【R18】暗殺、失敗。それから、

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新しい総督、いざ暗殺。

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 パシュンッと空気の破裂するような音と風を切る音がする。
 次いでギュアっと断末魔と共にドサリと地に倒れ伏したのは、悍ましい姿の獣だった。

「シュシュリ、そいつで最後みたいだぞ。今日のところは」
「そうか。今日だけで、小さいのばかり七頭……おかしいな」

 浅黒い肌の男と、シュシュリと呼ばれた、男と同じ肌色をした女。ふたりの手には朱塗の弓と、矢が握られていた。

「中央で政変があったらしい……ここらの鎮守府の人事も変わるだろうぜ」
「それでか。……今度の将軍はどんなボンクラだろうな」
「さぁてな……。政変やらなんやらでコロコロ変わるようなよそ者に、いつまででかい顔させとくつもりかね、長老たちも」

 男がぼやく。
 シュシュリもそれに頷きながら、黒い靄の立ち込める荒野に目を向けた。
 広がるのは不毛の大地。
 しかしこの黒い靄を越えればその先には永久の楽土とわのらくどがあるとも言われていた。

竜の御珠りゅうのみたま、さえあれば……この不毛の土地もどうにかできるんじゃないのか……? もともと、私たちのモノだったんだ。御珠も、土地も」
「……そうだがな、いまさら難しいだろ。相手は大国なんだぜ」
「……あぁ……言ってみただけさ」

 シュシュリは紅玉色の瞳を伏せると、踵を返す。

「アヤリを呼ぼう。この辺りを浄化してもらわないとな」

 そう言ってシュシュリは男と共に里へと戻っていった。

***

 ――リィン。

 高く伸びやかな、澄んだ音色が耳に届く。
 暮れなずむ空の下、鮮やかな布を何枚も重ねた装束に身を包む美しい娘が、鈴を鳴らして練り歩く。
 その鈴の音に散らされて、黒い靄が払われていく。
 シュシュリは、一つ下の妹のアヤリの鎮護の祈りを護衛しながら、群青に染まっていく空にチカチカと光る宵の明星を見上げる。

 不意に、星を翳らせる漆黒の影が差した。
 それは、いかにも不吉な前触れのように。

「アヤリ……!」

 シュシュリは、祈りの途中で妹の手を取り引き寄せる。

「シュシュリ……。もう、私の祈りだけでは、この地の魔性たちを鎮められないわ。鎮守府の助けを、呼ばなくては」

 引き寄せられた巫女アヤリは、瑠璃色の瞳を翳らせて言った。
 シュシュリの顔が強張る。

「鎮守府……? 円華えんかのボンクラどもを?」
「彼らは……竜の御珠を持っているもの。それを使えば、魔獣の群れも一層できるわ……私の、力では……できない」

 アヤリは、責任感の強い娘だった。
 最近とくに頻出し、大地を枯らし家畜を襲う魔獣たちを払いきれないことに、巫女としての無力感を覚えているのだ。
 シュシュリにはそれがよくわかった。

「長老たちが言うの。……鎮守府に、新しい将軍が総督として赴任するから。私が、貢物として夜伽にでもなれば……」

 便宜を図ってもらえるだろう。と、アヤリは長老たちの言ったのだろうことを口にした。
 シュシュリは、カッと頭に血が昇るのを感じる。

「バカなことを……! アヤリ、そんなこと私が許すわけないだろう!?」
「シュシュリ……でも」
「ダメだ! アヤリ。そんなことは、絶対に許さないからな」

 シュシュリは頑としてアヤリに言い置き、ぎゅっと唇を噛んだ。
 その紅玉の瞳に、決意を漲らせる。

(私が……アヤリを、そして皆を守る!)

***

 しばらくして。

 円華帝国中央府より、シュシュリたちの暮らす辺境の地方鎮守府に新しい将軍が就任した。
 ここ、大厄の荒野と呼ばれる地には、魔性の獣が次々と生まれ、大地を穢し人々を苦しめていた。
 鎮守府には、竜の御珠と呼ばれる強い力を持つ至宝があった。
 鎮守府総督には、御珠を守り活用し、荒野から生じる魔性を打ち払う重責が化されている。

***

 辺境地の鎮守府に就任した新将軍は、陶 燕白トウ エンハクという。
 円華帝国中央府の宮廷で、皇帝からも一目置かれた出世頭だった、というが。
 

 
 いま、鎮守府内邸の総督の寝室では、ギラリと光る鋭く冷たい刃が誰あろう燕白の首筋に添えられていた。
 刃を突き付けるシュシュリの紅玉色の瞳が、カッと燃えるように燕白を見上げ睨め付けている。

「声を出したり抵抗したり、ヘタな真似をしてみろ……頭と体は泣き別れすることになるぞ」

 シュシュリの押し殺した脅しの声音に、燕白は両手を広げ見せて、目元だけで頷きを返してみせた。その顔色はすっかり白く色を失くしている。

「とんだ軟弱者のようだな……貴様」

 シュシュリから漏れるのは思わずといった呆れの声だった。
 燕白は、ただひくりと頬を引き攣らせる。
 口元から長く伸びた鯰のような髭が、それに合わせて触角のように動いた。
 シュシュリは眉をひそめる。
 しかしこうも軟弱なら案外話は早いかもしれない、と思い直して言った。

「……まあいい。死にたくなければ、竜の御珠を寄越せ」

 燕白の切れ長のやや細い目が片方だけ、驚きにか見開かれた。
 口を開き、閉じ、ぱくぱくと何度かそれを繰り返す。
 これでは本当に鯰のようだ、とシュシュリは妙に苛立った。

「なにか言え!」
「こ、声を出すなと言ったのはそちらだ。……良いのかね、喋っても」

 相変わらず刃を突き付けられたままだ。燕白のその物言いも仕方ないことではあったろう。
 燕白は寝間着姿のままで無防備そのものだった。
 そもそも夜伽だと言ってやってきた女が突然刃を突き付けてきたのが始まりだ。
 男は無手。生殺与奪は女が握っている。

「……必要なことだけ言え。竜の御珠はどこだ?」
「……そ、それは……つまり……そなたは畏れ多くも円華帝国皇帝よりこの地に分け与えられし鎮護の要を寄越せ、と……そう言っているのかな?」
「なにが皇帝の分け与えた、だ。もともとあれは私たちテン族に伝わる宝。それを奪ったのはお前たちだ」
「おぉ……なるほど……そなたはテン族の刺客……。テン族の長からは、友好の証として鎮護の巫女を差し出すと聞いていたが……そなたがそうとは……」
「アヤリを貴様のような軟弱なよそ者にくれてやるものか!」
「そうか……ではそなたは……替え玉か」

 燕白は片頬を引き攣らせたまま笑った。
 シュシュリは、その顔にぐっと刃を更に押し付ける。

「ヘラヘラと。……貴様をさっさと殺すこともできるぞ」
「……殺すつもりなら……もっと早くに、いくらでもその機会はあったのではないか? 御珠の在処。それを知るまでは、どれほど脅してはみても……わしのことは殺せん、のだろう?」

 燕白は顔色こそ悪かったが、その笑みはどことなく意地の悪いものだった。
 シュシュリは、事実痛いところを突かれた。
 鎮守府内邸は広い。
 人の目も多い。夜伽のための貢物として寄越された女には、自由に動き回る権利もない。
 この男を殺すことは、シュシュリの目的を遠ざけるばかりか、自らの命も、ひいては部族皆の命も危険に晒すということにほかならなかった。

「死ぬほうがよほどマシだという目になら、いくらでも遭わせてやる」

 シュシュリは、素早く刃を翻す。
 その白刃は、燕白の肉の薄い頬をざくりと切り裂いた。

「うぐぁっ……!?」

 燕白は鋭い熱と痛みに呻き、頬を手で抑えて蹲る。寝台の白い敷布には指の隙間から染みた血がポタポタと滴り落ちた。

「……さぁ、どうする。次は、耳がいいか鼻がいいか、それとも指か」

 シュシュリは、刃を燕白の耳に添えて言った。

「ま、待て……待て待て……!」

 切られた頬を手でしっかりと押さえたまま、燕白は顔を上げ必死の様子でシュシュリを見上げた。
 顔色は白を通り越してもはや蒼い。

「言う気になったか?」
「ここまでしたなら、御珠を無事手に入れた暁には、もう用はないとばかりにわしを殺す気ではないか?」

 燕白の言葉に、シュシュリは黙り込む。

「や、やはり……そうか。……嗚呼、だから嫌だったのだ。こんな辺境の鎮守府の総督など。……だが」

 燕白の黒い瞳が、シュシュリをじっと見つめる。

「そなた、名はなんと言った?」
「……テン族の戦士、シュシュリ」
「そうか。わしは燕白。……シュシュリよ、御珠をそなたに渡せば、わしは……仮にそなたに見逃されても、どうせ死罪は免れん」

 燕白の手が、シュシュリの無手の方を掴んだ。

「貴様……っ」
「頼む……! どうせ最期なら……せめて! そなたの如き美しい女人を抱いてみたい! 抱かせてくれ!」
「……、な、……なに」

 シュシュリは、燕白の言葉に虚を突かれた。
 
「わしはもうどう転んでも死ぬのだ。ならば冥土の土産だ。嫌だというなら好きなだけ拷問するがいい。しかし、わしは泣き喚きながら死ぬぞ! 肝心なことはなにも言わずに。泣き喚いて糞尿ぶちまけて呪いながら死んでやる……! わしも死ぬがそなたもそなたの部族もただでは済むまいな!」
「……は、恥ずかしくないのか貴様。そんなこと……仮にも、武門で鳴らした円華の官が。鎮守府の総督が」
「……く、くく。……わしは元々文官志望。円華の脳筋共があちこちの文化と書物を打ち壊して回るから、それらが失われず済むよう仕方なく出世して、保護に尽力してきた……。しかしその結果がこのザマよ。わしは疎まれ、辺境に追いやられ、刺客に殺されて終わる……!」

 ならば、と燕白はなおもシュシュリに必死に縋った。

「死に行くさだめを避けられぬなら、せめて……。それに、テン族は、死を覚悟した者には誠意を持って報いるのが掟というな!? ならば、誠意を見せてくれ! 御珠の在処は言う!」
「……な、なぜ、貴様がテン族の教えを」
「文化の保護に尽力してきたと言ったろう!」

 シュシュリは、当惑した。
 死を覚悟し、命を賭けて約束する者には誠意を持って応える。それはシュシュリたちにとって大事な誇りでもあった。
 しかし。

「円華人は、嘘吐きだ。……信じられない」
「巫女を寄越すと言いながら刺客を寄越してきたテン族は、随分と正直者らしいな……?」
「それは……っ」

 燕白は、どうにも口の回る男らしい。
 シュシュリはぐっと呻いた。
 
「手を……縛らせろ。貴様に自由は与えない」

 刃を突き付けたままのシュシュリの言葉に。
 燕白は細い眼を見開き、ニヤリと笑った。
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