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黒の帳 『一つ目の帳』

+ 天野視点『汲み取ってくれる友達』

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俺は裏番が去っていった方を惚けて見ていた。

だって、人前で、キスだぞ?

…いや、そうじゃないな。
鈴にキスしやがったんだ。

とにかく、真っ赤になってボーッとしているこの鈴をどうにかしなくてはならない。

「す、鈴、大丈夫か。裏番にあんなことされて気分悪いよな、そうだろ?」

…そんなわけないだろう。
自分で聞いておいて、俺はそんなことを思う。

この赤い顔を見れば、誰だって、照れてるだけだと分かる。それでも、言って欲しかった。人前でありえない、だとか、あんなの最低、だとか、そういう言葉。

「…え、えっと、私、は…」

でも、鈴は恥ずかしそうに戸惑うだけだった。
どう言ったらいいのか分からないようで、ぱくぱくと開かれる口は金魚のようで、間抜けな顔だ。…この顔嫌いだ。

「………ああそうかよ」


素っ気なく言い、鈴から離れる。
クソ、ああ…ムカつく。

もやもやと渦巻くこれの正体は、分かりきっている。

…こんなの、今からの体育で全部ぶっ飛ばしてやる。それでスッキリすればいいんだ。この感情も、片桐も、裏番も、体を動かせばどうにかなる。スポーツならアイツの暴力も発揮されないだろう。
片桐と裏番はスポーツでボッコボコにしてやる。



鈴を置いて体育館に入った時、知らない生徒たちが俺のことを見てきた。そいつらは五、六人のグループで何やらコソコソと話している。

「ねえ、あれ見てよ」
「髪やばくね?自己主張強すぎかよ」
「あの色、後悔してないのかな」

…アイツらうるせぇ。
この髪のどこがおかしいんだ。カッコイイだろ。茶髪とか金髪はよく居るし、オールバックとかもよく居る。俺はそういう奴らと被るのが嫌だからこうしただけだ。

あの話している奴らは、恐らく二年生だ。奴らは見覚えが無いし、二年と一年の合同授業だからな。

二年生は番長、裏番側の人間が多い。騒動を起こすのはマズイ。かなりムカつくが、ここは大人になろう。無視するんだ。

「そんなことないでしょ?なんたって、“青狼”なんだから…ふふっ」
「おい!」

青狼。俺の一番嫌いなあだ名だ。中二病感満載で恥ずかしくて仕方ない。言われることは諦めているが、笑われることは耐えられない。

二年生とはいえ、年が一つ違うだけだ。見たところ、全員細いし、喧嘩慣れしてなさそうだ。少しくらい痛い目を見させたって、バチは当たらないだろう。

俺は周りの人間を確認した。懸念材料はさっきの体育教師だ。裏番を叱るほどの先公だからな。警戒しておかないと、面倒なことになる。

周りに、あの先公はいない。丁度良い。

「なあにー?」
「どったの青狼クン……ふふっ」
「殺す」

奴らに向かって歩き出す。だが俺の行動は、大きな腕に遮られた。

「ちょーっと待った」
「………何でテメェが出てくるんだ」

俺を止めたのは、裏番だった。
苛立ちのあまり、俺は裏番の恐ろしさも忘れ、睨みつけた。

「そりゃあ勿論」
「零王!!」
「零王、このダサい一年が僕たちのこと殴ろうとしてきたのっ」
「ボッコボコにしてよ♡」

裏番が口を開いた途端、先程の二年生が裏番に纒わり付いた。ある者は腕を掴み、ある者は腰に抱きついたりと、やりたい放題だ。裏番はモテるという俺の推測は間違っていなかったらしい。

「んー、そうしたいのはやまやまなんだけどね。今はその時じゃないからな、許してくれ」
「もう零王ってば…」
「れーおーくんっ、今日こそデートしよーね!」
「可愛いなあお前は♡」
「ちょっと、マサルばっかりズルい~!」

二年生と裏番はくすくす笑い、堂々とイチャつきだした。

要するに、あれだ。

裏番と仲が良いから、裏番が守りに来たんだ。だが、この場合の仲が良い、とは、特別な意味を持つ。

恋人とか、そういう意味。

「…おい」
「れーおー!」
「なーあーにー♡」
「聞け!!」
「何だよ」

裏番が俺の方を向く。その瞳はやはり冷たく、暗い。二年生に向けていた顔とは全く違う顔だ。

そしてその瞳は、見覚えがある。

朝、鈴を口説いていた時の顔だ。

コイツ、鈴を好きなだけ弄んで、見られてないところでは自分の本命たちとイチャイチャするってわけかよ。

心底腹が立つ。

「……お前、鈴のこと気に入ってたんじゃねぇのかよ」
「お、そう見える?だったら大成功だ」
「テメェ…やっぱり騙してやがったな」

俺の予想は大当たりだったらしい。このチャラ男は鈴を遊ぶだけ遊んだらどうするつもりなんだ。こんな、こんなクズ野郎に鈴が惚れてるってことが信じられない。奴の本性を知らないから、ということは分かっているが、それにしたってこれは無いだろう。

「零王くんが遊ぶのはいつものことだけどお、僕たちに構ってくれなくなるのは寂しいよね~」
「そーそー、痛い目見るのが楽しみだなあ。だって、ああいう顔だけの男ってんぐっ」
「お口チャック。喋りすぎだ」

二年生が何か喋っていたが、裏番が口を塞いだせいで聞き取れなかった。

「なあ、今なんて」
「紅陵!風紀を乱すな!!!」

空気を震わすビリビリとした大声が響いた。馬鹿デカい声の主は、体育教師だった。戻ってきやがったか。

確かに先公の言う通り、二年生が裏番に引っ付いているこの光景は、とてもじゃないが健全とは言えない。

「俺何もしてないんだけど!?」
「言い訳をするな、授業始めるから集まれ!」
「へっ、ざまあみろ」
「お前もだ、そこの青いの」

ぞんざいな扱いに口端がピクリと引きつった。だが、相手は口うるさそうな先公だ。騒いで反感を買う必要は無いだろう。

裏番は唇を尖らせ、文句を言いながら渋々歩いていった。俺も裏番に倣って適当な場所に集まった。

C組の雑魚や二年生たちは、少しバラツキはあるものの、大人しく集まっている。それほどあの体育教師が厄介なのだろう。見れば見るほど見事なガタイだ。ま、裏番には劣るな。舐められても仕方ない。


話が始まるのを待っていると、C組の雑魚共の雑談が聞こえてきた。目の前の二人が何やら話し込んでいる。

「…授業何すんのかなー」
「ぜってースポーツっしょ。チーム戦で鈴ちゃん誘おうぜ」
「金髪と青いのどうすんだよ。アイツらどうにかしなきゃ紫川に近づけないだろ」
「それは上手く出し抜く的な~」

ニヤつきながら話をするソイツらの姿にムカつき、俺は牽制の意味も込めて肩を思いっきり叩いた。

「い"って!!」
「誰が誰を出し抜くんだ?」
「天野っ!?」
「うっ、うっせぇな!」

不満を言いつつ手を出してこないのを見るあたり、コイツらの雑魚さが窺えるというものだ。
鼻で笑うと、二人が眉間に皺を寄せる。だが、手を出してこない。
雑魚、雑魚だな、雑魚すぎる。

…まあ、雑魚相手にイキっても仕方ないな。
俺が勝たなければいけないのは、裏番…紅陵零王なのだから。

「お前ら集まったなー?今日は体力テストだ」
「「「えーーー!?」」」
「バスケじゃないんすか!?」
「卓球は!?」
「バレーボールはー?」
「やかましいっ!教師の言うことくらい聞かんか!!」
「ちぇー」
「つまんね」

授業内容は興味が無い。だが、スポーツじゃねぇとはどういうことだ。騒ぐのはガキっぽいから口を噤んでいるものの、俺も文句を言いたくて仕方ない。

「記録用紙とタイマーはここに置いておく。握力と上体起こし、長座体前屈に…反復横跳び、それから立ち幅跳び。今日はこの五つの項目をやってもらうからな。終わったらここに入れとけ。サボったやつは放課後呼び出しだ。それじゃ、適当にグループ組んで測定始めろ」

なんつー適当な説明だ。それぞれのやり方の説明無しかよ。先公は粗末な説明を終えると、先公の部屋的な場所に入っていった。

よし、先公はこの場にいないことが多そうだ。だったら暴れても大丈夫だな。

だが、放課後の呼び出しは食らいたくない。行かなければいい話だが、あの先公なら次の日絶対捕まえに来るだろう。面倒なことになるくらいなら、今面倒なことをやっておくべきだ。


体力テストをやろうと意気込んだはいいものの、俺が組んでもいいと思える奴は二人しかいない。片桐と鈴だ。コイツらを探すか。
片桐の金髪ロン毛はめちゃめちゃ目立つので、すぐに分かった。

「龍牙、何からする?」
「腹筋!」
「上体起こしだね、分かった」
「おい待て」

まあ、確かに、二人一組でやった方がやりやすいし、効率もいいだろう。だが、片桐と鈴の、二人でやろうとする姿を見た途端、俺は声をかけずにはいられなかった。

別に、片桐や鈴とやらなきゃいけないわけじゃない。適当な奴を捕まえて、適当に終わらせてもいい。それでも声をかけたのは何故か。

それは、こちらを睨みつける片桐を見て、何となく理解した。
俺は、鈴と過ごしたいのか。

「俺もやる。鈴、俺の足押さえてろ」
「おいおい、お前は紅陵先輩とでも組んでろよ」
「それはこっちのセリフだ。大体片桐、お前はな、いっつもいっつも鈴の傍にいるだろ」
「それが何なんだよ」
「ガキか。お前は」
「ガキですけどー?未成年ですけどー?」
「そういう意味じゃねぇよ!」

くだらない言い争い。いつもならこんな奴は殴って黙らせる。だが、それは鈴が嫌がる。
なんとか暴力を使わずに解決したいが、俺は口が達者ではない。

こめかみに青筋を立てて睨みつけていると、近くにいる雑魚の会話が聞こえた。

「…うわ、見ろよアレ」
「鈴ちゃんヤバすぎっしょ。裏番とデキてんのかよ」

何だか会話の内容が不穏だ。
不審に思った俺が鈴の方を見たのは、片桐とほぼ同時だった。

「俺タイマー持ってきたから、あっちでやろっか♡」
「はい!」

見えたのは、裏番に、とことこと雛鳥のように着いていく鈴の姿だった。

「「待てえーーーーッッ!!!」」

二人揃って大声を出すと、裏番は足を止め、鈴がこちらを振り向いた。どうして声をかけられたのか分かっていない、その間抜け顔がムカつく。

「どうしたの、二人でやるんじゃないの?」
「「誰がコイツとやるかよ!!」」

いつの間にそういう話になったんだよ。俺らは一言もそんなこと言ってねぇぞ。

「ほーらクロちゃん。アイツら仲良さそうだし、俺らは俺らでやろうぜ」

裏番は鈴に見られていないのをいい事に、演技を止めた。貼り付けたような笑顔を止め、無表情で鈴に語りかけている。

「鈴、裏番は止めとけ!」
「天野より紅陵先輩より、俺とやろうぜ!」

その姿に、反射的に俺たちは叫んだ。
あんなクソ野郎を鈴に近づけたくない。今すぐこっちに戻ってきて欲しい。

そういった思いからの言葉だったが、それは悪手だったらしい。


片桐は裏番と言い合っていて気づいていないが、俺は気づいた。
鈴が、無表情になっていることに。

きっとこの状況が嫌で仕方ないのだろう。大人しいアイツは、大騒ぎする不良をどう思うだろうか。
裏番と片桐は口論に夢中で気づいていない。俺はため息をついて鈴の元に向かった。

俺がしたいことは、鈴から裏番を遠ざけることだ。俺が鈴の隣にいることが一番望ましいが、その争いで鈴に悪感情を抱かせるのは本末転倒というもの。

ここは、引くべきだ。

片桐に譲るのは腹立たしいが、鈴の意思を尊重しようじゃないか。誰だって、自分抜きで話が進むのは嫌だもんな。

「おい、鈴」
「何」

なあに、といういつもの柔らかい声じゃない。ぶっきらぼうに言葉を紡ぐその姿は、いつもの気遣いが出来る明るい姿と違って、少し得をした気分になった。冷たい対応をされているというのに、変だな。

「あー、ダチの片桐か、裏番か、どっちか選んだらどうだ?」
「何それ」
「分かったからそんな顔すんなって、騒いだのは悪かったよ。俺が抜ければ少しは静かになるだろ?C組だって俺が黙らせとく」

ここまで話して、俺は自分の言葉に違和感を覚えた。何だこの恩着せがましい言葉の羅列は。

それに、俺が鈴を思いやっているような感じがするのは、嫌だ。

別に俺はそういうつもりじゃないんだ。
なんか、裏番が気に入らなくて、裏番なんかに鈴を傷つけられるのが嫌で、そう、鈴のためってわけじゃない。俺が嫌だから、何となく、夢見が悪いからなんだ。

何だかむず痒くなった俺は、最後に言葉を付け足した。

「お前は勝手にしてろ」

どうだ、これで素っ気ない感じに聞こえるだろ。
少し冷たい態度のような気もしたが、鈴を思いやる優しい不良…みたいな感じにならない方が大事だ。

これで、鈴を悩ます騒がしい奴らは二人に減ったわけだ。あとは片桐に託そう。

俺は言うや否や、踵を返してC組のアホ共の元へ向かうことにした。アイツらさっきから裏番と鈴がデキてるデキてるってうるっせぇんだよ。片っ端からボッコボコにしてやるからな。


「あっ、天野君、私としない?」


「…えっ?」


………今のは幻聴だろうか。


「はぁ!?何で天野となんだよっ、俺は!?」
「……ッ…、ぁ、あーれれ、振られちゃった」

周りの反応を聞く限り、幻聴ではなさそうだ。

…おいおい、すぐさま取り繕ったらしいが、俺にはバッチリ見えたぞ。裏番の、表情がな。恐ろしいほどの美顔を醜く歪めた、それはそれは面白い顔が見られた。裏番の抱く悔しさを思うと、愉快で仕方ない。
オモチャを取られて悔しいか、ガキ大将。

これ以上口を出すのは悪手だと漸く気づいたらしく、奴は余裕たっぷりに見える笑みを浮かべるだけだった。その笑顔の裏で、どれだけ悔しがってるんだろうな。何でもお前の作戦通りにいくと思うなよ。

片桐は鈴に縋るように喚いていたが、先公の怒鳴り声を聞いて退散していった。

「天野君、ありがとね」

鈴が、嬉しそうに俺に礼を言った。
綻ぶ口元から、明るい声色から、その言葉が世辞や建前でないことが分かる。

そうか、そうだ、鈴は俺を選んだんだ。

十年来の仲である片桐でもなく、惚れている裏番でもなく、俺を。

その事実を認識した途端、先程とは比べ物にならないほどのむず痒さを覚えた。なんだよ、俺は別にいい子ちゃんになりたいわけじゃないぞ。俺がやりたいからやった…じゃダメだな。ほら、あれだ、俺の作戦に引っかかったな、みたいな感じで話せばいいんじゃないか。
そうすれば、鈴だって、こんな…ゾワゾワする、変な気分になる、こんな笑顔なんか止めるだろう。

「や、止めろ、全然そういうのじゃねぇよ。ほら、押してダメなら引いてみろって言うだろ?だからやっただけで、俺は別に」
「そうだとしても、嬉しかったよ」

クソ、いつも人に遮られているからかは分からないが、俺の言葉を遮りやがった。

有無を言わせぬ笑顔。抗議したとて、この底抜けに明るい笑顔は崩せないだろう。

見えているのは口元だけだ。それなのにここまでソワソワするのは、きっと、鈴が心の底から嬉しがっているから。
何だか見ていられなくて、俺は顔を逸らした。
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