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狭間
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陽の射さない窓があった。
ほんの数年前は、この暗闇がずっと続く、それでも何事も構わないと途方なく思っていた。
薬を何錠か忘れプチ、プチ、と手に取り出して飲む、職場にどうしてバレたかは曖昧で定かではないが、多分休みがちになったことと、異様な挙動不審に至ったからだろうと思っている。
吐き出せば楽なのか。いや、人間は大抵を噛み潰し飲み込み、だから腹に何が住むかを知らずにいられるんだと思う。
医者には過労と言われたが正直、何に疲れていたか、睡眠時間と有給と今更の原因は消化され、嘔吐もいまはない。その頃の同僚の名前、「大丈夫か」と自分を覗き込んだ男の顔すら曖昧だ。だが頭は打っていなかったらしい。
あの頃の記憶のせいか未だに、たまにその不眠が甦る。
よく眠れなかった。
瑠璃は夜中まで起きていて途中まで何かしら俺に話していた。
「私、お父さんと血が繋がってなくて」
「うん」
「お母さんは…なんか、なんなんでしょう、全然自由がない人でした」
「自由がない?」
「………わからないんですけど、多分、お父さんのこと、あまり好きじゃなかったんですよ」
物言いはいつだって、そんな感じで終わるくせに。
「…そうか」
「……小さい頃からね、よくお父さん露出してたんですけど」
「……なにそれ」
「いやはい、まぁ本当に露出です。ある日お母さん、怒ったんですよねぇ」
さして深刻でもなく染々言いながら瑠璃はふと、錠剤のある引き出しを眺める。
そういうズレた一面があった。
「え?何?どゆことそれ」
「私もよくわからなかったんですけどねぇ」
勿論嫌な予感というか、当たり前に察知する、心の闇を。
子供と言う無邪気さなのか、いや、少し物を遠くに置いた者の危うさなのか。まざまざとこちらに見せつけてくる事に、自覚があるのかないのかもわからないでいる。
「……母親はどんな人だったんだ?」
なんとなく過去形にする。多分、そういうことだ。
「綺麗な人でした、とても」
「まぁわかるような気がする」
「え?」
結構可愛いもんな。
「瑠璃もモテてるようだし」と付け足してから、「そろそろ寝るか?」と促したのだ。
電気を消してもやはり瑠璃は、あまりベッドへ行こうとはしてくれない。まぁ、俺は運転するから眠れないし、後で運べばいいやとそのまま寝かせてみて。
心なしか自然に撫でてしまう髪の感触は気に入ってきていた。
ぼんやりと夜中をそうして過ごすと大抵こうして、碌なことは考えない。
薬は飲めなかった、なんせこれから運転するのだから。
起こすというよりも、起きてから、にしようと考えていたが結局、瑠璃は恐らく寝ていない。
あっさり数時間で俺たちは出掛ける。
いざ向かおうとなれば車に揺られ、漸く瑠璃は「少し、寝ても良いですか」と聞いてきた。
「別に良いよ」と答えてから目を閉じてくれたことに、正直少しだけ肩の荷は降りた気がしたのだ。
これから先どうなるか、どうするかを決めるという直前に何を話したら良いのかなんてわからないし。
こちらは思いの外他人事のように構えている、自分がどうしたいかお前が決めたら良いよという勝手な託しだ。
ぼんやりと外を眺めながら考える、やはり碌でもないもんだ。
瑠璃はこれからあの家に戻るのだろうかとまで入り込み考えるのも少し違う気がした。今の俺は足で良いはずだ。
ナビが「残り800メートル」を伝えた頃に一度信号で止まる。
不意に瑠璃の額に触れれば「千秋さん」と、やはり起きていた。
「眠れないよな」
「…まぁ、はい」
素直に目を開けた瑠璃は「正直少しだけ不安なんです」と洩らした。
「…そうだな」
「何を話したら良いかと…」
「その辺はきっと上手く聞いてくれるだろうけど、まずは自分の言葉でちゃんと質問に答えたり伝えたりするべきだし、そうだなぁ…何があっても絶対に伝えなきゃならんことは忘れず簡潔にまとめた方がいいかな」
「絶対に伝えなきゃならないこと…」
「沢山あるだろうけども。
あとはまぁ、例え男の職員だったとしても……まぁな、きっとそういうことはそれなりにあるんだろうから、恥ずかしがらず、かな」
「そうですね、まぁそこはなんとか…」
「…ところでさ。
こんなことは初めてだろうけど、その…なんだろうな、学校の先生に話したりは」
「してないですね」
「そうか」
そうなんだろうな。
「上手く話そうとしなくてもいいんだと思う。それも踏まえてな」
「…千秋さん」
「ん……?」
「大変なことになっちゃってごめんなさい」
「別にいいよ。確かに巻き込まれたが、まぁそんなこともある。気にすんな」
実質俺は大した役に立ってないんだし。
ほんの数年前は、この暗闇がずっと続く、それでも何事も構わないと途方なく思っていた。
薬を何錠か忘れプチ、プチ、と手に取り出して飲む、職場にどうしてバレたかは曖昧で定かではないが、多分休みがちになったことと、異様な挙動不審に至ったからだろうと思っている。
吐き出せば楽なのか。いや、人間は大抵を噛み潰し飲み込み、だから腹に何が住むかを知らずにいられるんだと思う。
医者には過労と言われたが正直、何に疲れていたか、睡眠時間と有給と今更の原因は消化され、嘔吐もいまはない。その頃の同僚の名前、「大丈夫か」と自分を覗き込んだ男の顔すら曖昧だ。だが頭は打っていなかったらしい。
あの頃の記憶のせいか未だに、たまにその不眠が甦る。
よく眠れなかった。
瑠璃は夜中まで起きていて途中まで何かしら俺に話していた。
「私、お父さんと血が繋がってなくて」
「うん」
「お母さんは…なんか、なんなんでしょう、全然自由がない人でした」
「自由がない?」
「………わからないんですけど、多分、お父さんのこと、あまり好きじゃなかったんですよ」
物言いはいつだって、そんな感じで終わるくせに。
「…そうか」
「……小さい頃からね、よくお父さん露出してたんですけど」
「……なにそれ」
「いやはい、まぁ本当に露出です。ある日お母さん、怒ったんですよねぇ」
さして深刻でもなく染々言いながら瑠璃はふと、錠剤のある引き出しを眺める。
そういうズレた一面があった。
「え?何?どゆことそれ」
「私もよくわからなかったんですけどねぇ」
勿論嫌な予感というか、当たり前に察知する、心の闇を。
子供と言う無邪気さなのか、いや、少し物を遠くに置いた者の危うさなのか。まざまざとこちらに見せつけてくる事に、自覚があるのかないのかもわからないでいる。
「……母親はどんな人だったんだ?」
なんとなく過去形にする。多分、そういうことだ。
「綺麗な人でした、とても」
「まぁわかるような気がする」
「え?」
結構可愛いもんな。
「瑠璃もモテてるようだし」と付け足してから、「そろそろ寝るか?」と促したのだ。
電気を消してもやはり瑠璃は、あまりベッドへ行こうとはしてくれない。まぁ、俺は運転するから眠れないし、後で運べばいいやとそのまま寝かせてみて。
心なしか自然に撫でてしまう髪の感触は気に入ってきていた。
ぼんやりと夜中をそうして過ごすと大抵こうして、碌なことは考えない。
薬は飲めなかった、なんせこれから運転するのだから。
起こすというよりも、起きてから、にしようと考えていたが結局、瑠璃は恐らく寝ていない。
あっさり数時間で俺たちは出掛ける。
いざ向かおうとなれば車に揺られ、漸く瑠璃は「少し、寝ても良いですか」と聞いてきた。
「別に良いよ」と答えてから目を閉じてくれたことに、正直少しだけ肩の荷は降りた気がしたのだ。
これから先どうなるか、どうするかを決めるという直前に何を話したら良いのかなんてわからないし。
こちらは思いの外他人事のように構えている、自分がどうしたいかお前が決めたら良いよという勝手な託しだ。
ぼんやりと外を眺めながら考える、やはり碌でもないもんだ。
瑠璃はこれからあの家に戻るのだろうかとまで入り込み考えるのも少し違う気がした。今の俺は足で良いはずだ。
ナビが「残り800メートル」を伝えた頃に一度信号で止まる。
不意に瑠璃の額に触れれば「千秋さん」と、やはり起きていた。
「眠れないよな」
「…まぁ、はい」
素直に目を開けた瑠璃は「正直少しだけ不安なんです」と洩らした。
「…そうだな」
「何を話したら良いかと…」
「その辺はきっと上手く聞いてくれるだろうけど、まずは自分の言葉でちゃんと質問に答えたり伝えたりするべきだし、そうだなぁ…何があっても絶対に伝えなきゃならんことは忘れず簡潔にまとめた方がいいかな」
「絶対に伝えなきゃならないこと…」
「沢山あるだろうけども。
あとはまぁ、例え男の職員だったとしても……まぁな、きっとそういうことはそれなりにあるんだろうから、恥ずかしがらず、かな」
「そうですね、まぁそこはなんとか…」
「…ところでさ。
こんなことは初めてだろうけど、その…なんだろうな、学校の先生に話したりは」
「してないですね」
「そうか」
そうなんだろうな。
「上手く話そうとしなくてもいいんだと思う。それも踏まえてな」
「…千秋さん」
「ん……?」
「大変なことになっちゃってごめんなさい」
「別にいいよ。確かに巻き込まれたが、まぁそんなこともある。気にすんな」
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