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菖蒲の盛りに
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公武合体か。
よもや、幕府は天皇を潰さん勢いだなと、こちらには見える。
坂本が言った「貿易」という点に関してなら、「攘夷」と耳に入るその命には完全に逆らう事情だ。
まるで誰も口にはしないが、国の長は下手をすれば穀潰しの邪魔な存在になってしまっている…のだろうか。
「…坊主としては痛む話だな」
「…はい?」
「俺なりに時勢を考えた。
でもそうか。天皇も朝廷も所謂“神職”だよな。
坂本の布施のようなもので、なければ食うことも出来ないし、自ら死に手を染めてはならない」
「…以前長州の…偉そうな人…穏やかな。あの方は「軍力を天皇が」など、斬新な案を掲げていましたね」
そういえばそんなことはあったな。
なら。
「…神は欲求を持てばやはりこうして、失敗するもんなんだな。
なるほど、藤嶋や幹斎がどうしていまこうなのか、少しわかったような気がする。
神はな?翡翠」
「あい?」
「我々は例えば、人々にとって、我々より先の存在があるからいいんだ。それがいないかもしれない、姿形がないものだから、いざというとき誰にも刄は向かない」
「なるほど?」
「だから特定の物が出来てしまうと…しかも身近、同じ人間だとすると、盲信や憎悪を抱きやすいんだ」
「……なるほど」
「だから、居ないんだろうな。その教えに俺は凄く…」
残酷なような気もすれば、優しさ…妥協や惰性に近い物のような気がする。
「…仏教の教えが珍しく、人間らしいと思えた、今。だからやはり、俺はここから離れられないのかもしれない」
朱鷺貴は幹斎のハゲ頭を思い浮かべた。
あんたは今、自分の見てきたものに何を考えるだろうか。
どうしてあの時、父の首を跳ねたと告白したのだろう。
それはやはり、「端から手元に残す気がない」と翡翠に言ったらしい藤嶋と、実は何ら変わらないように思える。
朱鷺貴がふいっと翡翠を見れば、思案顔だった翡翠もふいっと目を合わせ、特に何を言うわけではなかった。
この柵については恐らく、互いに同じことを考えていたとしても、別の答えを抱くのだろうかと、ぼんやり考えた。
いつの間にか随分と流されて来たものだ。
なら、今後どうしろと言うのは、やはりやめておこうかという気が強くなってきた。人には流れがあり、だが、川と違い思考がある。
「………」
たまに朱鷺貴が怖くなる、翡翠には。
自分には翼があるというのに、朱鷺貴はそれでも遥か、どこかわからない場所にいると感じることが多々あるからだ。
自分事なのに他人事で、それは坊主故の性質かと、思っているのに。
「…朱鷺は長く飛ぶし背ぇが高いですからねぇ。
そうだ、知っとります?日本を象徴する鳥…と、異国の偉い人が広めたらしいですえ」
「…そうなの?」
「前に藤嶋さんが言っとりました。まぁ、減ってしまったらしいですが」
「害鳥だからな。
…そうなんだ、知らんかったよ」
「幼名はなんというんですかトキさん」
「ん?
あぁ、そうだな、貴之だよ。朱鷺貴は多分、そっから取っただけだと思う。
お前はなんで翡翠になったんだ、そういえば」
「まぁカワセミでしょうな。清国やとあんな字やけど、雄と雌の意味があるとかなんとか言うとったねぇ」
「へぇ~。確かに、珍しいと思った」
最近暇になった、ぼんやりする。
そんなところで「まぁ、仕事でもするか」と、茶も飲み終わったし、部屋に戻ることにした。
盆を持つ翡翠に「そう言えば」と、朱鷺貴はひとつ、思い出した。
「はい?入れ直しますよ?」
「みよさんはどうだ?最近」
「あぁ…」
翡翠は少し考え、「尼寺に入ろうかと、書いとりましたよ」と答えた。
「尼寺?」
「まぁ、会った際にそう聞きましたし、随分前から、文も、あまり」
「…そうだったのか」
言うのも憚られたが。
「…彼女は恐らく…労咳やったから」
「…え、」
「まぁ、そうなるでしょう。お父上の看病をしていましたし…お父上はお医者に掛かっとりましたけど…彼女自身もあまりそれについて言わんかった。真相は定かではありませんが」
「…それ、は」
「ホンマに…」
つい、どこかを見てしまう。
…丁度、菖蒲の花が咲いているのが見える。この、どんよりとした季節が一番堪えるのだ、あの病は。
「わてに感染ればよかったのになぁ」
…そうか。
だから頑なに…あれから「行かない」と言ったのか。
「まぁ、感染らんかったからトキさんもみんなも」
「…それが、捨て方だったんだな、互いに」
なんて。
「…悪い話をしたな…いや、こう言ってはなんだが…良い話なのかもしれない。
互いに立派だ…ただ、切ないもんだ」
「…はは、トキさんはいつも、こちらが言いたいことを拾う」
「君が言わないからだ。
終わったら、行ってみたらどうだろう」
「ダメですよー、尼さんなんで。寺の前で亀甲縛りされるより…あ、そのへん如何なんやろかね?やはりもっと、厳しいんやろか」
「男には語られないからなぁ、尼寺事情は。基本は離縁して、が多いみたいだし」
「離縁かぁ。わてより逞しいや、みよさんの方が」
きっと…気付かなかったのは三者それぞれだ。余程好いていたのだろうと知るのが…これほどとは。
切ない、残念、でもそれよりも何故だか…前向きな気持ちの方が前に出る。
話してみれば案外、こうして…なんとも言い難い良さもあるのだと、今更知った。
人と接するのはこうしてどこか、複雑なようで簡単なのかもしれない。
よもや、幕府は天皇を潰さん勢いだなと、こちらには見える。
坂本が言った「貿易」という点に関してなら、「攘夷」と耳に入るその命には完全に逆らう事情だ。
まるで誰も口にはしないが、国の長は下手をすれば穀潰しの邪魔な存在になってしまっている…のだろうか。
「…坊主としては痛む話だな」
「…はい?」
「俺なりに時勢を考えた。
でもそうか。天皇も朝廷も所謂“神職”だよな。
坂本の布施のようなもので、なければ食うことも出来ないし、自ら死に手を染めてはならない」
「…以前長州の…偉そうな人…穏やかな。あの方は「軍力を天皇が」など、斬新な案を掲げていましたね」
そういえばそんなことはあったな。
なら。
「…神は欲求を持てばやはりこうして、失敗するもんなんだな。
なるほど、藤嶋や幹斎がどうしていまこうなのか、少しわかったような気がする。
神はな?翡翠」
「あい?」
「我々は例えば、人々にとって、我々より先の存在があるからいいんだ。それがいないかもしれない、姿形がないものだから、いざというとき誰にも刄は向かない」
「なるほど?」
「だから特定の物が出来てしまうと…しかも身近、同じ人間だとすると、盲信や憎悪を抱きやすいんだ」
「……なるほど」
「だから、居ないんだろうな。その教えに俺は凄く…」
残酷なような気もすれば、優しさ…妥協や惰性に近い物のような気がする。
「…仏教の教えが珍しく、人間らしいと思えた、今。だからやはり、俺はここから離れられないのかもしれない」
朱鷺貴は幹斎のハゲ頭を思い浮かべた。
あんたは今、自分の見てきたものに何を考えるだろうか。
どうしてあの時、父の首を跳ねたと告白したのだろう。
それはやはり、「端から手元に残す気がない」と翡翠に言ったらしい藤嶋と、実は何ら変わらないように思える。
朱鷺貴がふいっと翡翠を見れば、思案顔だった翡翠もふいっと目を合わせ、特に何を言うわけではなかった。
この柵については恐らく、互いに同じことを考えていたとしても、別の答えを抱くのだろうかと、ぼんやり考えた。
いつの間にか随分と流されて来たものだ。
なら、今後どうしろと言うのは、やはりやめておこうかという気が強くなってきた。人には流れがあり、だが、川と違い思考がある。
「………」
たまに朱鷺貴が怖くなる、翡翠には。
自分には翼があるというのに、朱鷺貴はそれでも遥か、どこかわからない場所にいると感じることが多々あるからだ。
自分事なのに他人事で、それは坊主故の性質かと、思っているのに。
「…朱鷺は長く飛ぶし背ぇが高いですからねぇ。
そうだ、知っとります?日本を象徴する鳥…と、異国の偉い人が広めたらしいですえ」
「…そうなの?」
「前に藤嶋さんが言っとりました。まぁ、減ってしまったらしいですが」
「害鳥だからな。
…そうなんだ、知らんかったよ」
「幼名はなんというんですかトキさん」
「ん?
あぁ、そうだな、貴之だよ。朱鷺貴は多分、そっから取っただけだと思う。
お前はなんで翡翠になったんだ、そういえば」
「まぁカワセミでしょうな。清国やとあんな字やけど、雄と雌の意味があるとかなんとか言うとったねぇ」
「へぇ~。確かに、珍しいと思った」
最近暇になった、ぼんやりする。
そんなところで「まぁ、仕事でもするか」と、茶も飲み終わったし、部屋に戻ることにした。
盆を持つ翡翠に「そう言えば」と、朱鷺貴はひとつ、思い出した。
「はい?入れ直しますよ?」
「みよさんはどうだ?最近」
「あぁ…」
翡翠は少し考え、「尼寺に入ろうかと、書いとりましたよ」と答えた。
「尼寺?」
「まぁ、会った際にそう聞きましたし、随分前から、文も、あまり」
「…そうだったのか」
言うのも憚られたが。
「…彼女は恐らく…労咳やったから」
「…え、」
「まぁ、そうなるでしょう。お父上の看病をしていましたし…お父上はお医者に掛かっとりましたけど…彼女自身もあまりそれについて言わんかった。真相は定かではありませんが」
「…それ、は」
「ホンマに…」
つい、どこかを見てしまう。
…丁度、菖蒲の花が咲いているのが見える。この、どんよりとした季節が一番堪えるのだ、あの病は。
「わてに感染ればよかったのになぁ」
…そうか。
だから頑なに…あれから「行かない」と言ったのか。
「まぁ、感染らんかったからトキさんもみんなも」
「…それが、捨て方だったんだな、互いに」
なんて。
「…悪い話をしたな…いや、こう言ってはなんだが…良い話なのかもしれない。
互いに立派だ…ただ、切ないもんだ」
「…はは、トキさんはいつも、こちらが言いたいことを拾う」
「君が言わないからだ。
終わったら、行ってみたらどうだろう」
「ダメですよー、尼さんなんで。寺の前で亀甲縛りされるより…あ、そのへん如何なんやろかね?やはりもっと、厳しいんやろか」
「男には語られないからなぁ、尼寺事情は。基本は離縁して、が多いみたいだし」
「離縁かぁ。わてより逞しいや、みよさんの方が」
きっと…気付かなかったのは三者それぞれだ。余程好いていたのだろうと知るのが…これほどとは。
切ない、残念、でもそれよりも何故だか…前向きな気持ちの方が前に出る。
話してみれば案外、こうして…なんとも言い難い良さもあるのだと、今更知った。
人と接するのはこうしてどこか、複雑なようで簡単なのかもしれない。
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