73 / 129
不垢不浄
4
しおりを挟む
叫びそうなわりに不思議だ、本当に言葉が出ない。
南無妙法蓮華経と、思い付く限りの経をガタガタしながら心中で唱えていた。
何種類を何周唱えたかわからなくなった頃、漸く駕籠からは降ろされたが、まだ目隠しのまま。
誰かの手を借りながらどこか…。
足袋越しの床の質感、そして匂い。これは結構広く上等な建物だとは、わかった。
香、そして漆塗りか、兎に角、そんな匂いと滑る足触りの廊下。
少し歩いた矢先、やっと目隠しが外された。
まるで…予想だにしていなかったような。
広い部屋、屏風、上等な欄間、自分の知らないうちにどこへ移動したのか…言葉をなくしっぱなしだった。
そんな中にポツンと一人…確かに上等な着物だがそれでも場に似つかわしくない…自分の側に将軍(断定)がいるからだけではないだろう、昨日の後家人よりもこじんまりとした男が座っていた。
「待たせた、忝ない」
その男が振り向き「おぉ、一橋殿」と自然に言った、猿顔だった。
猿顔は朱鷺貴を眺め「誰ですかその浪人は」と首を傾げる。
…突っ込みたいところが沢山ありすぎるが我慢、というか混乱中。
「友人だが何か問題が?
貴殿の話を聞いてな。佐久間象山と言ったか」
「さ、」
いやお前とは友人じゃねぇよというのもすっ飛び、佐久間象山!?と、もう何が何やら。
断定将軍は目配せで「まぁ座れ」という態度。
これがあの佐久間象山かと思えば「まぁ、別に構わんが」と、確かに無礼な態度ではあった。
断定将軍が佐久間の前に座るとしかし、その態度を改め両手を付き「此度はお時間を頂き有り難く」と頭を下げて口上を延べる。
「まさかお会い出来るとは思いませんでしたが…」
「祇園でこちらに参っていた。江戸の方が近かっただろう、わざわざ呼びつけてすまない、ご苦労だ」
「此度は家茂公の後見職ご就任、誠に」
「建前は良い。それで、将軍への要望とも、聞いたのだが」
「はい、では、忝なく…。
慶喜公、貴殿は黒船がどのようにして日本へ来たかご存じか」
「は?」と慶喜が言ったのと同時に朱鷺貴も「は?」と思った。
一体どうしたんだ、この人は。
「あれはですね慶喜公。まずあの黒船には大量の大砲、つまり鉄が積まれておるのですがそれがどのようにしてあの、海、つまり水の上を走るかということで」
……うっわぁ思い出した。翡翠が巡業中に「眠くて」と言っていたのを。なるほど、この人かなりの変人なんだ。
あまりに突然長々切々と話が始まってしまい、頭に入ってくるようなこないようなと……あぁ、そうだ、江戸の寺小屋を思い出した。
あれは最初、大変だった。
まず、字が書けるか書けないか問題から入り…何を教えたんだっけな「まず、船は必ず縦長に作られ」覚えてないけど巡業話をしたような。かなり苦労したんだよなぁ。なんせ自分は口下手だ。
「あれはつまり縦にのみ動くのです。なので横からの煽りに弱い。ならば重心を保つためその、横へ大砲を設置すればそれほど遠くまで流されることがなく」
…一回は読んだぞ、あの寺で布教された小姓の写しを。なんでその話になっていて今自分はこんな状況なのか。
一切合切わからない。
知恵の完成へと言われても…えっと言いたいことはわかる。
なんでも興味を持ちなさい、勉強しなさい、凄くわかるのだが状況のせいだろうか、「いや自分、黒船職人等にならないんでホンマにどうでもいいというか状況を考えてはくれないだろうか」と、頭の中の経は自分の声となり反響してきた。
将軍さん、あんたそういえば戦とか言ってましたけどもしかして黒船職人になるんでしょうかと、危ない、寝不足もあり無に還りそうになってしまった。
苦し紛れに断定将軍を見れば、読めないような無の表情。
取り敢えず黙って聞いている、というだけに見える。
相槌は打てているので多分、理解しているのだろうが、何故理解出来るのだろうか。
ペラペラペラペラと、なるほど翡翠がなんだか煙たそうに帰って来た理由もわかった、これはただの知恵の見せびらかしなのではないか…置いてきぼりを食らっている。
何が楽しゅうてんな話、聞いとんねん。
もしかすると自分の方が指南、上手かったのではないか。
教える側が全くこちらに寄せてくれないから、趣旨が見えてこない。
「それに打ち勝つためには何が必要か、わかりますか将軍様」
白熱もしているらしい。
慶喜はこの状況に置かれて初めて、ちらっと朱鷺貴と目を合わせてきた。
あ、多分これ、意思の疎通だ。そう理解した。
「ふむ」
「まずは開国しませんか将軍殿」
おっと。
えっと。
「開国?」
「はい、もっと全体的に、いやなんなら将軍様今の機会に清国の視察に、いや、もっと送り込むべき、いや、私に金を賭けて欲しい、私なら出来る。もっと、もっと門下にも稽古をしたいのだ、私の義兄もなかなか、」
「さて、南條幹斎が弟子、朱鷺貴よ」
「…はい!?」
急に投げられ、完璧に眠気が飛んだ。
「お主ならどう思う」
「えっ、」
猿顔がふっとこちらを…物凄い形相で眺めてきている。
「…え、ちょっと何言ってるかさっぱりとしか」
「はぁ!?馬鹿なのか貴さ」
「というか俺なんでここにいるんですかね?」
…そろそろ我慢の限界に近い。
南無妙法蓮華経と、思い付く限りの経をガタガタしながら心中で唱えていた。
何種類を何周唱えたかわからなくなった頃、漸く駕籠からは降ろされたが、まだ目隠しのまま。
誰かの手を借りながらどこか…。
足袋越しの床の質感、そして匂い。これは結構広く上等な建物だとは、わかった。
香、そして漆塗りか、兎に角、そんな匂いと滑る足触りの廊下。
少し歩いた矢先、やっと目隠しが外された。
まるで…予想だにしていなかったような。
広い部屋、屏風、上等な欄間、自分の知らないうちにどこへ移動したのか…言葉をなくしっぱなしだった。
そんな中にポツンと一人…確かに上等な着物だがそれでも場に似つかわしくない…自分の側に将軍(断定)がいるからだけではないだろう、昨日の後家人よりもこじんまりとした男が座っていた。
「待たせた、忝ない」
その男が振り向き「おぉ、一橋殿」と自然に言った、猿顔だった。
猿顔は朱鷺貴を眺め「誰ですかその浪人は」と首を傾げる。
…突っ込みたいところが沢山ありすぎるが我慢、というか混乱中。
「友人だが何か問題が?
貴殿の話を聞いてな。佐久間象山と言ったか」
「さ、」
いやお前とは友人じゃねぇよというのもすっ飛び、佐久間象山!?と、もう何が何やら。
断定将軍は目配せで「まぁ座れ」という態度。
これがあの佐久間象山かと思えば「まぁ、別に構わんが」と、確かに無礼な態度ではあった。
断定将軍が佐久間の前に座るとしかし、その態度を改め両手を付き「此度はお時間を頂き有り難く」と頭を下げて口上を延べる。
「まさかお会い出来るとは思いませんでしたが…」
「祇園でこちらに参っていた。江戸の方が近かっただろう、わざわざ呼びつけてすまない、ご苦労だ」
「此度は家茂公の後見職ご就任、誠に」
「建前は良い。それで、将軍への要望とも、聞いたのだが」
「はい、では、忝なく…。
慶喜公、貴殿は黒船がどのようにして日本へ来たかご存じか」
「は?」と慶喜が言ったのと同時に朱鷺貴も「は?」と思った。
一体どうしたんだ、この人は。
「あれはですね慶喜公。まずあの黒船には大量の大砲、つまり鉄が積まれておるのですがそれがどのようにしてあの、海、つまり水の上を走るかということで」
……うっわぁ思い出した。翡翠が巡業中に「眠くて」と言っていたのを。なるほど、この人かなりの変人なんだ。
あまりに突然長々切々と話が始まってしまい、頭に入ってくるようなこないようなと……あぁ、そうだ、江戸の寺小屋を思い出した。
あれは最初、大変だった。
まず、字が書けるか書けないか問題から入り…何を教えたんだっけな「まず、船は必ず縦長に作られ」覚えてないけど巡業話をしたような。かなり苦労したんだよなぁ。なんせ自分は口下手だ。
「あれはつまり縦にのみ動くのです。なので横からの煽りに弱い。ならば重心を保つためその、横へ大砲を設置すればそれほど遠くまで流されることがなく」
…一回は読んだぞ、あの寺で布教された小姓の写しを。なんでその話になっていて今自分はこんな状況なのか。
一切合切わからない。
知恵の完成へと言われても…えっと言いたいことはわかる。
なんでも興味を持ちなさい、勉強しなさい、凄くわかるのだが状況のせいだろうか、「いや自分、黒船職人等にならないんでホンマにどうでもいいというか状況を考えてはくれないだろうか」と、頭の中の経は自分の声となり反響してきた。
将軍さん、あんたそういえば戦とか言ってましたけどもしかして黒船職人になるんでしょうかと、危ない、寝不足もあり無に還りそうになってしまった。
苦し紛れに断定将軍を見れば、読めないような無の表情。
取り敢えず黙って聞いている、というだけに見える。
相槌は打てているので多分、理解しているのだろうが、何故理解出来るのだろうか。
ペラペラペラペラと、なるほど翡翠がなんだか煙たそうに帰って来た理由もわかった、これはただの知恵の見せびらかしなのではないか…置いてきぼりを食らっている。
何が楽しゅうてんな話、聞いとんねん。
もしかすると自分の方が指南、上手かったのではないか。
教える側が全くこちらに寄せてくれないから、趣旨が見えてこない。
「それに打ち勝つためには何が必要か、わかりますか将軍様」
白熱もしているらしい。
慶喜はこの状況に置かれて初めて、ちらっと朱鷺貴と目を合わせてきた。
あ、多分これ、意思の疎通だ。そう理解した。
「ふむ」
「まずは開国しませんか将軍殿」
おっと。
えっと。
「開国?」
「はい、もっと全体的に、いやなんなら将軍様今の機会に清国の視察に、いや、もっと送り込むべき、いや、私に金を賭けて欲しい、私なら出来る。もっと、もっと門下にも稽古をしたいのだ、私の義兄もなかなか、」
「さて、南條幹斎が弟子、朱鷺貴よ」
「…はい!?」
急に投げられ、完璧に眠気が飛んだ。
「お主ならどう思う」
「えっ、」
猿顔がふっとこちらを…物凄い形相で眺めてきている。
「…え、ちょっと何言ってるかさっぱりとしか」
「はぁ!?馬鹿なのか貴さ」
「というか俺なんでここにいるんですかね?」
…そろそろ我慢の限界に近い。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
Get So Hell? 2nd!
二色燕𠀋
歴史・時代
なんちゃって幕末。
For full sound hope,Oh so sad sound.
※前編 Get So Hell?
※過去編 月影之鳥
空蝉
横山美香
歴史・時代
薩摩藩島津家の分家の娘として生まれながら、将軍家御台所となった天璋院篤姫。孝明天皇の妹という高貴な生まれから、第十四代将軍・徳川家定の妻となった和宮親子内親王。
二人の女性と二組の夫婦の恋と人生の物語です。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
新撰組のものがたり
琉莉派
歴史・時代
近藤・土方ら試衛館一門は、もともと尊王攘夷の志を胸に京へ上った。
ところが京の政治状況に巻き込まれ、翻弄され、いつしか尊王攘夷派から敵対視される立場に追いやられる。
近藤は弱気に陥り、何度も「新撰組をやめたい」とお上に申し出るが、聞き入れてもらえない――。
町田市小野路町の小島邸に残る近藤勇が出した手紙の数々には、一般に鬼の局長として知られる近藤の姿とは真逆の、弱々しい一面が克明にあらわれている。
近藤はずっと、新撰組を解散して多摩に帰りたいと思っていたのだ。
最新の歴史研究で明らかになった新撰組の実相を、真正面から描きます。
主人公は土方歳三。
彼の恋と戦いの日々がメインとなります。
英雄召喚〜帝国貴族の異世界統一戦記〜
駄作ハル
ファンタジー
異世界の大貴族レオ=ウィルフリードとして転生した平凡サラリーマン。
しかし、待っていたのは平和な日常などではなかった。急速な領土拡大を目論む帝国の貴族としての日々は、戦いの連続であった───
そんなレオに与えられたスキル『英雄召喚』。それは現世で英雄と呼ばれる人々を呼び出す能力。『鬼の副長』土方歳三、『臥龍』所轄孔明、『空の魔王』ハンス=ウルリッヒ・ルーデル、『革命の申し子』ナポレオン・ボナパルト、『万能人』レオナルド・ダ・ヴィンチ。
前世からの知識と英雄たちの逸話にまつわる能力を使い、大切な人を守るべく争いにまみれた異世界に平和をもたらす為の戦いが幕を開ける!
完結まで毎日投稿!
ノスタルジック・エゴイスト
二色燕𠀋
現代文学
生きることは辛くはない
世界はただ、丸く回転している
生ゴミみたいなノスタルジック
「メクる」「小説家になろう」掲載。
イラスト:Odd tail 様
※ごく一部レーティングページ、※←あり
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる