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黒の帳 『一つ目の帳』

+ 天野視点『赤と青を混ぜると…』

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何でここに裏番が居るんだ。

俺は何故裏番がここに居るのか分からず、唖然としていた。
いや、ボーッとしているわけにはいかない。今目の前に居るのは、この高校で一番ヤバイ奴だ。気を抜くな。

「てっ、テメェは…紅陵零王か!」
「んーそうだよ。何でお前がクロちゃんの隣に居んのかな?ん?お兄さんに言ってみ?」

軽い口調だが、威圧感を感じる。肉食動物にでも遭遇したみたいだ。

裏番は今、クロちゃん、と言った。今の状況からするに、リンさんのことだ。やはり、リンさんと裏番は知り合いだ。どういう関係かは分からないが、警戒するに越したことはない。もしリンさんが怯えていたら、俺が守らなきゃ。
立ち上がり、リンさんを庇うようにして前に出た。

何も話さない俺を見て苛立ったのか、裏番は笑顔を浮かべた。確かに笑顔なのだが、見ていると段々恐怖に襲われる、恐ろしい笑顔だ。
恐ろしいが、目が離せない。離した瞬間死ぬんじゃないかとか思ってしまう。
裏番はしばらく笑っていたが、突然無表情に戻ると、俺の後ろを見るようにして話しかけてきた。

「クーロちゃん。コイツ誰?」

チラリと後ろを向くと、リンさんは酷く驚き、緊張しているような素振りを見せた。
…これは、怖がっている。

「やめろっ、リンさんが怯えてんだろうが!!」

これ以上、リンさんに話しかけるな。

その威嚇を込めて叫んだのだが、裏番は全く気に止めず、それどころか不敵に笑った。
どういう男だ。渡来のように暴力をチラつかせてこないから、余計に行動が読めない。何考えてやがるかさっぱりだ。
裏番は突然しゃがみ、両手を広げた。何の格好だ?コイツ、マジで意味が分かんねぇ。

「いいや?クロちゃんは怯えてないよ。おいで~クロちゃん!」

裏版はその姿勢でぱちぱちと何度も拍手し、両手を再び広げた。
これまさか、犬にやるアレか…?

ってことは、リンさんを犬扱いしてんのか!?

「リンさんは犬じゃねぇぞコラ!!!」
「………ふっ、ふふっ…」

後ろから、リンさんの吐息が聞こえた。
声は乗せず、ただ息を吐き出している。

やばい、これ、マジで怯えてんだろ。
絶対裏番から守らねぇと。

リンさんが余りの怖さに過呼吸とかなったらどうしてくれんだよ。リンさんにこれ以上恐怖を味わわせるわけにはいかない!

裏番はリンさんが来ないのを見て、残念そうな顔をした。リンさんがお前のとこなんか行くわけねぇだろ。
すると、今度は俺の顔を見た。つーかしゃがんでんのに、そこまで俺の顔を見上げてないのが怖すぎる。身長高すぎだろ。

「んークロちゃんは来ないか。じゃあ…ユウくんおいで~!」
「殺すぞ!!!」

先程の動作を俺にまでやってきやがった。堪えきれず、俺の行動でリンさんが怯えるかもしれないということが頭からすっぽり抜けた俺は、裏番に殴りかかった。相手はしゃがんでいる状態だ。重心が中途半端なその姿勢じゃ、絶対、俺が有利に決まっている。

「おっと」

俺が有利、だったはずなのに。

殴ろうと突き出した手首を掴まれ、くいっと引かれると、裏番はろくに力をこめてないはずなのに、俺の体が傾いた。傾いた俺の首を狙ってラリアットみたいに腕が迫ってきたが、反応されるなんて思っていなかった俺はその腕を防げなかった。ぐ、と息が詰まり、そのまま俺は持ち上げられた。

嘘だろ、何でしゃがんだ体勢からそんな勢いよく立てるんだ。力の入れ方をよく知っているのなら納得がいく。
だが、コイツには2mとそれに付いた筋肉量があるんだぞ!?
いくら知っているからといって、重さには勝てないはすだろ。…まさか、それを上回る化け物みたいな力と柔軟性があるのか?

そんな俺の思考は止まった。背を裏番の腹につける体勢にされ、俺の足は地に着いていないことに気づいたからだ。

やばい、捕まった。

このまま絞め殺されたらどうしよう。裏番は番長と仲が良い。番長は極道の息子だから、隠蔽なんか簡単に出来てしまうんじゃないか。そんな考えが頭を過り、俺を押さえる裏番の片腕を両手で引き剥がそうと抵抗した。
…全く動かせない。ネジで止められてんのかってくらい動かない。

多分この様子じゃ足もダメだ。持ち上げられた時から足は動かしているが、息苦しさで力が上手く入らず、変化を起こすことさえ出来ない。

リンさんが、俺を見ている。
そうだ、俺、逃げなきゃ。こんな光景を見せたら怖がるに決まってる。心配そうに俺のことを見ている。
大丈夫です、俺は大丈夫です…多分。

「ぐっ、このッ……」
「さて、ここでクイズだ。クロちゃんは黙って見てな。大丈夫、怪我はさせねぇよ」

リンさんに話しかける時だけ甘い声だ。絶対変態の顔で見てるだろ、リンさんをいやらしい目で見るんじゃねぇ!
首を押えられているせいで、顔を窺うことは出来ないが、絶対キモイ顔をしているに決まっている。だってヤリチン裏番だからな。

裏番はおもむろに俺の手首を握った。

何だ、と、疑問に思う間もなく、急激な痛みが俺を襲った。

裏番が俺の手首を、握りしめている。ギチギチと音が鳴りそうな、そんな強さだ。いや、本当に鳴っている、かすかだが、俺の手首から嫌な音がする。
やばい、いたい、おれるかも。

俺の心がポキッといきそうになった時、リンさんの表情が目に入った。
とても、不安そうな顔。
俺が弱音を吐く訳にはいかない!

リンさんは立ち上がりかけたが、さっきの裏番の言葉を思い出したのか、すぐに座った。クソ、裏番が怖いから逆らえねぇんだ。俺が言葉をかけて安心させたかったが、首を押えられていては満足に声も出せない。出たとしても苦しそうな声だろう。それでは、逆効果だ。
裏番はそんなリンさんを確認したらしく、突拍子もない話を始めた。

「これは人から聞いた話だが、握力が80kgある奴が人の骨にヒビを入れたことがあるらしい。他にも、握力が90kgある奴が骨を折ったとかな。まあそいつの場合、相手の骨が元々脆かったらしい。折れるのも当然だな」
「ひっ、ひ………い"っ…」

クソ、悲鳴が、我慢できない。痛くて、どうなるか分からなくて、怖くて、喉の奥から変な声が出る。何、何の話だよ、折れるって。俺の手を、折る気なのか。
クイズだったか?
こいつの握力が何kgか答えればいいのか?

じっくりいたぶるように、楽しむように、手首に加わる力が強まっていく。何で俺、こんなこと、されてんだよ。

「さて、俺が握ったら、どうなると思う?天野、答えろ」

威圧感のある声が、耳元で聞こえる。
俺が何かしたから、コイツ、キレてんのか?
リンさんの隣に居て、一緒に昼飯を食ったことか?

「あっ、あ、さーせっ、んッ…」
「謝罪はいい。答えろ」

違ったらしい。
やばい、本当に折られそうだ。握られている先に、変な熱が集まってきた。熱い、血が止まってんのか?よく、分からねぇ。
答えればいいんだよな、そんなの決まってる。
答えは、俺の手首が折れる、だ。
こんな力で握られて無事で済むなんて、有り得ない。ポッキリ折られ、せいかーい!なんて言って笑われるんだ。

あー、さよなら俺の手。

この時の俺は、強まった痛みのあまりリンさんを忘れており、そのせいで、情けない声で懇願することとなった。

「おっ、おれます、おれ、る、から、止めてくださいっ…!」
「残念不正解。流石の俺でも骨は折れないんだよな」

馬鹿にするようにそう言い捨てると、裏番は俺の手と首から、手を離した。

狭まっていた喉が急に広くなり、沢山入ってきた空気に俺は咳き込んだ。
手、手が痛い。いたい…っ。
触るのは怖かったが、痛くて痛くて、さすらないとどうにかなってしまいそうだった。

「ゲホッ、げ、ヴぇっ、…っ、はっ、はァっ」

今の裏番の言葉、絶対嘘だ、今のもう少しで折れてただろ。ヒビ入ってないよな、大丈夫かな。俺の指より大きな指の痕が、手首にしっかりついている。これは一週間くらいしないと取れないだろう。

…これが、目的だったのかもしれない。
俺に圧倒的力の差を見せつけるため、クイズと称して弄ぶ。そして手首に痕を付け、それを見る度に裏番を、弄ばれた記憶を思い出すようにさせる。
渡来とは全く違う。アイツは感情に任せてただボッコボコに叩きのめすだけだ。裏番は、動きを封じはしたものの、片手の力だけでここまでやった。最小限の力で最大限の恐怖を与える、その発想が、恐ろしい。

この人は、渡来よりずっとやばい。


渡来にリンさんのことを話してしまった時、これまでにないくらい冷や汗が出て、何度も後悔に押しつぶされそうになった。
でも、俺が本当に警戒しなきゃいけないのは、コイツだったんだ。渡来なんか目じゃねぇ。
裏番が本気を出したら、殺される。実際に殺される可能性は無いに決まっているのに、恐怖と痛みで頭がいっぱいだった俺は、そんな考えに取り憑かれてしまった。

足音が、床に倒れた俺に近づいてくる。
まだやるのか。やめてくれ。

「天野、渡来じゃなく、俺に付け。悪いようにはしない」

…コイツ、何言ってやがる。
今俺に何したか、忘れたのか。

でも、少しひかれそうになった自分が居たのも事実だ。裏番は強い。ヤリチンだが、この強さなら何からでも守ってもらえそうだ。悪いようにはしない、流石にその言葉通りにはならないだろうが、その時の俺には甘い言葉に聞こえた。


だが、その思いは次の言葉で掻き消えた。



「そうだな…クロちゃんを貸してやってもいい」



…は?

俺がその意味を理解する前に、裏番はベラベラと喋り始めた。



「クロちゃんは可愛いぞ?この前体育館倉庫に連れ込んだ時なんか、嫌々言いながらも可愛く喘いでたなァ…。ま、合意の上じゃねぇけど、最終的にクロちゃん善がってたしな、問題無いだろ。天野、お前もどうだ。まあ処女は俺が食っちまったから、中古でも良かったらって話だけどな」

嫌々、言いながら?
合意の上じゃない?
中古?

何だよそれ、何だよその言い方。
リンさんが物みたいじゃないか。
俺は、リンさんを守れなかったのか?
俺が知らない間に、リンさんは、裏番に乱暴されてたのか。

それは、どんなに怖かっただろう。裏番はあっさり語ったが、リンさんにとって、それはどれだけの出来事だっただろう。抵抗の意思を見せなくなるまで、徹底的に裏番に乱暴されたのだろうか。周りに善がっていると思わせるほどまでに、従わされたのだろうか。リンさんはきっと、助けを何度も求めたに違いない。でも、きっと、誰も、助けられなかったんだ。

そんなことをしておいて、コイツは、リンさんのことを物扱いし、自分の物のように話している。

お前もどうだ、だと?
ふざけんな。

…俺がそこに居られたら、どれだけ良かっただろう。俺だけがリンさんを助けられる、とまでは思わないけれど、リンさん一人、死ぬ気になれば逃がせるはずだ。今やられたことよりずっと酷い目に遭うだろうけど、リンさんを助けられるなら、リンさんを恐怖から逃がせるのだったら、構わない。

先程まで、俺の頭には手首のことと裏番への恐怖しかなかった。
でも今は、違う。


俺が、リンさんを守らなきゃ、助けなきゃ。
このクソ野郎に、これ以上リンさんを傷つけさせるわけにはいかない。

怒りでどうにかなってしまいそうだ。苛立つとすぐ手が出る性格だが、裏番に殴りかかるのは今じゃない。必死に堪えていると、体が震えるのが分かった。
ああそうだ、返事返さなきゃな?

「リンさんをレイプするクソ野郎に付くくらいなら、クソ野郎をぶっ倒して俺がリンさんを助けるッ…!!」

裏番は、無表情のまま変わらない。
胸倉を掴まれ、俺の足はまた床から離れた。
生意気だろ、殴りたいだろ、勝手にしやがれ。

一瞬、一瞬だが、
泣きそうなリンさんの顔が見えた。

裏番の所業を見て怯えているのか、裏番にされたことを思い出して怖がっているのか、それとも、俺を、心配してくれているのか。それは分からない。でも、リンさんに、そんな顔させたくない。
だから、俺は、強い態度で裏番に答えた。
裏番には虚勢を張っているのがばればれだろうが、リンさんにこの毅然とした態度が見えたらいい。

「本当?それマジで言ってる?」
「当たり前だクソ野郎…」
「本当かって聞いてんの。答えろ」
「本当だ。俺は体目当てで近づくヤリチン野郎とは違うからな!」

突然裏番は笑った。謎が解けた!みたいな顔だ。
意味が分からない。

「そ、ならいいや」
「うおッ!?」

急に息苦しさが無くなり、足に強い衝撃がくる。手を離したんだな。すぐに立ち上がらないと。裏番がリンさんに何かするかもしれない。俺は立ち上がろうとしたが、すぐ横に誰かがしゃがんだ。

リンさんが、肩を貸そうと頑張ってくれていた。

…どうして貴方はそんなことをするんですか。恐怖で動くのもままならなかったでしょうに、どうして貴方は、こんな俺に肩を貸してくれるんですか。

見ていたら、何だか泣きそうになった。
細い腕が俺の肩に回され、ふんわり柔軟剤のいい香りがした。呑気なことを考えてしまったが、事実なので仕方ない。
とにかく、これ以上リンさんに触れられたら、俺がどんなキモイ顔を晒すか分かったもんじゃない。リンさんの足が、立ち上がろうとぷるぷるしているが、俺の体が持ち上がる気配は全く無い。これ自分で立った方がいいな。非力なリンさんも可愛らしい。

「…ありがとうございます、リンさん」

俺はそう言ってリンさんに笑いかけ、立ち上がった。

裏番から、リンさんを守らないと。

そう思い、裏番を見ると、裏番は満面の笑みを浮かべて俺を見ていた。今度は何を言い出すんだ?

「ちなみに今の、ぜ~んぶウソ♡クロちゃんに今言ったようなことはしてないし、クロちゃんを貸す予定だって無いからね。セックスは合意が一番!それに俺、クロちゃんのこと大好きだし♡」

「………は?」

いや、何だよそれ、信じられるかよ、意味分かんねぇ。
裏番は俺の反応を見てにやにや笑い、リンさんの方を見た。

「俺がクロちゃんに手ェ出したと思うなら、クロちゃん本人に聞いてみな」
「リンさん、お願いです、正直に言ってください。リンさんが嫌なことを無理やりやらされてるなんて、俺、絶対見過ごせないです」

俺は出来るだけ、頼りがいのある、それでいて誠実な瞳でリンさんを見つめた。本当のことを言って欲しい。今の頼りない俺の姿を見たら言えなくなってしまったかもしれないけど、言って、くれないかな。それか、さっきのは本当に全部嘘なんだ、と俺を安心させて欲しい。貴方のことで頭がいっぱいなんだ。

リンさんは、しばし俺の目を見つめた後、ぶんぶんと首を横に振った。

「……リンさんがそう言うなら…信じます」
「ほー、そうやって答えてんだ。声可愛いのに。天野は運が悪いな~」
「…どういう意味だ」
「そのままの意味だよ」
「はァ?」
「後でリンについて教えてやる」

小声で囁かれた最後の言葉は、どういう意味だ。
だが、リンさんが居る前で聞いてしまうのはマズイ気がして、俺は黙っているしかなかった。

裏番はリンさんに詰め寄り、質問をした。

「そのほっぺ、どうしたの」
「…!!!」

リンさんが酷く驚いている。裏番と会話させるのはあまりにも可哀想だ。俺が代わりに話さないと。

「へっ、それはもう俺が聞かせてもらったんだよ。人にやられて出来た傷だけど、仕返しは望んでない、って」
「俺が聞きたいのはそういう言葉じゃないぞ。クロちゃんの為に仕返しするんじゃない。俺がムカつくからソイツをシメるんだ。な、クロちゃん、お兄さんに教えてくれるかな~?」

リンさんを気遣っているのかいないのか、さっぱり分からない態度だ。態々腰を折ってリンさんの目線に合わせている。子供扱いしてんじゃねぇぞコラ。
裏番は振り向かずに俺に話しかけた。

「天野、こっからは俺とクロちゃんの時間だからな、お前は帰れ。部屋の近くで立ち聞きも駄目だぞ。逆らったら、分かるな?」

有無を言わさぬ威圧感。分かるな?というのはきっと、先程のような脅しでは済まさない、ということだろう。正直アレは二度とやられたくない。めっちゃ怖かった。

…情けないが、それをチラつかされては、俺も引くしかない。それに、俺が従わなければ、俺ではなくリンさんに酷いことをするかもしれない。
さっきの裏番の言葉も気になる。リンさんのことを、教えてもらえるかもしれない。だったらここは大人しく従っておくべきだろう。

「…酷いことすんなよ」
「当たり前だ。ほら帰った帰った」

蝿でも払うような仕草にイラッときたが、俺は黙って保健室を出て行った。
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