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黒の帳 『一つ目の帳』

謝罪

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体育館まで行くと、外のベンチにクリミツが座っているのが見えた。
小雨が降っているけど、大丈夫かな。そう思ったが、よくよく見ると、ベンチの上に屋根がある。成程、雨の日でもそこで食べられるのか。

クリミツは私を見つけ、手を振ってくれた。促された場所に座り、弁当箱を広げようとしたところであることに気づいた。龍牙が居ない。

「龍牙は?」
「購買行った。俺は朝コンビニで買ったからな」
「ごめんね」
「何が?」

クリミツは龍牙に思いを寄せている。コンビニで買ったからとはいえ、好きな人とはいつでも一緒に居たいだろう。それなのにここに座っているのは、きっと私が来た時に困らないためだ。

それを説明すると、クリミツは苦々しげな表情を浮かべた。私が、クリミツの好きな人に気づいていたことには、さほど驚いていない様子だ。クリミツ自身、龍牙に対する態度は分かりやすいという自覚があったのだろう。

「…なんかさ、納得いくわ」
「ん?」
「色んな奴が鈴を好きになること。今だってクラスの人気者だ。俺とは、違う」

そう言ってクリミツは自虐的な笑みを浮かべ、空を仰いだ。その様子は、クリミツがしみじみと放った言葉も相俟って、何かを諦めたような物寂しい雰囲気を醸し出している。
見ていられなかった私は沈黙を破った。

「クリミツだって凄いと思うよ?それに、私のこの態度はハッキリせず中途半端で失礼で」
「待て待て待て、そんなこと言うな。…俺の友達、だし」
「クリミツ…」

中学の時の彼が嘘のようだ。イジメなんて無かったんじゃないか、そう思うほど、今のクリミツは私の友人に見える。
感慨にひたっていると、クリミツは立ち上がって私の目の前に移動した。

真剣な顔だな、と思ったその時、クリミツは私に向かって勢いよく頭を下げた。

「ごめんっ!!中学で、お前のこと散々虐めたっ、もう理由は分かってると思うから、言わねぇ。でも、どんな理由があっても、あんな酷いことやっていいわけがなかった。………こんな俺の事、許してくれるか?」

クリミツは頭を下げたままそう言いきった。
一瞬喜びそうになったが、中学の時に感じた悪感情がそれを妨げた。

一年半近くに渡ったイジメの謝罪が、それか。

紡がれた言葉の少なさ、軽薄さは、クリミツがあのイジメについてどう思っているかをよく表していた。その上本人は許してもらえるものだと思い込んでいる。

だけど、私の友人だ。幼い私を何度も助けてくれた。
思春期は人を歪める可能性を秘めている。目の前の彼だって、それに影響されたに過ぎない。

イジメを受けたこと、幼い頃からの友人であること。私たちの共通の友人であり、彼が思いを寄せる龍牙。彼らと送る高校生活。
それらを天秤にかけると、呆気なく簡単に傾いてしまう。私が意志を示したところで何になるだろう。過去に感じた悪感情など、流してしまえばいい。胸の中に蔓延るこの不穏なモヤモヤは、封印してしまえばいい。

「いいよ、許してあげる」
「……ありがとう」

全部全部押し潰して、いつも通りの笑顔を浮かべる。にこりと微笑めば、頭を上げたクリミツもほっと胸を撫で下ろしている。これでいい。

これは歪な友人関係かもしれないが、私には彼らしか居ない。幼い私の心内を理解し、ずっと傍に居てくれたのは二人だけだ。片側でも失うのは耐えられない。それは中学の時に充分思い知った。あんな思いは、二度としたくない。だから、少しくらい歪でも、友人ならいいんだ。
だって、幼馴染みなんだから。

「……また、仲良くしてね」
「勿論だ。鈴も、俺の恋…応援してくれるよな」
「当たり前だよ」

そう返すと、クリミツはまた嬉しそうに笑った。年相応の無邪気な笑顔だ。

結局、私は許してしまった。友人の笑顔を見ていると、他のことがどうでもよくなってくるんだ。龍牙もクリミツも眩しい。私には無い物を彼らは持っている。羨望より尊敬が勝つ。
愛を与えられて育った人間は、こんなにも明るい笑顔を見せる。感情を抑圧されることなく育ってきた証拠だ。暖かな安らぐ場所で、自分らしく生きて、時に厳しく時に優しい周りの人間に囲まれて、彼らは育った。



いいな。
私も、お父さんとお母さんが欲しい。

いや、羨ましく思う感情はとうの昔に消えた。
……消えたんだ。



一瞬横切った不埒な考えは頭から振り切り、現実に意識を向ける。クリミツが仁王立ちして私を見ていた。また大事な話だろうか。

「…鈴、お前に言っておかなきゃならねぇことがある」
「何?」
「お前、高校で襲われまくってるよな。一日一回は襲われてんだろ」

それは言い過ぎじゃないだろうか。怪訝な顔をしてみせると、鼻で笑われた。…ムカつく。

「ふん、お前はやっぱ何も分かってねぇな。お前は気づいてねぇだろうが?お前は何にも知らねぇだろうが?俺は中学で熊って呼ばれるほど強」
「私と仲が良かったシュウ君とかユウ君を叩きのめして不登校にした話なら聞きたくないんだけど」

そうだ。クリミツは中学の時、私と仲のいい男の子を片っ端からボッコボコにしていった。そんなに私が誰かと仲良くするのが気に入らなかったのか。いじめていたし、私の嬉しそうな顔が気に入らなかったんだろうな。




…いじめで、あることを思い出した。
これは思い出さない方が良かった…!!
いや、思い出した方が良かったのか…?

クリミツが龍牙と結ばれそうなことに関して、急にとてつもない不安に襲われたからだ。そしてこの不安は、必要な不安かもしれない。


だって、クリミツの…所謂…性的趣向は、
歪んでいるかもしれないからだ。
暴力を好む傾向にある、かもしれない。



中学一年生の夏、体育館倉庫に連れ込まれた時だ。
私はいつものようにいじめられていた。酷い言葉を投げかけられ、蹴られ、殴られ、私は泣いていた。クリミツの拳が珍しく顔に入り、私は鼻血を出してしまった。顔を傷つけると雅弘さんや周りの大人にバレるから、クリミツは絶対顔を傷つけなかった。

その時、私は顔を殴られ慣れて…、まあ、腹も足も殴られ慣れたくなかったなあ。とにかく、私は顔を殴られ慣れてなかったせいで、酷く驚いた。そして反射的にクリミツを見上げ、見てしまった。

赤く染まった頬、釣り上げられた口端、僅かに荒い、興奮したような呼吸。ここまでなら若干運動で疲れた人に見えなくもない。
……問題は下半身だった。
それはそれはご立派なモノが、下半身でその存在を誇張していた。明らかなズボンの膨らみに、気持ち悪いだとかサディストだったの?だとかそんな気持ちより、驚きが勝った。その時の私は咄嗟に顔を背け、鼻血を気にしている風に装ったから、きっとバレていない。

………嗜虐的な性癖だったら、マズイ。
人を傷つけて性的興奮を得るとんでもない人間だったらどうしよう。
誰だって…まあ、性癖は自由だ。
関係の無い赤の他人がどうこう言うべきではない。

でも、クリミツは龍牙が好きだ。
もし龍牙がクリミツと付き合ったとして、クリミツの…その…あまり一般的ではない欲をぶつけられてしまったら?
考えただけでゾッとする。
酷い言葉や暴力を向けるのは私で我慢して欲しい…いや、私も嫌だ。


……
………
お腹空いたし、後で考えよう、うん。

とりあえず今は、クリミツと話をしないと。

「私が仲良くしてた男の子は、そんなに気に入らなかった?」
「……そっか。しゃあねーか。鈴はなーんにも分かんねぇ馬鹿野郎だからな」
「さっき仲直りしたよね?何で馬鹿って言うの」
「仲直りしたからって鈴が賢くなるわけじゃねーだろ」
「私が馬鹿ってこと!?」
「さっきそう言っただろ馬鹿」
「また馬鹿って言った!」
「何回でも言ってやるよ馬鹿鈴」

くっ…何を言っても言い返される。こうなると私は勝てないんだ。龍牙なら、クリミツはどもるのになあ。
そういえば、龍牙が遅い気がする。

「…ねえ、龍牙遅くない?」
「確かに。…迎えに行くか。Mineにも連絡入れとく」
「………」

もしかして、龍牙はやっぱり、嫌になったのかもしれない。私と仲直り、したくないのかも。というかそもそも仲直りしようなんて言われていない。私の思い込みかもしれない。
少し暗い気分になっていると、勢いよく肩を組まれた。

「……暗い顔すんな」
「…ありがと、クリミツ」
「行こうぜ」

クリミツ、いつもこんな態度だったらいいのにな。からかってこないで欲しい。

…少し嫌な予感がする。龍牙がここに遅れている理由は、一体何なんだろうか。

漠然とした不安を抱え、私とクリミツは購買へ向かった。
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