Get So Hell? 3rd.

二色燕𠀋

文字の大きさ
上 下
102 / 129
飛車

1

しおりを挟む
 潮風が、紙を湿らせる。

 その手紙には素っ気なく事実が書かれ、ついでに本人の字だろう、紅い句が添えられていた。

 船上で、高杉は星空を手の甲で覆った。

 わかっていたのだけれども。不穏な空気は牢の中ですら感じていたから。でもまさか、字になってしまうとより、生々しく血肉から『実感』が湧くらしい。
 それすら、薄情な物だ。

「高杉よ」

 ふっと、側に師の兄、周布すふ政之助まさのすけがドカッと座り、徳利から酒を注いだ気がした。

 …己も、末期だなぁ。

 手紙をふっと懐に入れた高杉は「船酔いしっちまうよ」と呟く。

『今更何を言うかと思えば』

 多分、そう冗談めいて言っただろうな。

「…ほととぎすか…」

 半身を起こし、周布の酒を受けた。
 …血の味がする。ぐっとそれをも飲み込んで、周布がふらふらと酔っぱらい、夜中に牢屋の門を叩いたあの日の叫びを思い出す。

『なぁ、お前じゃなきゃ無理だ、高杉ぃ、出てこい………』

 この空の下、思う。夜戦だったらあの人は負けていたよと、笑うその頬の肉すら垂れ下がりそうになりくっと絞った。

『死んだんじゃ、久坂も………!!』

 …戸からの、しかも外からの慟哭だけでは、わかりませんよ。酒臭さくらいに…。
 無邪気に学んでいたあの頃。そんな悪夢を見るようになりましたよ。周布さん、あんただけは結構、わかりやすい男でした、僕にとっては。

 ふと、あの坊主が頭をよぎる。

 ここは寒い。随分と…身体だけは熱い気がするのに、海風が全てを灰にしてしまいそうで。

「……面白くもなんともねぇよ、」

 星空にひょいっと周布が覗き込んだような気がした。

 「戦場の酒は旨くありませんな…」と言った久坂はあの時笑っていただろうか。

 半身を起こし徳利から一杯の酒を告ぎ、夜空へ向けくいっと煽る。今夜は随分星が綺麗で揺らぎもない、しかし、敵方の船からは先程まで、談笑が聞こえてきていた。

 胸からくつくつと笑えてくる。

 自分は武士を捨てたけど。
 側に転がる刀が目に入った。どうしても、これはどうやら、手を伸ばす位置にあるらしい。

 刀を杖にし、よろっと立ち上がる。
 そういえばこの、唯一早く久坂のことを教えてくれた坊主は出会った頃、刀を錫杖代わりにしていたな。

 ふっと込み上げ、高杉は船の縁まで歩き咳き込んだ。
 血反吐も海の中では、確かにわからないものだと袖で口許を拭う。自分も恐らくこの動乱の世には、これくらいの、すぐ消えるような物なのだろう。

 先行きは長くはない。 

「……さぁて、」

 最後の戦だ。
 早く、早く終わらせてやる。そしてもうすぐ、もうすぐ追い付いてみせる。何を弱気か、己は。人間出来ることなど、最後は死ぬことだ。

 笑うか苦しむかの違い。
 
 敵の狼煙も、消えた。
 下関戦争最終戦。そうだ、そう。公使館焼討ちなんかより遥かに、そう。

「全員起きろ、始めるぞ」

 あぁ、そう。

 人数の問題ではない。笑えたな、あの時の坊主と小姓。

「全員殺せ、以上だ」

 その一声だけで、先端で静かに船を下ろす部下がいる。
 酒瓶を持ちふらふら、当たり前に向かえば「大丈夫ですか隊長」だなんて押し止めようとする若者……今更だ。

「自分が…自分が行き」
「いー酒飲めよ。あたぁ女だ。女は、海みてぇに、ぬるい」

 酒瓶を預け言っておいた、「泳いでくるよ」
と。

 燃やし尽くせ、柵は全て。
 
 下ろした縄から船に降りる。静かな波の音。どこまでも底がないように感じる。
 この泥濘は死線だ。ピンと張ることがない、弛んだ曖昧さ。

 何故だか自分にはこんなにも、こんなにも、捨てるものも…捨ててしまったものがある。

「…隊長、」
「…留学は飽きたかい?井上くん」

 彼は返事もせず、肩に羽織を掛けてくれた。
 もしこの戦で負けても、紛れてしまうだけの人物。

「君くらいの人物が全てを見届けるのなら、世の中、きっと面白くなっていくだろうな、井上くん」

 「まぁ、出世は出来ないでしょうな」と愉快そうに言う男。
 井上は戦艦の同士に、縄を切るよう合図をした。

 …そう言えば、公使館焼き討ちの際、久坂とのいさかいを宥めたのは、君だったな。

「…ははっ、そうだな。多分、君は出世しない」

 僕の下にいる限りはね、と言ったのを聞き取ったかは知らない。船は、敵船に向け漕ぎ出される。

「そんなこと…言わんといて下さいよ」

 何里か進んで爆音、震動が、潮の流れとは逆を行く。

 なぁ、多分、こういうものなんだよ、命は。海の中燃え盛る船に近付きながら思う。
 あと少しだけ、楽しみたいんだ。この、くそったれな人生を。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

Get So Hell? 2nd!

二色燕𠀋
歴史・時代
なんちゃって幕末。 For full sound hope,Oh so sad sound. ※前編 Get So Hell? ※過去編 月影之鳥

Get So Hell?

二色燕𠀋
歴史・時代
なんちゃって幕末 純粋 人生 巡業中♪

月影之鳥

二色燕𠀋
歴史・時代
Get So Hell? 過去編 全4編 「メクる」「小説家になろう」掲載。

綾衣

如月
歴史・時代
舞台は文政期の江戸。柏屋の若旦那の兵次郎は、退屈しのぎに太鼓持ちの助八を使って、江戸城に男根の絵を描くという、取り返しのつかない悪戯を行った。さらには退屈しのぎに手を出した、名代の綾衣という新造は、どうやらこの世のものではないようだ。やがて悪戯が露見しそうになって、戦々恐々とした日々を送る中、兵次郎は綾衣の幻想に悩まされることになる。岡本綺堂の「川越次郎兵衛」を題材にした作品です。

大日本帝国領ハワイから始まる太平洋戦争〜真珠湾攻撃?そんなの知りません!〜

雨宮 徹
歴史・時代
1898年アメリカはスペインと戦争に敗れる。本来、アメリカが支配下に置くはずだったハワイを、大日本帝国は手中に収めることに成功する。 そして、時は1941年。太平洋戦争が始まると、大日本帝国はハワイを起点に太平洋全域への攻撃を開始する。 これは、史実とは異なる太平洋戦争の物語。 主要登場人物……山本五十六、南雲忠一、井上成美 ※歴史考証は皆無です。中には現実性のない作戦もあります。ぶっ飛んだ物語をお楽しみください。 ※根本から史実と異なるため、艦隊の動き、編成などは史実と大きく異なります。 ※歴史初心者にも分かりやすいように、言葉などを現代風にしています。

獅子の末裔

卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。 和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。 前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

処理中です...