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一
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ビルの五階、喧騒も遠い踊り場、鉄格子。煙草の火がじりじりと迫っている。
灰色で雨が降りそうな、金曜日。
「セックスしたいなぁ…」
煙のように吐かれた言葉は何気ないものだった。
「お疲れ様です。
…辻元副社長、ご一緒しても宜しいでしょうか」
凛とした低い声が聞こえる。
聞き覚えのない声に振り向くと、眼鏡で、髪を撫で付けた清潔感のある若い男がそこに立っていた。
「あぁ、どうぞ」と辻元が火を差し出すと、相手は少し会釈をし申し訳なさそうに電子タバコを取り出す。
確かそうだ、営業で来ている……。
「…クラッシィの…宮下くん、だっけ」
「覚えて頂けて恐縮です」
今時の、均整の取れたスタイルの若者だった。少しだけ甘い匂いがするような、そんな若い存在感。
「…雨降りそう」と次には何事もなく黄昏るそれも様になっている。
どこを見るわけでもなく宮下は煙と共にさらっと「意外ですね」と吐いた。
「…今の聞いてた?」
「すみません」
「あ、いやいいんだけどさ…。意外、と言うと……?」
「いえ、単純にと言いますか…困らなそうだなぁと思いまして。奥様もいらっしゃるでしょうし」
「まぁ…結婚も20年近くなるとそういうんじゃなくなるもんで…。
君はそれこそ若いし、かっこいいし、困らなそうだねぇ」
「滅相もありませんよ。
副社長こそ理想な大人と言いますか、清潔感もありますしね、ウチの社長と違って。お若く見えますしとてもなんだか……あ、すみません、こんな余計なこと」
きっとこの匂いは今時の、自分のような中年にはわからないようなメーカーの、メンソールかもしれない。
すぱーっ、すぱーっと音がする。
「いやいや、こちらこそ滅相もない」
「セックスですかぁ。良いですよねえ」
どこ吹く風、黄昏と同じ表情でしれっとそう言った薄顔は至って普通、クールなままで、ついついこちらが「は、ははぁ、うん」と面食らってしまった。
宮下はすぱーすぱーと電子タバコを咥えながら目を合わせてくる。
「ウチの社長と少し前、飲みに行ったとお聞きしたような」
「……あぁ、先月あたりに行ったね」
「あまりピンとは来なかったんでしょうか」
「まぁ社長の付き合いですし…」
「そうですか…」
…独特だ。
嫌な感じではないのだが、一応お得意先である。
「君は真面目そうだよね、なんとなく」
「よく言われますけど、多分世間一般からするとそうでもない…ですよ?」
「う~んまぁ、モテそうだしね」
「いやぁ界隈ではてんでです」
「界隈?」
「はい。なのでプロとしか遊べませんね」
…何?
「ん?待って」
「確かに良いもんではあるんですけどね。自分で処理しちゃった方がいいんじゃないか?て時もありません?」
「待って待って」
…一応お得意先ではあるが。
「…まぁ、まぁね…うん……?」
「私実はどっちも派なんですけど」
「ん?なんだって?」
「えぇっとバイセクシャルってやつで」
「へっ!?」
声が裏返ってしまった。
彼は「ははは」と漸く笑ったのだが、そもそもどうしてこんな話になったのか、一瞬にして処理が追い付かなくなってしまった。
突然、なんだ?
「…あ、すみません返事に困りますよね」
「いやぁ……いきなりでビックリして…」
バイセクシャル。
待った、この人なんでこんな話をしてるんだろうか。
「嗜まれたのではないんですか?」
「え?」
「あ、そうだったんですか……てっきりそう思ってつい」
「つい!?」
こんなに驚いてしまって良いのだろうか。
あぁ、対処がわからない。
「いや、まぁ知り合いに、まぁこの歳になると嗜む人はいたりするから」
「社長がそうですよ?あれ?」
「えっ、」
……デブ社長のビジュアルが浮かんだ。
「そうだったのかっ、五反田社長っ!」
「はい、あれ?知りませんでした?雰囲気も凄く出ていると思いますが」
雰囲気ってなんだ、雰囲気って…ビジュアルが近くなる。
「…全く、これっぽっちも!」
「先月の…あの、私がお取りしたんですが社長がそれからめちゃく…とてもハマりこんでしまいまして」
「え、あ、えっと俺、それ知らないかも」
クラッシィとは先月に出会いがあった。
あの日、自分は至極暇だった、非常に帰りたかった。
……女の子は綺麗だったはずだ。
ただ自分は最近、若い子を見ても「あぁ若いなぁ」寧ろ、アイドルだって可愛かろうが、誰が誰だかわからないくらいなもので。
あぁそうだ。果たして社長は今どういう気持ちなんだろうかなんて、その場でぼんやり考えたりした。社長には慣れを感じた、ただそれだけだけど……。
あれってそういう訳じゃないし。
というか、そうじゃなかった、そういう感じだったんかい。
「う~ん……」
「二次会をお取りしたのですが。社長さん、そろそろ飽きてきたところだと然り気無く聞いて…」
「なるほど……」
それじゃぁ知らないな…。
自分は確か妻所帯として、帰ったような。思い出してきた。
流石、上級者の嗜みだ…。
宮下はこちらが煙草を消すのを見計らい、「いいんじゃないですかね、この際」と電子タバコをしまった。
「世の中わかりませんよね。
では、すみませんでした。お先に失礼します」
「はぁ……」
世の中わかりませんよね。
流石、ひとまわりは違かったであろう若者。発想力の違いなんだろうか。
それ以前に若者よ、よく読めないな…とそればかりが頭を占める。
色々不思議な人物だった。
灰色で雨が降りそうな、金曜日。
「セックスしたいなぁ…」
煙のように吐かれた言葉は何気ないものだった。
「お疲れ様です。
…辻元副社長、ご一緒しても宜しいでしょうか」
凛とした低い声が聞こえる。
聞き覚えのない声に振り向くと、眼鏡で、髪を撫で付けた清潔感のある若い男がそこに立っていた。
「あぁ、どうぞ」と辻元が火を差し出すと、相手は少し会釈をし申し訳なさそうに電子タバコを取り出す。
確かそうだ、営業で来ている……。
「…クラッシィの…宮下くん、だっけ」
「覚えて頂けて恐縮です」
今時の、均整の取れたスタイルの若者だった。少しだけ甘い匂いがするような、そんな若い存在感。
「…雨降りそう」と次には何事もなく黄昏るそれも様になっている。
どこを見るわけでもなく宮下は煙と共にさらっと「意外ですね」と吐いた。
「…今の聞いてた?」
「すみません」
「あ、いやいいんだけどさ…。意外、と言うと……?」
「いえ、単純にと言いますか…困らなそうだなぁと思いまして。奥様もいらっしゃるでしょうし」
「まぁ…結婚も20年近くなるとそういうんじゃなくなるもんで…。
君はそれこそ若いし、かっこいいし、困らなそうだねぇ」
「滅相もありませんよ。
副社長こそ理想な大人と言いますか、清潔感もありますしね、ウチの社長と違って。お若く見えますしとてもなんだか……あ、すみません、こんな余計なこと」
きっとこの匂いは今時の、自分のような中年にはわからないようなメーカーの、メンソールかもしれない。
すぱーっ、すぱーっと音がする。
「いやいや、こちらこそ滅相もない」
「セックスですかぁ。良いですよねえ」
どこ吹く風、黄昏と同じ表情でしれっとそう言った薄顔は至って普通、クールなままで、ついついこちらが「は、ははぁ、うん」と面食らってしまった。
宮下はすぱーすぱーと電子タバコを咥えながら目を合わせてくる。
「ウチの社長と少し前、飲みに行ったとお聞きしたような」
「……あぁ、先月あたりに行ったね」
「あまりピンとは来なかったんでしょうか」
「まぁ社長の付き合いですし…」
「そうですか…」
…独特だ。
嫌な感じではないのだが、一応お得意先である。
「君は真面目そうだよね、なんとなく」
「よく言われますけど、多分世間一般からするとそうでもない…ですよ?」
「う~んまぁ、モテそうだしね」
「いやぁ界隈ではてんでです」
「界隈?」
「はい。なのでプロとしか遊べませんね」
…何?
「ん?待って」
「確かに良いもんではあるんですけどね。自分で処理しちゃった方がいいんじゃないか?て時もありません?」
「待って待って」
…一応お得意先ではあるが。
「…まぁ、まぁね…うん……?」
「私実はどっちも派なんですけど」
「ん?なんだって?」
「えぇっとバイセクシャルってやつで」
「へっ!?」
声が裏返ってしまった。
彼は「ははは」と漸く笑ったのだが、そもそもどうしてこんな話になったのか、一瞬にして処理が追い付かなくなってしまった。
突然、なんだ?
「…あ、すみません返事に困りますよね」
「いやぁ……いきなりでビックリして…」
バイセクシャル。
待った、この人なんでこんな話をしてるんだろうか。
「嗜まれたのではないんですか?」
「え?」
「あ、そうだったんですか……てっきりそう思ってつい」
「つい!?」
こんなに驚いてしまって良いのだろうか。
あぁ、対処がわからない。
「いや、まぁ知り合いに、まぁこの歳になると嗜む人はいたりするから」
「社長がそうですよ?あれ?」
「えっ、」
……デブ社長のビジュアルが浮かんだ。
「そうだったのかっ、五反田社長っ!」
「はい、あれ?知りませんでした?雰囲気も凄く出ていると思いますが」
雰囲気ってなんだ、雰囲気って…ビジュアルが近くなる。
「…全く、これっぽっちも!」
「先月の…あの、私がお取りしたんですが社長がそれからめちゃく…とてもハマりこんでしまいまして」
「え、あ、えっと俺、それ知らないかも」
クラッシィとは先月に出会いがあった。
あの日、自分は至極暇だった、非常に帰りたかった。
……女の子は綺麗だったはずだ。
ただ自分は最近、若い子を見ても「あぁ若いなぁ」寧ろ、アイドルだって可愛かろうが、誰が誰だかわからないくらいなもので。
あぁそうだ。果たして社長は今どういう気持ちなんだろうかなんて、その場でぼんやり考えたりした。社長には慣れを感じた、ただそれだけだけど……。
あれってそういう訳じゃないし。
というか、そうじゃなかった、そういう感じだったんかい。
「う~ん……」
「二次会をお取りしたのですが。社長さん、そろそろ飽きてきたところだと然り気無く聞いて…」
「なるほど……」
それじゃぁ知らないな…。
自分は確か妻所帯として、帰ったような。思い出してきた。
流石、上級者の嗜みだ…。
宮下はこちらが煙草を消すのを見計らい、「いいんじゃないですかね、この際」と電子タバコをしまった。
「世の中わかりませんよね。
では、すみませんでした。お先に失礼します」
「はぁ……」
世の中わかりませんよね。
流石、ひとまわりは違かったであろう若者。発想力の違いなんだろうか。
それ以前に若者よ、よく読めないな…とそればかりが頭を占める。
色々不思議な人物だった。
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