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黒の帳 『一つ目の帳』

赤と青を混ぜると…

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紅陵さんはきょとんとし、天野君は唖然としている。私は二人に挟まれて気まずい思いをすることになった。

「てっ、テメェは…紅陵零王か!」
「んーそうだよ。何でお前がクロちゃんの隣に居んのかな?ん?お兄さんに言ってみ?」

天野君はすぐさま立ち上がり、臨戦態勢をとった。私を庇うように前に立っているせいで表情は窺えないが、きっと紅陵さんを睨みつけているのだろう。

だが流石裏番と言うべきか。紅陵さんは、天野君の態度を一切気にかけず、背筋が凍るような作り笑顔で天野君に言葉をかけている。

天野君は何も答えない。確か、天野君は紅陵さんのことを噂でしか知らなかったはずだ。そして紅陵さんが『りん』と一緒に居たということを知っている。
裏番は『りん』さんを脅している!
と考えていても不思議ではない。

紅陵さんは何も答えない天野君を見ると、天野君ではなく私に話しかけた。

「クーロちゃん。コイツ誰?」
「…」
「やめろっ、リンさんが怯えてんだろうが!!」

いや、焦ってるだけです!

紅陵さんは天野君が誰か分からないらしい。私の顔が天野君にバレているのは知っていたが、天野君の見た目は知らなかった、ということだろう。
だが、天野君が『りん』と口にした瞬間、にやっと笑った。これは気づいてくれたんじゃないか?

「いいや?クロちゃんは怯えてないよ。おいで~クロちゃん!」
「リンさんは犬じゃねぇぞコラ!!!」
「………ふっ、ふふっ…」

紅陵さんはその場にしゃがみ、私に向かって手をパチパチ叩いてみせた。愛犬に、おいで~!と言いながら飼い主がよくやるあの行動だ。天野君はすぐさまその行動に噛み付くように怒鳴った。

紅陵さん、止めてください。思わず笑ってしまったじゃないか。声を出さずに吐息だけで抑えたからいいものの、バレたらどうしてくれるんだ。

「んークロちゃんは来ないか。じゃあ…ユウくんおいで~!」
「殺すぞ!!!」
「おっと」

ユウくん、とは、恐らく天野君の下の名前からとった名だろう。天野君の見た目は知らなかったのに、フルネームで覚えていたのか…。

からかわれ、苛立った天野君が紅陵さんに殴りかかる。だが紅陵さんは、しゃがんだ姿勢にも関わらず、無駄のない動きで天野君を避けると、その体躯を利用して天野君を捕まえた。

天野君は紅陵さんの腹に背をつける姿勢で、紅陵さんに捕まった。
首を絞めるように片腕で押さえつけているせいで、天野君は酷く苦しそうな表情を浮かべている。天野君は、両手で何とか腕を引き剥がそうと試みるが、紅陵さんはがっちり捕らえて離さない。足をばたつかせても、身長差故に地に着いておらず、紅陵さんの足に当たっても全く効いていない。

「ぐっ、このッ……」
「さて、ここでクイズだ。クロちゃんは黙って見てな。大丈夫、怪我はさせねぇよ」

紅陵さんはそう言うと、天野君を押さえていない方の手で天野君の手首を掴んだ。天野君は不思議そうな顔をしていたが、急にその顔が苦しげに歪む。

見ていられなくて、すぐにでも止めたかったが、紅陵さんに、黙って見ていろと言われてはどうしたらいいか分からない。私には紅陵さんを無理やり止める力なんて無いし、この状況でもし私が逆らったら、天野君がどうなってしまうか分かったものではない。

「…これは人から聞いた話だがな、握力が80kgある奴が人の骨にヒビを入れたことがあるらしい。他にも、握力が90kgある奴が骨を折ったとかな。まあそいつの場合、相手の骨が元々脆かったらしい。折れるのも当然だな」
「ひっ、ひ………い"っ…」

よく見ると、天野君の握られている方の手の色が少しおかしくなっている。
まるで、血が止まっているような、そんな色。

「さて、俺が握ったら、どうなると思う?天野、答えろ」
「あっ、あ、さーせっ、んッ…」
「謝罪はいい。答えろ」
「おっ、おれます、おれ、る、から、止めてくださいっ…!」
「残念不正解。流石の俺でも骨は折れないんだよな」

紅陵さんは無表情でそう言い放つと、天野君から両手を離した。
天野君は床に倒れ込み、咳き込みながら掴まれた手首を摩っている。手の形にくっきり酷い痣が付いてしまっている。冷やした方がよさそうだ。

だけど、紅陵さんはそれで終わらせなかった。紅陵さんは倒れた天野君に近寄り、言葉をかけた。

「天野、渡来じゃなく、俺に付け。悪いようにはしない。そうだな…クロちゃんを貸してやってもいい」

…え?
私を、貸す?

紅陵さんは、私のことをそう見ていたのか?

突然の紅陵さんの告白に戸惑いが隠せない。紅陵さんは戸惑う私に茶目っ気たっぷりにウインクすると、今度は上機嫌な声で話し始めた。

いやいや紅陵さん、分かりませんから。
伝わると思ったら大間違いです。

「クロちゃんは可愛いぞ?この前体育館倉庫に連れ込んだ時なんか、嫌々言いながらも可愛く喘いでたなァ…」

そ、そんなこと、してないですよ!?

「ま、合意の上じゃねぇけど、最終的にクロちゃん善がってたしな、問題無いだろ。天野、お前もどうだ。まあ処女は俺が食っちまったから、中古でも良かったらって話だけどな」

紅陵さんがとんでもない嘘を吹き込んでいる!!
もし天野君が信じたらどうしてくれるんだ!?

だが、天野君は紅陵さんの言葉を聞いて、気まずそうな顔をするわけでも、照れるわけでもなかった。

その顔に見えたのは、怒り。

ふるふると震えているが、殴りかかれば先程のようになるのは分かっているらしく、必死に堪えているのは一目瞭然だ。痙攣する口端、その口から出た声は、低く、彼の憤りがひしひしと伝わってきた。

「…リンさんをレイプするクソ野郎に付くくらいなら、クソ野郎をぶっ倒して俺がリンさんを助けるッ…!!」

漢気のある答えだ。かっこよすぎないか。

普通、あの力の差を見せつけられた後でこの答えが出てくるか?

私だったら、と思うと自信は全く無い。手首を握られた時点で泣いているだろう。


段々、紅陵さんの魂胆が読めてきた。
どうやら紅陵さんは、嘘をついてまで、天野君がどんな人か見極めたいらしい。でも紅陵さんは、こんなに誠実な天野君の答えを聞いても納得いっていないようで、天野君の胸倉を掴んで持ち上げた。

これ以上、酷いことをしないで欲しい。

「本当?それマジで言ってる?」
「当たり前だクソ野郎っ…」
「本当かって聞いてんの。答えろ」
「本当だ。俺は体目当てで近づくヤリチン野郎とは違うからな!」
「そ、ならいいや」
「うおッ!?」

紅陵さんはニッコリ笑うと、パッと手を離した。天野君はまたしても床に倒れ込んでしまう。

紅陵さんを見つめると、紅陵さんは笑顔で頷いた。もういいよ、ということか。

天野君に急いで駆け寄り、肩を貸して起こそうとしたが、全く持ち上がらなかった。恥ずかしい。
天野君は私を安心させるようためか、爽やかな笑顔を浮かべてお礼を言い、一人で立ち上がった。

私の非力さが目立つなあ。私も、クリミツみたいに鍛えたら大男になれないだろうか…無理か。

「ちなみに今の、ぜ~んぶウソ♡クロちゃんに今言ったようなことはしてないし、クロちゃんを貸す予定だって無いからね。セックスは合意が一番!それに俺、クロちゃんのこと大好きだし♡」
「………は?」

天野君から、また恐ろしく低い声が発せられたが、今度は困惑の色を滲ませている。紅陵さんはいたずらっ子のようにクスクスと笑うと、私の方を向いた。

いや、今の笑い事じゃないですから。

後から思い返して、もしかしたら、ひょっとしたら、笑い事になるかもしれない。でも今の天野君からしたら恐ろしい出来事だろう。見極めるにしてもやりすぎだ。

「俺がクロちゃんに手ェ出したと思うなら、クロちゃん本人に聞いてみな」
「リンさん、お願いです、正直に言ってください。リンさんが嫌なことを無理やりやらされてるなんて、俺、絶対見過ごせないです」

天野君が真剣な目で私を見ている。
正直に答えて安心させないと。

「…(ふるふる)」
「……リンさんがそう言うなら…信じます」
「ほー、そうやって答えてんだ。声可愛いのに。天野は運が悪いな~」
「…どういう意味だ」
「そのままの意味だよ」
「はァ?」

紅陵さんはしかめっ面をする天野君を無視し、私に向かって口を開いた。
その顔からするに、もしや怒っている?

「そのほっぺ、どうしたの」
「…!!!」

どうしよう、天野君の前では言えない。

犯人が天野君だと知った時、天野君がどうなってしまうかなんて想像もしたくない。渡来君三人組のようにとまではいかずとも、風当たりが強くなるだろう。
いや、考えすぎか?
私のような一高校生のために、紅陵さんがそこまでやるだろうか。いや、用心するに越したことはない。黙っておこう。まあ、今は天野君が居るから、どちらにしろ話せないのだけど。

「へっ、それはもう俺が聞かせてもらったんだよ。人にやられて出来た傷だけど、仕返しは望んでない、って」
「…(こくこくこく)」
「俺が聞きたいのはそういう言葉じゃないぞ。クロちゃんの為に仕返しするんじゃない。俺がムカつくからソイツをシメるんだ。な、クロちゃん、お兄さんに教えてくれるかな~?」

紅陵さんはおどけてそう言ったが、目が笑っていない。見下ろすのではなく、少し腰を折って私に目線を合わせてきた。

さて、どうしようか、この絶望的状況。

全力で隠すしかない。
いや、龍牙とクリミツは傷を付けた犯人を知っている。紅陵さんが二人から聞き出してしまえば意味が無い。となれば、天野君になるべく被害がいかないような説明をしなければいけない。

…難易度高くないですか?

でも、今は天野君が居るから喋れない。そういう理由があるから大丈夫だ。考える時間はある。

「天野、こっからは俺とクロちゃんの時間だからな、お前は帰れ。部屋の近くで立ち聞きも駄目だぞ。逆らったら、分かるな?」
「…酷いことすんなよ」
「当たり前だ。ほら帰った帰った」

天野君はそう言われ、あっさり帰ってしまった。

大丈夫じゃなかった。

何故帰ったんだ天野君、残ってくれたら良かったのに。まあ…もしごねたら、自分だけでなく『りん』にも危険が及ぶと考えたのかもしれない。それにしてもこの状況は困った。
紅陵さんは笑顔だが、やはり目が笑っていない。

さて、どう弁解しようかな。
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