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理
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「我々公家、公卿の中では大いに使う教え方なんだがな。神は自然である、則ち神道とは、自然学問だ。
いいか、岡田」
まるで、言い聞かせるような口調。
「天人唯一之理。最近流行りの“尊皇攘夷”の根幹、「垂加神道」の話だ。神道でも徳目はある。学問とは幅広いよなぁ。
何かに一心不乱であるそれは、正直で清浄でなければならない。正直の実現には敬の実現が不可欠である。
お前は今何に正直なんだ、天への理は、ただの一つしかないんだ。お前は今、どこに立っている」
ふっ、と藤嶋が脇差しを振った、それに反射的に反応したのは、岡田の方だった。
それは一瞬の出来事で、はっと気付けば小さな岡田が藤嶋の懐に入り込んでいて、藤嶋は避ける素振りすら、全くないように見えた。
喉が切れたような一息を吐いた藤嶋は、足元に伝い始めた鮮血に足場を崩し寄り掛かる、寧ろ岡田を抱擁したようにも見える背に「ふじしまさん……?」と、鈍くも翡翠は理解し始めていた。
「……俺も変わらんよ、お前と」
ぱっと、唖然としたように手を離し尻餅を吐いた岡田に漸く「岡田ぁっ!」と捕らえに動いた伊東と、翡翠の「藤嶋さん!!」が被る。
それは、堂で坊主達から話を聞いていた朱鷺貴の元まで届き、はっと門を見ても死角だった。
漸く現実に戻ったような岡田が「あっ、あ……っ!」と動揺し、捕らえられても暴れている。
翡翠は倒れた藤嶋へ駆け寄り、「藤嶋さん!」と声を掛ける、ざっくりと刺さった岡田の脇差しから血が溢れていた。最早、抜いてしまえばもっと酷くなるだろう。
顔をしかめた藤嶋は「……っるせぇな、」と悪態を吐く。
伊東が岡田の脛を切り断末魔が響いた。
それを背負った伊東は睨むように翡翠と藤嶋を見つめ去って行く。
「藤嶋さん、」
門の向こうに伊東が「南條さん!」と声を掛けたのと、「っ……はは、」と藤嶋が痛そうに笑ったのが被る。
抱えようかとすると、「無理だよ」と藤嶋がはぁはぁとしたまま言った。
「血が、足りねぇ…よ」
…下腹あたりか…確かに立たせてしまうと不味いかもしれない。
ぱっと藤嶋が横を見ると、そこには伊東の脇差しがある。
頭で考えているうちに朱鷺貴がやってきては歯を噛み、奥へ「台かなんか持ってこい!!」と指示をした。
「どうしたこれは…、」
「あの、お、岡田さんが」
「……びびってんじゃ、ねぇよ、」
ぐっと半身を無理に起こそうとする藤嶋はやはり脇差しを見て「…返しといて」と言葉を捻り出した。
「は!?」
「あんた喋んな、おい!早く持ってこい、早く、」
奥に声を掛け藤嶋に肩を貸し、更に翡翠を見る朱鷺貴の目は強い。目で語っている、話してくれと。
お陰で冷静になれた。神は、自分の中にいて。
「……伊東さんに返しに行ってきます」
むき出しの、少しだけ返り血を浴びてしまった伊東の脇差し。
それを取った翡翠に朱鷺貴は「待て、」と言うが、正直であること。
「違います、違いますよ…。
下手人は壬生寺へ向かいましたが、怪我をさせられている。トキさん、だから、」
上手くは話せないが、ピンと来た。
いつもより弱々しくしっしとやるように一度腕を振った藤嶋に、翡翠は背を向けそちらへ向かった。
…どうやら、腕はもう動かせそうにないなと、パタッと地面に叩きつけられた感触すら麻痺しているらしい。
漸くやってきた担架に乗せようと、朱鷺貴は力が抜け重くなった藤嶋の身体を少しあげるが、諦めるようにふっと目を閉じる藤嶋に「おい、」と声を掛ける。
「酒と、あと……急須だ、急須に火を用意しと」
「…いぃ、」
「目ぇ開けろ、寝るな!
俺一人じゃどうしょもないが、あんたが起きてれば、」
「最後が、」
「喋んなって、」
「あいつの、」
担架を持ち上げ軋む音と、「泣き顔で」と藤嶋の弱々しい声が被る。
「楽しみだよ……」
「…はぁ!?」
寺はバタバタしている。
藤嶋の息がはぁはぁと、浅くなっていってるのがわかる。
「怖いものが、…なかった、からなぁっ、」
本堂の前で取り敢えず担架を置く。
どうしようかと考えている最中、ハッキリと目を開けた藤嶋は苦しそう、しかし笑おうとしているのもわかる、青白い顔で。
「初めてだ………死ぬのは」
手を伸ばしてこようとする、その藤嶋の手は震えているが、その様は自ら視界で捉えられているようだ。ふっと握りまた下げる様子。
まだ、まだそれなら。
「んだよ…っ、ふざけんな、諦めんな、まだあいつに何も残してないだろ、早い、まだ、」
幹斎の最期が頭を過り、ふと力が抜けそうになったけど。
その手を握る、酷く冷たい。
バタバタと酒が運ばれてきた。
袈裟を脱ぎ酒を湿らせ強く圧迫しながら刀をゆっくり抜くと「いぃ、よ、」と呻く。
「まだ死ぬな、まだ行ける、」
「早く、急須!てか火!」と叫ぶ朱鷺貴を見上げる藤嶋は薄目で苦しそうに「へへっ」と笑った。
「…火ぃなん…もぅ、無理だよ」
おい、目ぇ開くか、と声を掛けるが、手の痙攣が酷くなったのがわかる。
「おい、おい藤嶋っ!」
その震えも徐々に弱まり、声を掛け続け、ふっと目を閉じた藤嶋の震えが完全に止まった。
「…藤嶋?」
その顔は力も抜け、穏やかにすら、見える。
坊主共が熱した急須を持ってきたが、ぼんやりとした頭で刀を完全に抜いて気付いた。
なんの因果か。丁度、臍のすぐ横当たりまで傷は続いていた。
それが、藤嶋宮治の最期だった。
いいか、岡田」
まるで、言い聞かせるような口調。
「天人唯一之理。最近流行りの“尊皇攘夷”の根幹、「垂加神道」の話だ。神道でも徳目はある。学問とは幅広いよなぁ。
何かに一心不乱であるそれは、正直で清浄でなければならない。正直の実現には敬の実現が不可欠である。
お前は今何に正直なんだ、天への理は、ただの一つしかないんだ。お前は今、どこに立っている」
ふっ、と藤嶋が脇差しを振った、それに反射的に反応したのは、岡田の方だった。
それは一瞬の出来事で、はっと気付けば小さな岡田が藤嶋の懐に入り込んでいて、藤嶋は避ける素振りすら、全くないように見えた。
喉が切れたような一息を吐いた藤嶋は、足元に伝い始めた鮮血に足場を崩し寄り掛かる、寧ろ岡田を抱擁したようにも見える背に「ふじしまさん……?」と、鈍くも翡翠は理解し始めていた。
「……俺も変わらんよ、お前と」
ぱっと、唖然としたように手を離し尻餅を吐いた岡田に漸く「岡田ぁっ!」と捕らえに動いた伊東と、翡翠の「藤嶋さん!!」が被る。
それは、堂で坊主達から話を聞いていた朱鷺貴の元まで届き、はっと門を見ても死角だった。
漸く現実に戻ったような岡田が「あっ、あ……っ!」と動揺し、捕らえられても暴れている。
翡翠は倒れた藤嶋へ駆け寄り、「藤嶋さん!」と声を掛ける、ざっくりと刺さった岡田の脇差しから血が溢れていた。最早、抜いてしまえばもっと酷くなるだろう。
顔をしかめた藤嶋は「……っるせぇな、」と悪態を吐く。
伊東が岡田の脛を切り断末魔が響いた。
それを背負った伊東は睨むように翡翠と藤嶋を見つめ去って行く。
「藤嶋さん、」
門の向こうに伊東が「南條さん!」と声を掛けたのと、「っ……はは、」と藤嶋が痛そうに笑ったのが被る。
抱えようかとすると、「無理だよ」と藤嶋がはぁはぁとしたまま言った。
「血が、足りねぇ…よ」
…下腹あたりか…確かに立たせてしまうと不味いかもしれない。
ぱっと藤嶋が横を見ると、そこには伊東の脇差しがある。
頭で考えているうちに朱鷺貴がやってきては歯を噛み、奥へ「台かなんか持ってこい!!」と指示をした。
「どうしたこれは…、」
「あの、お、岡田さんが」
「……びびってんじゃ、ねぇよ、」
ぐっと半身を無理に起こそうとする藤嶋はやはり脇差しを見て「…返しといて」と言葉を捻り出した。
「は!?」
「あんた喋んな、おい!早く持ってこい、早く、」
奥に声を掛け藤嶋に肩を貸し、更に翡翠を見る朱鷺貴の目は強い。目で語っている、話してくれと。
お陰で冷静になれた。神は、自分の中にいて。
「……伊東さんに返しに行ってきます」
むき出しの、少しだけ返り血を浴びてしまった伊東の脇差し。
それを取った翡翠に朱鷺貴は「待て、」と言うが、正直であること。
「違います、違いますよ…。
下手人は壬生寺へ向かいましたが、怪我をさせられている。トキさん、だから、」
上手くは話せないが、ピンと来た。
いつもより弱々しくしっしとやるように一度腕を振った藤嶋に、翡翠は背を向けそちらへ向かった。
…どうやら、腕はもう動かせそうにないなと、パタッと地面に叩きつけられた感触すら麻痺しているらしい。
漸くやってきた担架に乗せようと、朱鷺貴は力が抜け重くなった藤嶋の身体を少しあげるが、諦めるようにふっと目を閉じる藤嶋に「おい、」と声を掛ける。
「酒と、あと……急須だ、急須に火を用意しと」
「…いぃ、」
「目ぇ開けろ、寝るな!
俺一人じゃどうしょもないが、あんたが起きてれば、」
「最後が、」
「喋んなって、」
「あいつの、」
担架を持ち上げ軋む音と、「泣き顔で」と藤嶋の弱々しい声が被る。
「楽しみだよ……」
「…はぁ!?」
寺はバタバタしている。
藤嶋の息がはぁはぁと、浅くなっていってるのがわかる。
「怖いものが、…なかった、からなぁっ、」
本堂の前で取り敢えず担架を置く。
どうしようかと考えている最中、ハッキリと目を開けた藤嶋は苦しそう、しかし笑おうとしているのもわかる、青白い顔で。
「初めてだ………死ぬのは」
手を伸ばしてこようとする、その藤嶋の手は震えているが、その様は自ら視界で捉えられているようだ。ふっと握りまた下げる様子。
まだ、まだそれなら。
「んだよ…っ、ふざけんな、諦めんな、まだあいつに何も残してないだろ、早い、まだ、」
幹斎の最期が頭を過り、ふと力が抜けそうになったけど。
その手を握る、酷く冷たい。
バタバタと酒が運ばれてきた。
袈裟を脱ぎ酒を湿らせ強く圧迫しながら刀をゆっくり抜くと「いぃ、よ、」と呻く。
「まだ死ぬな、まだ行ける、」
「早く、急須!てか火!」と叫ぶ朱鷺貴を見上げる藤嶋は薄目で苦しそうに「へへっ」と笑った。
「…火ぃなん…もぅ、無理だよ」
おい、目ぇ開くか、と声を掛けるが、手の痙攣が酷くなったのがわかる。
「おい、おい藤嶋っ!」
その震えも徐々に弱まり、声を掛け続け、ふっと目を閉じた藤嶋の震えが完全に止まった。
「…藤嶋?」
その顔は力も抜け、穏やかにすら、見える。
坊主共が熱した急須を持ってきたが、ぼんやりとした頭で刀を完全に抜いて気付いた。
なんの因果か。丁度、臍のすぐ横当たりまで傷は続いていた。
それが、藤嶋宮治の最期だった。
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