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遺恨
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男を見た遺族、恐らくは娘が「あんた、幸吉やないの!?」と声を荒げる。
ピタッと、朱鷺貴は一瞬だけ経を詰まらせた。
女はつかつかと戸まで歩いてきては「あんた、なんできたんや!」と、最早狂乱の様で男を怒鳴りつける。
場がそこからガヤガヤとし始めてしまった。
「…父が逝きはったと」
「誰から聞いた、お前は家の門の子やない!」
……これはどうやら、修羅場だ。
しかし男はしなしなと、「お線香、お線香だけでええですから、」と、まるで頼むような態度。
「いらん、他所へ行ったお前にんな権利無いわっ!」
…葬式に権利やなんやと。そんなもの、一体なんですかと聞きたくなる。
…乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道。
聞け、全く。
「お前まさか、」
それなりに年のいった男も「金せびりにきよったんか幸吉」だなどと湧き出す。
…さしずめ、なんだ?男も若いし別の伴侶の子供、あたりなのだろうか。
なるほど、やけに内々なのも少々、わかってきたような。
「違う、そんなんやない、金も何もいらんっ!」
「そんならなんで来るん、この泥棒、恥さらしがっ!」
なんだか…。
「まぁまぁ。そこまで言わんとええん違いますか。お寺は皆受け入れますさかいに」
「坊主の話は聞いてへんわ、もう…、」
女が男の肩を掴み「帰って、なんもないねん!」と追い出そうとする始末。
流石に側で共にしていた坊主が「お客さん、一旦落ち着いてな」と言いつつ、「お前こいつを一旦下がらせろ」とでも言いたそうに翡翠を睨む。
「こっちでもう決まってんねんで!」
「せやから、」
朱鷺貴は一層声をあげ「般若波羅蜜多 是大神呪」と唱える。
それがまるで煽ってしまったかのように「なんや乞食が!」だの「お前にやるもんはない!」だのと更に湧くのだからしょうもない。
しかし朱鷺貴は依然と続ける。
「線香あげさしたらわてが帰しましょ」
「なんやあんた、これの知り合いなんか、端から打ち合わせでもしとったん?」
「…は?」
「あーもうええから翡翠、まずどっか連れてって差し上げ、」
「どっかって、」
あぁ、と声を潜め「今しかないん違いますの?」とこちらはこちらで流儀を通そうとする。
「墓参りにでも来たらええやろ、兄さん」
「あぁ立派な石やで見てったらええわ幸吉、金もないあんたのボロ屋にはとてもとても」
往き往きて、そうして…彼岸に往き、 僧莎訶 。
パタッと経を終えた朱鷺貴は頭を一度深々と下げた。
経も終わってしまいはっ、とした雰囲気にまずは朱鷺貴が香をやり、「死は、尊いものです」と、まるで聖人のような語り口で始めた。
「我が真言宗の葬儀事は密厳浄土に故人を届けるという儀式で、密厳浄土とは大日如来がいる世界とされている。
事前に手順は踏ませて頂いたかと思いますが密教故決まりは多く厳しく、それは如来の元へ還る故人を清める意があり、つまりは作法です。清めるとはすなわち現世の悪事や悪行、悪習慣などを正すということ。
はい、独説終わり。
翡翠、茶と幸吉殿を隣へ。光正法師は余ってる物でいいんで、焼香一式と墨と板っぱち位牌をよろしくどーぞ」
しれっと、なんなら有象無象の遺族をも邪魔だと言わんばかりに間を縫う朱鷺貴は幸吉の元まで来ると「もう一回読めてよかったわ」と呟いた。
「誰の意思かはわからないからな、経文なんてものは。通夜紛いでよければ、心安らかに」
そうして出るのを促す。
やっぱり間違いやったんね、トキさん。
はい、と言って幸吉から花を受け取り、茶を用意と翡翠が去ろうとすれば「あー悪い梵字も」と追加に指示を出してくる。
「騒がしいしあれじゃあ明日も出れないだろ。一応」
「あ、そうですねぇ」
「梵字…?」
「読むだけだけど…あぁ。君は宗派が違いそうだな。別にいいんだけど。通夜と葬式は読むもんが違うんで…、まいいや、とにかく隣で話をしよう」
数珠にも気付いたようだ。
あの…と幸吉はまだ戸惑っているようだったが「いーからはいはい」と、朱鷺貴は幸吉を宥めるように隣の客間へ押し入れた。
二人向かい合い座り、まず朱鷺貴は胡座で観音経を眺めては「ふーん…」と思案。
「まずは、尋ねよう。君は一体何者かと」
え、え、となっている幸吉に「ほれここ、」と朱鷺貴は観音経の一節目を指した。
そこにあった花瓶に、昼の紫陽花と幸吉が持ち寄った花を挿した翡翠はすぐに一度出て行った。
「その…」
「言いたくないならいいけど。さしづめ…子息はいたしな、末期養子ではないだろうが持参金目当てのどこかに、養子に入ったのかと捉えたが、合ってるよな?多分」
なんなんだこの人は。
あまりに珍妙で幸吉は度肝を抜かれていた。
待たずして命じた光正が「何しはるんです?」と面倒そうに、簡易的で真っ更な位牌と香炉一式を置きに来た。
「どうもおおきに。
何って、成仏でしょう」
「あちらさんは…」
「静かになったらざっくばらんになんとかします。線香だけは心配ですけどね」
「それは適当に私が指示をするしか…」
言ってる最中に朱鷺貴は墨を磨り、「すみませんね」と光正に言いながら、位牌にさらさらと戒名を書いた。
ピタッと、朱鷺貴は一瞬だけ経を詰まらせた。
女はつかつかと戸まで歩いてきては「あんた、なんできたんや!」と、最早狂乱の様で男を怒鳴りつける。
場がそこからガヤガヤとし始めてしまった。
「…父が逝きはったと」
「誰から聞いた、お前は家の門の子やない!」
……これはどうやら、修羅場だ。
しかし男はしなしなと、「お線香、お線香だけでええですから、」と、まるで頼むような態度。
「いらん、他所へ行ったお前にんな権利無いわっ!」
…葬式に権利やなんやと。そんなもの、一体なんですかと聞きたくなる。
…乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道。
聞け、全く。
「お前まさか、」
それなりに年のいった男も「金せびりにきよったんか幸吉」だなどと湧き出す。
…さしずめ、なんだ?男も若いし別の伴侶の子供、あたりなのだろうか。
なるほど、やけに内々なのも少々、わかってきたような。
「違う、そんなんやない、金も何もいらんっ!」
「そんならなんで来るん、この泥棒、恥さらしがっ!」
なんだか…。
「まぁまぁ。そこまで言わんとええん違いますか。お寺は皆受け入れますさかいに」
「坊主の話は聞いてへんわ、もう…、」
女が男の肩を掴み「帰って、なんもないねん!」と追い出そうとする始末。
流石に側で共にしていた坊主が「お客さん、一旦落ち着いてな」と言いつつ、「お前こいつを一旦下がらせろ」とでも言いたそうに翡翠を睨む。
「こっちでもう決まってんねんで!」
「せやから、」
朱鷺貴は一層声をあげ「般若波羅蜜多 是大神呪」と唱える。
それがまるで煽ってしまったかのように「なんや乞食が!」だの「お前にやるもんはない!」だのと更に湧くのだからしょうもない。
しかし朱鷺貴は依然と続ける。
「線香あげさしたらわてが帰しましょ」
「なんやあんた、これの知り合いなんか、端から打ち合わせでもしとったん?」
「…は?」
「あーもうええから翡翠、まずどっか連れてって差し上げ、」
「どっかって、」
あぁ、と声を潜め「今しかないん違いますの?」とこちらはこちらで流儀を通そうとする。
「墓参りにでも来たらええやろ、兄さん」
「あぁ立派な石やで見てったらええわ幸吉、金もないあんたのボロ屋にはとてもとても」
往き往きて、そうして…彼岸に往き、 僧莎訶 。
パタッと経を終えた朱鷺貴は頭を一度深々と下げた。
経も終わってしまいはっ、とした雰囲気にまずは朱鷺貴が香をやり、「死は、尊いものです」と、まるで聖人のような語り口で始めた。
「我が真言宗の葬儀事は密厳浄土に故人を届けるという儀式で、密厳浄土とは大日如来がいる世界とされている。
事前に手順は踏ませて頂いたかと思いますが密教故決まりは多く厳しく、それは如来の元へ還る故人を清める意があり、つまりは作法です。清めるとはすなわち現世の悪事や悪行、悪習慣などを正すということ。
はい、独説終わり。
翡翠、茶と幸吉殿を隣へ。光正法師は余ってる物でいいんで、焼香一式と墨と板っぱち位牌をよろしくどーぞ」
しれっと、なんなら有象無象の遺族をも邪魔だと言わんばかりに間を縫う朱鷺貴は幸吉の元まで来ると「もう一回読めてよかったわ」と呟いた。
「誰の意思かはわからないからな、経文なんてものは。通夜紛いでよければ、心安らかに」
そうして出るのを促す。
やっぱり間違いやったんね、トキさん。
はい、と言って幸吉から花を受け取り、茶を用意と翡翠が去ろうとすれば「あー悪い梵字も」と追加に指示を出してくる。
「騒がしいしあれじゃあ明日も出れないだろ。一応」
「あ、そうですねぇ」
「梵字…?」
「読むだけだけど…あぁ。君は宗派が違いそうだな。別にいいんだけど。通夜と葬式は読むもんが違うんで…、まいいや、とにかく隣で話をしよう」
数珠にも気付いたようだ。
あの…と幸吉はまだ戸惑っているようだったが「いーからはいはい」と、朱鷺貴は幸吉を宥めるように隣の客間へ押し入れた。
二人向かい合い座り、まず朱鷺貴は胡座で観音経を眺めては「ふーん…」と思案。
「まずは、尋ねよう。君は一体何者かと」
え、え、となっている幸吉に「ほれここ、」と朱鷺貴は観音経の一節目を指した。
そこにあった花瓶に、昼の紫陽花と幸吉が持ち寄った花を挿した翡翠はすぐに一度出て行った。
「その…」
「言いたくないならいいけど。さしづめ…子息はいたしな、末期養子ではないだろうが持参金目当てのどこかに、養子に入ったのかと捉えたが、合ってるよな?多分」
なんなんだこの人は。
あまりに珍妙で幸吉は度肝を抜かれていた。
待たずして命じた光正が「何しはるんです?」と面倒そうに、簡易的で真っ更な位牌と香炉一式を置きに来た。
「どうもおおきに。
何って、成仏でしょう」
「あちらさんは…」
「静かになったらざっくばらんになんとかします。線香だけは心配ですけどね」
「それは適当に私が指示をするしか…」
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