アマレット

二色燕𠀋

文字の大きさ
上 下
52 / 70
哀願に揺らぐ斜陽

4

しおりを挟む
「掛かるかな…」
「え?」

 呟いた彼は車の鍵を眺めてから「大丈夫だと思うけど…」とちらりと私を見る。

「いつもは事務所の乗ってるからさ、」
「…はい?」
「一応週一で動かすようにはしてるんだけど、」
「…はい」
「毎回この瞬間が、」

 鍵を刺して回す。
 特に何事もないことにふぅ、と息を吐いた千秋さんは「あぁよかった…」と肩を下ろした。

「…上がらなくてよかったバッテリー」
「そういうものなんですか?」
「そう。毎週とか言ったけど今回は少し長く乗らなかったんだよねぇ…」

 車は走り出す。

「洗車もすっかなぁ…これ」

 しかしそれからの無言は至って重く『自然』だった。
 まだ、お昼時。

 景色はぼんやりと走っていて、多分いつもより人通り、車通りも多いけど、コンビニは3つほど通り過ぎた。

 彼はどうやら遠くを眺めてタバコの煙を窓から捨てている。

 ケータイ、持ってきたっけな。

 この沈黙に勝手な居心地の悪さを感じてきた。
 彼にとってはいま私の存在は恐らくいないものなのだろう、というくらいにぼんやりとしている。

「ケータイなら置いてきたぞ」

 なのに彼は、そうやって引き戻す。

「…あ、」
「風呂入ってる間、鳴りっぱなしだったけど」
「…すみません、うるさかったですね」
「別にいいんだけど、お前も大変だな、兄貴?」
「…いえ」
「あっそう」

 千秋さんと漸く目があって、彼は「ふふふ…」と、何故だか優しく笑ったのだった。

「あぁ、忘れてたなポカリ。少し先にコンビニ、あったよな」

 その一人言は私の返答を待たずに「調子はどうだ」と、走って行く。

「えっと…」
「少し立ち眩みでもしたんだろ」
「あ、はい…」
「そうだよなぁ」

 先にコンビニはあった。
 そこに停まって「腹減ってるか」と聞くのにやはり、「食欲ねぇかな」と、どこか一人でふらふらしているような、そんな様子に見える。

 黙って着いて行くと「お菓子はいるか」とか、「他なんかいるか」とか、それまでよりは私に話しかけているような感じがした。
 まるで子供のようで、つい「大丈夫です」だなんて返してしまったけれど、レジで「138番を二箱で」と言っている千秋さんを見てふと、少しお腹も空いていることに気が付いた。

 結局、本当にタバコとポカリしか買わなかったけれど、車に戻り私がポカリを一口飲んで一息を吐けば、「どこ寄ろうか」と千秋さんは聞いてきた。

「あ、そっか…」

 そうだった。
 そもそも今日は買い物に行こうと…言っていたんだった。

「…どこでも、」
「了解。やっぱ飯食えるところにしよ」

 車を走らせる。

「シャツ忘れたな」

 なんだか、やっと現実を掴んだかのように千秋さんはぼんやりと呟く。

「…アイロンとかって、ないんですか?」
「あるにはあるけど使ってない」
「…私、掛けましょうか?帰ったら」
「あ、マジで?助かるかも」
「わかりました」

 少し、千秋さんの自宅からは走ったのかもしれない。
 だけど、いつも…どれくらいなのだろうか、電車では。いつもより早いような…予想とは違う道のりだったせいだろうか、少し見慣れた西郷隆盛の公園が急に現れた。

 休日の時間感覚が不思議。
 いや、きっとそうじゃない。
 こんな過ごし方が初めてなのかもしれない。

「…西郷隆盛ってさ」
「…はい?」
「なんでここに銅像あんだろうな」
「確かに」
「パンダとの関連性も全く見えないのに。無血開城とかの関係なのかな。確かにすげぇよな」
「歴史、好きなんですか?」
「並みに。
 あと俺、この池はクソ汚ぇと思うんだけど、東京のやつらってそういうところあるよな」

 不忍しのばず池に差し掛かる。
 確かにこの池自体は綺麗だとも、なんとも思わないのだけども。

「…千秋さん、東京の人じゃないんですか?」
「うんまぁ長野」
「あぁ…きっとお水、綺麗なところですよね…」
「俺は最初こっち来てまず3日で高熱を出したよ、マジで。東京っ子にはちょっと、わからん話かな。だからといって別にあっちはなんもないし帰らないけども」
 「…えぇっと、長野は…真田幸村?」
「そう、流石学生だな。まさしく上田辺りに住んでた」

 そうだったんだ…。

「私もどうやらおばあちゃんの家がそっちらしいですよ。千秋さんはどうして東京に?」

 ありがちな話題が繋がった。

「………なんとなく。うーん、まぁ嫁はこっちで会った」

 とても答えにくそうにそう言った。

「やりたいこともまぁあったような気がするけど、正直いまとなってはなんだったのかな、思い出せない。10代の衝動って意味不明だから。親とも喧嘩別れだし」
「…大人の答えだ」
「そうかぁ?まぁ、そうか」

 また何かを考えるように、千秋さんは黙ってしまった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語

六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

水面の蜻蛉

二色燕𠀋
現代文学
水の中から、成虫へ 不完全変態現象の蜻蛉 飛び立つ先は、灰色かもしれなくて

処理中です...