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遺恨
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苦笑い、面倒さが滲み出た顔で去る光正と入れ違いに、翡翠が茶と梵字悉曇を持ってくる。
香炉の前に置いた位牌。
側で茶を淹れる翡翠に「おーきにおーきに」と軽い調子で言っては一杯だけその茶を位牌の側に置いた。
「で」
「あ、はい…まぁ、ご察しの通りで」
「爺さんは遺産を沢山持っていたということか。あの慌てぶりや徹底ぶりからするに君の名前でも書いてあったのかもな」
「いえ…多分そういうんは、違うかと、わかりまへんが。私は昨日、とある方から父の死を知り…ここ暫く会ってはなかったんです。パッタリいなくなってしまって」
「じゃあ確かに…、数珠を見てもましてや、ようここがわかったな」
「まぁ、少々」
「そうか。
しかし勝手な主観だけど君は欲もなさそうな」
「いえ…、いや、まぁ欲自体は人並みやと思てますよ。私があの場で金の云々を言わんのは、単に少しの施しがあったからで」
「なるほど」
「それはお布施に使いましょと、思てます」
「いや」
朱鷺貴は気まずそうに板っぱちを眺め「全然なんも出来んから」と言った。
「これも板っぱちだし、見たかあの位牌。立派すぎて運ぶのも神経使ったわ。花なんて数埋めに詰んだ庭の紫陽花だし。これで供養なんて出来んから多分、申し訳ないわ」
「では…」
「俺は弔いなど、残った者への施しくらいにしか考えてない。から、金詰まれたから注文も聞いた、そんだけで。君のこれは金を詰まれるほどでもない思い付きだし、でもそれですら自己満足の域。だがいいんじゃないかな、どう思う?」
振られた翡翠も「そうですねぇ」と考える。
「まぁ、この人こういう人で、これはそんなら、トキさんの自己満足、いうことで幸吉さん、どうでっしゃろ?」
「はぁ…」
「いや、その少しの金を詰んでもう少しちゃんと必ずやりたいというならまた別な話だけども」
「いや、多分…」
「そうかい。そうだな、賢い。自分に使えそれは。
まぁ教えも含め、でも大半は俺の価値観として。成仏はあれも捨てこれも捨て最後身一つとして柵を断ち、というものだからな。
俺なら、俺のために最後ぼんっと使われるよりかは、その金は散り散りに細かく跡形もなくして存在を消したいかなと思う。
父上は長生きはしたがなんとなく、疲れきって欲もなさそうな人相だったよ」
「…そうですか」
「今日は通夜だからな、遺族も寝ずの番だ。なかなか死に顔を見る機会もないかもしれない」
黙り込んだ幸吉に「大切な人やったんやね」と翡翠が語り掛けた。
「…どうか、わからないんです。
そないに裕福な暮らしでもなかった、なんでや、なんでや、てがむしゃらには生きてきて、この人がおれば母さんも、病身を起こすこともなかったんやないかって、思てましたよ」
「うん、」
「でも父、としているからには仕方ないやないですか。
ただ、母さんが死んだ折りに、そう、その施しいうんはそれです。私はその時父に何て言うたか、とにかく怒りました。
せやけど、それから困ること無く生きていけたのは事実です。しっかりけじめをつけてやろうと思たんやけど…」
少し、言葉を詰まらせ始めた。
「不思議なもんやね、ここに来るまでに歩いて、浮かんできたんは、それなりにあった…良い思い出ばかりで。父は結構、優しくも厳しい人でした。母はその点雑把な方で…何故愛したかというんは当人同士やろうが、仲は良かったような気いがしまして」
そうは言っても、結局息子は一人ぼっちになってしまっただろうに。苦労もしてきているようだし。
「けじめ、という点では正しいよ、こうして来ることは。一番正しい。
君には沢山の思いがあるだろう、しかし、随分若いのにしっかりしてるなぁ」
確かに厳しい人、という点は、この子に受け継がれているのだろう。見習って欲しいものだな。
朱鷺貴は香を摘まみ、小さく経を唱えた。そして位牌を持ち、その香をぶつけまくってまた置く。
「これは真言宗の清めの一種だ。真言の坊主なんでやらしてもらうが、利いてくれたらいいな」
「そうなんですね」
「香は3回。お母様はどうだった?」
「天台宗やったけど、それも3回でした」
「そうか。まぁ好きにどうぞ。
さて、観音経か」
「間違えてましたよねトキさん」
「まーいいんじゃね?気付いてなかったようだし。気付いてもあれじゃ意味ねぇよな。俺の経にも金払ってるだろうに、あれは無駄遣いじゃないか?ちなみに俺はこの経を“神様力自慢の伝記”と呼んでいる」
「…観音経の方が呼びやすいですね」
ははは、と笑う朱鷺貴と翡翠に幸吉も漸く少し笑った。
「さてさて、独説も残ってるのに大分話してしまったな。
これは真言宗くらいしかあんまないからな、じゃあこれは異例の前説として。
観音菩薩の名を聞くか見るか、それを心に留めて忘れないでいたならば、様々な人生における苦しみを消し去るだろうという四節、“我為汝略説、聞名及見身、心念不空過、能滅諸有苦”という大変偉大なお言葉がある。
んなわけねぇ、はいじゃぁお経を始めます。思いを持ちよって、」
幸吉は目を閉じた。
感慨、思い、思い出を胸に。
「世尊妙相具 我今重問彼 仏子何因縁 名為観世音」
我今、思いを問い奉る。
香炉の前に置いた位牌。
側で茶を淹れる翡翠に「おーきにおーきに」と軽い調子で言っては一杯だけその茶を位牌の側に置いた。
「で」
「あ、はい…まぁ、ご察しの通りで」
「爺さんは遺産を沢山持っていたということか。あの慌てぶりや徹底ぶりからするに君の名前でも書いてあったのかもな」
「いえ…多分そういうんは、違うかと、わかりまへんが。私は昨日、とある方から父の死を知り…ここ暫く会ってはなかったんです。パッタリいなくなってしまって」
「じゃあ確かに…、数珠を見てもましてや、ようここがわかったな」
「まぁ、少々」
「そうか。
しかし勝手な主観だけど君は欲もなさそうな」
「いえ…、いや、まぁ欲自体は人並みやと思てますよ。私があの場で金の云々を言わんのは、単に少しの施しがあったからで」
「なるほど」
「それはお布施に使いましょと、思てます」
「いや」
朱鷺貴は気まずそうに板っぱちを眺め「全然なんも出来んから」と言った。
「これも板っぱちだし、見たかあの位牌。立派すぎて運ぶのも神経使ったわ。花なんて数埋めに詰んだ庭の紫陽花だし。これで供養なんて出来んから多分、申し訳ないわ」
「では…」
「俺は弔いなど、残った者への施しくらいにしか考えてない。から、金詰まれたから注文も聞いた、そんだけで。君のこれは金を詰まれるほどでもない思い付きだし、でもそれですら自己満足の域。だがいいんじゃないかな、どう思う?」
振られた翡翠も「そうですねぇ」と考える。
「まぁ、この人こういう人で、これはそんなら、トキさんの自己満足、いうことで幸吉さん、どうでっしゃろ?」
「はぁ…」
「いや、その少しの金を詰んでもう少しちゃんと必ずやりたいというならまた別な話だけども」
「いや、多分…」
「そうかい。そうだな、賢い。自分に使えそれは。
まぁ教えも含め、でも大半は俺の価値観として。成仏はあれも捨てこれも捨て最後身一つとして柵を断ち、というものだからな。
俺なら、俺のために最後ぼんっと使われるよりかは、その金は散り散りに細かく跡形もなくして存在を消したいかなと思う。
父上は長生きはしたがなんとなく、疲れきって欲もなさそうな人相だったよ」
「…そうですか」
「今日は通夜だからな、遺族も寝ずの番だ。なかなか死に顔を見る機会もないかもしれない」
黙り込んだ幸吉に「大切な人やったんやね」と翡翠が語り掛けた。
「…どうか、わからないんです。
そないに裕福な暮らしでもなかった、なんでや、なんでや、てがむしゃらには生きてきて、この人がおれば母さんも、病身を起こすこともなかったんやないかって、思てましたよ」
「うん、」
「でも父、としているからには仕方ないやないですか。
ただ、母さんが死んだ折りに、そう、その施しいうんはそれです。私はその時父に何て言うたか、とにかく怒りました。
せやけど、それから困ること無く生きていけたのは事実です。しっかりけじめをつけてやろうと思たんやけど…」
少し、言葉を詰まらせ始めた。
「不思議なもんやね、ここに来るまでに歩いて、浮かんできたんは、それなりにあった…良い思い出ばかりで。父は結構、優しくも厳しい人でした。母はその点雑把な方で…何故愛したかというんは当人同士やろうが、仲は良かったような気いがしまして」
そうは言っても、結局息子は一人ぼっちになってしまっただろうに。苦労もしてきているようだし。
「けじめ、という点では正しいよ、こうして来ることは。一番正しい。
君には沢山の思いがあるだろう、しかし、随分若いのにしっかりしてるなぁ」
確かに厳しい人、という点は、この子に受け継がれているのだろう。見習って欲しいものだな。
朱鷺貴は香を摘まみ、小さく経を唱えた。そして位牌を持ち、その香をぶつけまくってまた置く。
「これは真言宗の清めの一種だ。真言の坊主なんでやらしてもらうが、利いてくれたらいいな」
「そうなんですね」
「香は3回。お母様はどうだった?」
「天台宗やったけど、それも3回でした」
「そうか。まぁ好きにどうぞ。
さて、観音経か」
「間違えてましたよねトキさん」
「まーいいんじゃね?気付いてなかったようだし。気付いてもあれじゃ意味ねぇよな。俺の経にも金払ってるだろうに、あれは無駄遣いじゃないか?ちなみに俺はこの経を“神様力自慢の伝記”と呼んでいる」
「…観音経の方が呼びやすいですね」
ははは、と笑う朱鷺貴と翡翠に幸吉も漸く少し笑った。
「さてさて、独説も残ってるのに大分話してしまったな。
これは真言宗くらいしかあんまないからな、じゃあこれは異例の前説として。
観音菩薩の名を聞くか見るか、それを心に留めて忘れないでいたならば、様々な人生における苦しみを消し去るだろうという四節、“我為汝略説、聞名及見身、心念不空過、能滅諸有苦”という大変偉大なお言葉がある。
んなわけねぇ、はいじゃぁお経を始めます。思いを持ちよって、」
幸吉は目を閉じた。
感慨、思い、思い出を胸に。
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我今、思いを問い奉る。
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