78 / 129
弾丸
1
しおりを挟む
…先程から本堂には、弾丸が如く怒号が飛び散っていた。
数ヵ月前からここは寺ではなく、兵士用の長州藩邸に成り代わったのだ。
『進軍をせぬとは何事か久坂よ』
本堂の扉に寄り掛かり、幹斎は聞き耳を立てる。
佳境に入った下関戦争。そこから一人の若者がここへやってきた。
まだここまで殺伐とはせず、平和だった頃に一度だけ目にしたことがある若者。久坂玄瑞という男だった。
『…貴方が憎んでおられるのは先日の池田屋の件かと思われる。その悔しきはわかる、私も志士だからだ』
…それは、7月の頭の頃だった。
あの凄惨な事件を功績とし、会津藩預り役、通称“壬生浪”と呼ばれていた壬生浪士組が、正式に『新撰組』という隊名を授かったらしい。
寺にいる長州組は一丸となり、「戦をする」という雰囲気の中、幹斎にはその若者が変わっているように感じられた。
『何より、孝明様は退けと命じているではないか。いまはまだ、期ではない』
明日行かんとするこの戦を、彼は必死に止めようとしているのだ。
あまり詳しい事情は坊主にはわからないが、想像は容易に出来る。
長州は英、仏、蘭、米と戦争をしている。
もう一人、彼の悪友である若者はいま、脱藩の罪で牢にぶち込まれながらも、どうやらこれら四ヶ国から吹っ掛けられた賠償金についての交渉を行っているらしい。
いまや金も兵もない状況下で騒ぎ始めたのは、それら若者の大義を知らぬ爺達ばかり。首謀の一人には神職だなど自称した久留米の爺もいる。
朱鷺貴よ…とつい、想いを馳せてしまった。
條徳寺の話も、朱鷺貴とのやりとりが途絶えてしまったが、風に乗り飛んできていた。
いま、我が弟子は寺終いをしているらしい。
『医者坊主にはわかるまい、武力を見せつけてやろう。我は今から悪人共を退治しに行く、』
悪人。
その怒号と共に、粗野な首謀の一人が数名を引き連れ本堂から出て行ってしまった。
…情とは碌なものではない。どこか自分の内で、長州藩の者達に同情的な気分になるのだから。
彼らは何故、朝敵となってしまったのか。
若者は真面目だ。
今回は武力行使ではなく、ただただ話し合い汚名を…藩主の懲罰をどうにかと、動いているだけに過ぎぬようだと聞き取る。
長州藩が数々と行ってきた脅しのような行為はこうした、頭に血の登った者達の迷走だというのもここまでくれば坊主でもわかる。
けして口出しはせず、そうして見守ってきたのだから。
暫くすれば久留米の爺と久坂が話し合う声が聞こえてきた。
結局一人飛び出してきた若者は、まるで息を上げ汗をかいている。
目が合い互いに見つめ合い、若者はふっと笑って「どうやら…」と、俯いて拳を握っていた。
押し殺したような声で「長らくの我が藩の御無礼…、ご迷惑を」と声を震わせる若者に「まぁ来い」と、幹斎は久坂と共に縁側へ座り庭を眺めた。
若いせいか彼は暫くし、パチンと腕を叩き掌を眺めた。蚊に刺されたらしい。
「若いなぁ。儂など」
と言っているうちにちくっと頭に何かが刺さった感触。
パチッと叩いて手を見れば、血塗れだった。
「はぁ、珍しいな、久しく刺されていなかった。線香の匂いなど嫌うのにな、こいつらは」
殺生をしてしまったが、「南無」に留める。
「…はは、大罪だ」
「私は……」
彼は、刺された腕を少し掻きながら語る。
「師匠の首をこの腕で持ち帰りながらも考えていた。日本を、治す医者になりたいと」
そうか。君は、医者だったのか。
久坂は諦めたように笑い、「真木殿にあぁは言ったのですが」と、懐から二枚の文を取り出し、一枚を渡してきた。
幹斎が開いているなか、手元に残した方は見もせず「請願書なんかを預かっているのです」と、その文はまた自分でしまった。
「師匠は私達に『遅かった、異人を斬れ』等と残したのです。
期はまだ満ちぬまだ満ちぬと言った最期にそう覆した。
私には意味がわからなかったが、友は師匠の意を組み、今や下関で戦っている…。
などと、坊主に聞かせてはならぬ話でしょうが」
「…では、何故、」
「…情けないことに、もうわからないからです。私には話術もない。何より戻る道がないから…ですかね。私は、友を置いていくと決めました」
「…そうか」
…ここに来た時点で、彼は「死ぬこと」を考えていたのかもしれない。
「そうやって先に繋ぐことは出来ると…これは、あの男にしか出来ないことです。わかっているのです、それは甘えた考えだと。
これをただ、師匠の友人に渡しに来たのみなのですがね。本当は彼らを止める気も技量も…私にはありません」
「…仏教には「死を目にしてはならない、知ってはならない」という教えがある。君は、それを人柱だと捉えるか?」
聞いてみたくなった。ただ、それだけは。
「そんなに高尚なものではない、冗談じゃありませんよ。ただ、彼はどうやら、私を待たせてはくれなかったのです」
…夏風の温さに、何故こうもヒヤリとしたものを感じるのか。
「…君は、立派な志士だと儂は思う。儂は君の声を聞いたわい」
こんな、高尚でも碌でもない儂が。
辞世とは、何か。この文の送り先を考えてみる。
数ヵ月前からここは寺ではなく、兵士用の長州藩邸に成り代わったのだ。
『進軍をせぬとは何事か久坂よ』
本堂の扉に寄り掛かり、幹斎は聞き耳を立てる。
佳境に入った下関戦争。そこから一人の若者がここへやってきた。
まだここまで殺伐とはせず、平和だった頃に一度だけ目にしたことがある若者。久坂玄瑞という男だった。
『…貴方が憎んでおられるのは先日の池田屋の件かと思われる。その悔しきはわかる、私も志士だからだ』
…それは、7月の頭の頃だった。
あの凄惨な事件を功績とし、会津藩預り役、通称“壬生浪”と呼ばれていた壬生浪士組が、正式に『新撰組』という隊名を授かったらしい。
寺にいる長州組は一丸となり、「戦をする」という雰囲気の中、幹斎にはその若者が変わっているように感じられた。
『何より、孝明様は退けと命じているではないか。いまはまだ、期ではない』
明日行かんとするこの戦を、彼は必死に止めようとしているのだ。
あまり詳しい事情は坊主にはわからないが、想像は容易に出来る。
長州は英、仏、蘭、米と戦争をしている。
もう一人、彼の悪友である若者はいま、脱藩の罪で牢にぶち込まれながらも、どうやらこれら四ヶ国から吹っ掛けられた賠償金についての交渉を行っているらしい。
いまや金も兵もない状況下で騒ぎ始めたのは、それら若者の大義を知らぬ爺達ばかり。首謀の一人には神職だなど自称した久留米の爺もいる。
朱鷺貴よ…とつい、想いを馳せてしまった。
條徳寺の話も、朱鷺貴とのやりとりが途絶えてしまったが、風に乗り飛んできていた。
いま、我が弟子は寺終いをしているらしい。
『医者坊主にはわかるまい、武力を見せつけてやろう。我は今から悪人共を退治しに行く、』
悪人。
その怒号と共に、粗野な首謀の一人が数名を引き連れ本堂から出て行ってしまった。
…情とは碌なものではない。どこか自分の内で、長州藩の者達に同情的な気分になるのだから。
彼らは何故、朝敵となってしまったのか。
若者は真面目だ。
今回は武力行使ではなく、ただただ話し合い汚名を…藩主の懲罰をどうにかと、動いているだけに過ぎぬようだと聞き取る。
長州藩が数々と行ってきた脅しのような行為はこうした、頭に血の登った者達の迷走だというのもここまでくれば坊主でもわかる。
けして口出しはせず、そうして見守ってきたのだから。
暫くすれば久留米の爺と久坂が話し合う声が聞こえてきた。
結局一人飛び出してきた若者は、まるで息を上げ汗をかいている。
目が合い互いに見つめ合い、若者はふっと笑って「どうやら…」と、俯いて拳を握っていた。
押し殺したような声で「長らくの我が藩の御無礼…、ご迷惑を」と声を震わせる若者に「まぁ来い」と、幹斎は久坂と共に縁側へ座り庭を眺めた。
若いせいか彼は暫くし、パチンと腕を叩き掌を眺めた。蚊に刺されたらしい。
「若いなぁ。儂など」
と言っているうちにちくっと頭に何かが刺さった感触。
パチッと叩いて手を見れば、血塗れだった。
「はぁ、珍しいな、久しく刺されていなかった。線香の匂いなど嫌うのにな、こいつらは」
殺生をしてしまったが、「南無」に留める。
「…はは、大罪だ」
「私は……」
彼は、刺された腕を少し掻きながら語る。
「師匠の首をこの腕で持ち帰りながらも考えていた。日本を、治す医者になりたいと」
そうか。君は、医者だったのか。
久坂は諦めたように笑い、「真木殿にあぁは言ったのですが」と、懐から二枚の文を取り出し、一枚を渡してきた。
幹斎が開いているなか、手元に残した方は見もせず「請願書なんかを預かっているのです」と、その文はまた自分でしまった。
「師匠は私達に『遅かった、異人を斬れ』等と残したのです。
期はまだ満ちぬまだ満ちぬと言った最期にそう覆した。
私には意味がわからなかったが、友は師匠の意を組み、今や下関で戦っている…。
などと、坊主に聞かせてはならぬ話でしょうが」
「…では、何故、」
「…情けないことに、もうわからないからです。私には話術もない。何より戻る道がないから…ですかね。私は、友を置いていくと決めました」
「…そうか」
…ここに来た時点で、彼は「死ぬこと」を考えていたのかもしれない。
「そうやって先に繋ぐことは出来ると…これは、あの男にしか出来ないことです。わかっているのです、それは甘えた考えだと。
これをただ、師匠の友人に渡しに来たのみなのですがね。本当は彼らを止める気も技量も…私にはありません」
「…仏教には「死を目にしてはならない、知ってはならない」という教えがある。君は、それを人柱だと捉えるか?」
聞いてみたくなった。ただ、それだけは。
「そんなに高尚なものではない、冗談じゃありませんよ。ただ、彼はどうやら、私を待たせてはくれなかったのです」
…夏風の温さに、何故こうもヒヤリとしたものを感じるのか。
「…君は、立派な志士だと儂は思う。儂は君の声を聞いたわい」
こんな、高尚でも碌でもない儂が。
辞世とは、何か。この文の送り先を考えてみる。
0
あなたにおすすめの小説
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
改造空母機動艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。
そして、昭和一六年一二月。
日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。
「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる