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不垢不浄
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翡翠の彫り物はごてごてしていない、浮世絵のように見える。
悪いと思いつつ眺めてしまうが、翡翠は特に何も言わない。
腹の蝶は藤嶋が入れたそうだが、あまり臓物によくないと、何かの拍子に言っていた。
「…痛かったろうな」
「まぁでも、兄さんら姉さんらよりはマシですよ。
男娼で言うと、例えば奥ですか。麻痺させてやっていたりするもんで」
「そうなんだ…」
「わてはその…売りは専門やなかったし、どうにも…敵いません。
不思議やね、あまりこう、思うこともなかった」
それは至極当たり前の日常だったが、こんな機会もなかったからだろうか。
朱鷺貴は元々早湯だし、何より今日はどうにも心が鎮まっていなかった。
湯を浴びてみればまるで足も重い、最近動く仕事があまりなかったせいか歳のせいかと朱鷺貴が思ったのと同時に翡翠も「歳ですかね…」等と、料理長が拵えた胡麻のぼたもちを食らってほざくのに反論する元気もどうやら出ない。
朱鷺貴は喉通りも良い、わらび餅を食わせてもらった。
「明日も店休みやし、泊まってったらどや、夜道はあかんで」
番頭の提案に確かにな、しかし…と明日のこともある。仮眠を取らせてもらい寺に戻る運びとなった。
翡翠はまるで、本当に鳥のようだ。
明るいか暗いかわからぬ日の出に朱鷺貴を起こし、寺へ戻ったと思えば、悠禅を連れ市中へ蜻蛉返りしてしまった。
朱鷺貴も朱鷺貴で休まることがない。それは恐らく翡翠と入れ違いだった。
因縁の来客、土方が早めに見回りに来たかと思えば一緒に……袴、三つ葉葵の家紋を目立たせた…どう考えても徳川の人間でしかない侍を連れてやって来たのだった。
土方は土方で疲れきった表情だが、まるで昨夜のことなど何もなかったかのように「おはようさん」と普通に挨拶をしてきた。
「ああ、どうもはばかりさんで」
「……こちら後見職の」
朱鷺貴が嫌味ったらしく返したのを土方がバツ悪く無視したかと思えば、その三つ葉葵は土方にパッと手を晒し「我は後見人の一橋と申す」と言葉は少なく物語った。
寝不足ではあったがはっと頭がまわり「ひとつば」とつい朱鷺貴の口から漏れた瞬間、やはりその人物は手を翳し制するよう。
土方が目で何かを訴えていた。
…それってもしかしなくてもというかもう、隠せてないじゃん…。どうあっても将軍候補だった一橋慶喜じゃないのか…。
つまり現在の将軍、14代家茂とは仲が悪いという認識なのだが…。
「…後見人!?」
やはり自分は気が短い。どうあっても言葉に出てしまった。
後見人とはつまり、変わりの役職だ。
次期将軍と言っても過言ではなく、むしろ殆どもう将軍ということになるのではないか。
確かに、最早こんなご時世になっては将軍が病弱だというのも世論知れ渡った話ではある。
まさかそれが本当だというのはこれで露見したようなものだった。
「ああ。貴殿の話は昨夜報告を受けた」
…は?
まさか葬儀のご相談とか、言わないよな?それ。
「え、と…」
「まぁ、はは、驚くのも無理はないな。少々興味を持って」
「興味ってなんですか興味って、」
あれ?
俺なんか、捕縛される方だったりする?なんか。壬生浪もいるし、え?なんなの一体。
「まぁあまり立ち話も出来ない。少々来て欲し」
「どこに!?」
土方が溜め息を吐きそうな表情で睨んでくるのみ。
ちょっと待って何がなんだかわからないんだが。
「…じゃぁ副長殿…これは…君、一体なんの報告」
「あぁそうだ土方副長。近藤組長に言っておいてくれ。拝命の件だ」
ぼーっとするような間を孕ませた後、土方ははっと目を生き返らせ「え、」と驚いた。
「容保公から意味を伺った。会津の地にある、武芸に秀でた集団だったと。
我もその名を受け継ぐことに賛成だ、貴殿らはそれほどの大業をこなした。貴殿らがいなければ今我はここで生きていない」
「は、」
「その重みを持って、手狭だろう?再び人員を確保せよ、先の戦のためにな」
それ、今そんなさらっと言うのぉ?
度肝を抜かれたのは朱鷺貴も土方も時同じだ、空気でわかる。
「…戦」
朱鷺貴としては聞きたい内容でもない、一体なんの茶番なのか。
…まぁ、どうやら出世したようで何よりですね、歴史的瞬間ですわどうもと土方に目で語れば「さて、駕籠を待たせている」と…忘れていた、そうだ一体なんの茶番なんだ。
「は?え?何?」と朱鷺貴が戸惑っている中、土方が連れていた者が手早く目元に布を巻いてくる。
そして朱鷺貴はそのまま駕籠にぶち込まれてしまった。
「何何何何!?」と暴れようかとした瞬間、「いいなぁお前もよ」だなどと土方に囁かれた。
「こんな寺からおさらばだぜ、なんじょー坊主よぉ」
え?
待って、全く意味がわからない。
視界がない中、外では「では、私は引き続き業務へ戻ります」だの「護衛は本当にこれだけで良いんですか」だのとやり取りが聞こえてくる。
ホンマかこれ、なんやこれ、死ぬ?死ぬんかこれ!?
叫び出す間もなく駕籠は揺れ、動き出したので「うええぇぇ、」と吐きそうになった。
何も予想していなかっただけに、恐怖でしかないがなんだったんだあのクソ副長様様の態度は。
さらば、天命により…。幸い数珠はあのまま持っている。
もうなんでもいい、南無大師遍昭金剛でも南無大慈大悲観世音菩薩でももうなんでもいいから!!帰依、帰依、きええええ!
悪いと思いつつ眺めてしまうが、翡翠は特に何も言わない。
腹の蝶は藤嶋が入れたそうだが、あまり臓物によくないと、何かの拍子に言っていた。
「…痛かったろうな」
「まぁでも、兄さんら姉さんらよりはマシですよ。
男娼で言うと、例えば奥ですか。麻痺させてやっていたりするもんで」
「そうなんだ…」
「わてはその…売りは専門やなかったし、どうにも…敵いません。
不思議やね、あまりこう、思うこともなかった」
それは至極当たり前の日常だったが、こんな機会もなかったからだろうか。
朱鷺貴は元々早湯だし、何より今日はどうにも心が鎮まっていなかった。
湯を浴びてみればまるで足も重い、最近動く仕事があまりなかったせいか歳のせいかと朱鷺貴が思ったのと同時に翡翠も「歳ですかね…」等と、料理長が拵えた胡麻のぼたもちを食らってほざくのに反論する元気もどうやら出ない。
朱鷺貴は喉通りも良い、わらび餅を食わせてもらった。
「明日も店休みやし、泊まってったらどや、夜道はあかんで」
番頭の提案に確かにな、しかし…と明日のこともある。仮眠を取らせてもらい寺に戻る運びとなった。
翡翠はまるで、本当に鳥のようだ。
明るいか暗いかわからぬ日の出に朱鷺貴を起こし、寺へ戻ったと思えば、悠禅を連れ市中へ蜻蛉返りしてしまった。
朱鷺貴も朱鷺貴で休まることがない。それは恐らく翡翠と入れ違いだった。
因縁の来客、土方が早めに見回りに来たかと思えば一緒に……袴、三つ葉葵の家紋を目立たせた…どう考えても徳川の人間でしかない侍を連れてやって来たのだった。
土方は土方で疲れきった表情だが、まるで昨夜のことなど何もなかったかのように「おはようさん」と普通に挨拶をしてきた。
「ああ、どうもはばかりさんで」
「……こちら後見職の」
朱鷺貴が嫌味ったらしく返したのを土方がバツ悪く無視したかと思えば、その三つ葉葵は土方にパッと手を晒し「我は後見人の一橋と申す」と言葉は少なく物語った。
寝不足ではあったがはっと頭がまわり「ひとつば」とつい朱鷺貴の口から漏れた瞬間、やはりその人物は手を翳し制するよう。
土方が目で何かを訴えていた。
…それってもしかしなくてもというかもう、隠せてないじゃん…。どうあっても将軍候補だった一橋慶喜じゃないのか…。
つまり現在の将軍、14代家茂とは仲が悪いという認識なのだが…。
「…後見人!?」
やはり自分は気が短い。どうあっても言葉に出てしまった。
後見人とはつまり、変わりの役職だ。
次期将軍と言っても過言ではなく、むしろ殆どもう将軍ということになるのではないか。
確かに、最早こんなご時世になっては将軍が病弱だというのも世論知れ渡った話ではある。
まさかそれが本当だというのはこれで露見したようなものだった。
「ああ。貴殿の話は昨夜報告を受けた」
…は?
まさか葬儀のご相談とか、言わないよな?それ。
「え、と…」
「まぁ、はは、驚くのも無理はないな。少々興味を持って」
「興味ってなんですか興味って、」
あれ?
俺なんか、捕縛される方だったりする?なんか。壬生浪もいるし、え?なんなの一体。
「まぁあまり立ち話も出来ない。少々来て欲し」
「どこに!?」
土方が溜め息を吐きそうな表情で睨んでくるのみ。
ちょっと待って何がなんだかわからないんだが。
「…じゃぁ副長殿…これは…君、一体なんの報告」
「あぁそうだ土方副長。近藤組長に言っておいてくれ。拝命の件だ」
ぼーっとするような間を孕ませた後、土方ははっと目を生き返らせ「え、」と驚いた。
「容保公から意味を伺った。会津の地にある、武芸に秀でた集団だったと。
我もその名を受け継ぐことに賛成だ、貴殿らはそれほどの大業をこなした。貴殿らがいなければ今我はここで生きていない」
「は、」
「その重みを持って、手狭だろう?再び人員を確保せよ、先の戦のためにな」
それ、今そんなさらっと言うのぉ?
度肝を抜かれたのは朱鷺貴も土方も時同じだ、空気でわかる。
「…戦」
朱鷺貴としては聞きたい内容でもない、一体なんの茶番なのか。
…まぁ、どうやら出世したようで何よりですね、歴史的瞬間ですわどうもと土方に目で語れば「さて、駕籠を待たせている」と…忘れていた、そうだ一体なんの茶番なんだ。
「は?え?何?」と朱鷺貴が戸惑っている中、土方が連れていた者が手早く目元に布を巻いてくる。
そして朱鷺貴はそのまま駕籠にぶち込まれてしまった。
「何何何何!?」と暴れようかとした瞬間、「いいなぁお前もよ」だなどと土方に囁かれた。
「こんな寺からおさらばだぜ、なんじょー坊主よぉ」
え?
待って、全く意味がわからない。
視界がない中、外では「では、私は引き続き業務へ戻ります」だの「護衛は本当にこれだけで良いんですか」だのとやり取りが聞こえてくる。
ホンマかこれ、なんやこれ、死ぬ?死ぬんかこれ!?
叫び出す間もなく駕籠は揺れ、動き出したので「うええぇぇ、」と吐きそうになった。
何も予想していなかっただけに、恐怖でしかないがなんだったんだあのクソ副長様様の態度は。
さらば、天命により…。幸い数珠はあのまま持っている。
もうなんでもいい、南無大師遍昭金剛でも南無大慈大悲観世音菩薩でももうなんでもいいから!!帰依、帰依、きええええ!
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