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目覚めよ、選ばれし者よ!

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「っこ、これは……!?」
「言ったでしょ! 死ぬより辛いめに遭わせてやるってぇ……!」

 ペン先からは、今なお微かな光が、夏の蛍より儚く瞬いていた。
 暗闇のどこかから、ラーナの声が響く。
 それは前から後ろから、右から左から、上から下からと多重音でエコーがかかる。
 ビリビリと鼓膜を震わせ、脳みそを直接振り回されたような不快感があった。

 しゅるる、と、闇の中で何かが蠢く。
 蛇が這いずるような音。
 それは、さっき私の首に巻き付いたラーナの髪を思い出させる。

「魔族よ……なぜ、おまえが、この家の娘のように振る舞う。まことの娘は、どうした!?」

 居所のしれない敵を探ろうと、ついでに時間稼ぎと、更にマレフィアに私の位置を知らせる目的で私は声を張り上げた。
 ビュンと鋭く何かがしなる音がして。

「ぅぐっ……!」

 私の首に。手首に。足首に。次々と絡み付くもの。
 ギチギチと、それはやはり蛇がそうするようにゆっくりと締め上げてくる。

「はぁ? なに言ってるの。まこともなにも、あたしがウーの娘よ! ウーは、不死王様と契約するためにあたしをあのお方に捧げたの」

 ギュウと締め付けられた私の首が、グンッと引き上げられた。

 爪先すらも地から離れ、体がふわりと浮き上がる。そうしてビタン! とどこかに叩きつけられ全身が痛かった。

 カラン、と私の手から滑り落ちた愛用のペンが闇に呑まれていく。

 仄かな蛍火の如き瞬きが。

「ぐぁっ……な、なん、と……。ふ、ふしお、う……だと?」

 しかし、そこに頓着している場合でもなかった。
 ふしおう。……不死王? なんだ、それは。
 わからないが、ゾクリとするなんとも不吉な名前だった。
 
「なぁんにも知らないのね! まぬけ! 不死王様は、この土地の領主様よ」
「……ぅ?」

 どういうことだ、ますます訳がわからん!
 ギチギチと締め付けが強まり、思考が散漫になる。

「本当になんにも知らないのね? よくそれで魔王様を倒そうだなんて思えるわ。あぁ、なんにも知らないから身の程弁えずにそんなことを思えるのかしら?」
「な、ぅ……み、身の程、だと……」
「ふざけたおまえに教えてあげるわ! 偉大なる魔王様とその四魔候様たちのこと」

 ラーナの声には、心酔する者について誰かに講釈を垂れるとき特有の昂りを感じられた。

 正直にいえば、彼女の内に沸々と沸き起こる喜びのような感情は理解できるものだ。

 私もまた、勇者について語るとき、きっと彼女と同じく静かなる昂りを禁じ得ないのだから。

「魔王様は言わずと知れた魔族の王! 愚かな人々を支配するべく、驕り高ぶった光の神ルクスをこの世から葬り去り、闇の世界をもたらしたお方よ!」

 聞き捨てならなかった。

 光の神ルクスはまだ葬り去られてはいないし、そもそも驕り高ぶったりもしていないのだ。

 しかしなにかを反論しようとした私の口は、開いた瞬間、ズボッと髪の束が入り込みギュウギュウと舌を捻り上げた。

「ぁがっ……ぁががががかぁぐぁ!?」
「おとなしくそこで聞いてなさい、間抜け! 四魔候様は、魔王様の下に集った幹部よ。ひとりひとりが魔王様に匹敵すると言われるほどの力や知恵を備えているわ。なかでも不死王様よ……!」

 ラーナの声によりはっきりと興奮の気配が宿っていた。
 それと共に私を締め上げる髪にも力が加えられ、私の肩や腕があらぬ方にメキメキメキッと曲げられていく。

「んぐぐぅぅう……!!」

 痛い!
 あまりにも痛い! いや、痛いなんてものではない! このままでは身体がバキボキに折り曲げられへし折れて死ぬ!

「不死王様は、アンデッドを率いる常闇の国の王。死を超越し、魂なき抜け殻に新たないのちを宿し、決して死ぬことのない軍団を作り出せる! 不死の軍団は、反抗もなく恐怖もなく、不死王様のためだけに永遠に戦い続けるのよ」

 ラーナの、陶酔したように語る声音。
 私は、奇妙な引っ掛かりを覚えていた。

 アンデッドの軍団……。
 それは、ウー・サンクスと出会うきっかけともなった隊商襲撃者たちでもある。

 ウー・サンクスと、アンデッドたちは裏で繋がっていた……?

 彼は、不死王とやらと誼を繋ぐため、自らの娘を差し出したというのか? ラーナ、を?

「不死王様は……あたしに力を、新たないのちを、授けてくださった」

 暗闇の中、仄かに光るのは金の髪。
 私に絡みつき、ギチギチと締め上げるそれが、無限の頭を持ち永遠に死ぬことのない蛇の化物のように思えた。
 いや、事実そうなのかもしれない。

「お父さまは富を。あたしは永遠のいのちと美貌と力を……!」

 しゅるしゅると髪の束が三つ、くねくねと編み上げられていく。
 その内先端が尖り、硬質な、槍の穂先のように鋭くなって私にぴたりと向いていた。

「それを……おまえは! あたしの、きれいにきれいに整えた髪! 不死王様にお褒め頂いた髪……! よくも……!」

 爛々と光る深紅の眼が、編み上げられた髪の向こうに見えた。
 ゾッとするほどの痛烈な敵意がそこにある。

 だがちょっと待ってほしい!
 私が千切ったのはほんの一房! 飛び掛かる火の粉を振り払うが如き振る舞いにほかならない!
 ほかの髪をぶちぶちに千切ったのはマレフィアなのだ!
 なのになぜ私が標的なのか!?

「んぐ~! ンムム――!」

 しかし異議申し立てしたくとも、舌を捻り上げられてもちろんできない。
 嗚呼! このまま私は、舌を引き抜かれ四肢をあらぬ方に折り曲げられてしまうのか!?

 嫌だ……!
 助けて……!
 勇者……!

 私は必死にもがき、呻いた。
 それがラーナにはどう見えたのか。

「なぁに……命乞いでもしたくなった? いいわ、最期の言葉くらいはちゃんと聞いてあげるわよ」

 舌を捻り上げていた髪がずるりと解け、私の口から引き抜かれる。

「えっほ……ぅごっ、がはっ……げぇっ!」

 当然ながらえずいた。
 口の中にはまだ微細な毛が残っているような嫌な感覚が残っていた。
 苦しくて堪らなかった。

「さぁ、言いたいことがあるなら……言ってごらんなさい。情けなく命乞いするなら、あたしから不死王様にとりなしてあげてもいいわ」

 クスクスと鈴を転がすような声で笑うラーナ。果たして、今の姿は、彼女がまことに心から望んだものなのか、私には計り知れない。
 
 ただ、せっかくの好機だ。
 逃す手は、なかった。
 すう、と大きく息を吸う。

「目覚めよ、勇者よ! 今こそがその時! 選ばれし者よ! その光は、闇を切り裂くもの――」

 私は叫んだ。
 ふいに、闇の中に微かな蛍火の如き瞬きが起こる。

「おまえっ――」

 ラーナが怒りに眼をぎらつかせ、槍の穂先が今まさに私に向かって鋭く飛ぶ!

「神の息吹より生じたるマナよ、小さきいのちの煌めきたちよ。マレフィアの名の下に、いまおまえたちに新たな意味を授けましょう“アウェイキン”!」

 ――カッ!

 闇のどこかで、光が弾けた。

「ルクスフルーグ……!」

 闇のどこかで、強い声がした。

「な、なに……!?」

 闇のどこかで、狼狽える声がした。
 何かがカタカタと震えるように音を立てて、ビュッと鋭く風を切る。

「バカなっ……!? どうして……剣が、勝手に!?」

 ラーナの驚愕の声と、時を同じくして。

「ルクスフルーグ、ごめんよ。君を、ほんのいっときでも手放してしまって。……お願いだ、力を貸して。――“闇を切り裂く光テネブラス・カエデンス”!」

 それは、勇者の声だった。
 その声と共に、抜き放たれた宝剣ルクスフルーグから、一層眩い光が溢れる。

「ひ、ぎ、ゃ……ぁああああああああ!!」

 私たちを飲み込んだ暗闇も、私を捕らえていた悍ましい髪も、私にいまかいまかと狙い定めていた槍も、一瞬で。
 光の斬撃が切り裂いていった――。

「ぎゃっ」

 私を支えていたものがなくなり、ふいに生じる浮遊感と共に、私は床にドンッと落ちた。
 今夜はつくづくと全身打ち付ける日だ!

「無事、ですか?! レリジオさん……!」

 剣を構えたままの姿で、勇者が言う。

「ごめんなさい、僕……ずっと、気付かず寝ているなんて」

 勇者の瞳は、いつになく怒りに燃えて鋭いものだった。

 光に焼かれたように、爛れた肌からぷすぷすと煙を立てるラーナが、勇者の視線の先にいる。

「ラーナさん……なぜ……」
「あっ、あぁああ……! 痛いっ苦しいっどうしてっ……!? 不死王様のくださった、完璧ないのち、完璧な肉体のはずっ」

 ラーナは、痛みに苦しみ、悶絶し、混乱していた。勇者の問いかけなど、耳に届いてはいないようだった。

「無駄よ、勇者。その子は……もう、とっくに魔性の仲間入りをしている。アンデッドなのよ。だから、あなたの剣で……」

 マレフィアが、厳しい表情で言った。
 眩い光の下、スケスケのローブに下着姿。
 嗚呼! それは勇者には刺激が強いのではないか!?

「……ラーナさん」
「あぁぁ、あ……ぁ……くそ、くそ、くそぉ……ぶっ殺してやる! くそどもがぁぁあ!」

 ラーナは、もはや完全にひとが変わっていた。焼け爛れた顔、肌。憎悪に滾り、なお爛々と光る深紅の眼。骨を剥き出しにしたその腕で、勇者に向かって駆け出していく。

「がぁぁぁあ……!」

 それはもう、理性も心もない、ただのアンデッドだった。
 勇者は、怒りに燃える瞳の中にほんの一瞬哀しみを湛えて。

「せめて、安らかに……」
「あ、ぁ、ぁ、ぁ――」

 勇者の剣が、光と共に翻る。
 その切先がラーナに触れ。
 パァッと光の粒子となってラーナの体が消えていく。

 それは、勇者の慈悲の心がルクスフルーグを通して与えた、浄化と祝福の光であった。
 
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