上 下
165 / 376
The 10th episode

8

しおりを挟む
「生死の約束か」

 一人残された暁子はふと思い出した。

『今更死にてぇだなんて甘いことは言わないさ』

 最後に逢った日の潤はそう言った。
 色々と話してくれた日の朝だった。何故、自分に話してくれるのか、わからなかった。

『あんたは本当に良い人だな。生きにくいだろうな、人生』

 その一言が引っ掛かって。だけども少し、その諦めきった微笑みに気が楽になったような気がしたのだ。

悪いな、潤。
だがあんたはどうやら一人ではないらしいな。

 暁子はぼんやりと、ケータイを手にして、見慣れた番号を呼び出した。
 3コール目で繋がる相手。空気が、重くなる。

「よぅ、“ケルベロス”」
『あぁ、“ヘルメス”か』

 聞き取りやすい落ち着いた声。反響はない。職業柄こんなことに気を向けてしまうのは最早病気かもしれないなと内心暁子は己を嘲笑する。

「早速だが邪魔な者は消させてもらうことにしたよ」
『どういう?』
「速見だよ」
『…それは先回りしたなぁ。というか危ない橋を渡ったなぁ』
「しばらくは高みの見物になりそうだがな」
『誰か雇ったのか。君じゃぁ、まぁまぁ優秀なのがいそうだね』
「あぁ、まぁそこそこだな。狂犬と忠犬だな」
『もったえぶんなよ』
「直にわかるだろうがまぁ、あんたと一緒で日本組織ではないが、今は…厚労省にいたかな」

しばらく沈黙が走った。

『お前、なかなかやり手だなぁ』
「面白いだろ?」
『サイパン楽しんで来いよ』
「なんだそりゃ」
『言葉の綾だよ』
「あんたが言うと怖いな。で、ミノハラはどうした?」
『あぁ順調さ。このサイコパスは最早これに掛けての天才だ』
「あぁそうかい。まぁ、楽しそうで何より。じゃぁ、また報告するよ」
『楽しみにしてるよ。そうそう暁子』
「なんだよ、やめろよ」
『はいはい。
 道中気を付けて。君も一端のFBIなんだから』
「…?はいよ、ご忠告ありがとう」

 意味深な発言を最後に電話は切れた。

 なんとなく背筋が凍るような悪寒を感じたような気がした。この男と話した後はいつもそうだ。

 どうにもこうにも順調。順調過ぎて怖いくらいだ。まるでこれは、嵐の前の静けさのようだ。

 取り敢えず一人、居酒屋の会計を済ませて外へ出た。
 次の瞬間、何が起きたかわからなかった。ただ、その場に倒れ、薄れゆく視界の端に見えたのは指先の薬莢と、広がっていくどす黒い泥水のような、血で。下がっていく体温と意識が、まだ痛みを認識しなかった。

「なっ…に」

 遠くで悲鳴が聞こえる。
 遠退く意識の中で最期に、あのひとの柔らかな笑顔だけが目に染みたような気がした。

「まきっ…」

 手を伸ばして。
 完全にブラックアウトした。辺りには血ともう一つの薬莢と、脳髄が一筋飛び散った。

 横山暁子もとい横溝よこみぞ暁子の生涯は、サイパンでの結婚を前にして29年であっけなく幕を閉じてしまった。
 サイレンとパトカー。しかしまだ彼らは、彼女の殉職と存在を知らずにいた。

 流星は喧騒から離れ、GPSだけを便りに六本木へ。
 潤は、その六本木のレストランで相手を待っていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ニューハーフな生活

フロイライン
恋愛
東京で浪人生活を送るユキこと西村幸洋は、ニューハーフの店でアルバイトを始めるが

歌物語

天地之詞
現代文学
様々のことに際して詠める歌を纏めたるものに侍り。願はくば縦書きにて読み給ひたう侍り。感想を給はるればこれに勝る僥倖は有らずと侍り。御気に入り登録し給はるれば欣(よろこ)び侍らむ。俳句短歌を問はず気紛れに書きて侍り。なほ歴史的假名遣にて執筆し侍り。 宜しくばツヰッターをフォローし給へ https://twitter.com/intent/follow?screen_name=ametutinokotoba

あなたの隣で初めての恋を知る

ななもりあや
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。 その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。 そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。 一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。 初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。 表紙絵は絵師の松本コウさんに描いていただきました。

私は死に続ける

黄昏睡
現代文学
私は死に続ける。VRの世界でーー

大学寮の偽夫婦~住居のために偽装結婚はじめました~

石田空
現代文学
かつては最年少大賞受賞、コミカライズ、アニメ化まで決めた人気作家「だった」黒林亮太は、デビュー作が終了してからというもの、次の企画が全く通らず、デビュー作の印税だけでカツカツの生活のままどうにか食いつないでいた。 さらに区画整理に巻き込まれて、このままだと職なし住所なしにまで転がっていってしまう危機のさなかで偶然見つけた、大学寮の管理人の仕事。三食住居付きの夢のような仕事だが、条件は「夫婦住み込み」の文字。 困り果てていたところで、面接に行きたい白羽素子もまた、リストラに住居なしの危機に陥って困り果てていた。 利害が一致したふたりは、結婚して大学寮の管理人としてリスタートをはじめるのだった。 しかし初めての男女同棲に、個性的な寮生たちに、舞い込んでくるトラブル。 この状況で亮太は新作を書くことができるのか。そして素子との偽装結婚の行方は。

地球環境問題と自然への回帰

ハリマオ65
現代文学
 質屋の息子として生まれた速水和義は、そろばんを習い計算力をつけさせられた。幼いころから株取引の現場を見せられた。しかし、大学に入ると地球温暖化について興味を持った。その後、株取引をしながら、地球温暖化のため環境が良く、便利な場所に住もうと考えた。月日が、経ち、東京を出ようと考え、質屋の土地を売却し三島からゴルフ場のある高原の途中に理想的な分譲地を見つけ、引っ越した。その後、株で、儲けた お金を使い、地球温暖化、対策になる新事業を大手銀行、不動産会社と組んで、実行に移す物語である。 NOVELDAYSに重複投稿しています。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

男子中学生から女子校生になった僕

大衆娯楽
僕はある日突然、母と姉に強制的に女の子として育てられる事になった。 普通に男の子として過ごしていた主人公がJKで過ごした高校3年間のお話し。 強制女装、女性と性行為、男性と性行為、羞恥、屈辱などが好きな方は是非読んでみてください!

処理中です...