上 下
307 / 376
※The 28th episode

2

しおりを挟む
 ハッとして伊緒が環を見れば、環はどこを見ているのかわからない、宙を眺め、なにかを考えるように言った。

「私にとって流星さんは、ヒーローなんです」
「環さん、」
「声がなくても話が出来る、乱暴もない、光も何もなかった私に声を、掛け続けてくれたから」
「…もしかして、環さん、」
「私はずっと嘘を吐いてでも、彼には離れて欲しくなかった。まだ彼も私も、救われてなんて、ないんです」

 はっきりと伊緒を見つめ、環は言った。

「私は全て、覚えている」
「えっ、」

驚愕だった。
全て、とはもしかして。
その原因となった事件のことも、含めてだろうか。
 伊緒の手が止まった。

「記憶なんて消えてくれない、だから私はそれを伝えようと、流星さんと話を、してきました」
「それは」

なんて。

「そんなの間違ってませんか、環さん、」

 勢い余って言ってしまったが。
 じゃぁ自分はどう違うのかと考えれば、不味いことを言ったと感じた。

「間違ってると思ってます。
 だから、私は新しい記憶を作りたかった。彼にも、そうで、」

それは…。

「…流星さんの、…樹実さんの事ですか…?」

 環は答えなかった。
 茅沼樹実は今や、元凶の殺人教団に荷担し、結局はそれを潰して流星が、殺した男だ。
 茅沼樹実の心情はわからない。だが彼は、流星を拾い名前を与えた筈だった。

 このままでは流星は再び、
しかも、愛するひとに裏切られるのではないか、伊緒にはそう感じてしまったが。

 静かに涙を流した環は綺麗だった。握る拳は震えている。
 俺はエゴを履き違えてしまったのではないかと思い始めた。

「…わ、私を、忘れたら、彼は楽かもしれないけど、
 どうしても、忘れて欲しくなかった私は、ひ、酷く醜い、女かもしれないっ、」
「違う…」

そうは。

 ぐっと、環を抱擁することすらも堪える自分がいる。歯を食い縛るような思いで。

「そうは、」

思って欲しくないだなんて。なんて傲慢なんだろう。
なんて、軽率だったんだろう。

「ごめんなさい、そういうんじゃくて…」

 少しイライラしていた、それじゃすまない。
 けどじゃぁ何を言えばいいんだ、ただやっぱり。

「…俺も環さんも流星さんだって、同じもの抱えてるじゃないですか、」

 じゃぁなんで言ってしまったんだ。

「だから、だから、」

一緒にこれを乗り越えたかったのかもしれないだなんて。
自分だけじゃないのかもしれないだなんて。

「…ごめんなさい、」

 謝った環は慌てるように忙しなく涙を拭い、拭いきれないままに「すみません、」と。
 いたたまれなくなったように部屋を出て行ってしまった。

 一瞬唖然とした伊緒はすぐにハッとして、「ぁっ…」と切迫する。胸に走る痺れはまた少しだけ行動を遅れさせるが、ただただ「環さん!」と、夢中になって外へ追いかけて行く。

俺はなんてことをした。
ただの暴力で、ただの傲慢で。

「…環さん!」

 マンションの外廊下にはいない。エレベーターより、階段の方がいいのか。咄嗟の判断で夢中になった。

 どこかで自分を可哀想なやつだと卑下したような気もする。どこかで環を蔑んだ気もする。
 どこかで、あの教会を憎んできたチャペルが不意によぎってしまったような気がする。

 走るように階段を降りて、「違うんだ」と叫びたい自分がいる気がする。だから解り合いたかった、だから聞きたかった、受け止めたかった。

自分も彼女も、関わった人間は全て、同じ形をしているんだ。

 一回のオートロックまで来て伊緒はふと立ち止まり唖然とした。
 人の匂いはあるのが生々しい。しかし何故だ、環はいない。
 エレベーターは来たんじゃないのか、もう外に出てしまったんだろうか、環は。

 改めて頭が冷えていく。
 もしもが過ってオートロックの扉を開け、外をキョロキョロしてみるが、不思議なくらいに何もない。

…変じゃないか?

 胸騒ぎがする。なんだかざわついた心中にかしゃりと、耳元で聞き慣れた鉄の音がした。

 どうして、どこから気配を消して現れた。そんな人間は限られる。

 ヒヤリと酸素を奪われた頭は動かせない。咄嗟に丸腰の両手を上げて伊緒は降参し、音がした右の蟀谷当たりに視線を寄越した。

「ま、」

 覚えがあった。茶髪のヤンキーみたいな、瞳孔が開ききった半にやけのこの男。

「しゃべるなダッチ」
「はっ…、」

 思考が停止した。
 箕原海の側近、脱獄犯の御子貝みこがい遊助ゆうすけだった。

本能が警告を鳴らす、ヤバい。ついにバレた。このまま俺や環さんや流星さんはどうなるんだ。

 見下ろす瞳孔開いたラリった目の御子貝は「くっ…ふふははっ、ふは…」と腹の底から笑う。ダルそうな動作でタバコを取りだして咥え、火をつける。

「チェックメイトだな、狂犬野郎」

それは、

「はっ、」

 環はどこにいる。

「ばっ、た、環さ」
「しゃべんじゃねぇよクソダッチ。ふっ、ははははは!」

ヤバい、これは。

 ふいにふらっと御子貝が背後を眺めてタバコを持つ手をぶらさげる。何かを伺った様子からすぐに、「じゃぁなダッチ」と背中を向けた。

もしかして、もしかしなくても。

「あんたら、もしかして」

 御子貝がふらっとタバコをあげてあばよの挨拶。降ろしてその場に吸い殻を捨て、足で消した。

やられてしまった。

「うっ、」

 叫び出しそうになった。
 大変だけじゃすまされない。
 伊緒は荒い息のまま流星に電話を掛けた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

六華 snow crystal 8

なごみ
現代文学
雪の街札幌で繰り広げられる、それぞれのラブストーリー。 小児性愛の婚約者、ゲオルクとの再会に絶望する茉理。トラブルに巻き込まれ、莫大な賠償金を請求される潤一。大学生、聡太との結婚を夢見ていた美穂だったが、、

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

動物の気持がわかる夫婦の冒険

ハリマオ65
現代文学
 四宮泰蔵は、鹿沼の貧農の家に生まれたが、頭脳明晰で腕っぷしも強く地元有力政治家の下で働き金と、株で成功し財をなした、結婚後。3人の子を儲けた。その末っ子の四宮俊次、聡明、勘が良く、昔の智将といった感じ。しかし一匹狼で、友達も少なかった。そんなとき、動物好きで彼らと話ができる風変わりな小諸恵子と結婚。その後、丹沢の牧場に就職し株で儲けた資金で牧場に投資し、活躍していく物語。 ノベルデイズに重複投稿

地獄の業火に焚べるのは……

緑谷めい
恋愛
 伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。  やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。  ※ 全5話完結予定  

スルドの声(共鳴) terceira esperança

桜のはなびら
現代文学
 日々を楽しく生きる。  望にとって、それはなによりも大切なこと。  大げさな夢も、大それた目標も、無くたって人生の価値が下がるわけではない。  それでも、心の奥に燻る思いには気が付いていた。  向かうべき場所。  到着したい場所。  そこに向かって懸命に突き進んでいる者。  得るべきもの。  手に入れたいもの。  それに向かって必死に手を伸ばしている者。  全部自分の都合じゃん。  全部自分の欲得じゃん。  などと嘯いてはみても、やっぱりそういうひとたちの努力は美しかった。  そういう対象がある者が羨ましかった。  望みを持たない望が、望みを得ていく物語。

言の葉でつづるあなたへの想ひ

春秋花壇
現代文学
ねたぎれなんです。書きたいことは、みんな、「小説家になろう」に置いてきてしまいました。わたしに残っているものは、あなたへの思いだけ……。 何で人が涙を流すと思う? それはな悲しみを洗い流してもっと強くなるためだ だからこれからも私の前で泣けつらかったらそして泣き終わったらもっと強くなるよ あなたのやさしい言葉に抱かれて 私は自分を織り成していく

OLサラリーマン

廣瀬純一
ファンタジー
女性社員と体が入れ替わるサラリーマンの話

人違いラブレターに慣れていたので今回の手紙もスルーしたら、片思いしていた男の子に告白されました。この手紙が、間違いじゃないって本当ですか?

石河 翠
恋愛
クラス内に「ワタナベ」がふたりいるため、「可愛いほうのワタナベさん」宛のラブレターをしょっちゅう受け取ってしまう「そうじゃないほうのワタナベさん」こと主人公の「わたし」。 ある日「わたし」は下駄箱で、万年筆で丁寧に宛名を書いたラブレターを見つける。またかとがっかりした「わたし」は、その手紙をもうひとりの「ワタナベ」の下駄箱へ入れる。 ところが、その話を聞いた隣のクラスのサイトウくんは、「わたし」が驚くほど動揺してしまう。 実はその手紙は本当に彼女宛だったことが判明する。そしてその手紙を書いた「地味なほうのサイトウくん」にも大きな秘密があって……。 「真面目」以外にとりえがないと思っている「わたし」と、そんな彼女を見守るサイトウくんの少女マンガのような恋のおはなし。 小説家になろう及びエブリスタにも投稿しています。 扉絵は汐の音さまに描いていただきました。

処理中です...