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朝に愁いじ夢見るを
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二度目に店へ赴いた際、み空は体調を崩していると言われた。
少しの羞恥はあったのだが、私はあの夜が忘れられず、三郎がみ空に将棋で負けた日…つまり、一目見たその日の演奏も忘れられない、この気持ちの方が勝ってしまった。
せめてもの意地のようなものと…兎に角、黙って一切分の金を渡しその場を立ち去ろうとしたのだが、「あの」と見世番に呼び止められた。
「先日お連れ様にも…」
見世番は金を受け取る様子でもなく、「み空についてはお約束が出来ませんと申しましたが…」と濁す。
…確かに、あの日の最後、「秘密でお願いします」と言われた。私にも今…羞恥、傲慢であり背徳感は確かにあった。
「先日若い、役者志望の売り子が入りました。もしよろしければ如何でしょう?
何分上方とは違い江戸っ子気質ですので少々安値ではありますが」
…この若い見世番に、私は馬鹿にされているのだと感じた。
…いや、相手は接客業だ、流石に…と、そんな小さな意地で関係が切れてはなるまい、あれから私の夢には時々み空が現れる。複雑なのだと言ってやりたくもなった。
「…会えないのでしたら薬の足しにして頂いても構いません。私はそれほど安くは捉えていない」
…見世番が若かったせいもあるとは思う。だが、ふっと役者顔の番台がまるで耐えられないと言うように口を押さえ、しかしまた精悍に「失礼しました」などと謝る。
「そういうつもりではなかったのです。ただ…あれは売り物でもなく、こう、予約をされてもこちらが見合うかどうかと兼ね合いを考えました。
しかし、来て頂いたからにはと…不躾でしたね。み空には伝えておきます。しかし、まぁ……」
…私は一瞬、もしかしてと頭を過った。
この見世番の男も番台も、私より若い。少し傲っているのは私であり…てっきり見世番かと思ったが、実は楼主だとしたら…。
「…お目は高いのでしょうが。どうせならと思ったのも私の至らなさ故ですかね。若い方が体力もありますしと…。
実は、み空は私の義兄なのです」
私は驚きと同時に不思議だと思った。何故、そんな話をしてくるのだろうかと。
…確かにこの男も面は良い。何故役者にならないのか、やはり私の推測は当たったのかもしれないと感じた。
「…もしかして…貴方が、」
「そうです。番頭や見世番と間違えられますが、変わりもありません」
「やはり…」
なるほど。
これほど…もし、義兄に対し過保護なのであれば、だが。頷けるような気もした。
ならばやはり、この先にはみ空がいるのだ。
「…人様の事情に立ち入るのは申し訳ないのかもしれないが、その…」
「少しばかし…まぁ、今み空は接客に向いていない状態でして」
やはり、と私は小さくなる思いで一切分は渡しておいた。
「…別に、いいのです。なんでも」
所謂押し付けだと、自分でも自己嫌悪に陥りそうだったが私は兎に角、色々な自尊心でその場から…そそくさと逃げた。
頭に血が登りそうだった。これは、自慰をした後の申し訳なさに似ている。
もしも…み空があの一度で、私を嫌なのだとしたら、だとか、陰気になりつつある最中、やはり二階の奥の見世を眺めてしまった。
その先ではみ空がぼんやりと外を眺め、三味線を持っているのが見受けられた。
あの、小さくかき消されそうな…鼻唄のような三味線が耳に聞こえる気がして。
…この歳にして、まるで心臓が鷲掴まれたような痛みを感じた。やはり、どうしても…いや、顔向けなど出来まいと俯こうとしたとき、丁度だ、み空と目が合ってしまった。
み空はふっと不思議そうな表情を一度だけ浮かべたが、すぐに笑って手を翳してくれた。
…違和感を感じないわけはない。が、そんなことより私はぎこちなくその手に返事をしてしまったようだ。
どうにも届かない位置にいるなと、私は自分の浅はかさを知ったような気がした。
それで少々、行くのを止めよう、いや、まずは…と思い付いたのは三郎だった。
先日三郎も私のように、追い返されたと三郎自身からも聞いている。その時、三郎は専ら女に戻ろうか、等と言っていた。
だとしたらまた、あの金食い虫に乗じてもいいかと頭に浮かんだが、どうにもスッキリはしない。
困ったことに、先程から私が歩いている景色があまり変わらないことに気が付いた。芝居小屋と楼との間をうろうろしている。
それはふと、役者小屋で「お暇ですか」と…恐らく、役者の付き人か何かだ。それに声を掛けられはっと気付いたのだ。
私はそれに断りを入れ、やはりまだモヤモヤしているなと、更に気付けばあの楼の、裏手あたりに潜んでいたことにまで気が付いた。
…実のところ、あの夜が毎夜のように私の無意識化、つまりは夢の中で繰り返されていた。
男を抱いた、いや、抱かれたような気分にすらなったが、あんなに自分の欲望を満たせた…新感覚に困惑している面がある。
例えば、身体だ。女は柔らかいのだなとあれで知った気がする。それは、不安定な程のものかもしれない。
少しの羞恥はあったのだが、私はあの夜が忘れられず、三郎がみ空に将棋で負けた日…つまり、一目見たその日の演奏も忘れられない、この気持ちの方が勝ってしまった。
せめてもの意地のようなものと…兎に角、黙って一切分の金を渡しその場を立ち去ろうとしたのだが、「あの」と見世番に呼び止められた。
「先日お連れ様にも…」
見世番は金を受け取る様子でもなく、「み空についてはお約束が出来ませんと申しましたが…」と濁す。
…確かに、あの日の最後、「秘密でお願いします」と言われた。私にも今…羞恥、傲慢であり背徳感は確かにあった。
「先日若い、役者志望の売り子が入りました。もしよろしければ如何でしょう?
何分上方とは違い江戸っ子気質ですので少々安値ではありますが」
…この若い見世番に、私は馬鹿にされているのだと感じた。
…いや、相手は接客業だ、流石に…と、そんな小さな意地で関係が切れてはなるまい、あれから私の夢には時々み空が現れる。複雑なのだと言ってやりたくもなった。
「…会えないのでしたら薬の足しにして頂いても構いません。私はそれほど安くは捉えていない」
…見世番が若かったせいもあるとは思う。だが、ふっと役者顔の番台がまるで耐えられないと言うように口を押さえ、しかしまた精悍に「失礼しました」などと謝る。
「そういうつもりではなかったのです。ただ…あれは売り物でもなく、こう、予約をされてもこちらが見合うかどうかと兼ね合いを考えました。
しかし、来て頂いたからにはと…不躾でしたね。み空には伝えておきます。しかし、まぁ……」
…私は一瞬、もしかしてと頭を過った。
この見世番の男も番台も、私より若い。少し傲っているのは私であり…てっきり見世番かと思ったが、実は楼主だとしたら…。
「…お目は高いのでしょうが。どうせならと思ったのも私の至らなさ故ですかね。若い方が体力もありますしと…。
実は、み空は私の義兄なのです」
私は驚きと同時に不思議だと思った。何故、そんな話をしてくるのだろうかと。
…確かにこの男も面は良い。何故役者にならないのか、やはり私の推測は当たったのかもしれないと感じた。
「…もしかして…貴方が、」
「そうです。番頭や見世番と間違えられますが、変わりもありません」
「やはり…」
なるほど。
これほど…もし、義兄に対し過保護なのであれば、だが。頷けるような気もした。
ならばやはり、この先にはみ空がいるのだ。
「…人様の事情に立ち入るのは申し訳ないのかもしれないが、その…」
「少しばかし…まぁ、今み空は接客に向いていない状態でして」
やはり、と私は小さくなる思いで一切分は渡しておいた。
「…別に、いいのです。なんでも」
所謂押し付けだと、自分でも自己嫌悪に陥りそうだったが私は兎に角、色々な自尊心でその場から…そそくさと逃げた。
頭に血が登りそうだった。これは、自慰をした後の申し訳なさに似ている。
もしも…み空があの一度で、私を嫌なのだとしたら、だとか、陰気になりつつある最中、やはり二階の奥の見世を眺めてしまった。
その先ではみ空がぼんやりと外を眺め、三味線を持っているのが見受けられた。
あの、小さくかき消されそうな…鼻唄のような三味線が耳に聞こえる気がして。
…この歳にして、まるで心臓が鷲掴まれたような痛みを感じた。やはり、どうしても…いや、顔向けなど出来まいと俯こうとしたとき、丁度だ、み空と目が合ってしまった。
み空はふっと不思議そうな表情を一度だけ浮かべたが、すぐに笑って手を翳してくれた。
…違和感を感じないわけはない。が、そんなことより私はぎこちなくその手に返事をしてしまったようだ。
どうにも届かない位置にいるなと、私は自分の浅はかさを知ったような気がした。
それで少々、行くのを止めよう、いや、まずは…と思い付いたのは三郎だった。
先日三郎も私のように、追い返されたと三郎自身からも聞いている。その時、三郎は専ら女に戻ろうか、等と言っていた。
だとしたらまた、あの金食い虫に乗じてもいいかと頭に浮かんだが、どうにもスッキリはしない。
困ったことに、先程から私が歩いている景色があまり変わらないことに気が付いた。芝居小屋と楼との間をうろうろしている。
それはふと、役者小屋で「お暇ですか」と…恐らく、役者の付き人か何かだ。それに声を掛けられはっと気付いたのだ。
私はそれに断りを入れ、やはりまだモヤモヤしているなと、更に気付けばあの楼の、裏手あたりに潜んでいたことにまで気が付いた。
…実のところ、あの夜が毎夜のように私の無意識化、つまりは夢の中で繰り返されていた。
男を抱いた、いや、抱かれたような気分にすらなったが、あんなに自分の欲望を満たせた…新感覚に困惑している面がある。
例えば、身体だ。女は柔らかいのだなとあれで知った気がする。それは、不安定な程のものかもしれない。
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