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不垢不浄
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「ご苦労」
壬生寺の門で待ち構えていたのは、藤嶋だった。
…なるほど、本当にそうだった、だからか。
納得する翡翠と、藤嶋とは特に目も合わせず会釈するぶっきらぼうな土方と。
担架を持った見廻り組の一人が「主か?」と藤嶋に聞く。それに土方は振り返り、「公卿のお偉いさんだよ、」と挑発的に返した。
「…は?」
「…佐々木さんでしたっけ?遺体はこっちで坊主を呼んでくらぁ。じゃ」
「なんだお前、まぁた抜け出してんのか」
藤嶋は状況に全く馴染まず、懐かしむような口調でそう翡翠に笑い掛けてきた。
歯噛みしたくなる。
「…死なんでよござんしたな、店主、」
藁の掛けられた吉田の遺体をふっと眺めた藤嶋が「ようやったな」と担架を持つ土方と斎藤に声を掛けるが、どちらも何も返さない。
藤嶋に対し、どうかしているという一体感のようなものを、翡翠は犇々と肌で感じた。
最早、この男はこの一大事件に興味はないようだ。
公卿という単語を聞いたからか、見廻り組の働きはてきぱき…いや、早々に帰りたいのかもしれない、どちらとも取れるものになった。
そして藤嶋はまだ関係もなく、翡翠が背負った沖田を見て「どーしたそいつは」と声に温度もない。
あまり顔も上げられないようだったが「ちょっと…子供と遊び過ぎたんです、昼」と沖田が促すように見たその“ちょっと先”には、龍の銅像が建つ池があった。
そういえば去年来たときも、なんとなく目についた気はするが、石像だの地蔵だの、見慣れてしまったせいだろうか、あまり意識しなかったのかもしれない。
...以外と広いんだな、この寺…あれ、こんなに広かったか?
大勢が入り込む様に、客観した。
「中暑か?」
確かに、汗ばんでいるような気がする。
藤嶋はふいっと促すように本堂へ顔を向けたが、「いや、藤宮さんには聞かねばならぬことがあります」と側で作業をしている斎藤がそう言った。
「まずは怪我人だろ」
冷たく言う藤嶋に、有無を言わせてもらえなかったと、斎藤はそれで引くことにしたらしい、また作業へ戻っていく。
昔からそう、この人は「正」が服を着たような雰囲気の人。
例え口調に覇気がなくとも、暴論ですら、いつでも呟きひとつで皆を働かせていた。
どうやら健在なようだ。
「…斎藤さん、すませんね。わかることはいくらでも話しますから。
せやけど、知ることもなければなんとやら。あんたらも寺の坊主にいちいち事情をお話はしてないやろ?あまり得ることもありませんぜ。これは、般若心経です」
藤嶋が行く背に翡翠は着いて行く。
連中から少し離れて早々、痰を絡ませた声で「ごめんね、」と沖田が言った。
「…先に言うときますよ沖田さん。あんさん、先程気付いたのですか」
「…ちょっと、待って…気持ち悪い」
なんとも判断はしかねるが、藤嶋は取り敢えずいる。
…背を見てどうしても、郭時代に亡くした男娼を思い出してしまう。
それはこの人が未だ遺品を隠し持つ程の人物で、彼は流行り病“労咳”で一人死んでいたのだ。
巡業の頃にもいた、盲目の住職。彼は一人ではなかったけれど、一人だった。
数々の嫌な思い出ばかりが浮かぶ今は、きっと仕方がない、こんな状況なのだ。
今頃朱鷺貴は、何を考えているか。
咳き込むような嘔吐くような沖田の姿に、担架の方がよかったかもしれないなと思った矢先、藤嶋は「ここだ」と縁側から部屋に上がる。
思ったよりも良い部屋だった。囲炉裏すら部屋にあるような。
まあ、きっとこれは「客間」なのだろうが、藤嶋が自室のように使っているのが見て取れる。
「布団は借りてこい、坊主に」
本当に自宅のようだなと、指示に従い沖田を降ろした翡翠は一度部屋を後にした。
…多分、初期の労咳だ。そうなると藤嶋ならある程度病状を察し言うはずだ、「どこかに置いておけ」と。
今日は暑かった、本当に中暑ならばまだ良い。先程朦朧としていたようだし…と、すれ違う坊主に声を掛けようとするが、皆庭先へ急いでいる。
やっとのことで捕まえた小姓に、怪我人を藤嶋の部屋へ運んだとしか言えなかったが、自分も呼ばれているしなと、同じく庭へ向かうことにする。
地蔵の後ろ、丁度、沖田が子供と遊んだと言ったあたりだ。
「それで、まず仲間は誰なんだ」
半殺し状態の生き残りを縛り上げた土方の冷徹な声が、やけに響いて聞こえた。
なるほど、処刑するには丁度良い水場なのか。
気付いた斎藤も、いつも確かに独特な雰囲気ではあったが、追加で殺伐としてこちらを見た。
「藤宮さん」
「はい」
斎藤は抜けてくる。
待遇良くなのか、翡翠はそのまま堂へ通された。
「…一つ、報告を先にしてええやろか」
「…はい?」
「沖田さんのことですが」
斎藤は振り向き、最早丁寧語でもなく「なんだ」と冷たい。
「…藤嶋さんに預けましたんで、どうやらとですが、恐らく…思い違いならええんですけどね、あれからあまり体調はよろしゅうないのか…」
「…わからん。あの男は、剽軽で」
あまり喋る態度でもないのか、自分とは。
「…労咳やもしれません、とだけ」
「………は?」
予想外だったのだろう、斎藤は動揺を見せた。
あとはただ、淡々と状況を話すのみ。
壬生寺の門で待ち構えていたのは、藤嶋だった。
…なるほど、本当にそうだった、だからか。
納得する翡翠と、藤嶋とは特に目も合わせず会釈するぶっきらぼうな土方と。
担架を持った見廻り組の一人が「主か?」と藤嶋に聞く。それに土方は振り返り、「公卿のお偉いさんだよ、」と挑発的に返した。
「…は?」
「…佐々木さんでしたっけ?遺体はこっちで坊主を呼んでくらぁ。じゃ」
「なんだお前、まぁた抜け出してんのか」
藤嶋は状況に全く馴染まず、懐かしむような口調でそう翡翠に笑い掛けてきた。
歯噛みしたくなる。
「…死なんでよござんしたな、店主、」
藁の掛けられた吉田の遺体をふっと眺めた藤嶋が「ようやったな」と担架を持つ土方と斎藤に声を掛けるが、どちらも何も返さない。
藤嶋に対し、どうかしているという一体感のようなものを、翡翠は犇々と肌で感じた。
最早、この男はこの一大事件に興味はないようだ。
公卿という単語を聞いたからか、見廻り組の働きはてきぱき…いや、早々に帰りたいのかもしれない、どちらとも取れるものになった。
そして藤嶋はまだ関係もなく、翡翠が背負った沖田を見て「どーしたそいつは」と声に温度もない。
あまり顔も上げられないようだったが「ちょっと…子供と遊び過ぎたんです、昼」と沖田が促すように見たその“ちょっと先”には、龍の銅像が建つ池があった。
そういえば去年来たときも、なんとなく目についた気はするが、石像だの地蔵だの、見慣れてしまったせいだろうか、あまり意識しなかったのかもしれない。
...以外と広いんだな、この寺…あれ、こんなに広かったか?
大勢が入り込む様に、客観した。
「中暑か?」
確かに、汗ばんでいるような気がする。
藤嶋はふいっと促すように本堂へ顔を向けたが、「いや、藤宮さんには聞かねばならぬことがあります」と側で作業をしている斎藤がそう言った。
「まずは怪我人だろ」
冷たく言う藤嶋に、有無を言わせてもらえなかったと、斎藤はそれで引くことにしたらしい、また作業へ戻っていく。
昔からそう、この人は「正」が服を着たような雰囲気の人。
例え口調に覇気がなくとも、暴論ですら、いつでも呟きひとつで皆を働かせていた。
どうやら健在なようだ。
「…斎藤さん、すませんね。わかることはいくらでも話しますから。
せやけど、知ることもなければなんとやら。あんたらも寺の坊主にいちいち事情をお話はしてないやろ?あまり得ることもありませんぜ。これは、般若心経です」
藤嶋が行く背に翡翠は着いて行く。
連中から少し離れて早々、痰を絡ませた声で「ごめんね、」と沖田が言った。
「…先に言うときますよ沖田さん。あんさん、先程気付いたのですか」
「…ちょっと、待って…気持ち悪い」
なんとも判断はしかねるが、藤嶋は取り敢えずいる。
…背を見てどうしても、郭時代に亡くした男娼を思い出してしまう。
それはこの人が未だ遺品を隠し持つ程の人物で、彼は流行り病“労咳”で一人死んでいたのだ。
巡業の頃にもいた、盲目の住職。彼は一人ではなかったけれど、一人だった。
数々の嫌な思い出ばかりが浮かぶ今は、きっと仕方がない、こんな状況なのだ。
今頃朱鷺貴は、何を考えているか。
咳き込むような嘔吐くような沖田の姿に、担架の方がよかったかもしれないなと思った矢先、藤嶋は「ここだ」と縁側から部屋に上がる。
思ったよりも良い部屋だった。囲炉裏すら部屋にあるような。
まあ、きっとこれは「客間」なのだろうが、藤嶋が自室のように使っているのが見て取れる。
「布団は借りてこい、坊主に」
本当に自宅のようだなと、指示に従い沖田を降ろした翡翠は一度部屋を後にした。
…多分、初期の労咳だ。そうなると藤嶋ならある程度病状を察し言うはずだ、「どこかに置いておけ」と。
今日は暑かった、本当に中暑ならばまだ良い。先程朦朧としていたようだし…と、すれ違う坊主に声を掛けようとするが、皆庭先へ急いでいる。
やっとのことで捕まえた小姓に、怪我人を藤嶋の部屋へ運んだとしか言えなかったが、自分も呼ばれているしなと、同じく庭へ向かうことにする。
地蔵の後ろ、丁度、沖田が子供と遊んだと言ったあたりだ。
「それで、まず仲間は誰なんだ」
半殺し状態の生き残りを縛り上げた土方の冷徹な声が、やけに響いて聞こえた。
なるほど、処刑するには丁度良い水場なのか。
気付いた斎藤も、いつも確かに独特な雰囲気ではあったが、追加で殺伐としてこちらを見た。
「藤宮さん」
「はい」
斎藤は抜けてくる。
待遇良くなのか、翡翠はそのまま堂へ通された。
「…一つ、報告を先にしてええやろか」
「…はい?」
「沖田さんのことですが」
斎藤は振り向き、最早丁寧語でもなく「なんだ」と冷たい。
「…藤嶋さんに預けましたんで、どうやらとですが、恐らく…思い違いならええんですけどね、あれからあまり体調はよろしゅうないのか…」
「…わからん。あの男は、剽軽で」
あまり喋る態度でもないのか、自分とは。
「…労咳やもしれません、とだけ」
「………は?」
予想外だったのだろう、斎藤は動揺を見せた。
あとはただ、淡々と状況を話すのみ。
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