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菖蒲の盛りに
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それから数日ほどは、坂本が出て行ったり、交代で桂が出て行ったりと…どうやら市中を探索しては、朝方か夜中かまで、二人で何かをしているようだった。
“穢れ”という概念は「何かモヤモヤしたもの」である。
坂本が布施を持ち込むように、桂が身汚なく出入りするように。
その穢れの中のほんの僅かに「何があるんだ」と…時勢を気にしている面がある、これははっきりしていた。
それにまたモヤモヤする。
このままでは精神も疲れるなと、朱鷺貴はしばしば筆を止め溜め息を吐いた。手紙の文面も思い付かないし内容も入ってこない。書き直しで捨てる紙も増えた。
目に見えて集中力を落とした朱鷺貴を見る翡翠のモヤモヤまで募る。
そんな翡翠はつい、いつもより念入りに幹斎の部屋付近を掃除してしまった。
勿論話など、大して盗み聞きが出来たわけではないが、ある日、「明日やも知れん」と聞いたその日は、宵々山の夜だった。
子細はわからないが、さて…と持ち帰る。
しかし子細がわからないし結局坊主事でも、ない…。
まるで面白くも雅でもない、何かが捩れている。もしも、祇園を火祭りにしようという腹だとしたら。
聞いた翡翠は朱鷺貴に何かを話そうとは思うが話すことでも…ないのか。
でも、それを捉えた朱鷺貴が先に「…暑いな今日も」と、ぼんやりする翡翠に世間話を振った。
「…この時期は湿りますな」
「まぁなぁ」
「明日は宵山やね、トキさん」
「ん?」
朱鷺貴も、だからぼんやりしていた。
ぼんやりしていて忘れていたが「あぁ、そうだな」と、なんとなくここに我が戻った。
「…暇だしなぁ、そうか。まぁ、暇でなくてもこっそりと行く者もいるけど。そして手伝わされて帰ってくるんだよ。
そういえばお前は行かないよなぁ、毎年」
「店は祭り事やと暇なんで、店閉めてたまに行ったで。まぁ、女いないからつまらんし、遊郭三昧やったけどね。
兄さんらも…まぁ、やっとの休暇で休む人もいましたし、逢い引きもありましたし」
「また…」
「最近はこの時期…なんもなくても怠さがきますねぇ、そんな気も起きない。歳でしょうか。行ったとしてもあんさん怒りそうやし」
「女人禁制だからとかじゃなく、宗教行事に決まりはあまりないから別にいいが、お前みたいに不埒な理由なら咎めるかもな」
「あはは。ちなみにトキさんはあります?」
「…そうだな、俺も昔、法要の帰りだったかなぁ。幹斎に付き回っていた頃だ。行ったよ。
見たいのか?」
「…いや、別に。あんさん付きなら尚更や…」
「若いからな~、お前は。ま、俺はそもそも人通りが嫌いだし女もいないから興味もなかったが」
「なんや、一緒やん」
こんなことも、そういえば今更で。
それはとても不思議な…。
「急にどうしたんだ」
真意が見えないのはいつもだし、悟られたくないのもいつもだというのに。
疲れだろうか。こんな風に思うのなんて。
「……いえ。
忙しかったせいか、染々と思いました」
「確かに…」
巡業、そして帰って来たら来たで、人が死ぬのは冬が多いのだが、この時期だって身体の調子が悪くなり葬儀はそこそこある。のに、この時期の葬儀は遺体が腐りやすく手早と…案外休みなどなかったもので。
誰かがふと寺を出て行く気配がした。どうせ二人のどちらかだろう。
「…俺付きじゃなくても、まぁ、たまにはいいぞ」
「いえ…」
そうやないんですよね。
もしもと考えると、言うべきかはわからないが彼らは自分達に言った、仲間を止めたいのだと。
しかし、布施の魚と同じ原理ならば…。
今後を考えろと、最近朱鷺貴に言われたことばかりを考えている。自分は今一体、何をし何者なんだろうか。
こうした翡翠の思案顔は見慣れてきている。
ただの気紛れか…いや、変化を求めるのかもしれないと気付く間もなく、「お前、何を考えているんだ」と、朱鷺貴は翡翠に聞いていた。
翡翠は気まずく噛み砕き「ははぁ、まぁ」と、やはり敵わないなと感じた。
「…聞こえたんですよ、二人の話が。明日どうとか…」
「…明日、」
「何が、かは」
「まぁ、そうだな…。
…はぁ~、嫌になるななんか、最近」
「そうやねぇ、気付きましたよ、トキさん。筆が止まりがちやて」
「…最近イライラするよな」
「…ええ」
話してしまえば「はは、」と笑えた。
同調の意識、なんだろうか。
「まぁ、どうすることも出来ないのは、少し慣れたけど…」
「せやけどねぇ…」
「祈るしかないと…こんなときばかり神頼みになる自分も、可笑しいな。別に神さんに恨みがあるわけでもないから、いいんだけどさ…」
なるほど。
先に何かある、しかしその先は“無い”のか。
「そういうた考えなら、まあ神職も悪くないんかもしれへんね」
「俺にはひとつ…人生で最大の怖いものがあった。正直、だから何も怖くないんだよ」
あぁ、そっか。
「はっきりそうも言われると、納得するもんですな」
…そうやって捨ててきたのかもしれない。
「…寺4年目のわてには、染みる話です、トキさん」
たった4年なのか、然れど4年なのか。
そういえば、郭で過ごしたのと同じくらいだなと、ぼんやり、生ぬるい夜に考えた。
翌日の昼頃、玄関口で「いや、間違いないんじゃ!」と、坂本が訴えかける声が聞こえた。
いつの間に寺から抜け出していた桂が、あの、ボロではない姿で帰ってきたらしい。
“穢れ”という概念は「何かモヤモヤしたもの」である。
坂本が布施を持ち込むように、桂が身汚なく出入りするように。
その穢れの中のほんの僅かに「何があるんだ」と…時勢を気にしている面がある、これははっきりしていた。
それにまたモヤモヤする。
このままでは精神も疲れるなと、朱鷺貴はしばしば筆を止め溜め息を吐いた。手紙の文面も思い付かないし内容も入ってこない。書き直しで捨てる紙も増えた。
目に見えて集中力を落とした朱鷺貴を見る翡翠のモヤモヤまで募る。
そんな翡翠はつい、いつもより念入りに幹斎の部屋付近を掃除してしまった。
勿論話など、大して盗み聞きが出来たわけではないが、ある日、「明日やも知れん」と聞いたその日は、宵々山の夜だった。
子細はわからないが、さて…と持ち帰る。
しかし子細がわからないし結局坊主事でも、ない…。
まるで面白くも雅でもない、何かが捩れている。もしも、祇園を火祭りにしようという腹だとしたら。
聞いた翡翠は朱鷺貴に何かを話そうとは思うが話すことでも…ないのか。
でも、それを捉えた朱鷺貴が先に「…暑いな今日も」と、ぼんやりする翡翠に世間話を振った。
「…この時期は湿りますな」
「まぁなぁ」
「明日は宵山やね、トキさん」
「ん?」
朱鷺貴も、だからぼんやりしていた。
ぼんやりしていて忘れていたが「あぁ、そうだな」と、なんとなくここに我が戻った。
「…暇だしなぁ、そうか。まぁ、暇でなくてもこっそりと行く者もいるけど。そして手伝わされて帰ってくるんだよ。
そういえばお前は行かないよなぁ、毎年」
「店は祭り事やと暇なんで、店閉めてたまに行ったで。まぁ、女いないからつまらんし、遊郭三昧やったけどね。
兄さんらも…まぁ、やっとの休暇で休む人もいましたし、逢い引きもありましたし」
「また…」
「最近はこの時期…なんもなくても怠さがきますねぇ、そんな気も起きない。歳でしょうか。行ったとしてもあんさん怒りそうやし」
「女人禁制だからとかじゃなく、宗教行事に決まりはあまりないから別にいいが、お前みたいに不埒な理由なら咎めるかもな」
「あはは。ちなみにトキさんはあります?」
「…そうだな、俺も昔、法要の帰りだったかなぁ。幹斎に付き回っていた頃だ。行ったよ。
見たいのか?」
「…いや、別に。あんさん付きなら尚更や…」
「若いからな~、お前は。ま、俺はそもそも人通りが嫌いだし女もいないから興味もなかったが」
「なんや、一緒やん」
こんなことも、そういえば今更で。
それはとても不思議な…。
「急にどうしたんだ」
真意が見えないのはいつもだし、悟られたくないのもいつもだというのに。
疲れだろうか。こんな風に思うのなんて。
「……いえ。
忙しかったせいか、染々と思いました」
「確かに…」
巡業、そして帰って来たら来たで、人が死ぬのは冬が多いのだが、この時期だって身体の調子が悪くなり葬儀はそこそこある。のに、この時期の葬儀は遺体が腐りやすく手早と…案外休みなどなかったもので。
誰かがふと寺を出て行く気配がした。どうせ二人のどちらかだろう。
「…俺付きじゃなくても、まぁ、たまにはいいぞ」
「いえ…」
そうやないんですよね。
もしもと考えると、言うべきかはわからないが彼らは自分達に言った、仲間を止めたいのだと。
しかし、布施の魚と同じ原理ならば…。
今後を考えろと、最近朱鷺貴に言われたことばかりを考えている。自分は今一体、何をし何者なんだろうか。
こうした翡翠の思案顔は見慣れてきている。
ただの気紛れか…いや、変化を求めるのかもしれないと気付く間もなく、「お前、何を考えているんだ」と、朱鷺貴は翡翠に聞いていた。
翡翠は気まずく噛み砕き「ははぁ、まぁ」と、やはり敵わないなと感じた。
「…聞こえたんですよ、二人の話が。明日どうとか…」
「…明日、」
「何が、かは」
「まぁ、そうだな…。
…はぁ~、嫌になるななんか、最近」
「そうやねぇ、気付きましたよ、トキさん。筆が止まりがちやて」
「…最近イライラするよな」
「…ええ」
話してしまえば「はは、」と笑えた。
同調の意識、なんだろうか。
「まぁ、どうすることも出来ないのは、少し慣れたけど…」
「せやけどねぇ…」
「祈るしかないと…こんなときばかり神頼みになる自分も、可笑しいな。別に神さんに恨みがあるわけでもないから、いいんだけどさ…」
なるほど。
先に何かある、しかしその先は“無い”のか。
「そういうた考えなら、まあ神職も悪くないんかもしれへんね」
「俺にはひとつ…人生で最大の怖いものがあった。正直、だから何も怖くないんだよ」
あぁ、そっか。
「はっきりそうも言われると、納得するもんですな」
…そうやって捨ててきたのかもしれない。
「…寺4年目のわてには、染みる話です、トキさん」
たった4年なのか、然れど4年なのか。
そういえば、郭で過ごしたのと同じくらいだなと、ぼんやり、生ぬるい夜に考えた。
翌日の昼頃、玄関口で「いや、間違いないんじゃ!」と、坂本が訴えかける声が聞こえた。
いつの間に寺から抜け出していた桂が、あの、ボロではない姿で帰ってきたらしい。
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