アルカロイド

二色燕𠀋

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水びたしの日に

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 一週間ほど費やした入院生活の終わりは寂しいものだったのかもしれない。あっという間なようで、それでも想定以上には時間はかかってしまったようだと、互いにぼんやり理解する。

 行きずりで出会った歳上は錯乱し、“真麻まあさ勝成よしなり”の目の前で川に落ちた。
 名前くらいしか知らない浅い関係、流されるのを塞き止めるには炎症のように犯されている。

 その、志波しなみかえでと名乗った歳上は結局、肺炎を併発し命の危機にまでさらされた。

 魘された病室で現れた彼の母を、彼は覚えているのかは低酸素で他人が知る由もないが、真麻が「多分恋人です」と名乗った事は、流されまいとしたのか、流されてしまったのかを知らない、自然現象のようなもので、楓の母が離別を図ったのも炎症だったのかもしれない。
 真麻にはそう思えてならなかった。

 そのまま楓が退院するまでに二人で会った時間は2と2と…1時間と、それから3日は×4時間。
 今日は退院に真麻が付き添い足となっていて。

「…送るって?」

 楓は承知で真麻にそう、訪ねてみるのだった。

「…あぁ…まぁ、保険証とかで」
「…まぁ、そうか」

 年下の、恩人かもしれない男が気まずそうにハンドルを握る。
 真麻が楓の年下であると知ったのも、会話の中だった。真麻勝成、21歳。大学生で、次の春には卒業が確定しているらしい。

 会ったときに「大学生だ」と、楓は真麻を認識をしたような気はするが、正直それも曖昧だった。
 しかし再確認すれば「ああ、確かに」と思い当たる点はいくつかだけある。

 例えば自分の母への対応だとか、先程だって自分が退院の手続きをした際に物珍しそうな表情だったりするところとか。
 年下と言われれば曖昧な気がしてしまうのは、真麻の肝なのかも知れないと感じる。

 入院中は当たり前のように自分の着替えだとか、そんなものを用意してくれたし、医者の話も自分より理解していたように思う。

中野なかのって少し距離あるよね」

 ぎこちなく笑って話題を探している、真麻の横顔。

「…うん、まあ」

 気まずそうに俯く助手席の線が細い楓。

 毎日病院に見舞ったせいか、真麻にとってカーナビを設定するのも流れ作業のようだった。

「俺は杉並区なんだけどさ」
「あぁ…言ってたね」

 丁度、文京区の大学に通うついでにこの病院に寄れるとも、ここ数日のどこかで確かに言っていた。

 車のナビは開始する。

 大丈夫だろうかとちらっと見た楓はやはり、どこか不安そうなような、なんとも思っていないような。正面のミラーの先の夕方が曖昧だ。

 志波楓は意外にも、本名だった。でも、そんな気は少ししていたような、気がする。

 歳上だと知ったのは、こうなってからだ。そんな気がしたような、意外だったような、いまでも自分よりなんとなく頼りない。

 志波楓、25歳。中野区の小さなアパートに住んでいて出版社に勤めているらしい。部屋はがらんどう。寝に帰っているのかもしれないと真麻にも見て取れた。

 ふとしたところでがさつではあるかもしれない。
 神経質ではあるだろうが、着替えを運んでやる際に感じた、なんとなくな生活感。
 男の一人暮らしにしてはきっちり整っているのに、置場所などに規則性があるような、ないような、といった感じだった。

「あんたん家、綺麗だよね」
「…そう?」
「俺はあんなに整ってないよ」
「そうかなぁ。…結構テキトーなんだけど」
「あぁ、まぁ…そんな感じもしなくはないけど」
「寝に帰るようなもんだし」
「そう言えば仕事は大丈夫なの?」
「いや、それは俺が君に言いたいんだけど…。単位は確定してるわけ?」
「じゃなきゃ遊ばないでしょ」
「そう?まぁ、そうか」

 あの店が意識に浮かんでくる。

「…悪かったね色々と」

 気まずそうな声色だった。

「…まぁ」
「…俺の部屋、わかりにくかったでしょ」
「若干…」
「だよね、言われるんだよね」

 …誰にだろうかと考えるほどの謂れはないけれど、これは少し、楓の拒否なのだろうかと真麻は考えた。

「…仕事忙しいんでしょ?全然生活感なかった」
「まぁ。けどクビだから」
「え?」
「そりゃぁ…そうでしょ」

 確かに。

「…これから大丈夫なの?」
「まぁ、どうにでもなるんじゃない?」
「…そう?」
「学生じゃあるまいし」

 やはり少し、距離があるらしい。
 当たり前だ。出会って一週間、会っている時間では24時間に足りるかどうかもわからないような相手なのだから。

「…学生じゃあるまいし、どうにでもなるもんなのかな、それ」
「別にいい」

 運転席からちらっと覗けば、楓は空虚に少し灰色掛かった靄のような、何もない表情でぼんやりとしている。

 本当にどうだっていいんだ、と捨てられたあの夜を思い出した。

「…どうだっていい、か…」
「迷惑は掛けたね、ごめんね。でもどうしても『助けてもらった』だなんて」
「まあそうなんでしょうな」

 それ以上詮索はしない、と年下に叩きつけられたような気がした楓の言葉は急に霧散し息を呑み込むことしか出来なくなった。

 真麻が、タバコに火をつけた。
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