70 / 129
不垢不浄
1
しおりを挟む
「ご苦労」
壬生寺の門で待ち構えていたのは、藤嶋だった。
…なるほど、本当にそうだった、だからか。
納得する翡翠と、藤嶋とは特に目も合わせず会釈するぶっきらぼうな土方と。
担架を持った見廻り組の一人が「主か?」と藤嶋に聞く。それに土方は振り返り、「公卿のお偉いさんだよ、」と挑発的に返した。
「…は?」
「…佐々木さんでしたっけ?遺体はこっちで坊主を呼んでくらぁ。じゃ」
「なんだお前、まぁた抜け出してんのか」
藤嶋は状況に全く馴染まず、懐かしむような口調でそう翡翠に笑い掛けてきた。
歯噛みしたくなる。
「…死なんでよござんしたな、店主、」
藁の掛けられた吉田の遺体をふっと眺めた藤嶋が「ようやったな」と担架を持つ土方と斎藤に声を掛けるが、どちらも何も返さない。
藤嶋に対し、どうかしているという一体感のようなものを、翡翠は犇々と肌で感じた。
最早、この男はこの一大事件に興味はないようだ。
公卿という単語を聞いたからか、見廻り組の働きはてきぱき…いや、早々に帰りたいのかもしれない、どちらとも取れるものになった。
そして藤嶋はまだ関係もなく、翡翠が背負った沖田を見て「どーしたそいつは」と声に温度もない。
あまり顔も上げられないようだったが「ちょっと…子供と遊び過ぎたんです、昼」と沖田が促すように見たその“ちょっと先”には、龍の銅像が建つ池があった。
そういえば去年来たときも、なんとなく目についた気はするが、石像だの地蔵だの、見慣れてしまったせいだろうか、あまり意識しなかったのかもしれない。
...以外と広いんだな、この寺…あれ、こんなに広かったか?
大勢が入り込む様に、客観した。
「中暑か?」
確かに、汗ばんでいるような気がする。
藤嶋はふいっと促すように本堂へ顔を向けたが、「いや、藤宮さんには聞かねばならぬことがあります」と側で作業をしている斎藤がそう言った。
「まずは怪我人だろ」
冷たく言う藤嶋に、有無を言わせてもらえなかったと、斎藤はそれで引くことにしたらしい、また作業へ戻っていく。
昔からそう、この人は「正」が服を着たような雰囲気の人。
例え口調に覇気がなくとも、暴論ですら、いつでも呟きひとつで皆を働かせていた。
どうやら健在なようだ。
「…斎藤さん、すませんね。わかることはいくらでも話しますから。
せやけど、知ることもなければなんとやら。あんたらも寺の坊主にいちいち事情をお話はしてないやろ?あまり得ることもありませんぜ。これは、般若心経です」
藤嶋が行く背に翡翠は着いて行く。
連中から少し離れて早々、痰を絡ませた声で「ごめんね、」と沖田が言った。
「…先に言うときますよ沖田さん。あんさん、先程気付いたのですか」
「…ちょっと、待って…気持ち悪い」
なんとも判断はしかねるが、藤嶋は取り敢えずいる。
…背を見てどうしても、郭時代に亡くした男娼を思い出してしまう。
それはこの人が未だ遺品を隠し持つ程の人物で、彼は流行り病“労咳”で一人死んでいたのだ。
巡業の頃にもいた、盲目の住職。彼は一人ではなかったけれど、一人だった。
数々の嫌な思い出ばかりが浮かぶ今は、きっと仕方がない、こんな状況なのだ。
今頃朱鷺貴は、何を考えているか。
咳き込むような嘔吐くような沖田の姿に、担架の方がよかったかもしれないなと思った矢先、藤嶋は「ここだ」と縁側から部屋に上がる。
思ったよりも良い部屋だった。囲炉裏すら部屋にあるような。
まあ、きっとこれは「客間」なのだろうが、藤嶋が自室のように使っているのが見て取れる。
「布団は借りてこい、坊主に」
本当に自宅のようだなと、指示に従い沖田を降ろした翡翠は一度部屋を後にした。
…多分、初期の労咳だ。そうなると藤嶋ならある程度病状を察し言うはずだ、「どこかに置いておけ」と。
今日は暑かった、本当に中暑ならばまだ良い。先程朦朧としていたようだし…と、すれ違う坊主に声を掛けようとするが、皆庭先へ急いでいる。
やっとのことで捕まえた小姓に、怪我人を藤嶋の部屋へ運んだとしか言えなかったが、自分も呼ばれているしなと、同じく庭へ向かうことにする。
地蔵の後ろ、丁度、沖田が子供と遊んだと言ったあたりだ。
「それで、まず仲間は誰なんだ」
半殺し状態の生き残りを縛り上げた土方の冷徹な声が、やけに響いて聞こえた。
なるほど、処刑するには丁度良い水場なのか。
気付いた斎藤も、いつも確かに独特な雰囲気ではあったが、追加で殺伐としてこちらを見た。
「藤宮さん」
「はい」
斎藤は抜けてくる。
待遇良くなのか、翡翠はそのまま堂へ通された。
「…一つ、報告を先にしてええやろか」
「…はい?」
「沖田さんのことですが」
斎藤は振り向き、最早丁寧語でもなく「なんだ」と冷たい。
「…藤嶋さんに預けましたんで、どうやらとですが、恐らく…思い違いならええんですけどね、あれからあまり体調はよろしゅうないのか…」
「…わからん。あの男は、剽軽で」
あまり喋る態度でもないのか、自分とは。
「…労咳やもしれません、とだけ」
「………は?」
予想外だったのだろう、斎藤は動揺を見せた。
あとはただ、淡々と状況を話すのみ。
壬生寺の門で待ち構えていたのは、藤嶋だった。
…なるほど、本当にそうだった、だからか。
納得する翡翠と、藤嶋とは特に目も合わせず会釈するぶっきらぼうな土方と。
担架を持った見廻り組の一人が「主か?」と藤嶋に聞く。それに土方は振り返り、「公卿のお偉いさんだよ、」と挑発的に返した。
「…は?」
「…佐々木さんでしたっけ?遺体はこっちで坊主を呼んでくらぁ。じゃ」
「なんだお前、まぁた抜け出してんのか」
藤嶋は状況に全く馴染まず、懐かしむような口調でそう翡翠に笑い掛けてきた。
歯噛みしたくなる。
「…死なんでよござんしたな、店主、」
藁の掛けられた吉田の遺体をふっと眺めた藤嶋が「ようやったな」と担架を持つ土方と斎藤に声を掛けるが、どちらも何も返さない。
藤嶋に対し、どうかしているという一体感のようなものを、翡翠は犇々と肌で感じた。
最早、この男はこの一大事件に興味はないようだ。
公卿という単語を聞いたからか、見廻り組の働きはてきぱき…いや、早々に帰りたいのかもしれない、どちらとも取れるものになった。
そして藤嶋はまだ関係もなく、翡翠が背負った沖田を見て「どーしたそいつは」と声に温度もない。
あまり顔も上げられないようだったが「ちょっと…子供と遊び過ぎたんです、昼」と沖田が促すように見たその“ちょっと先”には、龍の銅像が建つ池があった。
そういえば去年来たときも、なんとなく目についた気はするが、石像だの地蔵だの、見慣れてしまったせいだろうか、あまり意識しなかったのかもしれない。
...以外と広いんだな、この寺…あれ、こんなに広かったか?
大勢が入り込む様に、客観した。
「中暑か?」
確かに、汗ばんでいるような気がする。
藤嶋はふいっと促すように本堂へ顔を向けたが、「いや、藤宮さんには聞かねばならぬことがあります」と側で作業をしている斎藤がそう言った。
「まずは怪我人だろ」
冷たく言う藤嶋に、有無を言わせてもらえなかったと、斎藤はそれで引くことにしたらしい、また作業へ戻っていく。
昔からそう、この人は「正」が服を着たような雰囲気の人。
例え口調に覇気がなくとも、暴論ですら、いつでも呟きひとつで皆を働かせていた。
どうやら健在なようだ。
「…斎藤さん、すませんね。わかることはいくらでも話しますから。
せやけど、知ることもなければなんとやら。あんたらも寺の坊主にいちいち事情をお話はしてないやろ?あまり得ることもありませんぜ。これは、般若心経です」
藤嶋が行く背に翡翠は着いて行く。
連中から少し離れて早々、痰を絡ませた声で「ごめんね、」と沖田が言った。
「…先に言うときますよ沖田さん。あんさん、先程気付いたのですか」
「…ちょっと、待って…気持ち悪い」
なんとも判断はしかねるが、藤嶋は取り敢えずいる。
…背を見てどうしても、郭時代に亡くした男娼を思い出してしまう。
それはこの人が未だ遺品を隠し持つ程の人物で、彼は流行り病“労咳”で一人死んでいたのだ。
巡業の頃にもいた、盲目の住職。彼は一人ではなかったけれど、一人だった。
数々の嫌な思い出ばかりが浮かぶ今は、きっと仕方がない、こんな状況なのだ。
今頃朱鷺貴は、何を考えているか。
咳き込むような嘔吐くような沖田の姿に、担架の方がよかったかもしれないなと思った矢先、藤嶋は「ここだ」と縁側から部屋に上がる。
思ったよりも良い部屋だった。囲炉裏すら部屋にあるような。
まあ、きっとこれは「客間」なのだろうが、藤嶋が自室のように使っているのが見て取れる。
「布団は借りてこい、坊主に」
本当に自宅のようだなと、指示に従い沖田を降ろした翡翠は一度部屋を後にした。
…多分、初期の労咳だ。そうなると藤嶋ならある程度病状を察し言うはずだ、「どこかに置いておけ」と。
今日は暑かった、本当に中暑ならばまだ良い。先程朦朧としていたようだし…と、すれ違う坊主に声を掛けようとするが、皆庭先へ急いでいる。
やっとのことで捕まえた小姓に、怪我人を藤嶋の部屋へ運んだとしか言えなかったが、自分も呼ばれているしなと、同じく庭へ向かうことにする。
地蔵の後ろ、丁度、沖田が子供と遊んだと言ったあたりだ。
「それで、まず仲間は誰なんだ」
半殺し状態の生き残りを縛り上げた土方の冷徹な声が、やけに響いて聞こえた。
なるほど、処刑するには丁度良い水場なのか。
気付いた斎藤も、いつも確かに独特な雰囲気ではあったが、追加で殺伐としてこちらを見た。
「藤宮さん」
「はい」
斎藤は抜けてくる。
待遇良くなのか、翡翠はそのまま堂へ通された。
「…一つ、報告を先にしてええやろか」
「…はい?」
「沖田さんのことですが」
斎藤は振り向き、最早丁寧語でもなく「なんだ」と冷たい。
「…藤嶋さんに預けましたんで、どうやらとですが、恐らく…思い違いならええんですけどね、あれからあまり体調はよろしゅうないのか…」
「…わからん。あの男は、剽軽で」
あまり喋る態度でもないのか、自分とは。
「…労咳やもしれません、とだけ」
「………は?」
予想外だったのだろう、斎藤は動揺を見せた。
あとはただ、淡々と状況を話すのみ。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
Get So Hell? 2nd!
二色燕𠀋
歴史・時代
なんちゃって幕末。
For full sound hope,Oh so sad sound.
※前編 Get So Hell?
※過去編 月影之鳥
剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―
三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】
明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。
維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。
密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。
武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。
※エブリスタでも連載中
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
伊藤とサトウ
海野 次朗
歴史・時代
幕末に来日したイギリス人外交官アーネスト・サトウと、後に初代総理大臣となる伊藤博文こと伊藤俊輔の活動を描いた物語です。終盤には坂本龍馬も登場します。概ね史実をもとに描いておりますが、小説ですからもちろんフィクションも含まれます。モットーは「目指せ、司馬遼太郎」です(笑)。
基本参考文献は萩原延壽先生の『遠い崖』(朝日新聞社)です。
もちろんサトウが書いた『A Diplomat in Japan』を坂田精一氏が日本語訳した『一外交官の見た明治維新』(岩波書店)も参考にしてますが、こちらは戦前に翻訳された『維新日本外交秘録』も同時に参考にしてます。さらに『図説アーネスト・サトウ』(有隣堂、横浜開港資料館編)も参考にしています。
他にもいくつかの史料をもとにしておりますが、明記するのは難しいので必要に応じて明記するようにします。そのまま引用する場合はもちろん本文の中に出典を書いておきます。最終回の巻末にまとめて百冊ほど参考資料を載せておきました。
(※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる