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神様
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翌日、翡翠は朱鷺貴の隣にいなかった。
随分な気合いだと寝所を出て、八鶴和尚のいる堂へ向かう。
前日に翡翠が言っていた“薬の教授”をやってみようと、朱鷺貴はさっそく炭と半紙を持参。
案の定、堂の前で「はい、お薬ですー」が聞こえてきた。最早老人の介護に近いなと感じる。
堂の扉を開ければ八鶴和尚の乾いた咳が聞こえ激しくなる。大丈夫かと慌てたが
「はい、息を吸ってくださいねー。お水でーす」
と軽い口調の翡翠が和尚を抱き起こして背中を擦ってやっていた。
苦しそうな和尚に翡翠は和やかな笑顔で「朝方はお寒いですねぇ。昨夜は寒かったでしょうか」と声を掛けている。
話せるように落ち着くまでそうしている。だが翡翠の表情は和やかだが、明らかに肩に、八鶴和尚が喀血した血が付着していた。
「…おはようございます」
朱鷺貴が挨拶をすれば「あぁ、トキさん」と翡翠は言い即、
「お湯を頂いてきてくださいな」
あろうことか自分を使いっ走りにしやがった。
呆然と朱鷺貴は「はあ、」と返事をするが、
「お、はよう、ございます、わ、私が」
「あー、大丈夫ですあの法師の修行ですからー。
トキさん早く!」
「あ、はい」
従者の言うことを聞く状況に。
なんだかんだ良い性格してんなあいつと溜め息が出た。
丁度近くに通り掛かった小姓に朱鷺貴が湯を頼むが、少し躊躇ってから用意してくれた。俯いて、桶に張った湯を渡してきた小姓に試しに違和感をぶつけることにした。
一言、「来るか」と。
「え?」
「和尚が心配ならな。あの人恐らく敢えて近付けないんだろ、お前らを」
「死に病だと、」
「労咳だ。もう永くもない」
「そうなんですか…」
「なんだ、聞いていないのか」
「はい、あの…」
「まぁ、本来死に姿は見せたくないだろうが、そうも言っていられないからな」
「ですが…」
「あの坊主か」
恐らく。
関わることを止められている。もしくは吹聴をされている。
なんとなく、そんな気がして朱鷺貴は小姓に聞いてみる。案の定、その小姓は俯いてしまった。
「まぁ、何を知り何を見て何を信じるかは己次第。あの人は“郷に入れば郷に従え”と言うし。それも正しいが他者から見れば居たたまれない」
「はぁ、あの、行ってもいいのですか?」
なるほど。
「好きにしろ」
まぁこんなものかと朱鷺貴はまた堂へ足を向ける。
一つ後ろには足音がする。ならばと朱鷺貴は漸くその小姓へ訪ねた。
「名は?」と。
「は、八景です」
「八景か。
お前が見た全てを寺に残すと良い。まだ小姓だが、いずれは和尚になるのだからな」
「はい…」
よっしゃ一人伝承が成功だ。
内心朱鷺貴は嬉しかった。どこにでも、飛び込む者が一人は居るもんだなと感じる。
堂へ戻り、「失礼」と言ってから入れば、八鶴の咳は治まり、漸く横になれたようだった。
「…八景ですか?」
八鶴の声も落ち着いていて。しかし八景は翡翠の、首筋にまで被った血を見て立ち尽くしていた。
「あらあらお弟子さんですか。すみませんな、」
「あの…」
「労咳は喀血をする。病が感染るのはその所為もあります。なんせ、肺やさかいに」
「肺って…」
「南條様、その子に…感染してしまう」
「和尚、しかし貴方は盲人だ。人の一生を弟子に伝承出来ないでどうします?正直、誰かいなければあんたは不便じゃないか?」
「ですが、」
「八鶴和尚様、
か、構いません。私は、」
勇気のように言う八景に。
「まぁ、言うて皆、どうせ伝染るときは伝染るんやし、致し方ないんやありませんか、和尚様」
翡翠がそう軽く言った。
「どんだけ離れても空気感染。しかし人一人の呼吸いうんは、こんだけ遠くに隔離されてしまっては意味がない。
八景さん、ですか。
悪いんやけど窓を開けましょ。充満してしまいます、より悪い。しかし、山の空気は綺麗や」
「はぁ…そうなんですね」
「少々気管支の薬を投与しました。呼吸はしやすくなりますが治りません」
「治らないのですか…」
「ええ」
はっきりと翡翠は言う。そして「貴殿方は…」と消え入りそうに言う八景に、
「せやから窓を開けてください。
わてはまだ歩けるし、外の空気が吸える、まだましやけど、こん方はそうはいきまへんで」
「はい、はい」
そう聞いた八景は堂の窓を開け始めた。なるほどそういう病なのかと朱鷺貴も感心した。
しかしまず。
「翡翠」
「あい、なんでありましょ」
「…まずは血を拭け。お前も感染る」
「はぁ、そうやったね」
布と湯を渡してやった。
自分の首筋の血を落として洗い、次は和尚の口許を拭ってやった。
「すみません、本当に」
「いいえぇ。
少しは、長生きしなければならなくなったようですよ和尚様。
いずれ、薬が出来るまで」
「…翡翠さん」
「八鶴和尚。
俺もそう思いますよ。塞ぎ込むのが一番、病に負けますから」
「…はい」
「あとはそうですねぇ。
確かに感染させては困りますが、正直、空気は流れますさかい、暖かい寝床については如何でっしゃろか。少しは楽に成りますえ」
「そうなのか?」
「あらトキさん、なんや知らないのですか。なら教授。労咳は死に病やけど頑張れば3年は生きられます。根気が要りますがお坊様程の気概なら、案外回復に向かうかもしれませんよ、と、これは希望やけど。
何より病は綺麗な空気。重要や。
和尚様は和尚様で、自分の末路を語らなければ、ここの者に病とはなんたるかなんて、伝わりません。これは却っていざというときぃ、狼狽えさせます」
はっきりと翡翠は言い切った。
随分な気合いだと寝所を出て、八鶴和尚のいる堂へ向かう。
前日に翡翠が言っていた“薬の教授”をやってみようと、朱鷺貴はさっそく炭と半紙を持参。
案の定、堂の前で「はい、お薬ですー」が聞こえてきた。最早老人の介護に近いなと感じる。
堂の扉を開ければ八鶴和尚の乾いた咳が聞こえ激しくなる。大丈夫かと慌てたが
「はい、息を吸ってくださいねー。お水でーす」
と軽い口調の翡翠が和尚を抱き起こして背中を擦ってやっていた。
苦しそうな和尚に翡翠は和やかな笑顔で「朝方はお寒いですねぇ。昨夜は寒かったでしょうか」と声を掛けている。
話せるように落ち着くまでそうしている。だが翡翠の表情は和やかだが、明らかに肩に、八鶴和尚が喀血した血が付着していた。
「…おはようございます」
朱鷺貴が挨拶をすれば「あぁ、トキさん」と翡翠は言い即、
「お湯を頂いてきてくださいな」
あろうことか自分を使いっ走りにしやがった。
呆然と朱鷺貴は「はあ、」と返事をするが、
「お、はよう、ございます、わ、私が」
「あー、大丈夫ですあの法師の修行ですからー。
トキさん早く!」
「あ、はい」
従者の言うことを聞く状況に。
なんだかんだ良い性格してんなあいつと溜め息が出た。
丁度近くに通り掛かった小姓に朱鷺貴が湯を頼むが、少し躊躇ってから用意してくれた。俯いて、桶に張った湯を渡してきた小姓に試しに違和感をぶつけることにした。
一言、「来るか」と。
「え?」
「和尚が心配ならな。あの人恐らく敢えて近付けないんだろ、お前らを」
「死に病だと、」
「労咳だ。もう永くもない」
「そうなんですか…」
「なんだ、聞いていないのか」
「はい、あの…」
「まぁ、本来死に姿は見せたくないだろうが、そうも言っていられないからな」
「ですが…」
「あの坊主か」
恐らく。
関わることを止められている。もしくは吹聴をされている。
なんとなく、そんな気がして朱鷺貴は小姓に聞いてみる。案の定、その小姓は俯いてしまった。
「まぁ、何を知り何を見て何を信じるかは己次第。あの人は“郷に入れば郷に従え”と言うし。それも正しいが他者から見れば居たたまれない」
「はぁ、あの、行ってもいいのですか?」
なるほど。
「好きにしろ」
まぁこんなものかと朱鷺貴はまた堂へ足を向ける。
一つ後ろには足音がする。ならばと朱鷺貴は漸くその小姓へ訪ねた。
「名は?」と。
「は、八景です」
「八景か。
お前が見た全てを寺に残すと良い。まだ小姓だが、いずれは和尚になるのだからな」
「はい…」
よっしゃ一人伝承が成功だ。
内心朱鷺貴は嬉しかった。どこにでも、飛び込む者が一人は居るもんだなと感じる。
堂へ戻り、「失礼」と言ってから入れば、八鶴の咳は治まり、漸く横になれたようだった。
「…八景ですか?」
八鶴の声も落ち着いていて。しかし八景は翡翠の、首筋にまで被った血を見て立ち尽くしていた。
「あらあらお弟子さんですか。すみませんな、」
「あの…」
「労咳は喀血をする。病が感染るのはその所為もあります。なんせ、肺やさかいに」
「肺って…」
「南條様、その子に…感染してしまう」
「和尚、しかし貴方は盲人だ。人の一生を弟子に伝承出来ないでどうします?正直、誰かいなければあんたは不便じゃないか?」
「ですが、」
「八鶴和尚様、
か、構いません。私は、」
勇気のように言う八景に。
「まぁ、言うて皆、どうせ伝染るときは伝染るんやし、致し方ないんやありませんか、和尚様」
翡翠がそう軽く言った。
「どんだけ離れても空気感染。しかし人一人の呼吸いうんは、こんだけ遠くに隔離されてしまっては意味がない。
八景さん、ですか。
悪いんやけど窓を開けましょ。充満してしまいます、より悪い。しかし、山の空気は綺麗や」
「はぁ…そうなんですね」
「少々気管支の薬を投与しました。呼吸はしやすくなりますが治りません」
「治らないのですか…」
「ええ」
はっきりと翡翠は言う。そして「貴殿方は…」と消え入りそうに言う八景に、
「せやから窓を開けてください。
わてはまだ歩けるし、外の空気が吸える、まだましやけど、こん方はそうはいきまへんで」
「はい、はい」
そう聞いた八景は堂の窓を開け始めた。なるほどそういう病なのかと朱鷺貴も感心した。
しかしまず。
「翡翠」
「あい、なんでありましょ」
「…まずは血を拭け。お前も感染る」
「はぁ、そうやったね」
布と湯を渡してやった。
自分の首筋の血を落として洗い、次は和尚の口許を拭ってやった。
「すみません、本当に」
「いいえぇ。
少しは、長生きしなければならなくなったようですよ和尚様。
いずれ、薬が出来るまで」
「…翡翠さん」
「八鶴和尚。
俺もそう思いますよ。塞ぎ込むのが一番、病に負けますから」
「…はい」
「あとはそうですねぇ。
確かに感染させては困りますが、正直、空気は流れますさかい、暖かい寝床については如何でっしゃろか。少しは楽に成りますえ」
「そうなのか?」
「あらトキさん、なんや知らないのですか。なら教授。労咳は死に病やけど頑張れば3年は生きられます。根気が要りますがお坊様程の気概なら、案外回復に向かうかもしれませんよ、と、これは希望やけど。
何より病は綺麗な空気。重要や。
和尚様は和尚様で、自分の末路を語らなければ、ここの者に病とはなんたるかなんて、伝わりません。これは却っていざというときぃ、狼狽えさせます」
はっきりと翡翠は言い切った。
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