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黒の帳 『一つ目の帳』

看病してくれたのは

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「…んん」

どうやら私はぐっすり寝ていたらしい。

うっすら目を開ければ、部屋の電気は消してあり、部屋は薄暗かった。窓の外からは月明かりが射し込んでいる。雅弘さんと話した後、夜まで寝てしまったのか。

そうだ、私は寝苦しさで目を覚ましたんだ。何だか、お腹の辺りが重い。何かな。
睡眠をとったことで幾分か楽になった体を起こし、周りを確認した。

白いシーツに散らばる、絹糸のように美しい金色。何この綺麗な糸。一瞬驚いたが、すぐ視界にある人物が入り、納得した。

龍牙だ。
私のお腹の辺りに顔を突っ伏して寝ているらしい。

段々と暗さに目が慣れてきた。自分の格好を確認すれば、ワイシャツからパジャマに変わっている。きっと、龍牙が着せ替えてくれたんだ。龍牙はいつも私の面倒を見てくれる。

小学生の時、私が熱を出して学校を休んだ時。雅弘さんの大きすぎる御屋敷の前でプルプル震えながら、先生に渡されたプリントと、給食で出たプリンを持ってきてくれた龍牙。今でも、覚えている。午後になって熱が下がってきた私は、歩き回っていたおかげで縁側の辺りから龍牙を見られたんだ。
私が体調を崩すと、学校のどの友達や担任の先生より、心配してくれた。周りに過保護過保護とからかわれていたけど、親友だからだ!と龍牙は止めなかった。それが、嬉しかった。

高校生になっても、変わらないんだね。

静かに寝息を立てている姿は、離れていた三年間の月日を思わせず、その髪の長さだけが月日を物語る。私の看病をしていたら、寝てしまったんだろうか。ふと見れば、先程は無かったスポーツドリンクがベッドサイドテーブルに置かれている。これもかなあ、本当に優しいなあ。

嬉しくて、龍牙の頭を撫でた。見た目通り、この髪サラサラだなあ。髪は染めてしまうと、質が落ちてギシギシになるけど、龍牙の金髪は生まれつきだから心地がいい上に美しい。だが、良いシャンプーでも使っているのだろうか。こんないい手触り、女の子みたいだ。

私が付き合ってきた子は、皆髪が長い子だった。私はロングが好きなんだ。
いつだったかな、小学生の時に龍牙にそう言ったっけ。お前、好きな女の子のタイプとかあんの?って聞かれたんだ。些細な会話だ。恋バナみたいなものか。まあ龍牙は覚えてないかもなあ、忘れっぽいから。

そういえば、龍牙はどうして髪を伸ばしたんだろう。
ここ数日でも、その髪の長さをからかわれてはイライラしていた。嫌なら切ればいいのに。この長さを見る限り、中学ではずっと切らなかったんだろう。

何か目指しているものでもあるのかな。

中学で好きな物でも出来たかな?
涎を垂らす可愛い龍牙を撫でていると、龍牙が段々身動ぎし始めた。

「…ぁー、…ん?」
「おはよう、龍牙」

薄く開かれた目は状況を把握出来ていない。そのぼんやりした顔がまた可愛い。

「ありがとう。看病してくれたんだよね」
「え……、あぁ…うん…あ、俺寝てたのか!!」

可愛らしい三白眼を見開き、勢いよく龍牙が起き上がった。その格好はTシャツにジーパンだ。学校から帰って着替えた後、わざわざ私の所へ来てくれたのか。

「いいよ、疲れたよね。着替えとかこれとか…ありがとう!」
「お、お、ぅ…、あーその、熱とか…えーっと」
「龍牙、纏めて」

また龍牙の悪い癖だ。纏まりの無い話をしている。言いたいことが沢山あると、すぐパンクしてしまうんだ。

「熱無いか、測ろう。それと、体調はどうだ」
「うん、大分楽になったよ。熱も下がったと思う」

雅弘さん達と話していた時より、大分楽だ。
今日は金曜日。この週末で体調を本調子へ戻せば、月曜日からまた学校へ行けるだろう。これも、龍牙の看病のおかげだ!
龍牙が取ってきてくれた体温計で測っても、やはり熱は下がっていた。喜ぶ私にスポーツドリンクを渡し、龍牙は話を切り出した。

「…お前のじいちゃんさ、高校、辞めなくていいって。『友達が居て、そこで楽しく過ごせる、それがお前にとっての何よりの幸福なんだな。まあ、あの高校に転校すれば退屈かもしれんし、お前が傷つくことなく過ごせるのなら、それが一番良いだろう』って」
「雅弘さんが、そう言ったの?」
「うん、Mineで言われた。誤字だらけで解読めっちゃ大変だったんだぜ?」

龍牙がMineを見せてくれた。確かに、雅弘さんからのメッセージだ。平仮名多めな上に変なところで変換してあって、うん、読みづらい。…というか、いつの間に連絡先交換してたんだ。

「…あはは、約束増えてる」
「な、困った時はいつでも頼れって…。そんなの当然じゃんって俺は思うけど、…鈴は、約束にしないと、出来ないんだよな」

龍牙は少し寂しそうな顔をしている。
どうしてだろう。私が助けを求めないことに対して何か思うところがあるのだろうか。

だって、いつでも、なんて言っても、限度があるだろう。

雅弘さんは仕事が忙しいし、寝てる時や大切な会議の途中だったらそれこそご迷惑をかけてしまう。頼み事は相手がそれを了承してくれなきゃ駄目だ。いつ発生するか分からない頼み事…困った時、なんて、そんなの雅弘さんの方が困るだろうに。


小学生の時、雅弘さんはよく関西の方へ出かけていた。中学生の時、雅弘さんは周辺の組のことで悩まされていた。
雅弘さんは、いつだって忙しくて、いつも眉間にシワがよっていて、大変そうだった。そんな雅弘さんにこれ以上心労をかけたくなくて、頑張っていたのだけど、雅弘さんは頼れと言ってくれる。心配だってしてくれる。

早く立派な一社会人になって、独り立ちして、安心させなきゃ。頑張らなくちゃ。

「…鈴」
「なあに?」
「俺らさ、まだ15才じゃん。将来とか大人とか、考えないで…遊ぼーぜ」
「……」
「お前、また難しいこと考えてるだろ。頭空っぽにして暴れようぜ。小学生ん時みたいに」

龍牙は言葉足らずだけど、言いたいことは何となく分かる。迷惑かけないようにしよう、頑張ろう、とそういうことを考える私を咎めているのだろう。考えすぎだ、と。

でも、そう考えるべきだと思う。
だって、私は、雅弘さんの実の子供でも、孫でもない。私は捨て子で、優しい人に拾われ、引き取られ、こうして生きている。赤の他人に頼りすぎるのは図々しい。

龍牙は違う。優しい両親が居る。…そういえば、龍牙が不良になってしまったこと、どう思ってるんだろう。お父さんが元ヤンらしいけど、大丈夫だろうか。お母さんもかなり勝気な人だったな。可愛らしい妹も居たはずだ。あやちゃんだっけ。あの子もかなりやんちゃだ。龍牙とは三つ違うから、今は中学生だろう。
龍牙のご両親は、二人ともすごく厳しいけど、それと同じくらい、すごく優しい。二人の厳しさは、優しさからきている。そして龍牙もそれを分かっている。素敵な親子関係だ。

無償の愛。

血の繋がった家族に与えられる、何物にも代えられない、素敵なもの。
親の生死さえ知らない私には、一生手に入れられないもの。

そんな美しい物を与えられて育ったから、龍牙はこんなに美しく、可愛らしいのだろうか。流れるような長髪、屈託の無い眩しい笑顔。妬む心は思い出せない程幼い時に消え去った。あまりにも差がありすぎて、諦めがついたんだ。それ程までに龍牙は眩しい。

龍牙はこれを考えすぎだって言うんだろうな。頼ればいいよ、遠慮すんな、そう、言いたいんだ。
龍牙はそれでいい。でも、私はダメだ。

龍牙は、親が居るから。
私には、居ないから。

それだけだ。私には返さなきゃいけないものが沢山ある。施設の人も雅弘さんも、様々な物を私にくれた。雅弘さんにはお金も沢山返さないと。
無償の愛なんて、私にはそんなものない。
私は捨て子なんだから。一番必要としてくれるはずの人達に、捨てられたから。

「……ごめんって、そんな顔すんな」
「…うん」

そんな顔か。どんな顔かな。
でも、昨日の帰りの出来事を覚えている私は、聞けなかった。どんな顔?って聞いたから、龍牙に嫌な思いをさせてしまったんだ。
分からないから、適当に相槌を打った。
…そういえば、前髪は下ろしてある。それなのに、龍牙はどんな顔か分かるんだ。すごいなあ。

「あ、お見舞いに行くって言ったらさ、C組の奴らが色々くれたんだよ。お菓子、トランプ、UNO、DVD、飲み物、おでこの冷やすやつ、店で売ってる風邪薬…」
「…ふふ、凄いね」
「貢いでるみたいだよな。あ、それと、何か知らんけど、メガネの五人組から、これも」

成程、やたらと大きいビニール袋があると思ったら、そういうことだったのか。菊池君や遠藤君、新村君に岡崎君に渡辺君に…、仲良くなれたC組の皆を思い浮かべる。心配してくれたんだな。まあ、トランプとかで遊べる元気があったらもう大丈夫って言いたいんだけど…、気遣いだろうな。
龍牙が最後に見せたのは、よく分からないアニメのキャラが描いてあるポーチだった。可愛い女の子だ。

「オシじゃないからあげるって」
「へえ、何のキャラかな」
「知らね」

入学して数日、まだ少ししか喋ってない。それなのに、こんなに心配してくれている。うん、絶対高校は辞めたくない。こんなメンバーなら、絶対、面白おかしく、楽しく過ごせる。
あ、そうだ。

「紅陵さん、…どうしてた?」

昨日、あんな別れ方をしてしまった。彼に聞きたいこと、話したいことがある。
今日は屋上でお昼を食べてたのかな、私の事、待ってたかな。一緒に食べようって、約束したからなあ。
でも、私がその疑問を口にした途端、龍牙の表情が暗くなってしまった。紅陵さんのことをどう思っているんだろう。私が見た感じでは、仲は悪そうじゃなかったんだけど。
でも、見ていて分からないことだってある。だから私は質問をすぐに取り下げようとした。

「ごめん、何でもない」
「靴」
「…?」
「靴、返すって。渡されたんだよ、鈴が学校の中歩くのに使ってたクロッケス。洗ったから大丈夫って言ってたぞ。あ、俺、何があったかは、鈴が寝たあの時に屋上で教えてもらったからな。…あんな靴要らないだろ、な?」

靴、クロッケス。
あの血のついた靴のことか。でも、それなら受け取れない。

「……うん、要らない」
「へえ、そう。じゃあアレは」

龍牙が、何故かは分からないけど嬉しそうな顔をした。

「俺が捨て」
「紅陵さんの手からじゃないと受け取らないって、そう言って欲しい」
「……はぁ?」
「靴を受け取ったら、紅陵さん、私と会ってくれない気がするから」

気がするとは言ったが、確実にそうだろう。

紅陵さんは、怯える私にショックを受けていた。私とはもう会ってくれないかもしれない。
紅陵さんについて知っているのは、カフェに入り浸っていることと、屋上がいつもの場所、といったことしかない。屋上やカフェで拒否されたり、頭のいい紅陵さんに隠れられたら、話が出来ないかも。

この靴を受け取ったら、ダメな気がする。

そう思って言ったのだけど、龍牙は先程の比じゃないほど不機嫌になってしまった。

「龍牙は、紅陵さんが嫌い?仲良さそうに見えたんだけど…」
「ああ、嫌いだ。仲良さそうに見えるなら、鈴は大バカだな」
「……」

ふん、と拗ねて、龍牙は他のビニール袋を探ると、部屋を出ていこうとする。このまま帰ってしまうんだろうか。私は、また嫌な思いをさせてしまった。

昨日、置いていかれた時、すごく寂しかった。クリミツだけが追いかけて、私は皆に止められた。私は、ダメなの?そう思って、胸がきゅうとなって、辛かった。

まだ少し怠さが残っているけど、ベッドからゆっくりと起き上がり、龍牙に近づく。

「…ごめんなさい。龍牙、おいてかないで」

寂しいから。龍牙、頼って、いいんだよね。
引き止めないと、行ってしまうかもしれない。恐る恐る、龍牙のシャツの裾をそっと掴む。ちょっと引いたらすぐ離れるような力だ。龍牙が少しでも嫌がれば、離れられる。

「ご、ごめんね、嫌な思いさせて。でも、私、昨日置いてかれて、すごく、こわかった。だ、だ…だから、お、おいてっ……いかないで」

ダメだ。少し、嗚咽が混ざってしまった。こんな、同情を誘うようにすすり泣く気はなかったのに。情けないな。
龍牙に置いていかれる寂しさ、龍牙が転校してしまった時の寂しさ、それを思い出してしまった私は、今の空気にどうにも耐えれられなかった。

雅弘さんや氷川さんが出ていった時とは違う。今は追いかけられる。それに、部屋を出ていく理由も違う。あの二人は仕事だったけど、今の龍牙は私が嫌な思いをさせたからだ。謝りたい。

視界が少しぼやけてきて、雫が零れないように必死に目を見開いた。
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