すとんと座った。私が見ていると、天野君は不思議そうに机の上を指さした。
「…昼メシ、食わねぇの?」
「あ、食べるよ」
私が席につくと、天野君は当然のように紅陵さんが置いていった菓子パンの袋を開けた。
「えっ!」
「迷惑料だ。昼メシ買いに行くのめんどいし」
「…もう」
天野君は困惑する私に目もくれず、もぐもぐとあんぱんを食べ始めた。紅陵さんが食べ物を取られた時、どうなってしまうか分からない。あそこまでの甘党かつ自由奔放なところを見る限り、もしかしたらとんでもない怒り方をするかもしれない。
ちょっぴり怖くなった私は、クロワッサンに手を伸ばした。
「私も食べちゃお」
「…あ?」
「私が食べましたって言ったら、紅陵さんも怒らないかなーって」
「……ふっ、悪だな」
天野君がふっと微笑み、私はついじっと見てしまった。
「……なんだよ」
「天野君って不機嫌な顔ばっかりだから、その、つい見ちゃった…みたいな?」
「…そうかよ」
天野君はぽつりと返事をすると、またあんぱんを食べ始めた。美味しそうに食べるなあと眺めていると、周りの会話が耳に入ってきた。
「怖かったぁ…」
「裏番やべぇ…こう、気迫が…な」
「俺鈴ちゃんに貢ぐの止めとこ。殺されたくない」
「…俺もそうしよっかな」
紅陵さんのおかげだろう。さっきまで誕生日という単語にざわついていた人たちが、あんなことを言っている。
プレゼントなんて、中学生の時はろくなことが起きなかったから、この流れになって本当に良かった。さっきの龍牙との会話で、スニーカーや腕時計なんて単語が聞こえてきたから、冷や汗が止まらなかった。
そんなのいらないです。お祝いしてもらえるなら、言葉だけで十分です。
「……さっきの、メンチカツ」
「ん?」
「…美味かった」
「そっか、ありがとう」
紅陵さんから横取りしたおかずのことだ。冷凍食品ばかり、とは言ったけど、何個か自分で料理したものも混ざっている。メンチカツはその一つだから、褒められると純粋に嬉しくなる。
あんぱんを食べ終えた天野君は、私の方をじっと見ている。その視線の意図が分からなくて首を傾げると、天野君はそっぽを向いた。
「前に食べたことがある気がする」
「気のせいだと思うよ」
咄嗟に返したけれど、私は内心穏やかではなかった。
さっき紅陵さんに膝の上に乗せられ、保健室でのことを思い出した。
あの時、『リン』として天野君とお昼を食べたんだ。その時に食べさせたのがメンチカツだった気がする。勿論、今日の物と同じく、自分で料理したものだ。
仮に天野君があの日の味を覚えていたとして、どうして私にそれを言ってくるんだろう。
「私が自分で作ったんだから、似てるわけないでしょ」
「同じ味だと思う」
「気のせいだよ」
私が否定すると、天野君は私の顔をじっと見てきた。顔というよりは、前髪越しに目を見ている気がする。
まさかとは思うけど、私の素顔に察しがついたのだろうか。
「お前、俺に何か隠しっ………」
「もう一個どうぞ」
天野君にこれ以上喋られると、私は多分答えられなくなる。そう判断した私は、メンチカツを天野君の口に突っ込んだ。おかずを全部あげちゃったけど、もういいや。
天野君は口をもぐもぐと動かしながら、私のことを眉間に皺を寄せて見てきた。話を中断させたことに怒っているらしい。
「………」
「美味しい?」
「………ん」
天野君は眉間に皺を寄せていたけど、こくんと頷いてくれた。食べながら喋らないお行儀の良さも、答えてくれる律儀さも素敵だ。
お弁当を広げてから、一度も食べていない。お腹がすいているから、私も早くお弁当を食べてしまおう。そう思ってほうれん草のおひたしを口に運ぼうとすると、天野君が目を見開いた。
「ん、どうしたの?」
「……や、あー、何でもない」
変なことがあっただろうか、と手元を見たけど、何も無い。強いて言うなら、箸が天野君に差し出した物と一緒なわけで…。
「…間接キス?」
「ン"うっ」
「どこから声出てるの」
こんなぱっとしない人間に、そんな意識を持つだろうか。
意外と純情なところが可愛いと思ったけれど、口に出したら間違いなく怒られてしまうだろう。
そういえば、紅陵さんにあーんをするのはすごく恥ずかしかったけれど、天野君には難無く出来た。やっぱり天野君のことが好きかもしれないなんて気のせいだ。
それに、私は天野君に嘘をついている。
そして、私の勘が正しければ、その嘘はもうすぐバレる。嘘がバレたら、天野君との距離は間違いなく遠くなるだろう。
天野君とこんな時間が過ごせるのは、あとどれくらいだろう。
今までに過ごしたことの無いタイプの人だったから、楽しかった。私がここまで姑息な人間でなければ、長く良い友人関係が築けたのだろうか。でも、私の素顔を初対面で見ていたら、天野君は私を遠巻きにする不良さんたちの一人になっていたのかもしれない。
嫌われるのも、友達が減るのも、慣れているけど、いつもその瞬間が怖い。
クリミツのように豹変する子もいる。だから、この時間がどれだけ穏和でも、天野君の態度がどれだけ柔和でも、安心してはいけない。
天野君は、どんな風に私を拒絶するんだろう。
咄嗟に手が出るような人だから、やっぱり、殴られるのかな。もし襲われたらどうにか逃げ切らなきゃいけない。いや、騙したんだから、報いは受けるべきだろう。もしかしたら天野君の先輩…渡来さんに差し出されるかもしれない。
いつもより罪悪感が重く伸し掛かる。
中学生の時とは違う。今まで言い寄ってきた人たちは、私の外面だけを見て擦り寄ってきたけれど、天野君は違う。顔を隠している私にだって、こんなに仲良くしてくれた。
天野君がするのは、逆恨みじゃない。
私が騙したんだから、報復や仕返しは当然の行動だろう。
天野君は優しいけれど、聖人君子なんていない。こんな騙し方をされたらどんな人だって相手を嫌う。恋心を弄んで嘘をつくような最低な人間なんて、誰だってごめんだろう。しかもその動機は自己保身。こんな身勝手な人間がいるだろうか。
当然のことだと分かっていながら縋る自分が、情けない。
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