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黒の帳 『一つ目の帳』

彼氏いたんだ…

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開かれた問題集。
風に吹かれるそれは、数十分前と変わらぬページのままだった。

「………」

基礎中の基礎、例題を解いている最中だ。ガイドに沿って答えを導き出す、今までと同じようにやればいい。
でも、私の頭がついてこないんだよなあ。
私の偏差値、今測ったら0だろうなあ。
あっはっは。

「あはは、はは……ふふっ…」

周りからざわめきが聞こえるが、知ったことか。ふんだ。どうせ遊びですよ、私は。

机の上で、役目を果たせないシャーペンをころころと転がしながら、私はぼんやり考えた。


遠藤君のお兄さん、かっこよかったなあ。
容姿は紅陵さんや氷川さんほどではないけれど、注目すべきはあのスタイルとファッションセンスだ。
背が高くて、足がモデルさんみたいにスラッと長かった。ピアスも悪趣味じゃなくて、乗ってるバイクだってかっこよくて、シルバーに染めた髪の毛もその風貌から浮かず、似合っていた。声だって魅力的で、紅陵さんや渡来さん程ではないけれど体が筋肉で分厚くて、手だって男らしくゴツゴツしてた。

白虎というかっこいい二つ名があるみたいだし、きっと、紅陵さんみたく実力者なんだろう。
あれなら、付き合っていても周りからのやっかみを受けないだろう。あの人なら仕方ないかって諦めるだろうから。


弱っちくて顔だけの私とは違うんだ。
守られてばかりの、泣いてばかりの私とは違う。
私なんか、今だって、失恋で泣いてる。
本当に情けない。

「……はあ」

…でも、丁度良かったのかな。
私は、最低な嘘をついているにも関わらず、紅陵さんへの恋心を諦められなかった。でも、あんなにかっこよくて頼れて愛に溢れる人なら、諦められる。

どうせ仲良くなっても、嘘がバレなくても、その罪の意識に苛まれ続ける。

仲良くなって嘘がバレたら、余計に紅陵さんが悲しむ。
仲良くならなくて嘘がバレたら、一番後腐れが無いんだ。

紅陵さん、根谷組組長の養子をぶん殴ってやりたいって言ってたな。いっそのこと、思い切ってぶん殴られて罵倒された方が、私も諦めがつくというもの。


意地汚い嘘つきの女々しい男なんて、どんな聖人でもごめんだろう。


これで、いいんだ。
遠藤君のお兄さんに感謝すべきだ。


「…さ、さきちゃん」
「………ああ、遠藤君?お兄さんにありがとって言っといて。紅陵さんの彼氏があんなにかっこいいなんて思いませんでした、お似合いですね、って」
「そのことなんだけどさ、言いたいことがあって…」

なんだろうか。お兄さんのこと?
もうなんだっていい。

人間って、こんなに無気力になれるんだあ。

「なに…」
「あれ、兄ちゃんの勘違いなんだよ」
「慰めはいらない」
「慰めなんかじゃないって、本当なんだよ」
「いい、もういいって」
「鈴、遠藤が言ってんのガチだぞ」
「龍牙まで…、もう止めて」

それにしても、私、なんでこんなあっさり諦められるんだろう。そこまで好きじゃなかったのかな。意識していたのは間違いないんだけどな。

大体向こうがキスなんかしてくるから悪いんだ。
…いや、責任転嫁は良くない。キスで意識した私が、悪い。

甘くてとろける、砂糖を煮詰めたようなあの瞳。
あの目は、嘘だった?
薄く色付いた口から発せられる優しく甘い言葉の数々。
あの言葉も、嘘だった?
ふんわりと腰に回された、あの大きい手。
私を優しく気遣ってくれて、切符を買ってくれて、エスコートしてくれて、私を守ろうと喧嘩した、
あの手は、嘘だった?

…紅陵さんの言う通りだ。
私はどうやら、遊ぶには、ちょっと重くて面倒らしい。

あーあ。初めて好きになった同性だけれど、もうこんなことになってしまった。私はちょろくて流されやすい。次はこんなこと、無いようにしよう。恋人や好きな人がいるか、きちんと確認しないとね。

「……ふーんだ、もういいよ、いいよ」
「鈴……」

頭の中がぐちゃぐちゃだ。
諦めたと言い張る私、紅陵さんを惜しむ私、悲しみを乗り切れていないのに次を見据える私。私が分裂してるみたいだ。

でも、この悪感情や悲しみは分裂してくれないみたい。

「紫川…お前正直めんどく」
「シッ、そっとしといてやれって!」
「知らねーよ、あの遊び人に惚れた方が悪いんだろうが」

うるさい、そっとしておいてよ。

またどこかに行こうかな。一人で考えよう。いや、考えるんじゃないな、とことん落ち込んで、割り切るんだ。

「鈴ちゃん、俺なら幸せにしてあげられ」
「黙れお前ら、好き勝手言うな」
「そうだ!お前らそれでこの前も」
「片桐、大声出すな。鈴が嫌がる」
「っ……な、なんだよそれ、鈴のこと分かってるみたいな…」
「幼馴染みだからって何でも分かるわけじゃないだろ」
「お前よりは分かってる!」
「分かったから大声は止せ」

もう、無理だ。また騒いでる。

がたりと席を立ち、私は黙って教室を出た。

どうやら私は騒がしいところが嫌いみたいだ。今まで気づかなかったなあ。



…中学の時は、色々な話題があった。私の顔は一時話題になっただけで、皆あっという間に流行や勉強についての話で忙しくなっていた。

私だけがこんなに注目されることはなかった。

いくら私がやんややんやと騒がれても、中学では女の子が居た。マドンナのマイちゃんとか、運動部のマネージャーとか、色んな子が居たんだよなあ。クラスでこんなに持ち上げられることだって、なかった。失恋だってからかわれなかった。中学の皆は、なんだかんだ優しかった。


後ろから、足音が聞こえる。
誰だろう。天野君かな。

泣く時も悩む時も俺の見えるところでやれって言ってたから、着いてくるのかな。背中をどすんと叩かれて振り向くと、着いてきていたのはやっぱり天野君だった。

「自分の鞄くらい自分で持て」
「天野君が勝手に持ってきたんでしょ」
「いいから持て」

天野君は何故か私の鞄を持ってきてくれたらしい。何で?と思っていたら、天野君ががさりとビニール袋を揺らした。袋からは、パンが顔を覗かせている。
そうだ、体育の後ってお昼だった。

天野君は無言で私の先を歩いていく。着いて、いこうかな。一人になりたいけれど、それは天野君が許さないだろう。


…天野君は無理に踏み込んでこない。無理に悩みを聞くことも、大袈裟に同情することもない。

天野君なら、一緒に居てもいいかな。

そう思った私は、重い足を動かして着いていった。



着いたのは、階段裏だった。こんな埃っぽいところでお昼を食べるなんて、お屋敷の人が見たらひっくり返っちゃうなあ。

何だか座る気になれず、ぼーっとしていたら頭の上に何かを置かれた。
なんだろうか。手に取って見てみると、それは購買のたまごサンドだった。一昨日、保健室で天野君に貰った物と同じだ。

「やるよ。卵好きなんだろ?それ食って落ち着け」
「食べ物なんかで、騙されないから」
「何に騙されんだよ。意味分かんねぇこと言ってないで食え」

天野君はため息をつくと、壁に背をつけて座った。ぽんぽんと隣を叩き、私に座ることを促している。

お昼、食べようかな。

相談に二回も乗ってくれた天野君が隣に居てくれるなら、無気力な今の気持ちも、少しはマシになるかもしれない。

私が足を踏み出した途端、ポケットの携帯が震える。この長い振動は、着信だ。

「あっ」
「電話か?」
「うん」
「……」
「出てもいいぞ、どうした?」


携帯を取り出した手が、強ばった。

パネルには、「紅陵さん」とあったからだ。
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