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マイノリティを謳え
しおりを挟むピアノの音が、泣いている。
ステンドグラスがオレンジになっていくようなこの時間、私の信心的な気持ちが反響と共に消化されていく。
チャイムが、鳴って。
ピアノの音は止んでしまった。
「先生」
彼女は肩までの髪を耳に掛け、「阿部さん?」と怪訝そうに、鍵盤から私に視線を流してくる。
それが堪らなく心地良い。
「やめてしまったの、先生」
「…何か用?」
「先生のピアノが聞きたかったの」
私は敢えて微笑むのだけど、先生は居心地が悪そうにキーカバーをぎこちなく掛けるのは寂しいのだから、「ねぇ先生」と隣に座ってみようと試みる。
先生はすぐに立ち私に席を譲るように掌を開くのだけど、その手の生命線から中指への傷痕、銀のリングに私は意地悪をしたくなる。
両手で包んであげたい。
その傷をなぞるように触れれば尚更居心地が悪そうに「阿部さん、」と先生が私を窘めるのが愉快だった。
「…弾かないなら片付けたいんだけど」
「一緒に弾きませんか先生」
「私は疲れたから、弾いていいよ」
「高くて黒い鍵盤は吊ってしまうんですよね」
言葉が吊ってしまった先生の右手に「ねぇ先生」と囁き掛ける。
ほのかに、体温は低かった。
「私はずっと先生の音を聴いていますから」
「何が言いたいの?」
得体の知れないものを見るような先生の、怯えも怒りも気分も摂氏35.4の表情で伝えては、振り払うように引っ込んでしまう。
仄かな心地が丁度いい。
「手は暖まりましたか?」
「…はいそうですね」
「先生は聖女ですか」
「そんなものでもないですよ」
「そうでしょうか」
先生の喉がくっと音を立てるのが聞こえるみたい。その現象に私の心臓は少しだけ脈を早め血液を身体中に巡らせていくようで、息がしにくかった。
「この歌を弾いてくれませんか先生」
「…阿部さん、」
「私は好きですよ、先生」
私には高音が引き吊るその音が聞こえてくるような気がするのですよ、先生。苦しくて、ぎこちのないその微かな解れが。
先生は得体の知れないものを見るような目で右手をぎこちなく眺めて息を軽く吐いた。夕陽を背にしたその先生の姿に銀の、過去のようなものが光っている。
それでも、はっきりと先生は私を射抜き眉を寄せ「私はお前が嫌いだよ」と淡々と音を紡ぐ、現象。
その唇の薄さに私は微笑むことが出来る。
「嫌いだなんて、生徒に言ってもいいんでしょうか」
「生徒も人間だから」
「先生は、聖母だなんて言葉も嫌いなんでしょうね」
それから先生はにやっと、仄かに笑って私の隣に座った。
先生はぎこちなくキーカバーを剥がして薄く一息を吐く。
肩の隣り合わせでそれを感じることが生々しく曖昧に私の胸を殺してくるのだから、立ち上がって私も息を吸い込んで。
私ならこうしていられるのに。
誰でもない、私なら。
ゆったりと低くぽん、ぽんと左手が跳ねるのに、所々滑らかではない静かな音域が流れ始め、私たちの新しい聖歌が静かに夕方をしめて行く。
私の喉は震え、潰れてしまいそうな生ぬるい透明に犯されてしまいそうだった。
こんな歌、私もとても嫌いだったんです、先生。私は隣で座っていたかっただけなのに。
貴女は美しく清らかだから、禍々しい芽など摘んであげたかったのですよ。
聖なるマリア、私の先生。
罪深い私の心を殺してください。
なにも、幸せでなんかないでしょう。
こんな歌、私も好きなんかじゃなかったのよ、アーメン。
声は震えてぎこちなかった。
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