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一
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はたまた考える。ちょっと待て、彼、物凄い爆弾を投げて帰った気がするんだが。何故俺に?突然?
…全然思い当たらないがふと、「ピンときませんでした?」という言葉が頭で反芻された。
「………」
女性社員が前から二人、歩いてくる。
会釈をして去る彼女たちに「お疲れ様」と、きっと自分は今百面相だっただろうと、表情を戻し会社の廊下を歩く。
長いことセックスレスだ。
そのわりに、先月は妻のことが頭を掠めて一次会のみにしたのだ。
本当は、なんてことはない、帰っても普通で妻は先に就寝していた。
いつからそうなったのかは明白ではないが…と思い返す。少し宛がなくはない。
妻はもう40にもなる。結婚当初は若妻だった。まさか、こうなるとは思いもせず。
歳も並に離れているせいか、彼女の盛りには自分はとっくに落ち着いてしまっていて、不一致に至ってしまった。
よくある話なんだろう。
子育ての序盤では自分も30代前半くらいで仕事盛り。
息子が中学生になったあたりの、安定した頃にはとっくに「家族」としての感情が先行していた。
多分自分は、つまらない男なのだと自覚がある。
生まれてこの方ふしだらに遊んだ時期もなければ、不貞を働いたこともない。
けれど…目を瞑っている、いや、諦めに近く切り捨ててきた生活もあった。
それがあり今の地位がある。
キャバクラも仕事のうちにしか入っていない。
自分の性格もあり、それは妻も理解してくれているのだと思っている。
それからふと、クラッシィの社長と宮下が歩いてきた。
自分が向かう社長室からなのは考えなくとも明白だ。
「あ、辻元さん」
「…どうも」
宮下は社長の隣で何事もなく頭を下げた。
社長より、背が高い。
よく見もしなかったのだが、どうやら彼はスラッと、本当に今時の若者なようだ。
社長はにやっと笑い、「これから長いお付き合いになりそうですよ」と告げてくる。
「社長からお話はあるでしょうけれども」
「……本当ですか、」
「ええ」
五反田社長から握手を求められた。
いままでの憂鬱は一度追いやり「ははぁ、」と、ついつい手を拭き握手を返す。
相手の体温を感じた。
…ふと、五反田社長の左手が目に入る。
なるほど、指輪はなかった。外しているのかもしれないけれど…。
…なんとなく一度嵌めたら…取れなくなりそうな、ような…。
「喜んでくれたようで、よかった」
はっと気付いた。
多分長かった。
五反田社長はそのままふいに自分の手を引っ張り、「今度は是非いらしてくださいよぅ」と、まるで耳打ちしてから離れる。
今、隅に追いやったモヤモヤがふわっと、汗の匂いと一緒に甦った。
「ではまた」
去る五反田社長の横で、宮下がまた頭を下げて二人は去っていく。
二言、三言口を利いている彼らを見て、さっきの話が当たり前にまた反芻されていった。
…自分はいま、五反田社長に普通な顔を出来ていただろうか。
…そっか、そうだったのか五反田社長。
社長室へ入ると「あぁ、クラッシィと正式に契約したから」とあっさり告げられる。
宮下の話を思い出すまでもなかった。だが、上司はどこからどう見ても普通の高貴な初老に見える。
世の中は、確かにわからないもんだ。
「いま廊下で会った?」
「あ、はい」
「後日食事会に行こうと思うんだけど」
「あの、社長」
あ。
つい口走ってしまったが「あぁ、奥さん?」と、社長は然して感情も込めずにそう言った。
「…はい、前回こっぴどく…」
本当はそんなことはないのだが。
「今回はホテルでイタリアンなんだよね、然り気無く断っといた。いいねぇ辻元ん家は」
「あ、いえ…そういうわけではないんですが」
「俺なんて何も言われないよ。まぁ言われてもしょうがないけどさ」
「はぁ……」
「…君って確か奥さん一筋だったよね」
「ええ、はい…」
「そっか」
…今の勝手な主観なのかもしれない。
社長はまだ何か言いたそうな…例えば「俺の妻は理解があってね」だとか「君はつまらないね」だとか。
そんな間があるような気がしたけれど…そんな自分の心情を社長が知るはずもない。
社長は応接テーブルに並べられた資料を眺め、「あの営業開発の宮下くんだけどさ」と呟いた。
「はい?」
「なかなかやるよね」
「…そうですね。プレゼンも無駄がなく、若者の発想力とでも言うのでしょうか」
「上手いこと五反田さんを懐柔しているよなぁ」
「え」
…懐柔。
あ、変な風になってる自分。
仕事を思い出す。確かに…そうだな。
「確かに…的確でわかりやすいし、社長フォローも忘れていない」
「どう思った?率直に、正直に」
「はい、まぁそうですね…今回、クラッシィの印象ががらりと変わったなと思ったのですが、宮下くんと言われてしまうと…そう見た見解から、ですが。もしかすると五反田社長、企画自体の詳細はこの話し合いで知ったのかなぁ……」
ほとんどあの宮下が話を進めていた、までは当たり前だが、たまに目配せやら何やら、確認を取るような間が両者にはあった。
それは、少し細部の重要な場面で、つまり足並みは宮下が五反田社長に合わせていたのだ……と、今となれば後付けな見解だが。
「…これは気合いを入れたんだろうなあの子。30歳だってさ。営業だけあって人を選ぶ目がある。俺ならもう少し良い役を与えるね」
「……なかなかやりますね」
「だよなぁ。あの若さで社長と社長を繋ぐなんてな。
我が社も負けてられないな。アレがいると抜かれそうだ」
社長は酷く機嫌が良さそうだった。
…あんな話をしたなんて言いにくい。
いや、確かに。そうだな、話題も掻っ攫い自然と懐に入ってくるような人物だった。
…全然思い当たらないがふと、「ピンときませんでした?」という言葉が頭で反芻された。
「………」
女性社員が前から二人、歩いてくる。
会釈をして去る彼女たちに「お疲れ様」と、きっと自分は今百面相だっただろうと、表情を戻し会社の廊下を歩く。
長いことセックスレスだ。
そのわりに、先月は妻のことが頭を掠めて一次会のみにしたのだ。
本当は、なんてことはない、帰っても普通で妻は先に就寝していた。
いつからそうなったのかは明白ではないが…と思い返す。少し宛がなくはない。
妻はもう40にもなる。結婚当初は若妻だった。まさか、こうなるとは思いもせず。
歳も並に離れているせいか、彼女の盛りには自分はとっくに落ち着いてしまっていて、不一致に至ってしまった。
よくある話なんだろう。
子育ての序盤では自分も30代前半くらいで仕事盛り。
息子が中学生になったあたりの、安定した頃にはとっくに「家族」としての感情が先行していた。
多分自分は、つまらない男なのだと自覚がある。
生まれてこの方ふしだらに遊んだ時期もなければ、不貞を働いたこともない。
けれど…目を瞑っている、いや、諦めに近く切り捨ててきた生活もあった。
それがあり今の地位がある。
キャバクラも仕事のうちにしか入っていない。
自分の性格もあり、それは妻も理解してくれているのだと思っている。
それからふと、クラッシィの社長と宮下が歩いてきた。
自分が向かう社長室からなのは考えなくとも明白だ。
「あ、辻元さん」
「…どうも」
宮下は社長の隣で何事もなく頭を下げた。
社長より、背が高い。
よく見もしなかったのだが、どうやら彼はスラッと、本当に今時の若者なようだ。
社長はにやっと笑い、「これから長いお付き合いになりそうですよ」と告げてくる。
「社長からお話はあるでしょうけれども」
「……本当ですか、」
「ええ」
五反田社長から握手を求められた。
いままでの憂鬱は一度追いやり「ははぁ、」と、ついつい手を拭き握手を返す。
相手の体温を感じた。
…ふと、五反田社長の左手が目に入る。
なるほど、指輪はなかった。外しているのかもしれないけれど…。
…なんとなく一度嵌めたら…取れなくなりそうな、ような…。
「喜んでくれたようで、よかった」
はっと気付いた。
多分長かった。
五反田社長はそのままふいに自分の手を引っ張り、「今度は是非いらしてくださいよぅ」と、まるで耳打ちしてから離れる。
今、隅に追いやったモヤモヤがふわっと、汗の匂いと一緒に甦った。
「ではまた」
去る五反田社長の横で、宮下がまた頭を下げて二人は去っていく。
二言、三言口を利いている彼らを見て、さっきの話が当たり前にまた反芻されていった。
…自分はいま、五反田社長に普通な顔を出来ていただろうか。
…そっか、そうだったのか五反田社長。
社長室へ入ると「あぁ、クラッシィと正式に契約したから」とあっさり告げられる。
宮下の話を思い出すまでもなかった。だが、上司はどこからどう見ても普通の高貴な初老に見える。
世の中は、確かにわからないもんだ。
「いま廊下で会った?」
「あ、はい」
「後日食事会に行こうと思うんだけど」
「あの、社長」
あ。
つい口走ってしまったが「あぁ、奥さん?」と、社長は然して感情も込めずにそう言った。
「…はい、前回こっぴどく…」
本当はそんなことはないのだが。
「今回はホテルでイタリアンなんだよね、然り気無く断っといた。いいねぇ辻元ん家は」
「あ、いえ…そういうわけではないんですが」
「俺なんて何も言われないよ。まぁ言われてもしょうがないけどさ」
「はぁ……」
「…君って確か奥さん一筋だったよね」
「ええ、はい…」
「そっか」
…今の勝手な主観なのかもしれない。
社長はまだ何か言いたそうな…例えば「俺の妻は理解があってね」だとか「君はつまらないね」だとか。
そんな間があるような気がしたけれど…そんな自分の心情を社長が知るはずもない。
社長は応接テーブルに並べられた資料を眺め、「あの営業開発の宮下くんだけどさ」と呟いた。
「はい?」
「なかなかやるよね」
「…そうですね。プレゼンも無駄がなく、若者の発想力とでも言うのでしょうか」
「上手いこと五反田さんを懐柔しているよなぁ」
「え」
…懐柔。
あ、変な風になってる自分。
仕事を思い出す。確かに…そうだな。
「確かに…的確でわかりやすいし、社長フォローも忘れていない」
「どう思った?率直に、正直に」
「はい、まぁそうですね…今回、クラッシィの印象ががらりと変わったなと思ったのですが、宮下くんと言われてしまうと…そう見た見解から、ですが。もしかすると五反田社長、企画自体の詳細はこの話し合いで知ったのかなぁ……」
ほとんどあの宮下が話を進めていた、までは当たり前だが、たまに目配せやら何やら、確認を取るような間が両者にはあった。
それは、少し細部の重要な場面で、つまり足並みは宮下が五反田社長に合わせていたのだ……と、今となれば後付けな見解だが。
「…これは気合いを入れたんだろうなあの子。30歳だってさ。営業だけあって人を選ぶ目がある。俺ならもう少し良い役を与えるね」
「……なかなかやりますね」
「だよなぁ。あの若さで社長と社長を繋ぐなんてな。
我が社も負けてられないな。アレがいると抜かれそうだ」
社長は酷く機嫌が良さそうだった。
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