Get So Hell? 3rd.

二色燕𠀋

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遠離

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 兄ではないのになんだかな。

 怪訝な表情で「なんや」と迷惑そうに言いつつも、部屋にまで来てくれた壮士に、そう思う。

 息の調子や表情、そして何より常々この10年以上か、自分の部屋になど寄りたがらない壮士がこうしてあっさりとここにいる実情に、事の何かは悟っているのだろうと感じる。

 息、声の調子を腹に下げるように、朱鷺貴は一つ息を吐いた。

「…頼み事なんですが」
「アレはどないしたん?」

 壮士はまるで興味もない声色で襖に凭れて廊下を眺めている。
 そのわりに気を遣ったような言とは、昔よりもいくらか、実は打ち解けていたのかと実感した。

「用事を済ませに行ったらしい」
「まぁ…おらん方がええのんか?」
「……なんとも」
「結局明日や数日で次第を知ることになるやろうてな、朱鷺貴」

 …やはり、そうだ。

 昔、引き籠っていた自分を引っ張り出すよう幹斎に助言したのは、実はこの人だったと、なんとなく気付いていた。
 それを思い出す。

「お前も誰に似たのか、不器用な男やな。せやけど、そんでええとは思えまへんなぁ」
「…少し、厄介なお願い事をします」
「はぁ、」
「あんたにも聞いて貰わねばならない、それこそ隠し立ては難しいと思いまして」

 かたっと襖を閉めた壮士は仏壇を眺め、「ええか?」と尋ねてきた。
 実はこの部屋に入ったことすら今が初めてなんだなと、ぼんやり気付く。

 朱鷺貴の返事は待たず仏前に座り、鈴を鳴らしてぶつぶつと唱える般若心経。
 どんな者にも正確に、礼儀正しく厳しい人だと、同じ屋根の下にいれば知っているものだ。

 顔を上げた壮士は当たり前に「和尚のことやろ」と言っては振り向き対峙をした。

「はい」
「どないしはりました」
「…宝積寺に上り早2年となったが、近頃完全に文すら絶たれました」

 壮士は特に何も言わず、黙って聞く姿勢。
 これが少し、朱鷺貴にとっては苦手な所でもある。

「……昼間までいた藤嶋という男がどんな人物か、本性は見えない。まるで、『空』のような男ではあり、」
「ふむ、空は色と同じ、色は空ならずという具合か。しかし、あるのが実態、と」
「はい。
 どこまで何をというのもまさしく禅問答のようなものですが、幹斎和尚は現状、俗世ではあまり良い顔をされず」
「…昔からそれはそうだ。“下級身分”いうか、儒医を噛ってみたりと。私がここに来たときからずっとな。
 ただ、博識であることに違いはないと思っていた」
「そうですね」
「しかし…嘆かわしいもんやな。
 そんで、頼みとはなんですか。私はお前がここを降りても」
「いえ。
 お分かりでしょう、俺は元々外向的ではない。尽きましては暫く…内々の業務をと考えまして。
 それに伴い…出来るだけ今自分が受け持っている檀家の対応は致しますが、…あわよくば一度、俺が引き受けた幹斎の檀家を」
「何を考えてるんかと思えば…では、その“内々の業務”とはなんや」

 単刀直入だ。
 確かに言わねばならないが、やはりぐっと攻めるように詰め寄ってくる。
 昔から、これもそう。

「返答によっては『甘えるな』とはね除ける頼み、そもそもお前の頼みなんてと思うが…」

 部屋をわざとらしく見渡した壮士は、恐らく「翡翠がいないな」というのを表現したいのだろう。

「…余程のことか、朱鷺貴。まずアレはどこに行ったんか…」
「…親元、というんでしょうかね。藤嶋を追ったんじゃないかと」
「帰ってはくるんか?」
「わからん。しかしまぁ」
「ホンマに誰に似たんやろな。なら言っておく、世の中にはある程度規則言うもんがある、それは“理”のようなもの。などと…」

 ふっ、と息を吐いた壮士は「お前を諭しても仕方ないな」と、少し表情を緩めた。

「お前は教えにいつも逆説を立てるが、柵とは理であり理は柵ではないと、朱鷺貴。この意味がわかりますか」

 …散々、これはその“つまらぬ”と思わせる、例えば“常識”なんかを叩きつけてきたくせにな。
 なんて、ついつい穏やかになってしまうのだから、不思議。

「…あんたからそれを聞けるとは思ってなかったよ」
「何年やってきたと思ってるん?」
「そうでしたね」
「…つまり、それほどか、あの人は」

 だから、まぁ、答えにくいって。

「…はい」
「まぁ、お前も身を以て知っていることやな。しかし、それではまだ納得も出来ないし、甘い」
「…まず気に掛かる事柄を一つ言っていいですか」
「なん?」
「…俺が幹斎に付けた小姓のことで。
 どう伝えようか…まぁ、甘い。彼の話をまずは尊重しなければと思っていて」
「そうやなぁ。まぁ、私としては損のない方法を選ばせて貰いますよ」

 そうですね。

「それでやって来ましたからね」
「……最後やないけど、まぁ、今だけ聞こうか朱鷺貴。お前は、それでいいのかといつも疑問やった」
「…はぁ、」
「他者への思いは自分の逃げ。その割に酷な方をいつも選ぶなぁお前は。何故か」

 …なるほどな。

「…あんたは買い被りすぎなのかなんなのか。はは、却ってやりにくい、苦手だなやっぱり。
 自分とは向き合ってきた。それはしかし逃げであり、逃げは自分自身ではない、と」
「禅問答か。捨てきれんのもその結果かな。
 わかった、あの小姓と共に顛末を聞くとする。なんとしても文句は言うなよ」
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