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パラフィリア

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 それから照井は仕事に向かう前、

「取り敢えず1週間の休暇中は外出禁止」

 と、しれっと言った。

「は…?」

 怠さから、一転した。

 幼い頃、部屋の隅で頭を抱えていた子供のように心が狭くなる、切迫、圧迫されるような気がしてそんな眩暈に似た感覚に襲われ気が飲み込まれるほどに感じた俺は「…いゃだ、」噛み切れそうな押し潰した声を出す。

 冷や汗が出るようだった、何故か。

「我が儘を…」

 ネクタイを閉めながらぱっと振り返った照井は急に表情を曇らせる。

「悠…?」
「…やだ、」
「悠、どうした」

 わからないけれど頭に血液が足りなくなっていく、外に出てはならないという言葉が頭の中で鈍く、遅く公転するようで重くなる。

「…んなこと、嫌だ」
「…悠、おい大丈夫か」

 大丈夫なんかではない。

 呼吸が苦しくなるがどうしてもこれが拒否反応だとわかってもらわなければならない、気がして「閉じ込める気か、」と口から吐かれた自分の言葉に自分でもビックリした。

 急にフラッシュバックする。
 あの小さい頃の、ドアの前に立ちはだかる、髪の長い女の子はとても綺麗で、行儀もよくて、かけがえのなくて、満足そうで、僕は震えていて、目にはゴミのような手首が入って、麻痺して、モザイクのように見えてきて、何故泣いてしまうのかわからなくて、ぼんやりと表情筋がにやっと笑ったのにモザイクは解けた気がして、

『ハルがずっと側にいるから』

 ハルがずっと。
 歯がキリキリ痛んで照井の心配そうな顔が覗いていた。

 暑苦しい自分の息遣いに、「悠、」と呼ばれたことに、叫びだしたい何かと記憶は尻尾を巻いて逃げ出したと感じた。
 「ははっ、」と乾いた笑い声しか出てこないこと、これが異常だなんて、自分ですらわかっているのだから、この男だってわかっている、表情が少し曇る。

 だから、秘密にするしか、ないんだ。

 照井は俺に何も言わなかった。何も言わずに、いつの間にか頭から被って強く握りしめていた毛布の上から頭を撫でる。

 これをたまに、本当にたまに。
 信じたくなるから、一瞬にして全てが、波が引くように冷め冷めとしてしまう。陽はきっと引っ込んでしまった。

 照井はスッキリもしない表情で「行ってくるから」と、解放だけはしてくれなかったが、そんなものすら一瞬にしてどうでもよくなってしまった。

 照井が部屋を出る姿も考える、閉まるドアも考える、手首が見えてそれを隠すようにもう片手で握る。考える、足の親指の爪だけ伸びたな。玄関が閉まる音に考える。結局何も頭は回っていない。

 大人一人が出て行けば漠然としているが背徳的に「部屋に戻ろう」とA4ノートが頭に浮かんだ。2番目の引き出し。そこは二人の秘密がある場所でバレないことに「ざまぁみろよ」と思う、それに寂漠が突いてくる。

 震えが止まった。

 俺は業務、習慣的にベッドを出て自分の部屋の机に座った。
 座って、陽はこの二日取って変わり何をしていたのかなと2番目の引き出しを開ける。カッターナイフが目について刃をカチカチカチと出して眺める。

 どれが陽の血で俺の傷かなんて、赤茶色でもうわからない。それほどくだらないことなのに、とたまにぼんやりと切なくなる。

 けど、痛いならば多分、どこかで繋がっている。だからこれほどヒリヒリするのだ。

 別に俺は切らない。
 カッターはしまって観測記を出して眺めた。陽へのそれには、潮汐破壊?と言いたげなデフォルメのウサギが首を傾げている。

 陽はお絵描きが好きな子供だった。保育園ではそれで褒められる程に。
 小学校ではそれで持て囃される程に。

 人格も性別も変わってしまえば、その特徴も大して特別ではないと、俺は解離性同一性障害に陥り知った。いくら待ってもそれは虚像で、だから俺だって例えば、絵がうまかったんじゃなかろうかと錯覚する。本当はそうでないとしても。

 嫉妬、執着、しかし全てにおいて宇宙のような、喰われそうな虚無感に襲われる。それでいい、それは広大で、ロマンだ。だけどいま観測記を眺めると眩暈に似た圧迫に、頭を抱えるくらいの吐き気に似た嫌悪が頭を喰っていく。

 どうしてだ、潮汐破壊。俺はそれを望んでいるのに。こんなに嫌いで息を切らす程に。頼むから、死んでくれという気持ちに言葉は霧散するよう。そんな無駄なものを吸い込んでる場合じゃねぇよブラックホール。

 …ふぅ。

 陽へのシーロスタット観測に何を書き残そうかと迷ってしまった。そして今回は俺にも二日程は記憶がないし、どういうタイミングで陽と入れ替わったのかが定かでない。
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