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其処に快楽という空虚が存在するのなら
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『祗園精舎の鐘の声』
ふと、学校のチャイムや、駅の鐘の音が頭に浮かんだ。時速何100キロかの窓の外は移ろってゆく。
…平家物語だっただろうか。国語で四文字熟語ばかりを音読した……中学生だったかな。確か、祇園精舎はお坊さん達が釈迦のために建てたものだと辞書を引いた覚えがある。
教科書を見て音読をしたとき、「確かにお経みたいだな」と思ったものだ。
だけど私の興味は「諸行無常の響きあり」だった。
この世のものは全て、同じく続かないということ。平家物語そのもののテーマで、あの冒頭4行は4行とも同じ事を書いているが、どれも形が微妙に違うのが面白い。
この世のものは全て、続かない。
退屈で、どうしようもなくて、本当は未来なんて全くわからないこんな生活も、いつか終わってしまうのだけど。
本当にそうかというのはわからないほどに私は浸かっている。麻痺しているような気がして…気持ち悪い。
たまにそうやって、気付くときには蓋をすることにしている。
日を追うごとに空っぽになって、私は何かを少しずつ捨てて行く。本当は不感症だ。
私は女で、その空洞に注ぎ込まれるのが「生命」だと感じてしまうのがこの快楽の名前かもしれない。
ぼんやりとした空間に、「次は、新宿、新宿です」という車掌の声や、夕方に近付く窓の外が流れ込んだ。
途端に、メロン味はとうに舐め尽くし消え失せていた、と気付く。
やめよう。
人通りを少し離れてケータイを眺めた。たくろうさんに、駅に着いたことをメールした。店の名前、何号室かが再度送られてくる。
タクシー乗り場も、何番目か。人は本当にたくさんいる。どれ程の他人が、いまの私の背徳を想像するだろう。
勿論、誰もしない。
「どちらまででしょうか」
扉を開けた運転手さんに、「あ、はい。ここまでお願いします、」と、ケータイ画面を見せる。
こんなときですら自分はわりと愛想よく他人に振る舞う人間なんだと、頭のどこかで自分を嘲笑う。
運転手さんはたくろうさんの指定した文面を、見辛そうにメガネを動かして眺めては、一瞬私の顔を見た。
「ええっと、ネカフェ…漫画喫茶ね…」
運転手さんはナビを弄り、「ここで間違いなさそうかな?」と聞いてくる。
見合わせたメール文には「おもちゃとかいいかな?」だなんて書いてあって。返信欄にも「いいですよ」だなんてあって。
「はい、きっとそこです」
明るめな声で答えれば、タクシーは至って普通に走り出す。
運転手さんは、なんとなく、きっと愛想が良いタイプの人だろうと感じるのに、何一つ喋ることがなかった。
交差点に人がたくさんいて、なかなか車が通りにくそう。
例えば私がここを歩く一人だったら、とぼんやりと考える。人口密度が多いこの場所でなら、私がもしも誰かに刺されたとして、皆、何分後に気が付いてくれるんだろう。
学校も、その他大勢も全くもって変わらない世界、空間。
…お母さん、言えないけれどこんなことを娘は思っています。誰にも聞けないけれど、貴女はもしかすると空から眺めてこれを知っているんでしょうか。
私がいま、ここでこうしてこんな気持ちでいることなんて、誰がどうしてどうやって想像するのだろう。
…どうにも今日は、本当はいい気分じゃないみたいだ。どうにでもなれ。どうせ誰も知らない、知っていても関係ない。私はそういった空虚の合間を縫って生まれてきたのだから。
ぼんやりと任せているうちに「あっ!」と運転手さんが言ってビクッとした。
場所は、ごちゃごちゃした、商業ビルばかりがある通りの、日陰側。
「あっ、ここだったな…」
少し過ぎてしまったようで、「バックできるかな…」と運転手さんがぶつぶつ言っているので、「大丈夫ですよ」と止めた。
「あぁ、そうですか?」
「はい。ありがとうございました。おいくらでしょうか」
「えっとね…ワンメーターなかったんだけども、貰わないといけなくてね、」
「あ、はい、大丈夫です」
「……420円かな」
ぴったりある。
「あ、ぴったりありました」
「あー助かります、…えっと、領収書は要りますか?」
「お願いします」
お互いにありがとうございましたと言う愛想の良さがあっても、やっぱりタクシーの運転手さんは私の顔を見ないまま、帰って行ってしまった。
…誰も。
まぁ、そうだよね。きっとあのメールのあの文は見たんだし。見ない方が不自然だし。
シャワーを浴びてからの方がいいだろうか。けど、きっとそんなことすら気にしないだろうからと、自然と私は鞄のポケットに手を入れていた。
あぁ、ラスイチだ。あとで買っておかないとな。
飴も一つあって一瞬迷ったけれど、うーん、会うまでに舐め終わるわけないし。
エレベーターに乗った。
ふと、学校のチャイムや、駅の鐘の音が頭に浮かんだ。時速何100キロかの窓の外は移ろってゆく。
…平家物語だっただろうか。国語で四文字熟語ばかりを音読した……中学生だったかな。確か、祇園精舎はお坊さん達が釈迦のために建てたものだと辞書を引いた覚えがある。
教科書を見て音読をしたとき、「確かにお経みたいだな」と思ったものだ。
だけど私の興味は「諸行無常の響きあり」だった。
この世のものは全て、同じく続かないということ。平家物語そのもののテーマで、あの冒頭4行は4行とも同じ事を書いているが、どれも形が微妙に違うのが面白い。
この世のものは全て、続かない。
退屈で、どうしようもなくて、本当は未来なんて全くわからないこんな生活も、いつか終わってしまうのだけど。
本当にそうかというのはわからないほどに私は浸かっている。麻痺しているような気がして…気持ち悪い。
たまにそうやって、気付くときには蓋をすることにしている。
日を追うごとに空っぽになって、私は何かを少しずつ捨てて行く。本当は不感症だ。
私は女で、その空洞に注ぎ込まれるのが「生命」だと感じてしまうのがこの快楽の名前かもしれない。
ぼんやりとした空間に、「次は、新宿、新宿です」という車掌の声や、夕方に近付く窓の外が流れ込んだ。
途端に、メロン味はとうに舐め尽くし消え失せていた、と気付く。
やめよう。
人通りを少し離れてケータイを眺めた。たくろうさんに、駅に着いたことをメールした。店の名前、何号室かが再度送られてくる。
タクシー乗り場も、何番目か。人は本当にたくさんいる。どれ程の他人が、いまの私の背徳を想像するだろう。
勿論、誰もしない。
「どちらまででしょうか」
扉を開けた運転手さんに、「あ、はい。ここまでお願いします、」と、ケータイ画面を見せる。
こんなときですら自分はわりと愛想よく他人に振る舞う人間なんだと、頭のどこかで自分を嘲笑う。
運転手さんはたくろうさんの指定した文面を、見辛そうにメガネを動かして眺めては、一瞬私の顔を見た。
「ええっと、ネカフェ…漫画喫茶ね…」
運転手さんはナビを弄り、「ここで間違いなさそうかな?」と聞いてくる。
見合わせたメール文には「おもちゃとかいいかな?」だなんて書いてあって。返信欄にも「いいですよ」だなんてあって。
「はい、きっとそこです」
明るめな声で答えれば、タクシーは至って普通に走り出す。
運転手さんは、なんとなく、きっと愛想が良いタイプの人だろうと感じるのに、何一つ喋ることがなかった。
交差点に人がたくさんいて、なかなか車が通りにくそう。
例えば私がここを歩く一人だったら、とぼんやりと考える。人口密度が多いこの場所でなら、私がもしも誰かに刺されたとして、皆、何分後に気が付いてくれるんだろう。
学校も、その他大勢も全くもって変わらない世界、空間。
…お母さん、言えないけれどこんなことを娘は思っています。誰にも聞けないけれど、貴女はもしかすると空から眺めてこれを知っているんでしょうか。
私がいま、ここでこうしてこんな気持ちでいることなんて、誰がどうしてどうやって想像するのだろう。
…どうにも今日は、本当はいい気分じゃないみたいだ。どうにでもなれ。どうせ誰も知らない、知っていても関係ない。私はそういった空虚の合間を縫って生まれてきたのだから。
ぼんやりと任せているうちに「あっ!」と運転手さんが言ってビクッとした。
場所は、ごちゃごちゃした、商業ビルばかりがある通りの、日陰側。
「あっ、ここだったな…」
少し過ぎてしまったようで、「バックできるかな…」と運転手さんがぶつぶつ言っているので、「大丈夫ですよ」と止めた。
「あぁ、そうですか?」
「はい。ありがとうございました。おいくらでしょうか」
「えっとね…ワンメーターなかったんだけども、貰わないといけなくてね、」
「あ、はい、大丈夫です」
「……420円かな」
ぴったりある。
「あ、ぴったりありました」
「あー助かります、…えっと、領収書は要りますか?」
「お願いします」
お互いにありがとうございましたと言う愛想の良さがあっても、やっぱりタクシーの運転手さんは私の顔を見ないまま、帰って行ってしまった。
…誰も。
まぁ、そうだよね。きっとあのメールのあの文は見たんだし。見ない方が不自然だし。
シャワーを浴びてからの方がいいだろうか。けど、きっとそんなことすら気にしないだろうからと、自然と私は鞄のポケットに手を入れていた。
あぁ、ラスイチだ。あとで買っておかないとな。
飴も一つあって一瞬迷ったけれど、うーん、会うまでに舐め終わるわけないし。
エレベーターに乗った。
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