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珠と巫女
しおりを挟むシュシュリは、乳白色の滑らかな宝玉を皆の前に置いた。
おぉ、と長老から感嘆にも似た声が漏れる。
「これが、竜の御珠……! アヤリよ、どうじゃ。なにか」
感じるか、と長老がアヤリを見る。
アヤリは、瑠璃色の瞳を見開き、口を手で覆って呼吸すら忘れているようだった。
「アヤリ? どうした、だいじょうぶか?」
シュシュリがアヤリの背中を撫でる。ハッとしたようにアヤリはシュシュリを見返して、こくんと頷いた。
「竜の御珠は、テン族がその昔……大地を統べる龍神と契り、分け与えられたもの。と言い伝えられておりますな、長老殿」
未だ縛られたまま、燕白が言った。
長老の顔が不審に歪む。
ただの円華の将が、なぜこんな辺境地の少数部族の伝承を知っているのか、と言いたげだった。
「実際、御珠には強い力が宿り……魔獣湧き出る穢れた土地を浄化することができる」
燕白は長老の表情の変化を気にするそぶりもなく、淡々と語る。
「ここまでは、概ね誰でも知っておることですな。もはや御珠の伝承来歴は、円華では忘れられつつありますがなぁ……。しかし、御珠の本当の力とは、その程度のものではない」
燕白は、ちらりと視線を流す。
その視線の先は、アヤリだった。
シュシュリは一瞬ドキリとする。燕白の視線からアヤリを隠すように半歩前に出た。
「あちらの……巫女。アヤリ殿と申されましたなぁ。本来なら、わしに捧げられるはずでもあった」
「無駄口を叩くなら容赦しないぜ」
「おっと。ハイハイ。……その巫女殿が……もうご本人もなにか感じておいでかもしれんな」
ヨエが鋭く口を挟み、燕白はヘラヘラと笑っていた。その細い目が微かに開かれ、アヤリの前に立ちはだかるシュシュリを見る。
底の知れない、感情の読めない顔だ。とシュシュリは思う。
ただなにか、言い知れない焦燥のようなものを感じてシュシュリは思わず口を曲げた。
「シュシュリ……? 私はだいじょうぶよ。少しだけ、いい? 長老様も」
アヤリが、シュシュリの手をそっと握りながら言った。その瑠璃色の瞳が、シュシュリを心配そうに見上げてもいる。
「アヤリ。……なにか、感じるのか? あの珠を見たとき、息が止まっていたな」
「と、止まってはいないわ!?」
アヤリの、シュシュリより少し薄い色味の琥珀色の肌がさっと赤く色付いた。
照れたようなその顔にシュシュリも思わず笑って。
「よかろう。アヤリよ。巫女のおまえにしかわからぬことも、色々あるじゃろう」
長老も頷いた。
アヤリは、そろそろと御珠に近づき、手を伸ばす。
珠にアヤリが触れた、その刹那。
「きゃあ!」
バチッとなにかが弾けるような音がして、アヤリは雷にでも打たれたかのようにびくりと震えると、その場に倒れ意識を失った。
「アヤリ……! 燕白、貴様。これはどういうことだ!?」
シュシュリは急いでアヤリに駆け寄りながら、キッと燕白を睨む。
ヨエが再び剣を抜き、燕白に突き付けた。
「巫女殿と、御珠の力とが強く感応したのだろう。浄化や予知、そうした力を持つテン族の巫女なら……御珠を通じ、龍神の神通力に当てられもする」
燕白は、睨み付けるシュシュリに、柔らかく微笑んだ。
「心配いらん。そのうち目覚める。その時……巫女から、良い託宣も得られるかもなぁ」
「シュシュリ! 長老! こんな胡散臭いやつを信用するのか? 本気で」
ヨエの声はより鋭くなる。
「ヨエ、よすのじゃ。……たしかに胡散臭い、怪しい限りじゃが」
「せめて、巫女が目覚めるのを待ってみてくれないか? わしを殺すのは、それからでも遅くはないと思うぞ」
燕白の言葉に、長老が頷いた。手振りでヨエに剣をおさめるよう指示すると、長老はシュシュリに言った。
「そやつはわしらが預かる。シュシュリよ、おまえはアヤリについてやっておあげ」
「長老……。わかった。……あ、でも。……その男も、疲れている。水と食い物くらいは、やってくれ」
「うむ……わかっておる。アヤリが目覚める前に飢え死にしては、寝覚めも悪い」
シュシュリはアヤリを抱き上げながら、改めて燕白を見た。
相変わらず感情の読めない顔だが、シュシュリの眼差しに気付くとまた微笑んだようにも見えた。
「来い。おまえはコッチだ」
ヨエが燕白を引き立てる。
燕白はふらつき、よろけながら、ヨエに連れられ洞窟の奥へ消えていった。
***
この洞窟は、テン族が長い時を掛けて少しずつ広げ、整えていった、人工のものだった。
いざという時の隠れ里として使われてきたこの人工洞窟で、シュシュリたちはしばらく暮らすことになるだろう。
アヤリとシュシュリのためにと整えられた小部屋。
その壁岩をくり抜き切り出した寝台の上に、シュシュリは気を失ったアヤリをそっと下ろした。
アヤリの手には、竜の御珠が握られている。
乳白色の滑らかな珠が、アヤリの呼吸に合わせて仄かに光っているのがわかった。
額に落ちたアヤリの紺色の前髪を指で漉きながら、シュシュリはほっと息を吐く。
アヤリの呼吸は穏やかで、目蓋を閉じたその顔も落ち着いていた。
柔らかくなめらかなアヤリの頬を優しく撫でながら、シュシュリは微笑む。
「アヤリ……今度は、いったいどんな夢を見ているんだ?」
アヤリは、小さな頃から不思議な夢をよく見る娘だった。
深く澄んだ瑠璃色の瞳は、シュシュリとアヤリの母によく似ているという。
ふたりの母親も、巫女だった。
浄化の力を持ち、予知をし、テン族の皆を導いてきた。
それらは全て、長老やほかの大人たちから聞かされた話だ。シュシュリとアヤリがまだ物心つくよりも前に、母は亡き人となってしまった。お互いしか家族のないシュシュリとアヤリは、ずっと仲の良い姉妹だ。
シュシュリにとってアヤリは宝物で、アヤリにとってもシュシュリはそうであるだろう。
だが、巫女の力に目覚めてからは、アヤリはシュシュリひとりのものではなくなってしまった。アヤリは村のため、小さなうちから巫女としての使命を果たさねばならなかった。
「アヤリ……おまえにばかり、大変なことをさせてしまうな。私は、アヤリのお姉ちゃんなのに」
シュシュリは、アヤリのために強くなろうとした。
女の身で剣を学び、弓を習い、馬を駆り、荒野に魔獣を狩りに出た。
ほかの女たちのように男と添い、子を育てるのは、アヤリにだけ負担を強いるように思えていやだった。
「私が、巫女だったら……」
よかったのに、と。これまで何度思ったかしれないことを、ぽつりとこぼす。
自分が巫女なら。可愛い妹に、辛い役目をやらせずに済んだろうに。
シュシュリは、無力感に苛まれながら、アヤリの手を握った。
「せめて……私が、アヤリを守る」
アヤリにばかり、辛い役目を任せておいたりはしない。
シュシュリは、そう思いながら、アヤリが目を覚ますのをじっと待った。
待つことしかできない自分に、歯痒い思いもしながら。
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