アルカロイド

二色燕𠀋

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透明な時間

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「んんっ、」

 苦しい。
 息が、止まりそうになる。浅くなる呼吸に頭の奥が、痙攣したように痺れる。

 真っ白になった意識に体重と、荒く湿った息が耳元にかかる。心臓の鼓動がとても近くに感じた。

 肩甲骨にまわっていたその手で、朧気にマーサの後頭部を撫でる。真っ白が、その麻痺をゆっくり解して心が満ち足りた。

 真横にあった茶色い瞳が潤んでいる。息が荒いうちに「楓、」とよがるように言って彼は俺に口付けた。

 甘く感じる舌と唾液にまた、溺水するような息苦しさを感じるのに、ひたすら夢中になって互いに食むのだ。
 意味もなくなるまで、呼吸を止めていたい。

 体内からずるずるっと性器が抜かれたのに、「ふぅ…」と、身体の力が完璧に抜けた。

 マーサはキスをやめ、疲れはあれどキラキラした純粋な目で俺に微笑みかけてくる。そのなかに野獣も、暖かさも含まれていて。この微かな破壊衝動が心地良い。

 起き上がってコンドームを外してじっと眺め、「濃いなぁ」と染々と言うのも年下の可愛さがあった。生命の意味を殺したこの瞬間が堪らなく愛しい。

「…ホントだ」
「多いし…」
「身体によくなさそうだね」

 満足そうに縛ってゴミ箱に捨てて。「はー!」と明朗な声で言うのだった。

「…疲れたな」
「そうだね」

 彼はにこにこしながら余韻に伏して電気スタンドに手を伸ばす、その過程で俺の髪を撫でる。少しべたついた髪に「ごめんね」と言い、タバコを取って咥えた。

「無理してない?」
「ん、ちょっと」
「久しぶりで、ちょっとそんな気がした。大丈夫?」
「うん、ありがとう」

 火を点け一息紫煙を吐きながら俺を見て、ずっと髪を撫でてくれている。
 その手をすがるように取って、首筋に当てる。
 言葉のない空気が静脈から体温を流してくれているような気持ちに浸れるんだ。

「寝ちゃうかなぁ、楓」
「風呂は入りたいな」

 表情が緩む。
 遥か年上の抱擁するような色気も、背伸びして少し整えるだけの髭に年下が覗くその、曖昧な笑顔にほっとするような気がする。これまで、髭面は嫌いだったのだけど。

「湯を溜めてくっかな。風邪引いちゃいけないし」
「…そうだね」

 もう少しこのままでいたい。
 余韻が去るのがこんなにも、寂しい。

 マーサはもう少し口角を上げて「大丈夫だよ」と、長いタバコを揉み消してそのまま俺を抱擁する。
 何も言わずに空いた動脈に唇を落とす静かな息が、耳に掛かって身体に浸水していくようで。

 また起き上がり静脈の手で額を撫でて風呂場へ向かう背中に、自分には足りない逞しさを感じた。

 頭が麻痺していくように甘い。
 まだまだ満ちないが足りている。それが寂しくも幸せなのかもしれないなと、自分の呼吸すら浮遊物のようで、どうだって良いと感じた。電気スタンドの明かりの視界。ぼんやりはっきりと天井を眺めて唇を噛み締めた。

 疲れたなぁ。

 どんよりとした夜空の、低体温の川のせせらぎとまったく違うのに。

 出会った日の夜すら思い出すことが出来る。擦り切れていた自分の首筋に暖かく、もどかしい息が掛かったとき、唇を噛み締めるほどに泣きたくなってしまったんだ。
 どうなってもいいと眺めた夜の川原。泣いている俺を抱きしめ「大丈夫、大丈夫」と言って喉仏を唇で食んだマーサ。

 咳が、肺を圧迫する。
 気管支が全ての考えを狭めてしまう気がして、少し意識が遠くなる。

 出会えなければ、死んでいたかもしれない。怖くて、凍えて。
 けど、怖くて凍えたから一度身投げしてしまったんだ。 
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