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黒の帳 『一つ目の帳』

お説教

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家に帰り、寝室のカーペットの真ん中に正座させられた私の前で、雅弘さんからのお説教が始まろうとしていた。
お屋敷じゃなくてよかった。お屋敷の部屋は畳だから、ちょっと足が痛くなる。長時間の正座ともなればその苦痛は大きい。

宇都宮さんが隣でおろおろしている。雅弘さんは宇都宮さんの話に取り合わず、私をじっと見つめている。

「く、組長、貴方が態々なさらずとも、この私、宇都宮が必ずや鈴様を改心させてみせ」
「失せろ」
「…承知しました」

宇都宮さんは頷き、部屋を出ていった。宇都宮さんに犬の耳があったら、きっとしゅん…と垂れていることだろう。
いや、そんな呑気なことを考えている場合じゃない。今はこの怒ってますよオーラ剥き出しの雅弘さんと話さなければならないんだ。気を引き締めていこう。

「鈴、お前から話してみなさい。言い訳は聞こう」
「…そ、その、……私は、友人として、紅陵さんと接していました。その彼のご厚意で、私…あ、そうだ、切符を買ってもらったんです!お金を渡そうとしても、俺が奢りたいから大丈夫、って言ってくれて、カフェに行った時だって、私、払うって言ったのに、俺に奢らせて、なんて言ってくれて、それ、で………」


しまった。
夢中になって話し過ぎた。

雅弘さんが見たことの無い形相で怒っている。この人の表情筋、生きてたんだ…じゃなくて!
怖い…………怖ッ

眉間に皺を寄せ、目をかっと見開き、眉をこれでもかと吊り上げ、口角は下げられ、頬は引きつり…、色々な箇所に変化が見られる。
いつもの雅弘さんからは考えられない顔をしている。
いつもの雅弘さんは、目の周り、それと口髭、その二つしか動かない。わあ、雅弘さん、こんな顔出来たんだな。

「……………………………鈴」
「…はい」
「…………………………………………はぁ」

多分、雅弘さん、物凄い怒ってたんだ。でも今度は、怒りを通り越して呆れている。いつもの顔に戻った雅弘さんは、ため息をつき、黙り込んだ。
沈黙に堪えられなかった私は、雅弘さんより先に口を開いた。

「………すみません」
「…何が」
「…………も、門限を、破ってしまったこと、です」

門限を破った時に電話が来たのだから、その可能性は高い。

「…門限を破ったことは何回かある。門限じゃないのは分かってるだろう」

違った。きっと、紅陵さんとのことが宇都宮さんに知れ、そのまま雅弘さんに伝わったに違いない。

「………えっと、み、未成年には相応しくないお店…て、店舗に入っ…入店した上、えっと、ふ、不純異性…どっ、同性交遊、を、した上に、えーっと………」

だめだ、きちんとした言葉が使えない。この人は厳格なんだ。くだけた言葉なんて以ての外だ、失礼のないようにしないと。
いつもより気をつけなくては。だって、怒ってる、呆れてる。怒っているのは、心配させたから、呆れているのは、私が馬鹿なことをしたからだ。

これ以上、不快な気持ちを味わわせてはいけない。どうしよう、落ち着いて話さなきゃ、
落ち着け、落ち着け。

私は言葉を切り、俯いた。
雅弘さんはまたため息を吐き、ぽつりと呟いた。

「…お前はまだ高校生だ。素直に言ってみろ。宇都宮じゃあるまいし、小難しい言葉を使うんじゃない」

素直?これが、私に出来る、精一杯の素直だと思ったのだけど…。

丁寧な言葉を使って相手に好印象を与えなさい、誠実な気持ちがより伝わります、宇都宮さんはそう言っていた。
どれだけ不器用でも、言葉足らずでも、自分のやったことを正確に伝えろ、熊谷さんはそう言っていた。

でも、多分、雅弘さんが言ったことは、そういうことじゃない。気持ちを言えば、いいのかな。

「……………心配させて、ごめんなさい」
「そうだ、まずそれを言わんか…全く。部下からの連絡を受けた時、私がどんな思いでいたか…………はぁ」

…ん?
そうだ、雅弘さんに場所を伝えていないのに、何故か宇都宮さんが来た。
それは絶対に聞かなくちゃ。

「…あの、雅弘さん」
「何だ」
「私、さっきの場所、言ってないです。雅弘さんは何で分かったんですか?」
「……………」

雅弘さんの恐ろしい気迫が掻き消えた。気まずそうな顔をしている。

これは、バレちゃまずいことがあるな?

私は悪い事をした。それについては償うつもりだ。でも、雅弘さんも何か隠している。私に関することなら、知る権利がある。雅弘さんと一対一の今、聞くべきだ。

「……………雅弘さん」
「………………………なあ、鈴」
「…………何ですか」
「………今回のことは、お互い水に流そう。私は今日の外出について叱責しない。お前はこの件について追及しない。それで手を打とうじゃないか」
「………」

…今回のことで非がある私が言うものなんだが、
雅弘さん、大人としてそれはどうなんだ。

私に余程隠したいことらしい。

これで、雅弘さんには、私への説教を無しにしてまで隠したいことがある、ということが分かった。

「…分かりました。そうしましょう」
「………そうか。じゃあ私はこれで」

でも、簡単に引き下がりたくない。
私に一つ考えがある。これを聞けば、どんな結果になろうと、知りたいことが大雑把に分かる。

「組員さんの顔写真を見せてください」
「…ん?」
「個人情報が知りたいわけじゃないんです。名前もいりません。顔写真だけでいいんです。お屋敷に飾ってあったような額縁の写真でも構いません、見せてください」
「…………み、認めん」

雅弘さんの返事の声は、少し不自然だ。
どうしてですかと聞くのは止めた。追及しないと約束したのに、そんなことを言うのはズルいからだ。

雅弘さんは私が黙ったのを見て、部屋から出ていった。少し遅れて玄関の扉の音も聞こえる。ふう、この部屋にはもう私しかいないんだ。


…これで、確信が持てた。

雅弘さんは、私の周りのどこかに、組員の人を忍ばせている。
部下から連絡を受けたと言っていたし、これは確実だ。宇都宮さんの到着が異常な程速かったのも、誰かが近くに控えていたからだろう。


そして、もう一つ疑問が浮かんだ。
まさかとは思うけど、学校にも、居るのかな。
そこで真っ先に、私はあの体育の先生を思い出した。あの先生に感じた違和感。

そうだ、思い出した!

あの人の顔は、熊谷さんの部屋にあった写真で見た事がある。熊谷さんの部屋は、以前サンミオのグッズを見せてもらうために招き入れてもらったことがあるんだ。

スーツを着こなし、熊谷さんと肩を組んで笑っていた写真。

彼は、本当に先生なのか?
もしや雅弘さんは、教育にまで介入出来るのだろうか。
そうだとしたら、本当に、恐ろしい。
私は、本当に凄い人に引き取られたんだなあ…としみじみと思った。

そう、彼は根谷組トップの人間。


だから、跡継ぎも決めておかなければならない。



でも、まさか、跡継ぎにしようと、養護施設の子供を養子にするなんて。



そんな素振り、一切見せなかった。

私に極道のことを学ばせようとも、拳銃の使い方や、人の殴り方さえ、教えようともしなかった。人の使い方、心を読まれないようにする表情の出し方、極道になる上で必要そうなことなんて、一つも教えてもらわなかった。

引き取ってから、私が貧弱だと分かったから?引き取られた私はすぐに熱を出して寝込んだ。体の弱さは丸わかりだっただろう。

大事な跡継ぎなら、もっと慎重に選ぶはずだ。人より体調を崩しやすい、体の弱い私が引き取られたのは、何か他の理由があるに違いない。

それがきっと、まだ小学二年生だった私を引き取った、本当の理由。

気になる。
幼い頃から、何度も考えた。
どうして私は引き取られたのか。
極道に引き取られるなんてドラマみたいだ。もしかしたら、私のお母さんとお父さんを知っているのかな。ドラマや小説だと、両親を死なせてしまった償いで~とかだけど、生憎、私は親が死んだからではなく、捨てられたから施設にいたので、その線は薄い。

本当の理由はなんだろう。
雅弘さんは、どうして私を引き取ったのだろう。




紅陵さんのことについても、考えなくちゃいけない。だって、会話を反芻して気づいたことがあるんだ。

氷川さんと雅弘さんは、紅陵さんが雅弘さんの養子を憎んでいるなんて、一言も言っていなかった。思えば氷川さんは、紅陵さんの前で極道をチラつかせるようなことは全くしなかった。彼は、私の協力者なのかもしれない。いや、ただ単に暇つぶしかも。

…あー、お腹すいてきた。

台所に行くと、サランラップがかけられた野菜炒めが置いてあった。お皿の前に、何やら黄色いメモが貼ってある。
『目はちゃんと冷やさないと腫れますよ。これを食べて元気出してください。宇都宮』
…これ、泣いてる前提で書いたな。

まだ温かかったので、ご飯や粉末スープを入れた味噌汁や果物を用意し、リビングでそれらを頂いた。昼間に天野君からもらったたまごサンドも、忘れずに食べた。
…う、野菜炒めの味がとんでもなく薄い。宇都宮さん、栄養バランスというより、脂や塩分、添加物を気にする人だからなあ。宇都宮さんには申し訳ないが、食べ盛りの男子高校生はもう少し油っこくてもいいんじゃないかな。罪悪感を感じながらソースを足した。………美味しい!!

今日は心臓が飛び跳ねたせいで、すごく疲れてしまった。明日体調を崩さないためにも、今日は早く寝なくちゃ!







この時の私は、分かっていなかった。

真実はいつでもプラスになるわけじゃない。
寧ろマイナスになることの方が多い。

それ自体は分かっていた。

でも、
それが私に降り掛かるなんて、思いもしなかった。
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