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愛は勝つ!

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 散々こけにしてくれたレーゼを倒すべく、私は身なりを整えた司祭様を抱えて夜の街へと飛び立った。

 私に抱えられることを最初は渋っていた司祭様も、これ以上時間を消費したら逃げられるかもと言ったら呻きながら了承したのだ。

「ちゃんと掴まってて」
「つ、掴まる、とは言っても……だな!」
「アタシの首に手を回して! 落っこちたら死ぬわよ!」

 そう言いながら高度と飛行速度を上げれば、司祭様も恐怖に身を竦ませてひしっとしがみついてくる。
 首に回される司祭様の腕。ぎゅうと抱きつくその体がカタカタと小刻みに震えている。怖いのもあるだろうし寒いのもあるだろう。
 その様子がいじらしくて思わず緩みそうになる顔を頑張って引き締めて。

「……って。どこをどう探せばいいのよぅ!」

 レーゼの居そうな場所なんて思いもつかない。
 もしかしたら既に街からだって逃げ出しているかも。

「私が……。……探知を、してみよう。……セレミア……昼にレーゼに襲われた娘に残ったやつの魔力の残滓は覚えている。あれを辿れば、たどり着けるはずだ」
「……ふぅぅうん? ……いいわ、じゃあやって」

 司祭様は眉をぎゅうと寄せて暫く瞑想のように目を閉じた。
疲れてやつれた顔、深く濃い隈に彩られていっそう暗く見える。
 しんとした無音の時間。どれほど経ったのか、そろそろ私が焦れてきた頃になってようやく司祭様の目が開いた。

「街を出て東の森だ、蠢くおぞましい気配が強い。巣があるのかもしれん」
「やっぱり街を出てってたのね。でも逃がさない。……司祭様、しっかりぎゅうってしていてね」
「へ……ぅっひ……!? う、うわ、ぁぁあ……!!」

 翼をばさっと羽ばたかせ、これまでにない猛スピードで街を後にする。
 司祭様の悲鳴も風に潰れて聞こえやしないのだった。

―――

 しばらく飛んでいくと見えて来る暗い森。
 上空まで来ると、私にも嗅ぎ覚えがあるような嫌な匂いが鼻につく。

 居る。レーゼは確実にこの森に居る。

 更に飛んでいくと、匂いも気配もますます強く濃くなっていく。
 あふれ出るおぞましい瘴気が森の一部を黒く染め上げて、視界を奪い、何も見えなくなった。

「慎重にな、慎重に……」
「わかってるわよ、司祭様ったらいちいちうるさっ……ひぁン!?」

 黒い靄の上を横切ろうとした私の足に、何かがしゅっと巻き付いて。
 恐ろしく強い力で引っ張られた。
 私は司祭様をぎゅっと抱きかかえながらもその力に抵抗しきれず、そのまま靄の中に引きずり込まれていく。

 どぷ。

 重苦しい膜を越え、粘つく泥土の水の中に飛び込むみたいな微かな抵抗感に包まれながら靄の中。
 獣魔のときも似たような感覚はあった。けれどあれよりもずっと強くて重くて、息苦しい。

「くけけっ……!わざわざ食われに来たかよ、クソ雑魚司祭に生意気な夢魔ァ!」

 その声は確かにレーゼのものだった。レーゼの可愛らしい声に、重低音と超高音とが何重かに混ざり合って鼓膜から入り込み脳内を揺さぶるような、魔力の乗った声。
 私の足に巻き付いたものは、異形の悪魔から飛び出す何十何百もの触手の一本だった。

 硬い剛毛に覆われた大きな体から、たくさんの触手が伸びている。
 毛の隙間から覗くぎょろぎょろした目も百以上ありそうで。
 自在に動くらしい多数の触手が私の体に巻き付いて、更に司祭様の体にも巻き付く。
 何かを言いたいのに重苦しい泥に口を塞がれたみたいに声が出せない。

「んん、ぐ……!」

 力は漲っているはずなのに。レーゼの蓄えてきた力がそれ以上だと言うの!?
 司祭様の体が離される。
 いけない、ダメだ。このままでは……!

 カッ!

 その瞬間、強い閃光が生まれて巻き付く触手と呼吸すら塞ぐような強い瘴気が払われた。
 ぱっと視界がクリアになる。

「なにっ?!」
「は、はっ……、ば、バカに、しおって……悪魔が……! ……神の恩寵、加護の光、ここまで届かぬと、思う、な……よ! ……ぐぁっ」
「司祭様……!?」

 触手に巻き付かれながら、光の波状を撃ち出して触手と瘴気を払った司祭様。ちょっとだけ格好良く見える。体を支えるものがなくなって、そのまま地面にべちゃりと落ちて行ったのは相変わらずではあったけれど。

「やってくれたわね、レーゼ。……でも、もう貴女はおしまいよ! ギッタギタにのしてやるから!」
「けっ! 黙れ夢魔風情が……そこの司祭ごと、食い尽くしてくれるわ!」

 無数の触手がびゅんびゅんと私の方へ伸ばされて、またもや体を巻き取ろうとする。
 さっきは完全に不意を打たれたけれど、この程度本来の私なら難なく対処できる。
 手の中に練り上げた魔力を撃ち出して伸びてくる触手を消し飛ばしながら、レーゼのぶよぶよと太ってぎょろ目のたくさんある体の方へと飛んで行く。

「ちょこまかとっ……!」
「大きけりゃいいってもんじゃ、ないんだから……!」

 大きな目のひとつに槍のように伸ばした魔力の刃を突き込もうとした。

「ミーア……!」

 バチッ!
 すぐ背後で、光が弾けしゅうと焼けるような匂いがする。
 私の後ろに回り込んでいた触手を、司祭様の雷撃が焼き払った音と匂いだった。

「っ、し、司祭様に……二度も、助けられ、ちゃった!?」
「油断するな、触手の数は無数……なのだ、ぞっ!?」

 バチッ、バチッ、と司祭様の周囲で触手が焼け落ちていく音がする。
 司祭様は自分を守る結界を張りながら、襲い来る触手にどうにか耐えているらしかった。

「意外とやるじゃない、司祭様……」
「おのれ、クソ雑魚司祭の分際でぇ……生意気な……!」

 レーゼは、侮り見くびっていた司祭様に二度も弾かれたことに怒りを覚えているようだった。
 ざわざわと硬い剛毛が波打ち、その下のぶよぶよした体が震える。無数のぎょろぎょろした目は一斉に司祭様を見る。

 チャンスだ。

 レーゼの意識が司祭様に向いたところで、私はもう一度槍状にした魔力の刃をその体に突き立てる。

「って、ウソ……かった……きゃん!?」

 ガツ、と切っ先が硬い毛に弾かれて、反動で痺れる。そこにオート発動するのか、無数の毛が針のように私に飛んで来てビシビシと刺さった。
 更に横から飛んでくる触手にバチンッと払い飛ばされ、私の体が吹き飛ぶ。

「っ!!」

 強い。

 レーゼは、思っていた以上に強い。

 どちゃ、と泥濘のような地面に落ちると、その地面からも無数の突起のようなものが伸びてきて私の体に絡んで来る。
 この靄の中そのものがレーゼの胃袋のようなものなのかもしれない。

 想定外に苦戦を強いられ、狼狽えた。

「くははっ! そこで見ていろ夢魔! クソ雑魚司祭をかっ食らって、次は貴様だ!」

 レーゼは高笑いをしながら、無数の触手を司祭様に向けて伸ばした。
 触手は司祭様の結界に触れた先からじゅうじゅうと音を立て焼き払われていく。
 けれどそれだっていつまでもつか。
 触手が払われるのが先か、結界が壊されるのが先か。

 そんな状況で。

「し、司祭様……、ダメ、逃げて……! このままじゃ……」

 やられる。
 勝ち目なんてない。
 力を蓄えて強大になった悪魔は、恐ろしくやっかいで強くて。

 甘く見ていた。

「らしくないな、悪魔め。……約束はどうした、私の代わりに悪魔を屠るという約束は。違えるのか? ……なによりも、約束を尊ぶのがおまえたちだろう。ミーア。……力が、足りぬというなら……くれてやる、いくらでもくれてやる。……何が要る。口付けか!? まぐわいか!? なんでも、何度でも……おまえの、求めるままに応じてやる、だから、……ミーア、頼む」

 司祭様は両手を合わせる。
 迫る触手がバチバチと結界に弾かれ燻されるような音をさせて払われて。
 けれど一向に減る気配もなくて。

「司祭様……」
「ちっ、夢魔頼りのクソ雑魚の分際でぇ……いつまで耐えてやがるぅ!」

 レーゼがしびれを切らしたように、無数の触手を一斉に司祭様に伸ばした。結界で焼き払われる後から後から伸びる触手が巻き付こうとして、そのうち結界ごと司祭様を押しつぶすように絡みつく。

「ぐっ……」
「司祭様……! ヘルムート……!!」

 私の体を捉える泥濘を払うように身をよじりながら、手の中に練った魔力を司祭様に絡みつく触手へ撃ち出して。

「終わりだ、死ねぇ!」

 レーゼの声が不協和音みたいに響き渡る。

カッ!
バヅンッ!

 何度目かの強く眩い光が弾けた。
 膨張する触手がぶちぶちと引き千切れて消し飛ぶ。

 司祭様の手から、バヂバヂッと雷電が迸り、弾けたのだ。
 無数の触手を振り切った司祭様が泥濘の上を足を取られながら駆けてくる。
 息切れして、荒い呼吸。
 手のひらは焼け爛れ、袖まで焼け焦げて痛々しい。
 その手が、泥濘に取られた私の体に伸びて来る。
 思わず手を伸ばすと、掴まれて、ぐいっと力強く引き起こされる。

 そのまま。

「んっ……、ぅ、!?」

 重ねられる唇。

 司祭様の薄い唇が私のそれと触れあって、驚いて思わず上げた声の隙を突くように舌を割り込まれる。

 ちゅぅ、と吸って、舌を絡めて、深く濃厚な口付け。

 ぴりぴりと体が痺れてくるような、幸福感。なんて……甘い……。
 私の、体の奥深くからキュウっと漲る力。

「は、……わ、私に、できるのは、この程度だ、が……、……約束を、果たしてくれるなら。いくらでも……」
「ん、ふ、ふふっ……。司祭様からキスしてくれるなんて、初めてね。嬉しい。……待ってて、司祭様」

 ちゅっと口付けをお返しする。

 私たちが濃密な口付けを交わす間、やけにレーゼがおとなしいと思っていたら。
 司祭様の結界がレーゼの体をその場に縫い付けていた。本当に意外とデキる司祭様で驚くけれど。

「おのれおのれおのれ……! コケにしおってぇ……」

 バチッ、ピキピキピキ……パリッ!
 結界を破壊しながらレーゼが身動ぐ。  触手はまだ無数にあって、焼いても払ってもすぐに再生するらしかった。
 私は深呼吸して、浮かび上がり。
 にっこりとレーゼに笑いかける。

「司祭様の愛がアタシを更に強くしてくれたわ! もう、アンタなんか怖くないんだからっ」
「だ、誰の愛だ……!?」

 司祭様の突っ込みは聞こえないふりをして。
 私は両手を高く掲げる。その頭上に、キュゥゥウウンと特大の魔力を練り上げていく。
 大きな異形の体を持つレーゼ、それを飲み込むくらい大きな魔力の塊。
 未だに司祭様の結界と格闘するレーゼに向けて、私はそれをぽんと投げつけた。落とした、という方が正しいかもしれない。
 無造作ともいえるほど気軽に。

「……!!」

 けれどその魔力の塊は、その場でうぞうぞと蠢くレーゼを一瞬で飲み込んでいく。
 無数に再生する触手も、硬い剛毛も、ぶよぶよの弾力のある体も関係ない。すべて余さず飲み込んでしまえば。

 ゴリッ、ゴギッ、パキパキ。バリッ。

 特大の質量の塊の魔力が、レーゼを飲み込み食らっていく。
 跡形もなく、かけら一つ残さず。きれいに。さっぱりと。飲み干すまで。

 そうして。

 パキュ。

 魔力の塊はギュウウウっと圧縮したかと思うと、そのまま小さなキャンディのようになった。

「あーん。んっ」

 それを私が飲み込めば。

 おしまい。

「……、や、やったのか……?」

 司祭様が呆然と呟く。

 無理もない。
 あんなに大きくておぞましくて強かったレーゼが、思いのほか呆気なく消えてしまったのだから。

「やったわ。司祭様の熱烈な愛の口付けのおかげよ!」

 私は司祭様の元へ飛んで戻り、その首に抱きついてちゅっとキスをする。
 司祭様の顔は顰められたが、払われはしなかった。

「愛などであってたまるか……! ……だが、礼を言う、ミーア……。……おかげで、あの悪魔は、払えた……」

 視線を逸らしながらのお礼の言葉も、私の心をぽっと温かくするのには十分だった。
 こけた頬をぎゅっと挟んで無理矢理こちらを向かせ、もう一度キスをする。

「わかればいいのよ、司祭様。アタシが居なきゃ困るって。ね。もうアタシをないがしろになんてしたら許さないから。……これからはもぉっと、仲良くしましょうね!」
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