紫陽花

二色燕𠀋

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For Someone

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「みっちゃん」

 今日のバイトはわりと疲れた。常にお客さんが入っていて、22時を過ぎてもなかなか上がれず、上がってからはバックヤードで本を読んで過ごしていた。

 すべて終えてお客さんを返したあと、清掃作業を手伝いながら私はみっちゃんに、『銀河鉄道の夜』の結末を聞いてみることにした。

「おー、小夜ちゃんありがとう!マジ助かるわ」

 とか言いながらお小遣いをくれる柏原さんにみっちゃんは一瞬困惑していた。

「あ、そっか、お前しばらくいなかったもんな。
 時給つけられねぇからお小遣いだよ」
「あ、あぁ…」
「大丈夫、多分お前が考えたやましい金じゃないから」
「うん、よかったわ。おっさんついにそこまで来たのかって少し寂しくなったわ」
「お前ってわりと本気でバカだよね」

 とか言って笑い合ってるけどなんだか多分私の話をしていなかったっけ。

「で、どうしたの」
「あ、うん。
 本がね、届いたんだけどさ」
「意外と早かったな。この前だよな?」

 確かにお薦めの本をみっちゃんに聞いたのは一週間くらい前だ。

「何来たの?」
「うんとね、北原白秋と与謝野晶子と夏目漱石と宮沢賢治と三島由紀夫」
「あーね」
「みっちゃん、私ね、
 『銀河鉄道の夜』、さっぱりわからなかった。てゆーかね、宮沢賢治、ダメかもしれない」
「あー、あれだめなタイプかー。うん、まぁ俺も嫌い」
「あ、そうだったの?」
「嫌いと言うか、訳がわからない」

 と言っているうちに柏原さんはご飯をテーブルに持ってきてくれた。今日は唐揚げだ。

 ちょうどこっちも終わりそうだ。発注数の最終確認と、みっちゃんはレジのチェックをして終了。
 テーブルにつくと、私のテーブルの前には牛乳が置かれていた。これはきっとみっちゃんのいたずらだ。

 しかしみんななんだかそれぞれのグラスを見ている。全員カルーアミルクだ。

「確かに生姜焼きに合いそうだけどさ」
「いただきます」

 みっちゃんはひとり構わず、手を合わせて食べ始めたのでみんなそれぞれそれに習って食べ始めた。

「みっちゃん、それで結局最後まで読めなかったの」
「あぁ、そうなんだ。え、じゃぁ俺がいま牛乳出した意味あんまピンとこなくない?」
「え?なんの話をしてるの?」

 柏原さんもマリちゃんも疑問顔だ。

「いや、牛乳は出てきたよ」
「そりゃぁ…。だってあれはどこを読んでも天の川と草原と牛乳だもん」
「何それ」
「二人が謎の記号で会話をしている…」
「多分入っていけないね」
「あれだよ、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』」
「あ、あぁ!俺読んだわ!教科書で!」

 意外や意外、マリちゃんの方が読んでいた。しかし教科書で、って…。

「教科書!?」
「一部抜粋とかでしょ?あれ全部やったらガキは気が狂うよ」
「銀河鉄道って気が狂うの?てか何の教科書?美術?」
「おっさん、メーテルは出てこないよ。カムパネルラとジョバンニだよ」
「誰だよそれ」
「主人公とヒロインだよ。国語の教科書に載ってるよ」
「で、結末は?」
「え?読まないの?
 カムパネルラが川で溺れて行方不明らしいよー、大変だねー、じゃぁ俺は牛乳取りに行ってくるね!ってところで終わってる」
「えっ」
「なにそれ」
「軽っ」
「いやマジマジ」

 聞かなきゃよかった。きっともう読むことはない。

「やっぱりあれはもう読まないことにする」
「あれは確かにヘビーだけど宮沢賢治は大体あぁだよ。まだまともなのが『注文の多い料理店』かな?まぁそれでもまともじゃないけどね」
「うーん、みっちゃんは何が好きなの?」
「え、俺?」

 みっちゃんはカルーアミルクを飲み終えていて、ウィスキーを飲み始めていた。

「いや…」
「マリちゃんは?」
「俺本読まないよ」
「柏原さんは?」
「うーん、無難に太宰治とか芥川龍之介とかは読んだことあるよ」
「ほー」
「全然わかんなかったけどね」
「うーん、やっぱりみっちゃんは?」
「うーん。無難なのだとヘミングウェイの『老人と海』とか。でもこれ女の子はつまんないんじゃないかな、何となく。サン=テグジェペリの『星の王子さま』とか?」
「あ、それ読んだことある!」
「そっか…」
「無難じゃないのは?」
「俺はねぇ…」

 ウィスキーを飲みきってもう一杯注いだ。

「知ってると思うが俺はネクラだ」
「えっ」
「今更!?」
「自分で言うかそれ、お前わりと酔ってんだろ」
「つまりだ、俺が読む本なんて大抵まともじゃないんだよ小夜」

 ここに来てなんの説教なんだこれは。

「うん、うん」
「わかるか?俺はな、同じサイコパスならカンパネルラよりまだ森鴎外のエリスの方が愛せるんだよ」
「へ?」
「誰だエリス」
「『舞姫』のエリスだよ!いや、実際にいたら愛せないよ?マジでムリだよ?俺そこまで野蛮じゃないけどちょっと豊太郎が日本に逃げた気持ちわかるんだよ、自分勝手だけどなあいつは」
「光也、一回帰ってこい、ハイドランジアに」
「どうせ読むなら潰されたいんだよ、太宰治はまだまだ人間失格じゃない。けどあれはそこがいいんだ。ただ俺はヘッセの『車輪の下』の方が好きだね。
 変態なら変態を極めてほしい。田山たやま花袋かたいのようにな。谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろうのようなフェチズムも心にグサッとくるんだよ。だからあまり本は薦めたくないね!」
「わかった、全部読みます!ごめんなさい!」
「いや、ダメです。純情な女の子は読んではいけません!」
「みっちゃんが恐いよ!」
「小夜がスイッチを押したんだよ。光也さんの闇スイッチを!」

 みっちゃんはまたお酒を注いだ。それと同時に柏原さんも一気にカルーアミルクを飲み干し、「光也、それ、俺もわかるぜ…」とか言い出してしまった。

「俺もショーシャンク的な映画より『ダンサーインザダーク』の方が好きだわ」
「わかるわ、それわかるわ」
「俺はセルマをそれでも愛せるぜ」
「俺は多分愛せないな」

 うわぁ、なんか二人のオーラが黒い。

「多分、俺たちには入っていけないよな」
「うん…」

 ネクラ同士のなんか繋がりらしい。聞かなければよかった。

 最終的に二人は、お互いの世界に突入してしまって、帰りにみっちゃんがどうしてもと言うのでレンタルショップに寄って帰った。

 結局今回は収穫があったのかなかったのか…。酔っぱらってるけどちょっとメモ書いてもらおうかな。

 家についてからメモ帳を渡して、好きな本を書いといてね、とだけ言って寝ることにした。早速みっちゃんは借りてきたDVDを観ようとしているところだった。

「いまから観るの?」
「あ、真里は寝てていいよ」
「えー。俺の部屋だよここ…」
「じゃぁ真里も観よう」
「…はいはい」

 どうやら二人の夜は長そうだ。
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