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霧雨
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一人、後ろの方で残った悠禅はただ鞘を握りしめ「朱鷺貴殿、」と、一人ただ棺の前で数珠を握る朱鷺貴を呼ぶ。
返ることもない声に、「…何故、鞘なのですか」と震える声で悠禅は問うた。
振り向いた朱鷺貴に、悠禅は自ら聞いたくせに驚いた顔をする。
本当は問答をする気などなく、思い付いてもいなかったからだ。
「…そうだな」
朱鷺貴は疲れきった顔をしている。
確かにそうだ。昨日の昼はあの火事の手伝いをしていたと聞くし、今朝は「葬儀」と、恐らく昨晩は皆を集めるのに京の寺院を歩きまわっただろう。
何より、目の前の件があったばかりだ。
葬儀とは言いつつ、ただただ黙って皆各々自由に読経をし、ここから出た者たちは新しい寺での仕事もあり、惜しみながらもあっさりと帰えらねばならなかった、少し雨の降る昼。
振り向いた顔を見るとつい、「…形がないという実態ですか」と言葉をぶつけてしまう。
この人がどうというわけではないとわかっているのだが、語尾では気が晴れていくのを感じる。まるで穢れを祓うかのようなそれに、結局またやるせなく自分に返ってくると、わかっているのに。
「…なるほど、確かにな」
しかし、やはり穏やか…というより、落ち着いているのは“先人”故か。
「そう、思っていました。これを受け取った時、これでは実態ではないではないかと、朱鷺貴殿、私はあの時」
「…見たのか」
「何がですか、」
「いや、」
「…嫌な予感がして庭に行こうとしたら、新撰組の沖田さんに、卒塔婆をと、」
「なるほど」
朱鷺貴は卒塔婆を眺めた。
悠禅が言う、その血塗れになった卒塔婆は流石に坊主に悪いと、いまは別で用意したものを刺している。
「…碌でもないな」
自分も同じ穴の狢だ。充分に。
だからこそ「それが正しいと思う」と朱鷺貴は悠禅に伝えた。
「……生きろ、と言う意味ですか」
「さぁ、わからん。幹斎の考えなど」
「朱鷺貴殿は、」
「悠禅」
自分は違う道を歩みたい、などと勝手かもしれない。
しかし、己の信じた物にすら、間違いはあるのだから。
「その刀身は俺が持っている。それに何を導き出し何を入れるのかは君次第だと思う」
「…は?」
「華でも飾ったらどうだろう」
「………」
口出しをしなかった翡翠は「では、こんなのはどうでしょう」と悠禅の元に寄り…すっと一本の苦無を渡した。
「ちょ、」と止めようとする朱鷺貴に「わての気持ちです」と翡翠は平然とする。
「………」
「まぁ、わかっていたとは思いますが」
「…はい、」
「クナイとは苦が無いと書きますがそうやねぇ…まぁ、わては昔殺し屋でしたよ」
「…え、」
「あら、知りませんでした?
わては背がトキさんほどはないんで、まぁ使い方としては相手の脚を刺したり」
「うわ、」
二人とも顔をしかめる。
翡翠にはそれが少し、愉快だった。まるで、答え合わせのような感覚で。
悠禅が握る鞘を受け取ってみても鞘と形が合わない。苦無は刀と違い、ひし形なのだ。
「あぁ、入りませんね」と翡翠は悠禅にそれを渡した。
「これは人を傷つけるのに使うんが大体ですが、苦が無い、一撃で殺す方法があるんよ」
首筋を手で切る動作をし、「首ですね」と教える。
「…ちょ、ひす」
「一発で殺せるかて思えば、わては一度、自分で試そうとした事、あるんやけど無理なときは無理でっせ。
何よりそう、利き手でいくんは喉かなぁ。それも誰かさんに止められましたが、刃も、引くにしては浅いし短いんですよ」
「…うわ、」
「他人には後ろから刺すから力が入るんやけどね。飛び道具とはそういうもんです」
「……翡翠さんは、何故…」
「ぜーんぶ嫌になったことやなんて、死ぬほどありますよ。殺し屋やから。なんて、平穏な坊主には聞かせられん話やろう?」
「…確かに」
「…死にたくても死ねないことへの恐怖、いざ死ねるとわかったときの脱力感、それらも踏まえてお持ちくださいませ。
トキさん、そういうことでしょう?」
そうして振り向く翡翠に、朱鷺貴は少し脱力してしまった。
「……確かに」
「まぁ、今となっては糸切り鋏やらぁ、そんな少々なことでしか使えませんね。
ミブロさんに問い詰められたらそう言いなさいな。我が儘を言う子にはこんくらいで」
それを聞いた悠禅は俯き、もう一度苦無を鞘に突っ込み、取れなくなった。
それを握って泣く姿に、翡翠はゆっくりと悠禅の背を撫で「よしよし」と言った。
「トキさん、たまには茶ぁが飲みたいなぁ」
「…全く」
言われれば仕方ない、朱鷺貴は茶を用意しに堂から立った。
「……別に、」
「あい」
「死にたくなったわけでもなくて、」
「はいはい」
「ただ、本当は見てしまったんです、たまたま」
「……そうやったんか。
全く、大人は碌でもないなぁ」
「あの人は、……ずっと、耐えていた、きっと、」
「それがアホや言うんやで。アホやね、トキさんも」
「はい、」
「意地の張り合いや思うてやってくださいな。男親子は面倒です」
「…はい、」
「そうか、トキさん…」
知らなかったな。そうか、幹斎の切腹を見届けたのか。
返ることもない声に、「…何故、鞘なのですか」と震える声で悠禅は問うた。
振り向いた朱鷺貴に、悠禅は自ら聞いたくせに驚いた顔をする。
本当は問答をする気などなく、思い付いてもいなかったからだ。
「…そうだな」
朱鷺貴は疲れきった顔をしている。
確かにそうだ。昨日の昼はあの火事の手伝いをしていたと聞くし、今朝は「葬儀」と、恐らく昨晩は皆を集めるのに京の寺院を歩きまわっただろう。
何より、目の前の件があったばかりだ。
葬儀とは言いつつ、ただただ黙って皆各々自由に読経をし、ここから出た者たちは新しい寺での仕事もあり、惜しみながらもあっさりと帰えらねばならなかった、少し雨の降る昼。
振り向いた顔を見るとつい、「…形がないという実態ですか」と言葉をぶつけてしまう。
この人がどうというわけではないとわかっているのだが、語尾では気が晴れていくのを感じる。まるで穢れを祓うかのようなそれに、結局またやるせなく自分に返ってくると、わかっているのに。
「…なるほど、確かにな」
しかし、やはり穏やか…というより、落ち着いているのは“先人”故か。
「そう、思っていました。これを受け取った時、これでは実態ではないではないかと、朱鷺貴殿、私はあの時」
「…見たのか」
「何がですか、」
「いや、」
「…嫌な予感がして庭に行こうとしたら、新撰組の沖田さんに、卒塔婆をと、」
「なるほど」
朱鷺貴は卒塔婆を眺めた。
悠禅が言う、その血塗れになった卒塔婆は流石に坊主に悪いと、いまは別で用意したものを刺している。
「…碌でもないな」
自分も同じ穴の狢だ。充分に。
だからこそ「それが正しいと思う」と朱鷺貴は悠禅に伝えた。
「……生きろ、と言う意味ですか」
「さぁ、わからん。幹斎の考えなど」
「朱鷺貴殿は、」
「悠禅」
自分は違う道を歩みたい、などと勝手かもしれない。
しかし、己の信じた物にすら、間違いはあるのだから。
「その刀身は俺が持っている。それに何を導き出し何を入れるのかは君次第だと思う」
「…は?」
「華でも飾ったらどうだろう」
「………」
口出しをしなかった翡翠は「では、こんなのはどうでしょう」と悠禅の元に寄り…すっと一本の苦無を渡した。
「ちょ、」と止めようとする朱鷺貴に「わての気持ちです」と翡翠は平然とする。
「………」
「まぁ、わかっていたとは思いますが」
「…はい、」
「クナイとは苦が無いと書きますがそうやねぇ…まぁ、わては昔殺し屋でしたよ」
「…え、」
「あら、知りませんでした?
わては背がトキさんほどはないんで、まぁ使い方としては相手の脚を刺したり」
「うわ、」
二人とも顔をしかめる。
翡翠にはそれが少し、愉快だった。まるで、答え合わせのような感覚で。
悠禅が握る鞘を受け取ってみても鞘と形が合わない。苦無は刀と違い、ひし形なのだ。
「あぁ、入りませんね」と翡翠は悠禅にそれを渡した。
「これは人を傷つけるのに使うんが大体ですが、苦が無い、一撃で殺す方法があるんよ」
首筋を手で切る動作をし、「首ですね」と教える。
「…ちょ、ひす」
「一発で殺せるかて思えば、わては一度、自分で試そうとした事、あるんやけど無理なときは無理でっせ。
何よりそう、利き手でいくんは喉かなぁ。それも誰かさんに止められましたが、刃も、引くにしては浅いし短いんですよ」
「…うわ、」
「他人には後ろから刺すから力が入るんやけどね。飛び道具とはそういうもんです」
「……翡翠さんは、何故…」
「ぜーんぶ嫌になったことやなんて、死ぬほどありますよ。殺し屋やから。なんて、平穏な坊主には聞かせられん話やろう?」
「…確かに」
「…死にたくても死ねないことへの恐怖、いざ死ねるとわかったときの脱力感、それらも踏まえてお持ちくださいませ。
トキさん、そういうことでしょう?」
そうして振り向く翡翠に、朱鷺貴は少し脱力してしまった。
「……確かに」
「まぁ、今となっては糸切り鋏やらぁ、そんな少々なことでしか使えませんね。
ミブロさんに問い詰められたらそう言いなさいな。我が儘を言う子にはこんくらいで」
それを聞いた悠禅は俯き、もう一度苦無を鞘に突っ込み、取れなくなった。
それを握って泣く姿に、翡翠はゆっくりと悠禅の背を撫で「よしよし」と言った。
「トキさん、たまには茶ぁが飲みたいなぁ」
「…全く」
言われれば仕方ない、朱鷺貴は茶を用意しに堂から立った。
「……別に、」
「あい」
「死にたくなったわけでもなくて、」
「はいはい」
「ただ、本当は見てしまったんです、たまたま」
「……そうやったんか。
全く、大人は碌でもないなぁ」
「あの人は、……ずっと、耐えていた、きっと、」
「それがアホや言うんやで。アホやね、トキさんも」
「はい、」
「意地の張り合いや思うてやってくださいな。男親子は面倒です」
「…はい、」
「そうか、トキさん…」
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