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黒の帳 『一つ目の帳』

例えるなら…熊とゴリラ?

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龍牙に酷い言葉を聞かせたくない。

私の願いが通じたのか、私を乱暴に下ろしたクリミツが走り出す。野次馬が何人か前にいたが、本気になったクリミツにとってその数人は大した障害にはならない。

「だから、どういう意味なんだよ。つーか離せ」
「はァ?テメェを」
「龍牙から離れろ!!!」

渡来さんが何か言う前にクリミツが攻撃を仕掛けた。突然のことにも関わらず完璧に受け止めた渡来さんは、クリミツのその勢いを利用してクリミツを引っくり返した。巨体で、かなりの重さがあるだろうに、いとも簡単にクリミツは地面に横たわってしまった。

渡来さんを紅陵さんが一撃で倒したなんて言われているから、正直大丈夫じゃないかなとか思ってしまっていた。クリミツの怪力を体で味わった身としても、クリミツの友人としても、クリミツのことを強いと思っている私はクリミツが優勢なんじゃないかなとどこかで油断していた。

だから私にとって今の反撃は予想外で衝撃だった。

「ぅ、おぉっ!?」
「…何だコイツ」
「クリミツ!?何でお前ここにいんだよっ」
「龍牙に触んな!龍牙、ソイツから離れろ!」

クリミツに対応したことで龍牙から手が離れ、龍牙はその隙に渡来さんから逃れることが出来た。

だけど、龍牙だけが状況を理解出来ていない。恐らく、今の彼の頭には大量のクエスチョンマークが浮かんでいることだろう。

大した怪我はしていなかったようで、素早く立ち上がったクリミツは、龍牙を庇うように背中に隠した。
渡来さんは標的が二人に増えたと認識したらしく、拳を構えようとした。しかし二人の学年章を捉えた瞬間、渡来さんは舌打ちをして頭をかいた。

「チッ、一年かよ」
「そうだ、一年には手出し禁止だろ」
「え、俺も一年だぞ?何で俺は…」
「そこの金髪は背が低くて見えなかった」
「何だと!!!」

龍牙がクリミツの後ろからぎゃんぎゃんと文句を言っている。渡来さんはああ言っているけど、絶対学年章は見えていただろう。見えていない振りをしたんだ。

外見はサラサラの天然の金髪、少しキツい吊り目だけど、鋭く色気のある三白眼。性格は無邪気で少々腕白が過ぎるが、見た目が好み、あるいは付き合う気が無い、そんな人間にとってそれは問題無いのだろう。丁度、渡来さんのように。

先程の真央さんへの態度からするに、渡来さんはロクな人ではない。紅陵さんとはまた違う意味で性に奔放だ。

渡来さんに龍牙を渡す訳にはいかない。

そんな渡来さんは、ため息をつくと辺りを見渡した。既に目の前の二人は眼中に無いらしい。
その鋭い目が、私の方に向いた。
え?

「…お。丁度いいのがいるじゃねぇか」
「あ、あっ、やだっ」

後ろから小さな悲鳴のようなものが聞こえる。振り向けば、先程のリーダーらしき二年生の一人が酷く怯えた表情で震えている。成程、渡来さんが見ていたのは私ではなく後ろの二年生か。

…周りの二年生が、押さえつけている?

「離して、離せっ…」
「丁度いいじゃん」
「お前性格悪いし、矯正してもらいなよ」
「真央みたいに大人しくなるだろうな~」
「やだっ、アイツがヤバいのは皆知ってるだろっ!?お願い、やめてって、やだっ…。ホントにやだってば、止めて!」

気づけば、渡来さんが野次馬を押しのけて…ない、野次馬の皆さんが自主的に退き、その間を渡来さんが通っている。その足は確実にこちらへ向かってきているし、目は私の後ろにいる二年生を捉えている。
このままだと、確実にこの二年生が餌食になる。自分の足で逃げられたらよかったけど、他の二年生が押さえつけている。私には彼らを引き剥がす腕力も話術も無い。

となれば、とる行動は一つ。

「…えっ?」
「何してんだアイツ」

「……あ?昨日の一年か。そこ退け」

私が渡来さんを…どうにかする!!
私も一年生だから、さっきの龍牙みたいに出来るはず。
だけど…、

「退きません」
「そうか」

怖いものは怖い。渡来さん…物凄い威圧感だ。
無表情で私を見ている。そこには、先程の龍牙に向けたような感情は無い。例えるなら、道端にある雑草や石ころを何気なく見るような、そんな目。
要するに相手にされていない。

「…」

無言で渡来さんが私を押し退けようとする。当然渡来さんの力には適わないので、ずずずと押し退けられながらも渡来さんの腕を掴んだ。ちょっとコイツ邪魔だな、くらいに思ってくれたらいい。少しでも障害にならなくては。

と、考えていたら、体が浮いた。

疑問に思う間もなく床に勢いよく落下した。どうやら渡来さんが腕を勢いよく振ったらしく、私はそれで飛ばされたみたいだ。
いや、私…弱いな。

「うぅ………」
「…今ので飛ぶのかよ。まあ…別にいいか」

よくないです!!
倒れただけなので、すぐさま立ち上がり渡来さんに近づく。止めなくては。

ところが、
渡来さんは私に向かって腕を振りかぶった。



あっ、これ、殴られる。



私は為す術も無く、反射的に目をキツく瞑った。


「…?」

だが、思っていた衝撃はこない。私が目を開ける前に、誰かの声が聞こえた。

「すーぐ手を出す。これだから下半身猿は…なァ?」

か、かっこいい~~~!!

目を開くと、クリミツが私の前に立ち塞がり、渡来さんの拳を止めているのが見えた。渡来さんは舌打ちをして拳を引くと、また頭をかき、ギロリとこちらを睨みつけた。

「あー、もう止めだ止めだ。一年だからってシカトする俺がバカみてぇだしな」
「…鈴」

渡来さんは手を握りしめ、ニヤニヤ笑っている。
クリミツはそんな渡来さんを見ると、私に小声で何か囁いた。

…気のせいかもしれないが、
クリミツが焦っている気がする。

いや、まさかそんなことはないだろう。
こんな格好よく助けに来てくれたんだから。



「俺勝てないかも」

…んー?

「だっ、だから、ダッセェから、龍牙連れてどっか行ってくんね?マジでカッコ悪ぃと思うっ…」


強い相手にも果敢に立ち向かう!…のではなく、好きな相手にかっこいいところを見せたかっただけらしい。
しかし、それで怪我をしては元も子もない気がする。クリミツが龍牙を心配させてどうするんだ。
勝てないのなら逃げればいい。

「じゃあ逃げよう?」
「バカっあんな啖呵切って逃げたら一番ダセェだろっ」
「何コソコソ駄弁ってやがんだ!」
「ひっ、うおっ」

渡来さんの拳が飛んでくるが、クリミツは情けない声を出しながらもバッチリ防いだ。続けて繰り出される蹴りも、片足をあげて防いだ。

これ、ちゃんと戦えてるんじゃないか?
クリミツが弱気になってただけだ!

そう喜びかけたけど、クリミツの顔を見て違和感を感じた。防いだのに、苦しそうな顔をしている。どうしてだろう。

「…っ……クソッ、何でこんな重っ…!」
「防げねェだろ。後悔させてやるよ、俺に喧嘩売ったことをなあッ!!」

渡来さんが大声で怒鳴る。だけど、クリミツはその気迫に押されることなく反撃した。渡来さんは最小限の動きでそれを躱し、逆にクリミツの勢いを使ってカウンターを打ち込もうとする。クリミツはそれを分かっていたのか、全力で体をひねってそれを躱し、かつ回し蹴りを放つ…と、いったように、二人は技の応酬を繰り広げた。

わあ、不良さんの喧嘩ってスポーツみたいにかっこいいんだ。鉄パイプとか廃材とかを持って暴れ回るものかと思ったが、今繰り広げられているのは読み合いや持ち前の反射神経を使った高度な戦いだ。

私はクリミツに龍牙を連れて行けと言われたことも忘れ、熊とゴリラのような二人の戦いを見ていた。
いつの間にか龍牙も私の隣に来ていて、二人で喧嘩を見ていた。

でも、これはまずい気がする。

二人とも、お互いの攻撃を一打一打しっかり防いでいるように見える。しかし、そう見えるだけだ。
明らかにクリミツが劣勢だと分かる。渡来さんは先程と変わらぬ表情だが、クリミツは苦悶の表情を浮かべ、顔には汗が滲んでいる。

防いでいるのに、防ぎきれない。そんな威力が渡来さんの拳には込められているんだ。

「さすが、元番長ッ……」
「防いでばっかじゃジリ貧だろ。ほら、何か出来るか?やってみろよッ!!」
「ベラベラうるせぇ舌噛むぞッ…い"っ!?」
「あっ!」
「クリミツ!」

喋ったことで気を削がれたのか、クリミツの足にローキックが決まってしまった。上手く防げず、決定打になってしまったその打撃でクリミツは怯み、渡来さんが勝利を確信した顔で再び拳を振りかぶった。クリミツは追撃に気づいたけど、防ぐには遅すぎる。

その時だ。

誰かの大声が廊下に響いた。
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